第二節

第十八話 デスクワーク

「ミハル・カザハナ三級記憶採掘官。ミーティングルームまで来い」


 翌朝のカルイザワブランチは、緊張感に包まれていた。

 その原因など聞くまでもなく、また、出勤してすぐにオリアナさんに呼び出された理由も、分かっていた。


「今朝方、私の元にマイルズ・サトウ記憶監理官より、指令書が届いていた。具体的な内容はぼかされていたが、それについては君の方がよく分かっているだろうから、問うことはしない。だが、エリア統括のウッドワード一級記憶採掘官を飛ばして指示が出された意味を、よくよく噛みしめて任務を遂行するように」

「は! 畏まりました」


「それから、君の本分はあくまでもRSCカルイザワブランチ所属の記憶採掘官だ。本分と薄い本の献上を疎かにするようなことは決して許されない。分かっているな?」

「承知しております。……ところで、施設長殿」


「なんだ?」

「美しいお顔に鼻血が流れておりますので、このティッシュをお使いください」



   ―― ❄ ――― ✿ ――



 オリアナさんはどうしてあんなにも鼻血が出やすいのだろう。少し不安になる。

 だけど、僕は今日から財団の任務もこなさなくてはいけないのだ。あなたの鼻血に構っていられない不出来な部下をどうか許して欲しい。

 鼻血は鼻血として、今日からどうやって仕事と任務を進めていけば良いのか。早めに効率的な方法を編み出さなければ、やはりどっちつかずになってしまうだろう。

 レコードの選別をファル助に任せてしまうことも考えたが、これは記憶採掘官の職務規程に明確に反するからダメだ。人間は自らの手で過去を取捨選択しなければならない。それが未来の人類に対するRSCの責任なのだ。


 では、どうするか?

 別に難しく考える必要はない。

 ぎりぎりまで並列処理と処理速度のパワーアップを施した愛すべき僕の相棒ファル助におかれましては、採掘したレコードの復元再生を実行して頂きながら、同時にRSCの膨大なレコードデータベースにアクセスして頂きましてですね、昨晩聞いたキーワードの解説のようなものを、まずは作成してもらうのですよ。

 そもそもコード:サクラ以外にも全く知らない、あるいは知ってはいるけど詳しくは知らないキーワードがあるのだから、まずはそれを知らなければお話にならないと僕は思ったのだ。


「コード:サクラ、モグサ・プラトー、ニライカナイ、イアン・ケンドール。このイズレカノ言葉ガ含マレルレコードノ検索及ビ要約資料ノ作成ヲ開始シマス」

「新規採掘レコードノ解析復元及ビ一覧表ノ作成を開始シマス」


 並列処理を指示したせいで、ファル助から同時に二つの音声が聞こえてきたが、これはこれで、バリバリ仕事をしているエリートの雰囲気が漂ってきて良いものである。

 ちなみに、カルイザワブランチにいるときにはナチュラルヴォーカライゼーションモードは使わない。ファル助によれば、あれはあれで演算リソースを消費してしまうらしく、早く仕事を終わらせたいケースには向かないのだ。

 それに、他の人に見られたらなんか恥ずかしいじゃない。


 さてと、資料作成も新規採掘レコードの解析も、少し時間がかかるだろうから、その間にざっくりとでもいいから、恙なく任務を遂行するためにはどうすれば良いのか考えてみよう。

 現在、ファル助に実行させているのはあくまでも記憶採掘官としての職務と、任務遂行を両立させるための一つの案にしかすぎない。

 彼女――アトランティエ・ラヴクラフトは採掘されたレコードの中にキーワードがあったら、ではなく、キーワードが含まれるレコードを採掘して、そして送信して欲しいと言ったのだ。狙い、意図して、それも出来得る限りたくさん、ということだ。

 採掘するエリアを絞らなければ、生きているうちにそれを成し得ないのは火を見るよりも明らかなことで、それだけに、無闇に採掘するのではなく、おおよそでも候補地を選定しなければならない。僕は死なずの魔女ではないのだから。


「要約資料ノ作成ガ終了シマシタ。閲覧シマスカ?」


 え、もうできたの? ファル助くん、君ちょっと優秀すぎやしないかい?


「うん」


 うん? 仕事ができるエリート採掘官は、うん、なんて返事はしないと思う。言い直そう。


「ああ、よろ――」

「閲覧再生ヲ開始シマス」


 ファル助くん、人の話は最後まで聞くのが礼儀なんじゃないかと僕は思うのだよ……


「ナオ、RSCノデータベースヲ照会シタ結果、各キーワードガ一件以上含マレテイタレコードノ件数ハ、次ノ通リデシタ」

「ストップ。ナチュラルヴォーカライゼーションモード起動。モデルイメージは若くてキリリとした女性の声」


 見つかってしまったら恥ずかしいけど、聞き取り易さの魅力にはやはり抗えなかった。


「了解。ナチュラルヴォーカライゼーションモードを起動しました」

「照会結果の続きを頼む」


「畏まりました。提示された四つのキーワードについて、RSCが保持しているレコードへの照会結果を報告します。なお、これには廃棄されたレコードはもとより、三級記憶採掘官の権限では閲覧できないものは含まれず、また、複数のキーワードを含むものは重複してカウントしております」


 うん。これだ。仕事をしている感じがしてとてもいい。実際には、薄暗いブースの中で指示を出して、その後はちょっと考え事をしてただけなのだけど。


「コード:サクラ、五件。モグサ・プラトー、七百六十四万件。ニライカナイ、九万一千六百件。イアン・ケンドール、四百四十万件でした」


 ……んんん? あれ? 聞き間違いかな?


