第四節

第二十八話 モグサ・レコード

「モルゲン様、報告がございます」

「モロノエ……、何かしら?」


 壁の切れ間からほんのりと日が差す薄暗い部屋に、女が二人。

 お揃いの深紅のクロークをまとい、いかにもゆったりと品が良さそうに振舞っているが、様々な太さのケーブルが床に這い、機械油の匂いが色濃く漂うこの部屋には大そう似つかわしくない。


 モロノエ。そう呼ばれた背の高い女性はゆっくりともう一人に近づき、耳打ちをする。この部屋には他の誰もいないというのに。


「……そんなことがあったのね。お転婆な妹達には本当に困ったものだわ」


 だが、その口元は少し緩んでいるようにも見える。


「どのような処分を?」

「何もしないわ。……だけど、監視は付けておかないといけませんね。グリトネア、グリトン、それにテュロノエでどうかしら?」

「適任かと思います」

「では、任せましたよ、モロノエ」


 モロノエが部屋を辞すと、モルゲンは再び一人、暗闇に向き直る。


「ああ、エレナ様。哀れな私たちの罪を清め、そして楽園にお導き下さい」



   ―― ❄ ――― ✿ ――



 目を覚ますと、僕はスノウビートルの運転席に座っていた。

 窓の外に広がるのは、無骨な金属のハッチではなく、高く青い空と木々もまばらな黒い針葉樹の林。ここがやや高いところにあり、どこかのクレイドルの内側でないことだけは、遠くに見える虹色の波からなんとなく分かった。


「ファル助。状況説明」

「了解。現在地は、財団からの連絡によればヒノの高台です。周辺地形と東方向に見えるクレイドルの数から、間違いないと思われます」


「ルーティ通信は可能か?」

「子樹の通信範囲内です」


 昨日のアトランティエさんの口振りから、僕はモグサ・プラトー博士にゆかりのある土地に連れてこられたとみて間違いない。手段が強引すぎるきらいもあるが、いずれ僕には拒否権がないようなものなのだから、指示通りにここで採掘をするしかなかった。


「ファル助、高台一帯の採掘を頼む」

「了解しました」


 さて、その間にカルイザワブランチに連絡をしよう。ヒノは父島でも西之島でもない。予定外の場所にいるときは居場所をきちんと伝えなければならないのである。組織に所属している以上、当たり前のことだ。もっとも、RSCの使命を私的に拡大解釈している僕が組織云々のことを語るのは、的外れな気がしないでもない。


「……あれ、繋がらない」


 リーフィでカルイザワブランチに音声通信を試みるも、しかし、ひたすら呼び出し中の音が鳴るだけで、つながることはなかった。


「うーん。ルーティの電波は……やっぱり問題ないな」


 リーフィに表示されている時刻は、お昼を過ぎた辺り。通常であれば音声通信に対応する時間だ。休日でもない。

 その後も、スノウビートルの屋根に上り、爽やかな景色と気持ちよさそうに飛び回るファル助を眺めながら、音声通信を試みたのだがつながることはなく、結局、オリアナさんにテキストメッセージを送信した。

 けれどそれも、ファル助の採掘が完了するに至っても反応が返ってくることはなかった。


「マスター。予定範囲の採掘が完了しました」

「お疲れ様。車の中で聞くよ。ところでこの場所って、モグサ・プラトー博士とどういう関係があったんだい?」


「ここには、かつて博士の研究所が存在していたようです」

「ようです、とは珍しいね。存在していなかった可能性もあるみたいじゃないか」


「その通りです。HCCが保有しているレコードでは存在が確認できず、ラヴクラフト財団からの情報提供によって、存在が判明したためです」


 それから車内で、採掘したレコードについて報告を受けた。

 その多くはカルイザワブランチなど、機材が揃っているところでないと解析が難しいとのことだったが、いくつかはこの場で解析が可能だという。そのなかで最も重要度が高そうなものを、ひとまず復元して欲しいと指示を出すと、果たしてそれは、モグサ・プラトー博士の日記だったのだ。彼女の記憶そのものとも言っていいだろう。

 やや小さいホログラムモニターに手をかざしてざっと目を通してみれば、僕の目には次々と彼女が生きた記憶が流れ込んできた。


 養子のリクギ・プラトーの働きを褒めていたこと、二人目の孫が生まれてリッカと名付けられたこと、一人目の孫が命を落としてしまったこと、脳拡張記憶デバイスの死後の処分のこと、そしてコード:サクラ。

