第三十四話 歪み
再び銃口と思われる物体が後頭部に押し付けられる。
僕は両手をあげる。
自分でも呼吸が浅いことが分かる。
押し付けられた物体は硬く、重い。
偽物ではない。
おもちゃではない。
「どうして? ミハル・カザハナ三級記憶採掘官。君は実に下らない人間だな。そんな下らない質問をするとは思わなかったよ。……だが、特別に答えてやってもいいぞ」
オリアナさんの声音はひどく冷たい。本当にオリアナ・マンディスと同じ人物なのかと疑うほどに。
「簡単なことだ。ここには楽園がある。楽園だ。下らない君でも分かるだろう? 楽園があるんだ。皆が楽園に住まえば、飢餓も貧困も、そして醜い争いもなくなる。素晴らしいじゃないか。……君はそんな楽園を潰そうとしてるんだ。実に度し難い。人類に対する犯罪と言ってもいい」
「ど、どうして僕が楽園を潰そうとしていることを知っているんです?」
「うん? ……ああ、妹たちが死の際に話していたよ。可哀想に。私と敵対したばかりに死ぬことになってしまって」
「……同じ教団の仲間だったんじゃないんですか?」
「君は馬鹿か。私と敵対したと言っただろう? 仲間じゃないんだよ。仲間じゃあない人間が銃を持って待ち伏せしている。なら、殺しても構わないだろう? 私の言っていることは間違っているか?」
「……」
僕は、何も答えられない。
だから、視界の端を見ながら話題を変えた。
「アフリカ中部には温暖な気候と沢山の食料があるじゃないですか。なぜ、ここにこだわるんです?」
「……確かに、タデアシュ・メテルカは未来の楽園をアフリカに見出し、世界の中心にしたかもしれない。だが、そこに全ての人類が住めるわけではない。人が多く押し寄せたせいで物価は高騰し、しかも職にも食にもありつけない者が大勢いる。そんなものが楽園のはずはないだろう。楽園はもっと等しく享受されるべきものなのだ」
「なら、オリアナさんは楽園をどう享受させようというのです。この小さな島に人類全員を移住させることなど、不可能ではないですか」
「だから、選別するのだよ。楽園に住まう人々を」
「選ばれなかった人々はどうなるんです?」
「どうにもならないよ。これまでと変わらない、いつも通りだ」
「等しく享受されるべき、という崇高な理念はどこへいったのですか?」
「もちろん忘れていないさ。清らかな心を持つ者だけがそこで暮らすことを許される。正しく楽園ではないか。そうなれば、ルフィナのような目に遭う子だって減らすことができる。
「あなたは僕を撃てませんよ。なぜなら、僕が死ねばファル助を止められる人間がいなくなるからです」
「……減らず口を」
「ところでオリアナさん。最近は別件で忙しかったとはいえ、薄い本の献上が出来なくなって申し訳ありませんでした。薄い本が足りなくなったから、きっとこんな馬鹿な真似をしているんですね」
「薄い本? 何だ、それは?」
「……ファル助、やれ」
「ようやく止める気になったか」
僕は勢いよくしゃがむ。
同時、後ろから声が聞こえる。
「血迷った――」
そのセリフを言い終えることなく、オリアナさんは気絶し、仰向けに倒れた。
迷彩服を着た彼女の足に触れているのは、薄く平たくなったファル助の触手。
改めて銃を突き付けていた声の主を見るが、やはりそれはオリアナさん以外の何物でもなかった。けれど、僕はオリアナさんではないと思った。証拠などなく、勘でしかない。いや、証拠のようなものはなくはないが、確定的なものではない。
「マスター、アルカスプログラムノ解析及ビバグフィックスノ準備ガ完了シマシタ。関連シテ三点ノ報告ガアリマス」
「分かった。ナチュラルヴォーカライゼーションモードを起動して報告してくれ」
「了解。報告一点目。ロックされているドアおよび昇降機について、シニアアドミニストレータ権限により解除することが可能です。ロックを解除する場合にはご指示ください。
二点目。アルカスプログラムのバグフィックス完了について、パスワードを要求されております。パスワードを間違えた場合、不具合が改変される仕組みになっています。そうなれば、再度の解析が必要になる可能性が高いため、アタックを試行することができません。
三点目。地表の状況について、幹伝いに探った結果、著しい空間の歪みが検知されました。コード:サクラを停止させた場合に、それがどのような影響を及ぼすのか予測ができません」
「は?」
また声が出た。
理解が及ばない。
財団は僕みたいな下っ端役人にいったい何をやらせようとしているのか。
確かにファル助は優秀なのだが、空間の歪みとはどういうことなのか。しかも、予測不能。
オリアナさんが無防備に横たわる隣で、僕は逡巡する。
「ファル助、空間の歪みが解消した場合と進行した場合に、考えられる可能性を列挙してくれ」
コード:サクラが空間の歪みを引き起こしている原因だというのなら、停止することによってそれが解消する可能性がある。あるいは、より進行するかも知れない。すると、どうなる? 僕には考えも及ばない。
「解消、進行、いずれの場合でも、該当する可能性としては、何も起こらない。進行した場合は、ニライカナイにおける時間概念の消失。解消した場合の可能性としては、蓄積されていたであろう時間の放出によるニライカナイの急速な老朽化、もしくは、蓄積されていたであろう時間の消失に伴なう地球規模の時間の巻き戻し」
聞いてはみたものの、何も起こらないことを祈るしかないようなものもあった。
これを僕が判断するのか?
