第三十一話 凪の後には

 それは久しぶりの平和な日だった。


 西之島の外縁で採掘したレコードを解析機とファル助が復元再生し、僕が内容を確認する。

 異なるのは廃棄の判断が必要なく、ただし、閲覧した全てのレコードについて簡単にまとめた報告書を作成しなければならないことと、どこか別の場所で財団の複数の職員が同じ作業をしていることだろう。顔を合わせた事はないし、会いたいとも思わないが、いると分かっただけでも随分と心強い。

 寝起きは部屋の隅にベッドがあったし、トイレとシャワーも付属していた。飲み水も蛇口から出るし、冷蔵庫にはジュースも入っている。ここは元々宿泊するための部屋だったと言われても全く驚かない充実ぶりだ。

 ファル助の動作がやや緩慢になっているような気がするが、環境が変わればそういうこともあるのかも知れない。

 食事だけは勝手が分からず、お面の男――ファー・トリプルシックスに尋ねたが、いつの間にかファル助に食事のオーダーアプリケーションがインストールされていた。モニター上で食べたいものを選択すると、部屋の壁の一部が開き、そこから食べ物がせり出してくる仕組みである。


 お陰で、全く部屋から出ずに作業ができる。しかし、気晴らしがない。窓もない。監獄の中というのはこういうものなのだろうか。

 けれど、なぜか壁の色はかなり細かく設定できるし、用意された写真や絵を表示することもできた。

 興味本位でファル助にここはどこだと尋ねてみたが、「規約により口止めされています」と返事はつれない。

 結局、RSCが一般向けに開放しているサーバーから、昔の娯楽映画などを見るくらいしか楽しみがなかった。

 それでも、カルイザワブランチの皆のことを思えば、一人だけこんなに恵まれたところにいて良いのだろうかと、アンセルム先輩やオリアナさんは元気にしているだろうかと、なんとなく罪悪感に似たようなものを感じていた。



   ―― ❄ ――― ✿ ――



 二日目。起きた時刻が朝なのか夜なのかを自然光で知ることはできないが、時計は七時を表示し、壁には日の出が表示されている。

 スリープモードのファル助に声を掛けて起動し、食べ物を手配する。

 朝食を食べ終え、身なりを整えたら、解析機にファル助を接続する。

 昨日より少しこなれた、昨日と同じスタートだ。働く時間は決まっているが、働く時刻は決まっていない。時間を過ぎればキリがいいところで解析機との接続が切れて、否が応でも働けなくなる。そういう仕組みだ。


 昨日は、特別なレコードは見つからなかった。建設作業員のほぼ全員が、支給の弁当がまずいと不満を言っていたりするなど、ニライカナイ建設時の日常を垣間見ることはできたが、内部のことを知ることができそうなレコードはなかった。

 今日は重要な資料などが見つかったらいいんだけどなあ、と思って閲覧作業を進めていたのだが、今日の作業時間が終わるか終わらないかくらいの頃だっただろうか。

 ファル助経由でテキストメッセージが送られてきて、その内容に心が躍った。


〈西之島の現地調査班が、地下構造物への入口らしきものを発見。解析班は引き続きレコード解析に全力を傾けられたし〉


 これで、また一歩近づいたのだ。

 何に? と聞かれれば、コード:サクラであり、人類文明の破滅回避であり、そして、オリアナさんに、だ。

 もっとも、西之島が原因で文明が破滅することなど、僕には想像できないのだけど。



   ―― ❄ ――― ✿ ――



 三日目も二日目と変わりはない。

 壁に囲まれた部屋で更に小さな壁の部屋に入り、薄暗い中でホログラムモニターに映し出された映像を見続けるという、カルイザワブランチと大して変わらない日常を送る。

 けれど、日常というものは簡単に壊れるものだ。ちょっとしたアクシデントの一つでもあればいい。僕の現在いまが日常であるかどうかは別として。


 ――プルルルル、音声着信ガアリマス

 ――プルルルル、音声着信ガアリマス

 ――プルルルル、音声着信ガアリマス


 時刻は午前九時。ここに来て初めて、壁の端末が着信を知らせてきた。旧式なのだろうか。ホログラムモニターは浮かび上がらない。代わりに、小さなモニターに音声着信を知らせるテキストが表示されているが、相手が誰かまでは表示されていなかった。


