第十九話 白とチャコールグレイ
西暦3000年頃とされるシモダでは、アトランティエ・ラヴクラフトと思しき人物がコード:サクラやニライカナイについて聞き込みを行なっていた。
あれが本人であるならば、年齢はゆうに三百四十一歳を超えているし、西暦2548年の発足以来、財団の理事長が彼女であり続けていることの、一つの裏付けにもなる。
――死なずの魔女。
その言葉が、再び僕の頭を
「続いて二件目の該当レコードの再生を開始します。採掘地点はヨコスカの海洋研究開発機構跡地。年代は、書類の発出日から西暦2510年3月3日と推定。キーワードは、モグサ・プラトーと、イアン・ケンドールです」
気付けばシモダの映像は終わっていて、ホログラムモニターに何枚かの書類が映し出された。
文字が沢山書かれていた書類をピックアップすると、宛先はモグサ・プラトー博士、そして題名は〈一級機密実験施設で発生した不審者の立ち入り事案に関する処分の件〉とある。
内容自体は何の変哲もないもので、海洋研究開発機構が管理する実験施設に不審者が侵入した。不審者の名前はイアン・ケンドールで、遠方への強制退去と警備責任者への戒告処分を行なった、というものだった。
その実験施設には、何らかの形でモグサ・プラトー博士が関わっていたのだろう。そしてイアン・ケンドールは、好奇心を押さえられなかったかなにかの理由で、そこに入り捕まったと、そういうことなのだと思う。
特別なものではないと思う。けれど、どこか気になる。
そういうときは、何が気になるのか自分が納得するまで考察するといい、とはアンセルム先輩の口癖だ。そうだ、何が気になるのか確かめろ。そうすれば、コード:サクラに一歩近づけるかもしれないし、運が良ければ、すぐそこに答えが自然体で待ち構えているかも知れない。
僕はいったい何が気になった? 探せ、ミハル・カザハナ。
「あ、なんだ」
気になったところは簡単なもので、モグサ・プラトー博士の住所が別の書類に載っていたのだ。博士が住んでいたところはヨコスカ、そして海洋研究開発機構もヨコスカで、実験施設との関連で海洋研究開発機構の近くに住んでいたことが分かった。
思わず「なんだ」と呟いてしまったが、これで採掘候補地が一つできたのだから、とても大きな発見である。
そうなれば居ても立っても居られず、すぐにヨコスカでの屋外採掘の申請を行なうのだが、もう一つ、僕には仕事があるのだ。それは言わば、上官のオリアナさんが気持ちよく承認してくれるようにするための賄賂。そう、薄い本。
そもそもアリアケに採掘に出かけたのは、すべてオリアナさんへ献上する薄い本のためだった。目的がぶれてはいけない。僕は真っ直ぐにエロ……じゃなかった、上司のため、そして人類の未来のために、薄い本を選別する記憶採掘官なのだ。
そして時間はあっという間に流れ去り、あと少しで終業という時間になったのだが、薄い本の採掘状況ははっきりいって芳しくない。
うっかりしていたのだ。忘れていたのだ。東京ビッグサイトが薄い本だけの聖地ではなかったことを。
薄い本のレコードは、どうにか一冊だけ確保できたが、あとは当時の技術者たちの叡智と情熱が詰まった産業機械、文房具、おもちゃなどなどなど……。
大半がその映像やパンフレットで、オリアナさんが気持ちよく承認してくれるかどうかは、はっきりいって分からない。未知数だ。癒しのおもちゃを見て「かわいいー」とか言ってくれる人なら勝ち目はある。だけど、そんな姿は見たことがない。キリリとした表情と狼狽している表情以外では、ちょっと血走った目とか鼻血が流れてるところしか見たことがないのである。
終業時刻までは残り僅か。屋外採掘の承認はまだ降りていない。もう、行くしかない。
「マンディス施設長! 本日提出した屋外採掘申請の承認をお願いいたします!」
「ミーハールーくーん」
やばい。あれは、獲物を狙う鷹の目だ。やはり薄い本が足りなかったのだ。溢れ出る殺意に僕の体は硬直し、逃げ出すことはおろか視線すらも動かせない。
「君、やるじゃないか」
しかし、殴られると思ってたのに、オリアナさんには両肩をガシッと掴まれた上で、お褒めの言葉を頂いた。
「ひぇ? あれ? 良かった……ですか?」
「ああ、アリアケのレコードは実に素晴らしかった。特にあのハシゴ車といったら、エロいことこの上ないな」
そっちか。僕はオリアナさんのそっちの扉を開いてしまったのか。
なんだろう。オリアナさんがとても遠くに行ってしまったような気がするよ。
