第二十六話 チタリー・チタリー

「マスター。父島に到着しました。ハッチが開いたら外の誘導員の指示に従って、慎重に運転して下さい」


 ゴウン、という音と若干の衝撃のあと、ファル助はそう言った。

 目の前の壁が上下に外に開き始め、下に開いた壁がスロープを作る。

 ブウンとホバー機構を作動させ、こちらを覗き込むように見ている作業服の男性に注意を払うと、彼は二色の信号灯をこちらに向けていた。

 色は青緑。進め、ということだ。

 そろりとアクセルレバーを倒して、低速で前進。

 カーゴシップの格納庫から車体が進むたびに、外の光景はますます異様を放ち、僕の目をくぎ付けにした。


 磁気を含んだ巨大な風の暴力。

 雪によって白く着色されているそれには、ところどころ青く光るスパークも見えた。

 その天を貫く塊が視界を埋め尽くすほどに広がっている。

 実際には百キロ以上も離れているのだから、そんなはずはないのだが、それほどの圧倒的な存在感を放っていた。

 格納庫のスロープから完全に降りたところで、しばし呆気に取られていた僕は、コンコンと窓を軽く叩く音で我に返った。

 先ほどの男性が身振り手振りで、向こうへ移動しろと訴えかけているのだ。

 頭を少し下げてそちらを見ると、今度はオレンジ色の棒を二本持った男性が手招きしていた。そこで僕はようやく、この発着場が地面より高いところに設置されていることに気が付いたのだ。

 誘導に従って四角い枠が描かれた位置にスノウビートルを停めると、床が沈み始め、やがて停止した。そこは地下だったが、そこでやっと地に足がついた心地がする。


「本日はPwFオガサワラ監視軍に到着の挨拶をした後、高台にある土地開発会議、通称LDCの未踏領域監視所で一泊。明朝、西之島に向けて出発します。また、ラヴクラフト財団は、西之島の近傍まで飛行カーゴシップで運ぶことはできませんが、ルーティ通信を中継してくれるとのことでした」


 屋外採掘の申請を出してからも色々あったせいで、そんなスケジュールを組んでいたのかと我ながらびっくりしたものだが、きっと優秀なファル助が手を回してくれたのだろう。

 いや、やはり自分でそんなスケジュールを組んだ記憶は全くない。もしかしたら、一から十まですべてファル助が手配してくれたのかも知れない。実に頼もしいものだ。



   ―― ❄ ――― ✿ ――



 明朝、僕は西之島に向けて父島を発った。ここに到着してから、というか、あの巨大な空気の壁を間近に感じてからというもの、どうもここは非現実世界なのではないかという気持ちが勝ってしまって、心がどこかへ行ってしまっているような気がしてならない。だから、昨日のこともほとんど覚えていなかった。LDCが未踏領域西之島を監視している理由も聞いたような気がするのだが、それは果たしていかなるものだったろうか。


 そんな心が定まらない状態ではあったが、スノウビートルはどんどんと進んでいく。

 父島から西之島まで、その距離およそ百三十五キロメートル。氷期突入で海水面が下がり、陸地は増えたが、それでも全て陸路でいけるわけではなく、それだけに、水上を移動できる四輪ホバークラフト機構のスノウビートルが活躍する。

 そうして出発してから丁度一時間後、海上で中間地点を過ぎようかというとき、バックモニターに水煙を巻き上げる物体が二つ映っていることに気が付いた。


「ファル助、バックモニターの拡大と、そこに移っている物体の解析を頼む」

「了解」


 フロントガラスの隅にあった車体後部の映像が、視界を遮らない程度に拡大され、僕はそれをちらちらと見るが、ホバーバイクであろうことぐらいしか分からない。けれど、ファル助はすぐに解析をしてみせた。


「後方で水煙をあげているのは、特徴的な角ばった外観から、ポーランドのパンテラ社が製造している軍用三輪ホバーバイク[パンテラ・シニェズナチタリー]と推測されます。通称はチタリー。汎用性と作戦走行時の安定性能の高さから、ポーランドとURMの他、PwFでも採用されている機体です」

「ふーん。PwFかな?」


「地理的にPwFの可能性が高いでしょう」

「分かった。何か動きがあったら教えてくれ」

「了解」



   ―― ❄ ――― ✿ ――



「活動限界域に近づいています。停車と採掘指示の準備をお願いします」


 やがて、僕らは巨大な暴風の根元に到着した。スノウビートルの中にもゴウゴウとした嵐のような音と雷のような音が入り込み、これ以上近づいてはいけないことを物語る。こんなに大きな暴風雪が、父島付近には全く影響がないのは実に不思議なものだ。

