第二十一話 カスミガセキ・タクティクス

 モグサ・プラトー博士には実子がいなかった。

 だから、研究助手のリクギ・プラトーを養子に迎えた。

 ここまでは多くの人が知っている。

 だが、ハルカ・アイコウ。この人がリクギ・プラトーの配偶者であったことは今まで知られていなかった。

 天才ともてはやされた人物の、その養子の配偶者。有名ではなくとも、記録に残っていてもおかしくはない。

 なぜ、忘れ去られていたのだろうか。しかし、もう八百五十年近くも昔のことだから、そういうこともあるかも知れない。さらに言えば、リクギ・プラトーに先代ほどの功績がなかったせいもあるのではないか。

 ここで推測を並べたところで仕事が進むわけではない。財団へ報告するレコードができた。それだけは確かだった。


 その日の夜、僕は次の採掘をどこで行なうべきか検討していた。ヨコスカの海洋研究開発機構本部の跡地からは、通常の記憶採掘官としての仕事であれば有用な資料が山ほど出てきたのだが、依頼のキーワードにつながるものは結局なかった。しかし、以前のイアン・ケンドールの件もある。行政機関の関係はもう少し調べてみてもいいかもしれない。

 もう一度、あの凸凹した跡地に行くか? いや、あの二人がまた襲ってくる可能性がある。すぐはやめておこう。そうなると、役所、しかも博士が活躍していた年代と言えば……、やはりカスミガセキしかないだろうな。あの辺りはこれまでも散々採掘されてきたはずだけど、何か新しいレコードが見つかるかもしれない。


 そのとき、リーフィから鳩の鳴き声が聞こえ、見ればアトランティエさんからのテキストメッセージが表示されていた。

 多忙の中で送信したのか内容は箇条書きのように簡潔で、ヨコスカ周辺を調べたことを褒める内容、襲撃を気遣い注意を促す内容、それからカスミガセキ周辺を採掘してみてはどうかという提案だった。そのメッセージに僕の気持ちは浮つき、次の採掘場所はカスミガセキ以外には考えられなくなるのだった。



   ―― ❄ ――― ✿ ――



「カスミガセキィー? そんなところ、薄い本ないからやめておきなよー」

「それは掘ってみないと分かりません。もしかしたら、首相と補佐官の秘密の関係、とかあるかも知れませんよ?」


「……は!? 前々から思ってたんだけど、君、天才なんじゃないか!?」

「恐縮です。承認ということでよろしいですか?」


「もちろんだ! たまには枯れているのも悪くはない!」

「ところで、施設長。美しいお顔が鮮血で汚れております。こちらをお使いください」


 翌朝、そんな微笑ましいやりとりの後に、僕はカスミガセキに向けてスノウビートルを走らせた。自分で運転することもできるが、ファル助を接続して、自動運転をしてもらうこともできる。これもクレイドルの範囲内だけで可能なことだ。

 ではクレイドルが無いところではどうしているかというと、これが動作には特にどうということもないらしく、多くの居住地域では、FARG96型は通常通りに動作が可能ということだ。

 極地に近く、寒冷化が酷い地域はクレイドルがなければ生きられないとまで言われて久しい。だが、赤道付近では雲の流れが変わって、不毛な台地から緑豊かな土地に変貌し、特にアフリカの中部などはクレイドルがなくとも、人々が快適に暮らしている状態だ。そこには当然のように別の通信ネットワークが整備されていて、ルーティとも互換性がある。そういう場所でももちろん動作する。

 話は逸れるが、政治と経済の中心はアフリカに移って数世紀も経っており、HCCも、かつての五大国やNAEMAではなく第五次世界大戦にほとんど巻き込まれなかったアフリカ協力会議が前身となっている。

 ある意味では、イアン・ケンドールが太平洋で見つけなくとも、ディスマス・サノスアキス、ザーヒル・ザイヤート、タデアシュ・メテルカが望んだ楽園はアフリカにあるのだ。けれど、四人が夢見た楽園は、果たして同じものであっただろうか。


「旧地下鉄霞ケ関駅周辺ニ到着シマシタ」


 僕が何かを考えている間に、もう目的地に到着してしまった。はて、僕はいったい何を考えていたのだっけ。


「ナチュラルヴォーカライゼーションモード起動。若い男性秘書の声で」

「ナチュラルヴォーカライゼーションモードの起動を受諾しました」


 何事も気分は大事だ。今日のファル助には有能な若手エリート秘書になってもらおうじゃないか。


「ファル助、海洋研究開発機構を所管していた省庁はどこだ?」

「海洋研究開発機構は文部科学省の所管でした」


「では、文部科学省跡地の採掘を頼む。他にコード:サクラ、モグサ・プラトー、ニライカナイ、イアン・ケンドールに関係がありそうな省庁はあるか?」

「気象および探検という観点から、国土交通省との関連が予想されます。国土交通省の庁舎跡地も採掘しますか?」


「よろしく頼む」

「畏まりました。なお、文部科学省の跡地はここから若干距離がありますので、国土交通省の跡地を採掘後、スノウビートルで旧地下鉄虎ノ門駅付近に移動することを提案します」


「分かった。そうしよう」

「畏まりました。新規レコードについては、前回同様、採掘の都度、カルイザワブランチの専用ストレージに送信いたします」


 やたらと良い声を残し、ファル助は国土交通省跡に向かっていった。

 ここカスミガセキも、他のところと同様に第五次世界大戦で徹底的に破壊され、かつての官庁街の面影は無い。見渡す限りの雪原で、コンクリートの塊すらも見えず、ただヨコスカと同様、ところどころに大小様々なくぼ地が見えるだけだった。