「屋外採掘だったな。今、承認したから確認してみてくれ。しかし、ヨコスカか。海の香り漂う薄い本があるかもしれないな。それもまたいい。……む、どうした? 承認したんだからもう戻っても大丈夫だぞ?」
そして翌朝。僕は前と同じようにカルイザワブランチで準備を整え、記憶開放派を横目にスノウビートルでヨコスカへと旅立った。ヨコスカでどんな情報を発掘できるかは、まったく想像もできない。
恐らく薄い本はないだろう。
―― ❄ ――― ✿ ――
「カザハナさん、ここで見学しててもいい?」
かつてアメリカ軍の基地があったという港を南南東に臨む埋立地に、海洋研究開発機構の本部跡があった。ここはヨコスカクレイドルの範囲内ではあるが、今はただ、ところどころ大きく陥没した空き地が広がっているだけである。オッパマの市街地の方まで歩けば、人の営みもあるのだが、ここにはともかく何も無い。まったくの空き地だ。見渡す限り、空と、海と、雪で覆われた空き地と、そして雪で覆われた陥没した地面の空き地だ。
そこでファル助に採掘の指示を出した直後、色違いの立て襟ケープコートを着た見知らぬ二人組の少女に声を掛けられた。
いや。コートについたフードを目深に被っていて顔がよく見えず、僕よりも身長がそれなりに低く見えるために少女と形容しただけで、実際の年齢はよく分からない。しかも、声を掛けてきたその距離は、決して近くないのである。
だから僕は声で返事をする代わりに両腕で大きく丸を作って答えた。近くで見ていたところで全く邪魔になるものでもないので、断る理由もない。
向こうも二人して両腕で大きな丸を作っていたので、こちらの意思は伝わったのだろう。
そして、気が付いたら、スノウビートルのボンネットに座っていた。二人が。
白いコートの方は足をぶらぶらさせ、チャコールグレイのコートの方は、お行儀よくちょこんと座っていた。
運転席に近い右前プロペラの保護スカートに腰かけていた僕からは、左斜め後ろの位置だ。こうして近くで見れば、口の辺りはマフラーかネックウォーマーのようなもので覆われていて、顔はほとんど分からない。
いや、別にいいんだけど。
いや、良くないのか? 誤解された人に通報されて、社会的に抹殺されちゃう? そもそもこの子たちなんなんだ? 男の子? 女の子? 年齢は? なんで二人だけでこんな何も無いところにいるの? どうする? 聞いちゃう? 年齢とか、聞いちゃう? でも、それもそれでなんか怪しい気がするよね。一見、不審人物に見えてしまうかも知れないね。そもそもあの子たちの方から近づいてきたんだし、僕は悪くないよ。うん、悪くない。だから、警察に聞かれたって堂々としていればいいのだ。
だが、待てよ?
えー、それは嫌だなあ。無理だなあ。つつもたられたくないなあ。でも、座ってファル助を見てるだけで害はないんだよなあ。
「ねえ、お兄さん」
困ったなあ。
「お兄さん? 聞いてる?」
「うひゃぅ!」
あー、ビックリした。今まで黙ってたのにどういう風の吹き回しなのかな?
「あたしの名前はテン。こっちの灰色のはトン。よろしくね」
「それはどうも。……あ、終わり?」
近くで声を聞く限り、どうも女の子のようだな。
「うん、終わり。名乗らないのも変だと思っただけだよ」
「ふーん……。そう言えば、君たちはどうして見学したいと思ったんだい?」
「記憶採掘官の仕事に興味があったの。それだけよ」
「ふーん」
「ねえ、あの浮いてるのファルって言うんでしょ?」
「そうだよ。よく知ってるね」
「さっき採掘官に興味があるって言ったじゃない。聞いてなかったの? あなたの耳は飾り物なの?」
えええ、なんでそこまで言われないといけないの? なんか気に障ることでも言っちゃったのかな? ところでちょこんとしてるもう一人の子、全然喋らないけど大丈夫かな? 起きてる?
なんとなくだけど、気まずくなった僕はファル助を放った方角に視線を移した。するとファル助はこちらに真っ直ぐ進んできていて、この場所での採掘が終わったことを示していた。
そのとき、視界の左端で色が動いた。
何があったのかとそちらを見遣れば、そこに二人の姿はない。予感めいたもので慌ててファル助に視線を戻せば、白いコートが雪の上とは思えないスピードで疾駆していて、その勢いはもう、ファル助に届かんばかりであった。
しまった。最初からファル助を盗むつもりだったんだ。
けれどそんな動揺に反し、僕の瞳は、軽やかに駆ける白色に釘付けになっていた。
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