第4話 ストーカー

 鳴海のやくざ狩りは、今度は大阪の「キタ」と呼ばれる繁華街に及んで行った。


 ここには大阪駅や梅田駅を中心に「北新地」と呼ばれる高級歓楽街や若者達が楽しむ「曽根崎新地」と呼ばれる繁華街、それに新御堂筋の高架に沿った繁華街も含まれる。


『大阪の「キタ」か。懐かしいな。俺がいた時とは大分変わった様だが、基本的な部分はまだ同じだな。地下街も相変わらず人が多い。こんな所を攻撃されたら全員圧死だな。相変わらず無用心な街だ』


 こんな考えを持つのは鳴海くらいのものだろう。普通の人はここで何かが起こるなど考えもしないで生きている。


 まぁ、あるとすれば交通事故か地震位か。人的な破壊が起こるなどとは考えた事もないだろう。


 しかし世界の至る所では未だに武力紛争があり、毎日何十、何百人もの人が死んでいる。また飢餓で何百人単位で人が死ぬ。


 そう言う意味では日本は恵まれた国だろう。しかしと鳴海は思った。


 そんな平和など永久に続くものではない。まして紙一枚で守れる平和などこの世には存在しないのだ。


 それにしても鳴海は一体何を言っているのか。鳴海の実家は大阪ではない。


 しかも鳴海は東京の大学を卒業して、直ぐに渡米した事になっている。


 それから10年間、一度も日本には帰ってはいない。だから大阪に住んだ事はないはずだ。鳴海と言う男にはまだまだ謎がありそうだ。


 この「キタ」はやくざ達に取っても重要な資金源だ。だからここを荒らされては堪らないと、色々抵抗を試みたが鳴海の前では焼け石に水でしかなかった。


 しかし不思議な事に、鳴海によってしのぎを奪われる事はなかった。やくざ達に取っては、不幸中の幸いだったと言えるだろう。


 ただ所に寄っては、組そのものが立ち行かなくなった所もあった。


 その為、鳴海と言う名前は無視出来ない存在になつつあった。正直敵対したくない最上位の人間だ。


 各やくざ組織の間でも「鳴海には絶対手を出すな」と言う事が言われていた。これを無視して敵対した組織は間違いなく全員叩きのめれた。


 しかもそこの組長は死の病に侵されたと聞く。まさに鳴海は『疫病神』そのものだった。


 しかし彼らはまだ知らない。鳴海の本当の姿を。『戦場の死神』と呼ばれた鳴海の真の姿を。


 そして鳴海が『戦場の死神』になった時に何が起こるのかを。それこそが世界の戦場を震撼させた鳴海の真の姿だ。


 大阪府警本部は上町筋と本町通の所にある。流石に「キタ」周辺でやくざ達におかしな動きがあると、組対四課への情報も早く流れる。


「川北さん、聞きましたか『やくざ狩り』の話」

「らしいな。たった一人でやくざ組織を総なめにしとる男がいるとか」

「そうなんですわ。ただ不思議な事にドンパチもやってませんし、死人も出てません。組織自体が壊滅した言う話も聞きませんので、どうやら内輪で事が収まってるようです」

「誰や、その『やくざ狩り』言うのんは」

「何でも鳴海とか言う名前やとか」

「鳴海か、何処の誰や、調べてみい」

「はい」


 鳴海はこれで、大まかな大阪のやくざ組織は押さえたと思っていた。


 周辺にまだ細々とした組織は散在するが、問題ではないだろう。取り敢えずの目的は達成した事になる。


 そこまでやっておいて、鳴海はまた「北斗トラブルシューティング」に専念した。


 と言っても客は滅多に来ないのだが。何故「やくざ狩り」などと言うものをやっていたのか、それは彼の商売をやり易くする為だった。


 鳴海は暴力団専門のトラブルシューティングと言うのを建前にしている。そうなればやくざに顔が効く方が良い。


 少し効き過ぎと言う気もしないではないが、目的は達成出来た。これで商売もやり易くなるだろうと鳴海は考えていた。


 しかし商売の為に、ここまでやる人間がいるだろうか。大阪中のやくざを敵に回して喧嘩をする人間が。


 少し常識が外れているようだが鳴海にしてみれば、大した事はしてないと考えていた。流石は『戦場の死神』だ。考える事が違う。


 川北達も情報を集めていて、やっと一つの事実に辿り着いた。


 やくざ達が恐れている「やくざ狩り」の鳴海と言う男の容姿が、例の銃撃事件のマルタイの似顔絵に雰囲気が良く似ていると言う事だった。


 もしこの鳴海と言う男が、そのマルタイの男なら、やくざ達がヒットマンを差し向けた理由も納得出来ると言うものだ。


 ただ一つの疑問は、この男は今まで、まだ誰一人のやくざも殺してはいないと言う事だ。


 少なくともそう言う報告は受けてはいない。では何故ヒットマン達は死んだのかと言う疑問だった。


 あれはやはり何かの事故だったのか、それとも本当にこの男が殺したのか。


 勿論この男がやったと言う証拠はない。ただそれは当たってみなければわからない事だった。


 川北達は、この「やくざ狩り」が始まった頃に「北斗トラブルシューティング」と言う事務所を、キタの中埼町界隈に開いた人物に目を付けた。何故ならその代表者の名前が「鳴海」だったからだ。