 当然のことだが、あまりにも寒ければ人間はもちろんファル助も動けなくなってしまうし、風が強ければどこかへ飛ばされてしまう。それを考慮した上で、目的地到着とともに活動可能なエリアを算出し、そこから向こう側、つまり西之島側には入らないように指示を出した。

 結局のところ僕は指示を出すだけで、計算も採掘も分析もデータ送信も、すべてファル助がやってくれるのだから、まったく頭が上がらない。だからといって、僕に何かができるわけでもないのだけれど。


 そう言えば二台のチタリーはどうしたのだろう。あの後はファル助からなんの報告もなかったし、来た方向に目を凝らしても、そのような影は見えない。


「マスター、指定範囲内の採掘が完了しました」


 もうどれくらい考え事をしていたのだろう。僕が車内でのうのうとしている間に、働き者のファル助は一仕事を終えてしまった。


「お疲れ。新規レコードは沢山あった?」

「それは解析してみなければ分かりません」

「財団のキーワードが含まれていそうなものは?」

「それも、簡易解析では見つかりませんでしたので、解析してみなければ分かりません」


 喋りながら、ファル助の半透明ボディにたっぷり積もった雪を払ってやると、いつも通りのつるんとした体が出てきた。


「ですが、興味深いものが三つほど見つかりました」

「それはどんなものだった?」


「一つ目は、ここの地下に巨大な構造物が存在することが分かりました。どのような目的で作られたものかは不明です。二つ目は、ケンドール社製の小型ナイフが雪の下に埋もれていました。三つ目は、アルカスプログラムという未知のプログラミングコードを含むレコードが見つかりました。解析を進めれば、どのような用途のものか分かるでしょう」

「それは興味深いな。早速、送信してくれ」


「了解。……通信エラー。接続に失敗しました」

「うん? どうして? 財団が中継してくれているんじゃなかったのか?」

「西之島周辺の磁気を含んだ暴風雪が、なんらかの形で影響しているものと推測します」


 これだけ巨大な嵐であれば、そういうこともあるのかと思いつつ、それならば父島への帰路で送信を試すよう、ファル助に指示を出した。

 だが、帰りの行程の四分の一ほど進んだ、陸地が切れるところで異変は起こった。


「チタリー……」


 僕は思わず呟いていた。

 恐らく往路で一時いっとき後ろにいた機体だろう。PwF所属と思われる兵士が一名ずつ乗車したまま、広くもない陸地を塞ぐように停車し、その前にも銃火器を持った兵士が一名ずつ陣取っていた。

 合計四名。性別や年齢などは分からない。全員がゴーグル付きのヘルメットをかぶり、雪原仕様の迷彩服を着用している。

 はて。こんな誰も通らないところで、いったい何をしているのか。少し速度を落として、スノウビートルを近づけていく。


「データ送信、九十五パーセント完了」


 ファル助の送信進度報告が、やけにはっきりと聞こえたそのとき、手前の兵士二人が銃を構え、まるで当然のことのように撃ってきた。

 スノウビートルの中まで聞こえてくる耳をつんざく轟音と光の狂気。僕は咄嗟に目を閉じ、死を覚悟した。いつ果てるかも知れない光と轟音が、心も体も蝕み、肉片も残さずにここで果てるのだ。


 やがて訪れる静寂。

 恐る恐る目をひらけば、目の前に広がるのは変わらず一面の雪景色で、あの世はこの世の続きであって天国などという都合の良いものは、やはり存在しないのだと悟る。

 その証拠に、スノウビートルの前には僕を殺した兵士たちがいた。

 そうであれば、ここはあの世ではないのかも知れない。

 あの世でないとすれば、目の前の時が止まった兵士たちはなんであろうか。


 ああ、そうか。

 僕は正しく死に向かおうとしているのだ。だから、全てが遅く感じるのだ。

 しかし、雪はやはり舞っている。


「データ送信が完了しました」


 そして僕の時間は再び動き始めた。


 ❄――✿ 用語 ❄――✿

【URM】(United Republic of Macedonia。マケドニア連合共和国)

 2401年に成立した、旧ユーゴスラビア諸国(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)とアルバニア、ギリシャ、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、モルドバ、ジョージア、およびこの物語の世界でポーランドとイランによって分割統治されていた旧トルコ地域からなる他民族連合国家。

 2510年、NAENAからの宣戦布告を受けて、主にリビアと戦争を行なっていた。

 2517年、リビアの核ミサイル攻撃により、多くの都市が壊滅した。

 その後、ゆっくりと復興し、3341年でも国家の形を保っている。

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