第二十三話 メガネ
「フレーリン及びカザハナ三級記憶採掘官。今朝はウッドワード一級記憶採掘官殿より緊急通達がある」
カスミガセキで屋外採掘をした翌朝、予想通りカルイザワブランチ施設長のオリアナ・マンディス二級記憶採掘官から呼び出しがあった。
昨日あんなことがあったのだから、内容はおおよそ察しがつく。
「昨日、ミハル・カザハナ三級記憶採掘官が、カスミガセキにて職務妨害に遭った。この件について、平和監視軍トウキョウオフィスが被疑者を取り調べた結果、いずれもアヴァロンの末裔を名乗る宗教団体の第八位および第九位の幹部であることが判明した。先行きは不透明だが、当面の間、特命がある者を除き、屋外採掘を制限する。また、アヴァロンの末裔と、その関連団体である記憶奪還戦線を十分に警戒して職務にあたるように、とのことだ。以上。フレーリンは戻って良し。カザハナは残りたまえ」
ヨコスカとカスミガセキで命を懸けた大立ち回りをしたような記憶があるんだけど、注意だけだったか。なんだか拍子抜けしちゃったよ。実害が無いからかも知れないけどね。そもそも命の危険がなかったかも知れないけどね。
それにしても、僕だけ残れというのは嫌な予感しかしない。
まさか、薄い本の献上が出来ていないから怒られる、なんていうことはないよね?
「君は優秀だから、すでに分かっていることだろうが、屋外採掘の制限は君にはかからない」
「は! 承知しております!」
知らなかったが、勢いで知ったかぶりしてみた。どうせ、この後の展開には影響がない。
「そこでだ。一つアドバイスをしてやろう。君の出世に関わる重要なものだ」
「は! ありがとうございます!」
「君が財団から何を頼まれているかは知る由もないが、海水面が低下する前の東京湾沿岸を探しているように私は思う。だというのに、なぜ君はあそこに行かないのかと疑問でね」
「あそこ、と申しますと?」
オリビアさん、本来の職務とあまり関係ない財団からの依頼も気にかけてくれてるなんて、やっぱり良い人だな。僕はあなたの部下で良かった。
「決まっているだろう。幕張メッセだ!」
「……施設長。美しいお顔から鼻血が出ております。こちらのティッシュをお使いください」
やっぱり私情を挟みまくってきた。このままオリアナさんの部下でいて大丈夫なんだろうか。
だが、正直なところ、次はどこで採掘すれば良いのか皆目見当もついていなかった僕に、新しい視点を与えてくれた。
モグサ・プラトー博士と旧海洋研究開発機構が関係していたのは分かっている。であれば、沿岸部を採掘するというアイディアは悪くない。
僕はすぐに屋外採掘を申請した。
今回の採掘予定地は、ヨコスカ市内のクリハマ港跡である。前回のオッパマよりは南に位置している。
オリアナさんには「貴様! 記憶採掘官の使命を忘れたのか!」と意味不明の非難を受けたが、ラヴクラフト財団とRSCの関係を考えれば、ラヴクラフト財団からの依頼を優先的にこなさなければならないのだ。許せ、同志オリアナよ。
そして僕はいつものようにスノウビートルで出発した。
カルイザワブランチ前の喧騒はいつも通りで、特に襲い掛かってくる様子はない。
この後も、ウッドワード一級記憶採掘官殿の通達が杞憂で終わることを祈るばかりだ。
―― ❄ ――― ✿ ――
「ミハルくぅーん。キミ、カワイイわねえー」
クリハマ港跡地でファル助を送り出した僕は、早速、絡まれていた。銀縁メガネが似合う年上のお姉さんに優しく、腕を。
いい。
とてもいい匂いがする。
これが三次元の魅力というものなのだろうか。
さようなら二次元、こんにちは三次元。
「えへへへへー、そうですかー? お姉さんもカワイイですよぉー」
「やだー、お上手なんだからあ。そのカワイイお口が言うのかなあ? えーい」
そう言ってお姉さんは僕の頬っぺをムニムニしてくる。
いい。
……ところで、このお姉さん誰なの?