 川北は太田と共に「北斗トラブルシューティング」に向かった。


「こんにちは、鳴海さんと言う方はおられますか」

「はい、僕が鳴海ですが何か」

「私達はこう言う者でして」


 とお定まりの警察バッジを取り出してかざした。


「警察の方でしたか。で何か御用でしょうか」


 川北は「おや」と思った。あの似顔絵ややくざ達の話とは随分印象が違うなと。


 あまりにも温和な容貌で、とてもやくざ相手に立ち回りの出来る様な雰囲気ではなかった。


「この『北斗トラブルシューティング』と言うのはどう言う仕事をされる所なんですか」

「一応揉め事処理を専門にしてます」

「と言いますと、やくざとの揉め事も」

「まぁ、あればそう言うのにも応対しますが、今の所そう言う依頼は一件も来てません。ご覧の様に閑古鳥が鳴いてますので、あはは」


「そうですか。貴方は何か武道とかおやりになるのですか」

「いいえ、武道の段位は何も持ってません」

「しかしそれではこう言う仕事は難しいのでは?」

「何も力だけが解決方法ではありませんので」

「それ以外の方法で解決なされると」

「そうですね、使える手段は何でも使うと言う事でしょうかね」

「使える手段は何でもですか」

「はい」


「ところで最近、大国町や堺に行かれた事は」

「ありません。一応この辺りを中心にやっておりますので」

「では4月25日の午後3時から4時頃まで何処におられましたか」

「これは何かの事件の捜査ですか」


「ええ、ちょっとした銃撃事件がありましたので」

「僕が誰かを撃ったとでも?」

「いいえ、そうではありません。私達は狙われた人物を探しているのです」

「それが僕だとでも。僕は狙われるような有名人ではありませんが」

「いいえ、そう言う訳ではありませんが一応参考の為に」


「そうですか。その時間は多分移動中でしょう。夕方の4時過ぎには長野県の松本におりましたので」

「何か用事で」

「いえ、暇だったもので息抜きに旅行に出てました。4時半には駅前の「エルモ松本」と言う喫茶店にいました。調べてもらえばわかると思います」

「息抜きに旅行ですが、優雅な御身分ですな」

「いえ、それ程でもないんですが」


「では5月2日の午後2時頃はどうでしょう」

「5月2日ね。ちょっと待って下さい」

「特に何もしてませんね。多分ここにいたと思いますが証明してくれる人は誰もいません」

「そうですか。どうもありがとうございました」

「いえ、お役に立ちませんで」


「太田、どう思う」

「そうですね、そつのない答えでしたね。全くよどみがなかったですね。我々の質問を予測してたみたいに」

「そう思うか。わしもそう思た。ただ厄介や」

「何がです」


「松本の件や。作り物臭いがもし本当やったらやつの嫌疑は消える。それと5月2日は別に証明せんでも目撃者がおらんよって、奴がいた事を証明するものはなにもない」

「なるほど、ちゃんとツボを押さえてると言う事ですか」

「予想以上に切れもんかも知れんな、あいつは」

「取り敢えずは松本の件、裏取ってみますか」

「そうやな。悪いがおまえ行ってくれるか。こんな事で二人も出張費は出んやろう」

「わかりました」


「総理、大阪で二人の刑事が鳴海の身辺を嗅ぎまわってるようです」

「何の為にだね」

「詳しい事はわかりませんが恐らく大阪で起きた2件の銃撃事件についてでしょう」

「しかしあれはもう決着が付いたのではないのかね」

「確かに決着は付いているのですが、誰が狙われたのか、それは未だに不明のままですので、恐らくそれを探っているのではないかと」


「それで鳴海に辿り着いたと言う訳か。どうしたらいいと思うかね」

