第6話 女子高生のボディーガード

 鳴海は、奈良には自分の自家用車で行った。型は少し古いが中身を改造したスカイラインGT-Rだ。


 500馬力で良く走る。今の鳴海と同じで、羊の皮を被った狼だ。


 仕事に入る前に、スピード違反で捕まっても何なので、鳴海は高速を極普通に巡航スピードでクルージングしていた。


 すると後ろから一台、凄いスピードで追い上げて来る車があった。それは白いホンダ・シビック TYPE R だった。純正らしいので320馬力だろう。


 鳴海のスカGは、一応500馬力に底上げしてある。だからまともに走ったら負ける事はないが、今日の鳴海はそんな気分ではなかったのでのんびり走っていた。


 それを、車だけはいっちょ前なのに、ヘタレなドライバーとでも思ったのか、盛んにパッシングを掛けて来た。


 鳴海がそれでも無視していたので、頭に来たシビック TYPE R は、今度は前に回り込んで来た。


 これもまたよくやる手だ。前で急にブレーキをかけて脅かす。


 そう言えば以前に、そんな事して車を止めて、その挙句、その車に乗っていた者が後続車に追突されて轢き殺されたと言う事件もあった。


 鳴海は面倒な奴だと思い排除する事に決めた。この男も運が悪かった。


 相手が普通の人間なら、それなりに脅かして楽しめたのかも知れなかったのに。


 普通なら、前の車にブレーキを掛けられたら、後ろもスピードを落とすだろう。勿論鳴海も一旦はスピードを落とした。


 しかし鳴海が次にやった事は、そこで気のバリアを車のフロント部に5メートル程発動させた。


 そして今度は逆にスピードを上げて相手の車を押した。しかもかなりのスピードで。


 相手がいくらブレーキをかけて踏ん張ろうとも、500馬力のモンスターマシーンだ。止める事など出来なかった。


 しかもその時鳴海は、後ろから殺気を相手にぶつけた。


 その恐ろしさから逃れようと無理やり加速させ、ハンドルを切り損ねて、中央分離帯に当たって、今度はその反動で反対側まで飛ばされてひっくり返り大破してしまった。


 鳴海はそのまま何事もなかった様に通り過ぎた。


 勿論直接当てた訳ではないので、鳴海の車には掠り傷一つ付いていなかった。


 それは相手の車にしても同じだった。後ろから追突された形跡は何一つなかった。


 相手は死にこそしなかったが、車は全壊、本人もかなりの怪我を負って車の中で動けなくなっていた。


 そこに通報を受けた高速道路交通警察隊が到着し、その男を救急車で最寄りの病院へ搬送し、事故の現場検証を行った。


 病院で、パッシングを掛けていた男は、後ろから追突されたと主張したが、リヤバンパーを始め、何処にもその痕跡はなかった。


 通報者によると、この車が1台の車にパッシングを掛けて、更に前からも嫌がらせをしていたと言う事だった。


 その為、自分でハンドル操作ミスをして事故ったと言う結論になった。


 しかもその車の特徴はと聞かれたこの男は、恐ろしくて口にする事も出来なかった。


 ただこの男、まだ幸運だったのかも知れない。鳴海がまだ『疫病神』程度であったので。


 もし鳴海が『戦場の死神』状態になっていたら、完全にこの世から消滅させられていただろう。


 何にしても鳴海にパッシングをかけるなど、命知らずにも程があると言うものだ。


「総理、報告ですが、例の「D」が奈良に向かったようです」

「奈良に。何でまた」

「恐らくは仕事ではいかと思うのですが」


「まさか奈良で揉め事を起こす気ではないだろうね」

「それはまだわかりませんが、途中の高速で一件、交通事故あったそうです」

「それも「D」の仕業なのかね」


「それはまだはっきりとはしませんが、方向性と言い、時間帯といい。可能性は0ではないかも知れません」

「わかった、引き続き監視を頼む」

「了解いたしました」


 鳴海も馬鹿ではない。いつも監視の目が付いている事ぐらい、この国に帰って来た時からわかっていた。


 かっては世界中の諜報機関の目に晒されていた鳴海だ。しかもそれを全て看破し壊滅させてきた。


 こんな温いこの国の監視など鳴海に取ってはあってないようなものだ。


 ただしもしそれで自分に有利に働く様なら利用してやろうと思い勝手にさせていた。


 奈良に住む長谷川組組長の娘、矢野詩芽(やのしのめ)16歳。母親は去年死んだと言う。


 本来ならその時点で、正式に娘として迎え入れるのが筋だと思うのだが、正妻への気遣いか、それともやはりやくざの娘と言う看板は背負わせたくないと言う親心なんだろか、入籍はしていない。