 コード:サクラが何であるのかは書かれていないが、内部に動植物と、それから人間と同様の生活をさせつつ、様々な数値や環境を観測するために複数のアンドロイドを投入したとある。つまり、コード:サクラとは何らかの実験施設そのものかそれに関係する言葉だったのだ。

 モグサ・プラトー博士に関係がある実験施設と言えば、現時点では一級機密実験施設、すなわち、西之島が思い浮かぶ。それが予想通りニライカナイなのだとしたら、全て繋がるんじゃないだろうか。コード:サクラ、モグサ・プラトー、ニライカナイ、イアン・ケンドールが。


 そして、もう二つ。いや、一つかも知れない。コード:サクラがニライカナイ、そして西之島と関係があることを示唆する記述があった。

 一つ目はニライカナイに孫に似せたアンドロイドも投入したとある。……死んだ一人目の方だ。

 二つ目はコード:サクラの停止が決定した際に、アルカスプログラムが意図的に不具合を起こすよう、プログラムを書き換えてしまったことへの後悔が簡潔に書かれていた。


 そのとき不意に、遠くでカラスが鳴いた気がした。


 思考を続けよう。今、いいところなのだ。これを止めてはいけないと、僕の勘が告げている。


 アルカスプログラムと言えば、つい先日、西之島で採掘した正体不明のプログラミングコードだ。そして、国土交通省の跡地から見つかったレコードには、プログラムの不具合で西之島の一級機密実験施設を放棄したことが書かれていたのだ。

 つまり、コード:サクラという国家的な実験プロジェクトが西之島を舞台に行なわれ、少なくともモグサ・プラトー博士はそこをニライカナイと呼ぶことがあり、正式名称としては一級機密実験施設だった、ということでほぼ間違いないだろう。

 そして、海水面が今ほど下がっていない時代に、イアン・ケンドールが漂着してしまったのだ。


 遠くでまた、カラスが鳴いた。


 僕は車内からキョロキョロと辺りを見回す。カラスを探すためではない。屋外採掘のときには、決まって襲撃や接触があったからだ。


「ファル助、周囲に不審な車や人間はいないか?」

「おりません」

「それを聞いて安心したよ。……レコードの送信は可能か?」

「可能ですが、現在、カルイザワブランチのサーバーへアクセスができない状態となっておりますので、財団に送信します」

「分かった。そうしてくれ」


 そうなると、アトランティエさんにも連絡を入れておかないといけない。


「こちら、ミハル・カザハナ三級記憶採掘官です」

『こちらアトランティエ・ラヴクラフトよ。採掘が終わったのかしら?』


「はい、その連絡と、レコードの送信について、カルイザワブランチに繋がらないため、未解析のものも含めて昨日同様、財団に送信していますという連絡です」

『あら、そう。ルーティの調子が悪いのかしらね……』


「あ、それから帰りの移動手段のお手配をよろしくお願いします」

『それもそうね。早速手配するから、そこで待機してて頂戴ね』

「ありがとうございます」


 ふう……。巨大組織のトップと話すのは流石に慣れないから、こういうものは誰か職員にでも任せてくれればいいんだけど、今のところ、そのつもりはなさそうだ。


 ぼんやりと景色を眺めたり、ファル助を相手に絶対勝てないしりとりをしながら、一時間ほど経った頃だろうか。

 外から何かシャンシャンとした小さな鈴に似た音が聞こえてきて、スノウビートルの頭上で止まった。何事かと顔を出して空を見上げれば、小型の空中機動船、……違う。ここから見える、あの頑丈そうでやたらと凹凸が多いシャーシ。あれは財団だけが保有し、限られた業務だけで運用しているという噂の、ソリッドトイ甲型に違いない。

 しかし、あれにはスノウビートルを格納できるようなスペースはないはずだ。

 そう思った瞬間、白い布が車ごと僕らを包み込み、幕が開けると飛行カーゴシップの中にいた。

 目を白黒させていたのも束の間、今度はアトランティエさんから音声通信が入る。

 落ち着かないまま通話を承認すると、彼女は名乗りもせずに話し出した。


『落ち着いて聞いて。カルイザワブランチが武装した暴徒に襲撃されているわ』

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