「鳴海も馬鹿ではありませんので、そう簡単に尻尾を掴ませる様な事はしないでしょうし、仮に本人だと知れたとしてもそこまででしょう」

「二人のヒットマンの死因については司法解剖でも不明のままですし、スナイパーは暴発による事故死が証明されていますので何一つ鳴海に嫌疑がかかる事はありません」

「ではそのままでいいと言う事かね」

「はい、今は。もしこれ以上しつこくうろつく様ならその時はそれなりの処置を取ろうと思います」


「ただこの際ですから厄介な資料は全て封印しておいた方が良いでしょう」

「わかった。それは君に任せるよ」

「はい」


「川北さん、あきませんでしたわ、アリバイは完璧でした。向こうの店員が彼の顔を覚えてましてね、証言が取れました」

「そうか、やっぱりな。しかしそれなら、あの時間でどうしてあそこまで行けたんや」


 鳴海が、あの時襲撃された被害者なら不可能な事だった。事件の起こった30分後に松本にいる事は不可能だ。


 あそこまで電車で3時間半はかかる。飛行機でも1時間、その間の移動を考えたらとても4時半に向こうにいる事は不可能だ。


 鳴海がどう言う方法でそこに行けたのか。それは彼にしか成し得ない方法だった。


 ともかく川北達の目論見は外れた。しかし川北は鳴海にまだ疑念を抱いていた。


 それは刑事としての勘であり、危険人物に対する感覚の様なものであろうか。


「あの外見に騙されたらあかん」と川北は思った。


 それからしばらくして、やっと一人の客が『北斗トラブルシューティング』を訪れた。


 何かオドオドした様子の二十代半ば位の女性だった。名前を吉村頼子(よしむらよりこ)と言った。


「どう言うご用件でしょうか」

「あのーここではストーカーの対処もやっていただけるんでしょうか」

「ストーカーですか。勿論やりますよ。既に何か被害でもお受けになってるんですか?」

「いえ、それはまだなんですが、なんだか気持ちが悪くて」


「警察にはお届けになったんですか」

「はい、被害届は出しました。でも具体的な被害がないので何も出来ないと言われました」

「まぁ、そうでしょうね」


「で、どう言う風に気持ちが悪いんですか」

「いつも見張られているようで、私の行動を何処かで見てるのか変なメールが届くんです。今日は何をやっていたとか。それに時々誰かにつけられている様な気がして」


「わかりました。お引き受けいたしましょう。つきましては料金ですが必要経費と日給5,000円と言う事になります。まぁ1週間もすれば解決するでしょう」

「そんなにお安くていいんですか」

「ええ、庶民の味方をモットーにしておりますから」

 

『戦場の死神』がよく言うと言う所だ。


 そこで書類上の契約を済ませた後、


「貴方のケースは盗聴、盗撮の可能性が高いですね。一度お家を見せていただいても構いませんか」

「わかりました。良ければ今からでも構いませんが」

「ではお願いします」


 彼女のアパートは大阪市西区江戸堀の近くにあった。モダンなアパートだった。


 入り口に管理人はいるが、ビルの入口のドアはいつも施錠されている訳ではないので、入ろうと思えば誰でも入れる。


 彼女の部屋は二階の西角にあった。小奇麗なワンベッドルームの部屋だった。


 リビングエリアには四角い掘りごたつサイズのテーブルが置いてあり、キッチンの前に小さなダイニングテーブルがあった。独身なんだろう。


 鳴海が計器を取り出して、盗聴器の検出を始めてみると3個見つかった。


 リビングとキッチン、それにベッドルームだ。警察では実害がないとここまではやってくれない。


 鳴海の場合は、こんな機械を使わなくても、自前の気のセンサーを使えばもっと簡単にわかるのだが、人前なので一応機械を使っていたが、その前に既にその存在は把握していた。