『その端末に送信を出来るのは総帥とわたくしだけですので、着信の際には安心してご確認ください』


 お面の男の言葉が頭をぎり、僕は安心して通信を承認する。


「はい。こちら、ミハル・カザハナ三級記憶採掘官です」

『……こちら、アトランティエ・ラヴクラフト』


 通信を許可してから、やや間があって相手からの音声が入ってきた。トーンが低いそれは、これから話される用件が重要なものであることを示唆している。


『ミハル・カザハナ三級記憶採掘官、あなたに緊急の解析を依頼するわ』

「緊急とは……、どのような?」


『そうね。まず、西之島の周りの暴風雪が年々強く、大きくなっていることは覚えているわね?』

「はい。このままだと文明が維持できるかどうかの問題になると」


『その暴風圏が急速に広がる兆候が見つかったわ。不思議なことに、昨日までは暴風雪の外周百メートル以内にしか、風が強いエリアがなかったのだけど、今朝になったらそれが五百メートルにまで広がっていたのよ。このままだと、早晩、地上から西之島に近づくことが出来なくなって、内部に入るまでに随分と労力が必要になってしまうわ。最悪の場合は、人類が金輪際、西之島に入れなくなってしまう可能性もあるわね』

「だから、今のうちに、僕とファル助で行って来いというわけですね。……なぜ、僕なんでしょう?」


 なぜ、僕なのか。

 なぜ、僕だけなのか。

 前から疑問に思っていた。記憶採掘官は他にもいるし、カルイザワブランチの人間が都合がいいなら、オリアナさんもアンセルム先輩もいた。HCC内にアヴァロンの末裔の信者が紛れ込んでいるとはいえ、RSCに存分に影響力を行使すれば、もっと効率的に結論に辿り着けたのではないか。もっと早く、確証を得られたのではないか。

 なぜ、僕だけなのか。


『何をやったのかは分からないけど、あなたの相棒のファル助。かなり特殊なのよね。アルカスプログラムを現場で処理できそうなのが、その個体だけっていうのが主な要因ね』

「それだけ、ですか?」


『他にもあるけど、そんなものよ? あ、もちろんあなたとファル助だけで行かせる気はないから安心してちょうだい。現地の調査班と合流してもらうから』

「……それで、出発はいつですか?」


『すぐよ。ファー・トリプルシックスをそちらに向かわせるから、準備しておいてね。あ、出発したらすぐ西之島に着くから、心の準備はしておくのよ?』


 何か引っかかるもの言いだったが、ともかく自分の頭にこびりついてたコード:サクラの正体を確かめるチャンスでもある。不満などない。

 いや、彼女が何かを隠して僕を利用していることに、多少の不満はあるけれど、果たして、イアン・ケンドールが辿り着いた楽園とはいかなるものであったのか。僕は自分の好奇心に酔っているのかも知れない。


 準備、と言っても、追加で荷物袋に入れるものは着替えと、連絡後に注文した携帯食料くらいしかないのだが、それが終わるのを見計らったように、ドアからジー、ジー、とやや低い音のブザーが聞こえてきた。

 ゆっくりとドアに近づいて開けると、予定通りサンタクロースのお面を被った長髪長身の男が立っている。


「おはようございます、カザハナ様。本日はお日柄も良く、絶好の暴風雪日和ですね」


 僕はそうしてソリッドトイ甲型の後部座席に押し込まれ、外が一切見えない中、西之島に運ばれることとなった。

 だが、この感覚は、落ちている。

 ただひたすらに、落ちている。

 どういう仕組みなのかは分からないが、落下している感覚があるのに体は浮き上がらない。

 財団の施設に運ばれたときにも思ったが、いったい、どこをどうやって進んでいるんだろう。


「カザハナ様、不測の事態が起きているようです。間もなく目標地点手前に到達いたしますが、しっかりとシートベルトをご着用下さい」

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