最終話 西暦xxxx年 風花 美春

「みんなで楽園を見に行きましょう」


 リッカさんがそう言った。

 もちろん、「はい」と答えた。


 ふらふらと飛ぶファル助を先頭に、リッカさん、そしてもうすっかり軽くなったオリアナさんを背負った僕が歩く。

 昇降機は残念ながら故障していた。

 だから僕らは、階段を登り続ける。


「モグサさん」

「何かしら?」


「やっぱり、……そうなんですね。今更隠すつもりもないと」

「ええ。私はリッカ・アイコウであって、モグサ・プラトーでもあり、もうどうしようもなく混ざっているの。もっとも、モグサ・プラトーの部分は少ないのだけれど。だけど、本当はどうなのかしらね」


「何がです?」

「肉体はすでに朽ちていて、私は結局のところコピーでしかない。記憶は確かに生きているけれど、オリジナルのことを考えれば、やはり死んでいると言えるのかも知れないわ。何よりも記憶は本人のものであるべきでしょう? ミハル・カザハナ三級記憶採掘官」


 つづら折りの階段を少しずつ登ってゆく。


「……でも、あなたはこれで心残りを晴らすことができる。それでいいじゃないですか」

「そうね。無理にでもそう思うようにするわ。そうじゃないと、私が浮かばれないもの」


「ところで博士。コード:サクラって結局なんだったんですか?」

「あれはね、大気をコントロールして西之島を暖かくする技術だったの。分かり易くいうと、他のところから気温をちょっとずつ借りて、一か所に集めるためのものだった。けど、結果はお察しの通りよ。西之島を一定の気温に保つことには成功したけれど、予想以上に他から借りてくる気温が必要になってしまった。結局、リッカが開発したクレイドルの方が遥かに優秀だったってことね」


「……僕は、リクギ・プラトーの代わりになれたでしょうか?」

「充分よ。と言いたいところだけど、いくらそっくりでも、あなたはやはりミハル・カザハナだったわ。リクギの代わりもいないし、あなたの代わりもいないもの」


『三十秒後に統括維持管理プログラムの停止を実行します。管理区域内に残っている職員は速やかに退避して下さい。三十、二十九、二十八、二十七――』


「そろそろですね」

「ええ、そろそろね」


 リッカ・アイコウが階段の終着地点の鉄扉を押し開ける。

 ギィと音が鳴り、光がこぼれ、やがて目に飛び込んでくる白い光。

 少し目が慣れてくると、扉の向こうには春があった。


 黄色、黄緑色、薄桃色。

 明るい色の花々に豊かな草原。

 木々は若葉をたたえ、蝶が舞う。

 レコードでしか見たことがない景色。

 けれど、遥か向こうには暴風雪の壁がそびえていた。


「きれい」


 肩越しにオリアナさんが呟いた。

 桜並木の土の道をゆっくりと歩く。

 ファル助は浮遊を諦め、僕の頭で休憩していた。


『三、二、一。……ただいまより統括維持管理プログラムの停止を実行します』


 あの機械音声が楽園の停止を告げる。

 ここもいずれ外気が流れ込み、冬になるのだろう。


「おばちゃんたち、だれー?」


 元気のいい声が聞こえ、リッカさんが目を細めてそちらを見遣る。


「私たち、壁の外から来たのよ」

「お外から来たの!? いいなあ私も行ってみたい!」


「ところでお嬢ちゃん、お名前は?」

「私はモモヨ! おばちゃんは?」


「私の名前はね――」


 そのとき、光の粒子が舞い始めた。


「私の妹と同じ名前だね!」

「そうよ。モモヨちゃんは寂しくなかった?」


 木、花、草、地面、あらゆるものから光の粒子が浮かび上がり、視界が少しずつ光に覆われる。


「寂しくないよ! みんなとずっとずっと一緒だったから! もう八百三十九年も一緒なんだよ!」


 ああ、そうか。

 これが空間の歪みの影響なのか。


 エレナ、ルフィナ・カレッリ、レンカ・クデラ、タデアシュ・メテルカ、ザーヒル・ザイヤート、マルチナ・シムコヴァー、バルバラ・コルニュ、ドナ・ブコー、ヴィクトル・ボージョン、アンナ・マレ、トラ、フジ、ナベ、エイヌ、オトクマ、オトサル、ハシ、ディスマス・サノスアキス、アネーシャ、ニキアス、ネリダ、カリトン、ボアネルジェス、ユニス、ビオン、ソフォクレス・ガラニス、アンセルム先輩、数えきれないほどの沢山の人たち、そしてリッカさん、オリアナさん。ごめんなさい。

 僕は、あなた方が一生懸命生きてきた事実を、営みを消してしまう決断を下してしまいました。

 その産声を、涙を、好奇心を、笑顔を、癇癪を、いたずらを、喜びを、怒りを、哀しみを、楽しさを、希望を、ときめきを、恋を、胸の焦がれを、友愛を、欲望を、慈しみを、非情を、才能を、後悔を、苦しみを、決断を、屈辱を、厳しさを、優しさを、その生を全うした最期の記憶も、すべて、すべて、すべて。


「安心なさい。コード:サクラは実行させないわ」


 リッカさん、いや、それは誰の想いだったのだろう。


「大丈夫よ。あなたのせいじゃないわ」


 オリアナさんが言う。


 ファル助は、もう何も話さなかった。


 さようなら。

 ありがとう、ごめんなさい、みんなの記憶。


 やがて僕らは、光に溶けた。



   ―― ✿ ――― ✿ ――



「美春、おはよう!」


 制服姿の高原 百代が薄手のコートをはためかせながら元気よく追い抜き、わざわざ前に出て挨拶をしたかと思えば、僕の横に並んで歩き出した。


 ――西暦3334年3月8日の月曜日。天気は快晴。気温が日に日に暖かさを増していく季節。


 僕たちは高校へ通う途中だった。


「お姉ちゃーん、またカバン忘れてたよぅ」

「あ、ごっめーん。ありがとうね」


「美春お兄ちゃん、おはようございます」

「おはよう。六花ちゃんはいつもお姉ちゃんの面倒をみていて偉いね」


「ちょっと美春、それどういうこと!? あ、ねえねえ、そんなことよりちょっと聞いてよ。昨日、オリアナ先生がね、」

「あ、春助くん、おはよう」

「美春くん、おはよー」

「ちょっと!?」


 少し冷たい風が僕らの間を駆け抜け、まだ固い薄桃色のつぼみが笑えば、僕の頬を自然と涙が流れた。


 ああ。


 こうして今年もまた、


 春が、始まる。




❄廃棄された未来の記憶✿  ― 完 ―

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