「ファル助、件数をもう一度」

「畏まりました。コード:サクラ、五件。モグサ・プラトー、七百六十四万件。ニライカナイ、九万一千六百件。イアン・ケンドール、四百四十万件。以上です。何かご不明な点でもありましたでしょうか?」


 うん、とんでもない件数だね、コード:サクラ以外は。これを全部調べろなどという任務じゃなくて心底良かったと思う。


「いや、問題ない。それでは解説を頼む」

「対象一。コード:サクラについては、レコードにごくまれに現れる文字列であることしか判明しておりません。対象二。モグサ・プラトーは西暦2450年生まれ。ニホンステイト出身の伝説的科学者です。専門分野は気象学でしたが、彼女が残した偉大な発見および発明は一つの分野にとどまりませんでした。例えば、質量の異なる水や空気の境界からエネルギーを抽出する技術、例えば現在も多くの人型アンドロイドや対話可能なロボットに搭載されている自己発展と疑似感情制御を可能にしたAIも、モグサ・プラトー博士の論文が基礎になっています。彼女の人生は――」

「わ、分かった、分かった。次のキーワードについて教えてくれ。ニライ……カナイだったかな?」


 危ない危ない。流石は教科書に何度も名前が出てくる偉人だ。終わらない授業に引き込まれるところだった。


「はい、対象三、ニライカナイですね」


 そうそう、僕の頭の中に存在していなかったニライカナイなら、そんなに時間はかからないはずだ。僕の期待を裏切らないでくれよ、ファル助。


「ニライカナイは、ニホンステイトのリュウキュウ地方などで信仰されていた理想郷の概念です。太陽が昇る遥か東の海、あるいは海や地の底に存在するとされていました。なお、類似の理想郷伝説は世界各地に散発的に――」

「あ、あ、あ、うん、分かった。分かったから次のキーワードをお願いします」


 もはやどちらがマスターかなど、頭が破裂しそうな僕にはどうでも良いことなのだ。


「対象四、イアン・ケンドールについて。イアン・ケンドールは26世紀初頭に活躍した探検家です。彼はイギリスの老舗アウトドアメーカーであるU.K.ケンドールの創業者一族の三男として生を受けました。全世界で一千万部売れたという[イアン・ケンドールの探検記]の著者でもあります。イアンは幼い頃から活発で悪戯好きな男の子で、エレメンタリースクールは言うまでもなく、大学在学中もその癖は治りませんでした。けれど、ある運命的な出会いをしてから、自堕落的だった彼の人生は大きく動き出すのです。そう、あれは確か大学三年生の秋――」

「ストップ。ファル助ストーップ」


 ちょっとなにこれ。なんで朗読劇始めようとしてるの?

 誰だよ、ファル助がこんなに活き活きと話せるように改造しちゃったやつ。


 ……僕だった。僕こと、ミハル・カザハナ三級記憶採掘官だった。


 それにしても、困った。こんなに該当レコードの数が多いのでは、何をどう絞っていいのかも判断できないではないか。

 ふーむ。

 いや、待てよ。閃いたぞ。


「ファル助、参照したレコードのうち、二つ以上のキーワードが含まれるレコードは何件あった?」

「確認中……二件、該当がありました」


 今度は逆に少なすぎない?


「そのレコードの再生を頼む」

「畏まりました。一つ目は、採掘地点シモダ周辺。西暦3000年頃のものと推定されるレコードです。キーワードはコード:サクラとニライカナイです」


 すぐにホログラムモニターが宙に浮き、いつか見た光景が流れ始めた。

 巨大なヒグマを駆除した直後の、シモダの集落みたいだ。あれは、大家族のお父さん、その隣にいるのは、あのときのスノウストライダーの女性だろう。

 ああ、なるほど。コード:サクラとニライカナイを知っているかどうか聞きこみをしているのか。ふーん……


 いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや。

 どうしてこの人、コード:サクラという言葉を知っているんだ!?

 それにフードを外したこの顔。


 まるで、アトランティエさんじゃないか。



 ❄――✿ 用語 ❄――✿

【スノウストライダー】

 一般向けホバーバイクのロングセラー商品。ラヴクラフト財団製。ソリッドトイ丁型。

 アンモニアを燃料としている。燃料が切れると、ただの大きな荷物になってしまう。なお、燃料切れの際は、プロペラを保護するスカートに格納されている、キャスターのような小さい車輪を出して引きずることになるため、遠出には向かない。


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