だめだダメだ。こういうときは冷静になっては駄目だと、太古のジャパニーズおっさんビジネスマンたちも言っている。
ここはこのビッグウェーブに乗らなければいけない局面なのだ。
けれど、なんだろう。この浮気をしているかのような背徳感は。二次元の彼女と嫁が両手両足でも数えきれないほど多くいるせいなのだろうか?
僕は二次元だけ、二次元だけ、二次元だけ。僕は二次元……
「ところでえ、私ぃ、この辺りで落とし物しちゃってえ、探してくれたら嬉しいなあ」
「お安い御用ですよ!」
自己暗示はあっという間に砕けた。人間の意志など実に脆いものなのだ……
こういうときは景色を見よう。僕の腕に絡まって、体を押し付けてくるお姉さんのことなど忘れるほどに。
空はいつものように灰色で、柔らかい、地面は白銀という表現がよく似合う。いい匂い。公園として整備されている一帯はいい匂いで、そこを気持ちよさそうに飛ぶファル助は柔らかい。そして遥か南方には、柔らかくていい匂いがしそうな白い巨大な嵐が舞っている。
柔らかい柔らかいいい匂いいい匂い柔らかい柔らかい柔らかい柔らかいいい匂いいい匂いいい匂いいい匂い。
うん、全然景色に集中できないね。
あ、そう言えば――
「お姉さん、探し物はなんですか? どの辺りで落としたか分かりますか?」
落とし物をしたと言っていたのに、何を落としたのか聞いていなかった。これでは柔らかお姉さんポイントが減ってしまうではないか。
「落としたのはあ、メガネ。落とした場所はぁ、全然分からないのよぅ」
落とし物はメガネだったのか。目が悪い人は無いと大変だって言うから、見つけてあげないとね、って、お姉さん、メガネかけてるよ? どういうことなの?
「あの、メガネをかけているように見えるんですが……?」
「ああ、これねー。違うのよー」
違う、って何が?
「落としたのは予備のメガネなのよぅ。様々なメガネリスクに対応できないと、メガネ美人は維持できないの。大変なのよぉー?」
まあ確かに? ウェービーなキャラメルブラウンの短髪も、少し下がった目尻が印象的な顔も、全体的にふわっとした感じで、美人かどうかと聞かれればこのお姉さんは美人だよね。美人から助けを求められたら、手を差し伸べないわけにはいかないよね。
「マスター。予定範囲の採掘が完了しました」
「お疲れ様、ところでメガネは落ちていたかい?」
「メガネは五件、該当があります。ご質問の意図はレコードではなく、物体としてのメガネと判断しました」
「うん、それでいい。最近のメガネはあったかい?」
「いいえ。ありませんでした。なお、最近、は一ヶ月以内と判断しました」
「分かった。ありがとう」
そこまでファル助が話すと、途端に腕への圧力がなくなった気がした。
「えーっと、お姉さん。残念ながらメガネは見つかりませんでした」
それを聞いたお姉さんの顔は、これまでから想像もできないほど無感情で、そして冷たく見える。
「そう、ファル助は優秀なのね。さようなら」
態度を急変させた彼女は、ゆっくりと背を向けて、僕たちから遠ざかっていった。
「マスター、先ほどの女性ですが――」
「ああ、メガネが見つからなくてがっかりしたんだろうね」
「いえ、これまでの情報から、教団――アヴァロンの末裔の幹部と推測されます」
「……どうしてそう思うんだい?」
「普段の生活で女性の気配がしないマスターが、屋外採掘をしたときに限って女性が近寄ってくる。これはおかしい」
「ぐぅ」
あまりにも的確に抉ってくるものだから、ぐうの音が漏れてしまった。
もう、立ち直れない。
そうして失意のままカルイザワブランチに帰還した僕は、早速、教団関係者と接触した可能性をオリアナさんに報告したのだが――
「あなた、最近、随分と女性に恵まれているようね。これも私の薫陶のたまものかしら。感謝するのよ」
それはない。
あと、鼻血が垂れてますよ、施設長。
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