 その方が本人には良いかも知れないと鳴海は思っていた。


 たまにしか来ない父親の為に、一人で生活をしてると言うのもまた健気な娘だと思った。


 小さい時から母親に「お父さんはね、事情があって私達とは一緒に住めないの。わかってね、詩芽」と何度も聞かされていた。幼心に私のお父さんはそう言う人なんだと理解していた様だ。


 ただ鳴海にしても、母親が既に他界してると言うのは助かると思った。


 普通一人の警護でも、一人でするのは非常に難しい。普通は最低でも二人でする。要人警護に至っては最低四人が常識だ。


 まして母親が健在なら、母親の警護もしなくてはならなくなる。流石にこれは鳴海でも難しい。


 一人を警護している隙に、もう一人を狙われたらどうする事も出来ない。身体が二つない限りは。


 ただ鳴海は全く無理だとは思ってはいなかった。もし必要なら奥の手がある。ただそれは使いたくない手だった。


 矢野詩芽は、大和西大寺と言う所に住んでいた。ここは奈良の中心部から近鉄奈良線で一駅の所だ。


 以前は母親と一緒に一軒家に住んでいのだが、母親が他界した後は、安全の為にと、長谷川が1LDKのマンションを買ってそこに住まわせている。


 その方がセキュリティも高いし、何かと安心出来るからだ。


 そう言う訳で、彼女はそのマンションから一人で高校に通っていた。父とは言うものの母親は正式な妻にはなっていない。


 それがどう言う事なのか、大きくなってから詩芽も理解した。


 それに本人はさして気にもしていなかった。母さえいればと。ただ今は少し寂しい気もする様だ。


 学校では、成績優秀な上に体育も万能だった。よほど運動神経がいいんだろう。


 それに小学校4年の時から、母親に勧められて、近くの古武術の道場に通っていた。


 母親としては本人の護身の為にと、母親なりに娘の将来を思っての事だったのかもしれない。


 そもそも詩芽の母親の家系には、武術の達人が多数輩出されていた。だから詩芽にもその血が流れているのかも知れない。


 その道場でも瞬く間に頭角を現し、それらの技術を吸収し、今では師範に次ぐ実力者となっていた。


 「ここか」と鳴海は詩芽のマンションを見上げていた。そして気のセンサーを発動させた。


 マンションの中には諸々の人の気が散在していたが、その中で一際強い気があった。


 階は3階の4号室、それは詩芽の部屋だった。「ほー」と鳴海は言った。「中々のものだな」と。


「あれなら不良高校生の3人や4人が束になってかかって来ても引けを取る事はないだろう」


 そこで鳴海は、詩芽に気のマーキングをしておいた。これは、人はそれぞれに気質が違う。


 だから特定の気質を意識して記憶に留めておくと、何処にいても最大300キロ圏内なら居場所を特定する事が出来る。これもまた『死神』の能力の一つだった。


「今日はこれで位でいいいか」


 そして翌日から、鳴海は矢野詩芽の行動パターンを調べた。


 学校が終わった後、月・水・金とは、きっちり道場に練習に行ってるようだ。


 土日は用事がない限り、図書館で数時間学習するのを日課にしてるようだった。


 火曜と木曜は友達との遊びの時間に当てているようだが、遊びと言っても、高校生としての規範を破らない範疇でと言う事らしいので、まじめな生徒だと言う事が伺える。


 幸いにして、まだ余計な虫は付いてないようだ。


 そう言えば先日、学校の帰りに繁華街で3人の不良に絡まれている中学生がいた。相手は高校生だろ。困ってるのがわかったので詩芽は助けに入った。


「あんた達、ここで何をしてるんですか。弱い者いじめはやめなさい」と高らかに宣言した。


「なんやおまえ。女のくせに黙っとれ。それともなにか、お前が金出してくれる言うんかい。ほんなら出してもらおうか。それかおまえの身体で払ろてくれてもええんやぞ」


 三人はもっと良いエサがかかったとニヤニヤしていた。


「いい加減にしなさいよ。あんた達がやってるのは恐喝でしょう。一緒に警察に行きますか。私が証人になりますよ」

「なんやと、このアマが」


 そう言って彼女の胸元を掴みに行った男は、腕を逆に極められそのまま背中から地面に落とされた。


 下はコンクリートだ。まともに落とされたらただでは済まない。


 特に後頭部でも打ったら脳震盪では済まないかも知れなかったが、彼女はちゃんと自分の足を相手の頭の下に差し入れていた。


「ほーそこまで出来るのか。大したもんだ」


 残りの二人も「このやろう」と殴りかかったが、やはり同じようにいとも簡単に投げ飛ばされていた。


 しかも一人は腕を固められ、痛さのあまり脂汗を滲ませていた。


「さっき脅し取った彼のお金、返しなさいよ。でないともっと痛い目を見るわよ」

「わかった。わかったから。金返すからもうやめてくれ」


 そう言って三人は少年に謝ってお金を返した。そして這々の体で逃げて行った。


「ありがとうございました。お姉さん」

「それはいいから。でもあんまり変な所に近づいちゃだめよ」

「はい、気を付けます」


 そう礼を言って少年も去った。


「なるほど相当出来るようだな。あの年で見事なものだ。それに正義感もあるか。父親とは大違いだな。今度は一度道場での練習風景も見ておかなければいけないな」と鳴海は思った。