一介の下っ端役人でしかない僕が?
HCCで議論すべき内容ではないのか?
HCCより、もっと範囲を広げて、地球規模で話し合わなければならない問題ではないのか?
安全性が確認できるまで仮説と検証を繰り返すべきではないのか?
誰が責任を取る? というか最後の地球規模の時間の巻き戻しなんか、誰も責任がとれないではないか。
僕がここにいていいのか?
しかし、時間はもう残されていない。海側からここまでトンネルなどを拵えれば、暴風雪圏を回避して、ここに来ることはできるかも知れないが、それまでに何年かかる?
それまでに文明は維持できる?
「調査の進み具合はどうかしら?」
空耳だと思った。
彼女自らここには来ないだろうと思っていたから。
『調査の進み具合はどうかしら?』
空耳ではなかった。
二回目はわざわざファル助を経由して話しかけてきた。
こんなことができるのは、そう、あの人しかいない。
「アトランティエさん……。どうしてここに? それにどうやって?」
振り返れば、アリアケで会った頃と全く同じ服装の、神秘的な佇まいの彼女がいた。
唯一違う点があるとすれば、いつかのレコードで見たクラゲのような物体がそばに浮いていることぐらいなものだ。それはFARG96型に似ているが、サイズは二回りほども大きく、色も半透明ではない。水色だ。
「あら。私の部下たちはみんな優秀なのよ。現場を視察するお膳立てをするくらいわけないわ。ところで、そこで寝てる人、……オリアナ・マンディスね。どうして武装解除も拘束もせずに放置しているのかしら?」
言われてみれば確かにそうだ。
彼女はつい先ほどまで僕に銃を向けていた。気を失っていることに安心したのか、オリアナさんが僕の命を奪うことなど絶対にないと慢心したのか。
けれど、僕が呆けている間にアトランティエさんは手際よく武器を取り上げ、ベルトを外して足と手を縛り上げてゆく。
「アオエ。スキャンして」
アオエと呼ばれた大きなクラゲのロボットは、返事もせずにオリアナさんの上に浮かび、アトランティエさんの目の前にホログラムモニターを映し出す。
「さっきの質問の答え、まだ聞いてないわ。どうなの?」
「あ、はい。あの――」
彼女はホログラムモニターを凝視しながら、耳は僕の説明を拾っている。やがて、オリアナさんのポケットというポケットから弾薬などを取り出して通路下に放り投げれば、ようやく僕と目を合わせた。
「――空間の歪みがどうなるか分からないから、HCCなどで審議すべきではないかと、ところが時間もないから誰かの判断も仰ぎたいと、そういうことでいいかしら?」
「はい、その通りです」
「当然といえば当然の考え方よね。ところでオリアナ・マンディスは体のほとんどが機械化されていたのだけど、それについて、あなたはどう思う?」
僕は何回、驚くのだろう。
そして今回はいったい何に驚いたのだろう。
そうか。分かった。
僕は、機械が楽園を求めたことに違和感を覚えたのだ。
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