「ええっ、こんなに盗聴器が」

「そうですね、何時仕掛けられたのかはわかりませんが、誰かがここに入って仕掛けたようです。一応ドアの鍵の取替えか追加の鍵の設置をお勧めします」

「わかりました。大家さんと相談してみます」

「あと仕事以外でいつも行くよな所はありませんか。例えばジムとか」

「ええ、ジムに通ってます。そこのエアロビクスのクラスに」

「ではそこも案内していただけますか」

「わかりました」


 鳴海は、もしかするとそこで鍵のコピーを取られたのかも知れないと思っていた。


 確かにロッカールームは女性専用だが、誰か第三者に依頼して彼女に近づけばそれも可能だろう。


 一応基本的な事を押さえておいて、鳴海は彼女の仕事の帰りには尾行していた。


 行きはラッシュアワーに当たるので、ストーカーもそれほど露骨な行動はしないだろうと思われた。


 鳴海の尾行はプロ中のプロの技術だ。誰にも悟られる事はない。


 周りで様子を伺っている者がいたとしても、鳴海が誰かを尾行してるとは気が付かなかっただろう。それどころか鳴海そのものを確認出来ないだろう。


 何故なら彼は気を絶って意識を消す事が出来るので、そこにいても鳴海を認識する事は誰にも出来なかった。


 逆に鳴海からはおかしな動きと、彼女に意識を向ける人間の波動を読み取る事が出来た。


 そして鳴海は一人の意識を捉えた。どうやら彼がストーカーのようだ。彼女に対する粘っこい陰湿な気を感じた。


「なるほど、こいつか」


 鳴海の能力を持ってすれば、この程度の事はいとも簡単な事だった。鳴海は今度は逆に彼をつけて、居場所と身元を確認した。

 

 後はこいつをどう料理すかの問題だった。こんな奴は一度や二度注意したってどうこうなるものではない。


 また同じ事を繰り返す。そう言う意味では日本の法律は甘過ぎると思っていた。


 戦場では生きるか死ぬか。生きたければ殺してでも生きろと言うのが常識だ。「じゃーこいつは殺すか」と鳴海は結論ずけた。


 実に簡単な結論だが、常人では誰もそんな事は考えないだろう。法治国家で殺人など割が合わない。それが常識だ。


 しかし鳴海にそのような常識は通用しない。彼には彼の常識があった。そしてそれをいとも簡単に実行出来る能力を持っている。


 そのストーカーは彼女と同じ会社の、人事課で働く磯野悟(いそのさとる)と言う男だった。


 彼女が入社した時の面接担当の助手をしていた。どうやらその頃から、彼女に一目ぼれしてつけ狙っていたようだ。


 素直に話せばいいのに、それも出来ず、日頃の自分に対する余所余所しい態度に逆切れして、ストーカーに走ったようだ。


 なるほど人事課なら彼女の情報も簡単に手に入るだろう。


 磯野は自分の仕掛けた盗聴器が、全く機能を果たさなくなったので少しイライラしていた。


 鳴海はそろそろ直接行動に出て来る頃かなと思っていた。


 案の定、磯野は帰宅する彼女を付回し始めた。勿論鳴海はそれを確認している。何かあれば、いつでも助けに入る態勢は出来ていた。


 そしてとうとう磯野は、彼女に接触を図った。帰宅途中の人通りの少ない所で、後ろから彼女に襲い掛かった。


 彼女が悲鳴を上げた時には、既に鳴海が磯野の体を押さえていた。そして


「このまま帰りなさい。そしてドアに鍵をかけて。こっちは大丈夫だ。俺が処置しておくから」


 そう言って彼女を家に帰らさせた。


「お前、いい加減にしろよ。いい年して自分のしてる事がわかってるのか。お前が彼女を襲った所の映像は撮ってある。これを会社に持って行けばお前は間違いなく懲戒免職だろうな。少しは反省しろ」


 そう言って鳴海は磯野を解放した。


 その時に問い詰めて、彼女の合鍵を作ったのもこの磯野だと言う事がわかった。


 会社の彼女の同僚の秘密を握った磯野がその彼女に指示して、ジムで吉村頼子のアパートの鍵の型を取らせたのだ。

 

 しかし磯野を解放するとは、鳴海にしては随分と温情のある処分に見えるが、それは本当の狙いではなかった。こう言う手合いはこんな事で引き下がる事はない。余計に過激になるものだ。


 ここで解放したのも、一応の既成事実を作る為に他ならなかった。


 要するに磯野がストーカーで彼女を襲ったと言う事実の確証を得る為だ。もし何かあった時の証拠として。


 翌日そのストーカー、磯野悟は交通事故で死んだ。運転を誤って電信柱にぶつかったと言うのだが、それにしては見事にタイヤがパンクしていた。


「吉村さん。ストーカーの件は解決しました。ストーカーはあなたも顔を見たでしょう。同じ会社に勤める磯野悟と言う人物でしたが、交通事故で亡くなりましたので、もう貴方に付きまとう事はありません。安心してください」


「一応4日間の必要経費と交通費で、合わせて2万320円いただきます」

「本当にそれだけでいいんですか」

「はい、結構です。お客様は神様ですから」


『戦場の死神』がよく言う。

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