 翌日鳴海は彼女が通う道場に行った。道場は道場主の母屋の一部を改造してあった。


 時間が早いので今は子供のクラスの様だった。


 子供と言っても小学生の高学年が四人。それを彼女が指導していた。


 子供の時間だから、技と言ってもラジオ体操に毛が生えた様なものだった。殆どが型稽古だ。


 こんなものを見学しても仕方ないので、鳴海は車の中で休みながら、道場の様子をセンサーで軽く感じていた。


 時間が過ぎて子供達が帰り、6時半から大人の時間になった。


 その頃になると、道場主である師範が顔を出した。彼女は師範代と言う立場らしい。16歳で師範代とは大したものだ。


 そしてようやく大学生や社会人達が集まりだした。総勢で10人になった。


 それほど門下生は多くないようだ。あと何人いるか知らないが、多くても20人止まりと言う所だろう。


 その頃になって、鳴海も見学させてもらいたいと道場に顔を出した。


 これは近代的な武術ではない。鳴海の目から見ても、かなり古い歴史のある武術体系のように見えた。


 投げ技と関節技が主だが、そこには必ず当身技があった。まず当身で虚を作り関節技や投げ技に持って行く体系のようだ。


 しかもここの当身技は単なる崩しの為の当身ではなく、当身自体なかり練られた打撃体系の体系を持っているように見受けられた。


 つまりそれは打撃系の技としても十分使えるだけの練度があると言う事だ。


 大人相手の彼女の動きには全く無駄がなかった。相手の打撃を捌き、そして無駄なく逆技に持ち込む手練は見事なものだ。


 確かにこれはまだ型稽古だ。だから本番とは違うと言ってしまえばそれまでだが、ある程度の練度に達した者の動きは、型稽古でも実践でも同じ動きが出来る。


 実践になったら、特に喧嘩になったら役に立たないと言う者は、まだまだ練度が足りない証拠だ。


 技の本質を極めた者に状況の違いは関係なくなる。


 そう言う意味では、彼女は既にその域に達しているように見えた。その時不意に横から声を掛けられた。


「随分と熱心にご覧になってるようだが、彼女に何か興味でもおありかな」

「いや、彼女の動きは見事なものだと思ってね」


 驚いたのは道場主の方だった。自分では完全に気配を消したつもりでいた。


 いつもこの手で相手を驚かせ、その反応で相手の技量を図ってきた。


 自分が近づくのを看破した者は、今まで一人としていなかった。それだけ自分の隠遁の術には自信を思っていた。


 しかしこの男は、それを完全に看破していた。驚く事もなく、また気勢を張るでもなく、極平常心で対応しきた。


 道場主は面白い男だと思った。そしてこの道場主、金高源次は気を高めて中程の遠当てをこの見学者に放ってみた。


 普通なら気絶するか、うろたえるか気丈夫なら身構えるはずだった。


 しかしこの男はそれを受け流してしまった。まさかと金高は思った。そんな事の出来る者がまだいたとは。


「良かったら、うちの師範代と手合わせをしてみませんか」

「いいのかな」

「ええ、あんたなら是非に」

「詩芽君、ちょっとこの方の相手をしてはもらえんかな」

「先生、いいんですか。うちは他流試合は禁止だったのでは」

「いや、他流試合ではない。ただの練習だよ」