 だけど、今日は久し振りに青空が覗いている。

 薄暗いあなぐらで過ごす僕にとって、何か月ぶりかも分からない青い空は直視できないほどに眩しい。そんな空の下を泳ぐ半透明のファル助は、いつもより気持ちよさそうに見えた。


 そうして寒いことを一時いっとき忘れ、国土交通省と文部科学省の跡地の採掘は四時間ほどで終わった。


「たくさん採掘できたか?」


 戻ってきたファル助にそのように聞くと、


「数は多かったのですが、新規のレコードは残念ながらごく僅かでした」


 と、感情があるかのように言う。

 やはりこの辺り一帯は、採掘し尽くされていたのだ。だが、ごく僅か、に希望はある。


「データ送信の進捗は?」

「現在八十五パーセントです。あと五分ほどで完了します」


 これならば、スノウビートルで移動しながらでも――

 ――ああ、奴らが並んでこっちをじっと見ている。

 白とチャコールグレイのあの二人が。


 スノウビートルに乗り込もうと振り返ったとき、目が合った。歩いている途中で動きを止めたようなポーズでなんとか誤魔化そうとしているが、一度認識してしまった物体を否と切り離すことは容易ではない。距離は――、近い。およそ五十メートルか。


「ファル助。電磁ネット射出準備」

「了解」


 前回の反省を踏まえ、ファル助には電磁ネットを用意してもらった。僕が用意したのではなく、ファル助に用意してもらった。これも対話の末に拡張した機能の一つなのだ。

 どういう理屈かまったく分からないが、FARG96型の六本あるずんぐりとした腕のうち、四本は大きく変形させられることが分かった。通常、他の端末やスノウビートルとの接続に使用されている二本とは別の腕だ。

 大きく変形させられることにも驚いたが、四本がくっついて、投網のようにできることには、なお驚いた。電磁ネットと、そのように呼称したのは、網状に広げた四本の腕に電気を通すことができるためで、つまり、スタンガンよりも鎮圧に適している。


 とは言え、相手は固まったままだ。そのまま何もしないのであれば、電磁ネットも多針スタンガンも使う理由はない。

 僕は車の方へ向き直り、一秒数えてからまた振り返った。


 うん。恐らくテンと名乗った方は動いてるね。さっきよりも少し近くなって、それにポーズも違う。

 チャコールグレイのトンはそのまま、でもないな。足を踏み出しかけていた姿勢から、自然体で立っている姿勢に戻したようだ。それは暗に、自分がこれ以上動かないことを示しているとも言える。


 フェイントか?

 一瞬考えるが、前回の行動から、これが二人のやり方なのだろうと結論付ける。


「ファル助。白いケープコートを頼む。あとは事前の打ち合わせ通りだ」

「了解しました」


 ファル助は高度を少し上げる。テンがぎりぎり届きそうな高さに。

 テンの目がファル助を追っているのがよく見えた。

 ファル助は僕から距離をとる。そして僕は多針スタンガンを組み立てて、テンをじっと見据える。

 それが合図だ。

 ファル助は向かって左側に大きく回り込むように彼女に近づいていく。

 僕はスタンガンを目線の高さに構えたまま、並足で真っ直ぐ彼女に近づいていく。

 テンが動いた。トンは動かない。

 テンがファル助に駆け寄る。ファル助はすぐに電磁ネットを放った。僕は横からスタンガンを撃った。

 彼女は事もなげに、両方を躱した。

 僕はそのまま真っ直ぐ進む。

 ファル助は彼女の動きを予測して、ふわりと間合いをとる。


 そして僕は、再装填が完了したスタンガンを放った。チャコールグレイのケープコートをまとった彼女に。

 当たる直前、トンは大きく目を見開いていた。もしかしたら自分が狙われるなど微塵も思っていなかったのかも知れない。けれど彼女はテンのサポートに集中するあまり、真っ直ぐ歩き続けた僕から注意を外してしまったのだ。

 そうしてトンの小柄な体は一度ビクンと跳ね、そのまま前に倒れ伏した。

 再装填の操作をしつつファル助の姿を探せば、ファル助とテンは相も変わらず、終わらない追いかけっこを続けていた。

 ファル助が網を投げたところでテンは軽々と躱し、けれど、彼女が手を伸ばしても、ファル助はふんわりと躱す。

 だが、もう後ろに目はない。

 チャンスだ。……チャンスだった。


 テンを背後から撃とうにも、スタンガンの再装填が終わらない。理由は単純で、トンに刺さった針が引っかかって抜けなかった。それだけのことなのだが、細いワイヤーで本体と繋がっている構造上、それは致命的なミスだった。

 そうであれば次はどうするか。


「ファル助! こっちに来い!」


 テンが倒れているトンを一瞥したのとほぼ同時、僕はファル助に指示を出した。それは作戦中止の意味だった。

 ファル助はこちらに向かい、白いケープコートのテンはそれとすれ違うように、白い雪原に消えていった。


 ❄――✿ 用語 ❄――✿

【人類協力会議】(Human Cooperation Council。略称HCC)

 西暦3215年にアフリカ諸国が中心となって結成された国際協力機関・国際利害調整機関。


【NAEMA】(North African Economic and Military Alliance。北部アフリカ同盟)

 2200年、第四次世界大戦の気配が漂ってきた頃、エジプト、リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、スーダン、エチオピア、ソマリア、ジプチ、チャドによって締結された経済・軍事協力同盟。

 マケドニア連合共和国およびNATOと戦争を行なっていたが、実質的に動いていたのは、リビア、チュニジア、アルジェリアの三か国だけである。

 2517年、マケドニア連合共和国の核ミサイル攻撃により、その三か国の主要都市は壊滅した。

 その後の復興は芳しくなく、後発のアフリカ協力会議(ACC)に主導権を握られることとなった。

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