「先生がやれとおっしゃるのなら私は構いませんが」


 それにしても大した自信だ。もしかしたら他流試合になるかも知れないと言うのに問題ないと言う。


 鳴海と詩芽は道場の中央で対峙した。詩芽は右足右手を前に左手は右手の下に添えていた。


 これで少し手を下げて刀でも持っていたらそのまま剣道の正眼の構えになる。


 対する鳴海は何も構えてはいない。自然体でそこに立っていた。ただ二人ともに何の気負いもななく自然に対峙していた。


 これは相当高度な立ち合いだった。どちらも動かないが意識の中では攻防が行われていた。


 見ている門下生達にはわからなかったが、師の金高には見えていた。


「どちらも大したものだ。しかしこの男はまだ底を見せていない」


 一通りの試考を終えて鳴海は行動に出た。


 自然体から右足を踏み出し、そのまま右手を前に出して順手で拳を打ち出した。


 しかしその速さたるや、目では捉えられない位だった。勿論門下生達には見えてはいない。見えていたのは詩芽と金高だけだった。


 詩芽はそれを左手で内に受け流し、中段に当身を入れた。しかしそれは鳴海の左手で受け止められていた。


 すかさず詩芽は右手を上に回して鳴海の左腕に絡め、受け流した左手は、しっかり鳴海の右手首に掛けられていた。そのまま体を開いて投げを打った。


 しかし鳴海は空中で一回転すると、そのままカウンタで詩芽を投げた。詩芽もまた空中で一回転して立った。


 一瞬の攻防で、これだけの事がやられていた。門下生達は我が目を疑った。一体何が行われているんだと。


 詩芽はそのまま変形の前方回転から、低空飛行の様に床すれすれに飛び込んで相手の片足を引っかけると同時に、もう一方の足で膝を蹴りに行った。


 これは詩芽が得意とする、地竜と言う技だった。


 ただ危険な技なので滅多に使う事はなかった。使えば相手の膝は砕かれてしまう。


 しかしこの相手には使ってもいい様に思えた。


 それは怪我をさせてもいいと言う事ではなかった。試して見たかったのだ、自分の技がこの相手に通じるのかどうか。


 予想通りと言えばいいのか見事に外された。


 普通なら落胆し悔しがる所だが何となく納得してしまった。この相手ならあり得ると。


 その時金高が「それまで」と攻防を止めた。


「いや、お見事でした。まさかこれ程とは」

「いや、冷や汗をかかされたよ、彼女の最後の技には」


 詩芽は何も言わずにそこに佇んでいた。ただ心の奥底から湧き出てくる不思議な感覚があった。それが何なのかは詩芽にもわからなかった。


「今日はいいものを見せてもらった」


 と鳴海は結構ため口だった。


「機会があればまた寄ってはくれんかの。弟子の勉強にもなるでの」と金高は答えた。


 門下生達が全員帰った後で金高は詩芽に聞いた。


「どう見た、あの男を」

「達人でしょうか」

「やはりそう見たか。わしもだ。いや、もしかしたらそれ以上かも知れんの」


「あの攻防の中でもあの人からは一切の気の高ぶりも心の動きさえも感じ取る事が出来ませんでした。まるで空気か水を相手にしてる様でした」

「だろうな。決して敵には回したくない男ではあるな」

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