第62話 ロシア狼1

 ミクスチャーズの面々は相変わらず共同生活を続けていた。ただ前回から比べてみると、顔の色艶は少し良くなってる様に思えた。


「よう、お前等元気にしてたか」

「あっ、鳴海さん。お久し振りっす」

「ウイッス」

「ちわー」

「チッス」

 と色々な返事が返ってきた。


 まぁ、それだけ元気にしてると言う事なんだろう。


「どうだ、最近このあたりは」

「いいっすよ。特に問題はありません。あのハングレ連中もいなくなりましたから」

「そうか、それは良かったな」

「ただね鳴海さん。最近何故かロシア人が目立つんですよ。中国人なら当たり前なんですけどね」

「そいつらは何が悪さでもしてるのか」

「いいえ、別に今の所は」

「ただ中華街が何だかちょっとざわついてる様に感じるんっすけどね」

「中華街がな」


 鳴海はこう言う地元の情報と言うものは、地元を這い回ってる連中の方がより肌で感じる様だと思った。


 ならここはやはり華僑のボス、耀梓轩(ヤオ・ズーシェン)に会う必要がありそうだなと思った。


 鳴海はいつものルートで耀梓轩に会いに行った。耀はまるで鳴海を待っていたかの様な対応だった。鳴海の来訪を予測していたのかもしれない。


「やはり来たか」

「それは俺を待っていたと言う事かな」

「まぁ、そうじゃな。遅かれ早かれ来るんではないかと思っておったよ」

「ロシアの件か」

「そうじゃ、最近この辺りにロシア人が増えた」

「ああ、そうらしいな。彼らは何だ」

「それがよくわからん。特にわられに敵対する気はないようだ。今の所はだがな」


「ロシアの品物を取り扱う店が少し増えたかなの」

「それはどんな物だ」

「ロシアの工芸品とか海産物、土産の類と言った所かの」

「海産物か。それは何処から輸入してるかわかるか」

「ロシアのウラジオストックからじゃが不思議な事に日本の貿易商社を通してるようじゃな」

「それって島本貿易と言う所じゃないのか」

「そうじゃな、確かそんな名前だったと思うがの」

「そうか、これで一つ繋がったか」

「それはどう言う事かな」


 鳴海は先日起こった狙撃事件の事を話した。その被害者が島本貿易の貿易部の課長をやっていた黒蜜洋介と言う男だと。


 スナイパーは恐らくロシアの工作員の可能性があるとも言っておいた。


「そうか、そう言う事があったのか。そう言えば一つ気になる情報があるんじゃ。何でも最近ロシアでは密かに人体実験らしい事をやってると言う様な。ただし詳しい事はまだ何もわからんがの」

「人体実験か。それがどう言うタイプの人体実験かだな」

「そうじゃ。わしらも色々と探りを入れておるんじゃが、まだわからん」

「わかった。参考になった。礼を言う」


 そう言って鳴海は耀のもとを去った。


「あの鳴海にも監視をつけておけ。何かを見つけるかも知れんからの」

「承知いたしました。耀大人」


 鳴海は考えていた。横浜の貿易会社ロシアとの取引入手困難な海産物を普通に取り扱っている。


 特にキャビアやイクラ類、横浜にロシア人が増えた、ロシアの店が増えた、その貿易会社のロシア担当の社員の死、それも狙撃による他殺。


 犯人はロシアの工作員、そしてロシアでの人体実験


 これらの線を繋ぐと何か見えて来ないかと鳴海は考えていた。最後の二つは警察も知らない。


 鳴海は恐らくキーファクターはその人体実験だろうと考えていた。


 一体どんな人体実験をしていたのか。それを突き止めなければ真相は見えて来ないかも知れない。


 ならばロシアに渡って見るしかないだろう。そうなるとリンが最適な相棒となる。鳴海はリンを伴ってウラジオストックに渡る事にした。


 ここもまた日本に取っては近くて遠い隣国と言う事になる。


 リシアに日本の領土を実効支配されているにも関わらず何も出来ないでいる情けない日本の実情がある。


 鳴海にしてみれば取られたら取り返す。それが常識だろうと思っている。


 またそれが世界の常識だ。それがわかっていて何も出来ない国などもはや国としての体をなしていない。


 そう言う事だと鳴海は思っていた。特に鳴海の様に戦場で生きてきた者には取っては。


 ともかく鳴海とリンはウラジオストックに渡った。前回二人でここに来たのは何時だったか。戦友セルゲイ・アナトリェビッチの遺骨を埋めに来た時だった。


 ただその時の約束はまだ果たせていない。しかし何時かはと、二人はセルゲイの墓の前で誓いを新たにしていた。


 ウラジオストック、かっては遠い国だったが今は観光でも気軽に来れる様になった。


 1991年にソビエト連邦が崩壊し、その後ロシア連邦と周辺の国々に分かれた。


 ただ当時はこのウラジオストックは軍港として確固しており、一般観光で気軽に入ってこれる所ではなかった。


 軍の空港だった所が民間航空機にも共用されるようになったのは19993年からだ。


 その当時はまだ新潟と富山からしかウラジオストック向けの飛行機は出てなかった。


 しかもエアロフロート一社だった。今では成田や関空からも直行便が多く出て便利になった。


 リンはセルゲイと供に戦っていた頃、セイゲルは故郷に幼馴染がいると言っていた事を思い出した。今回はそのセルゲイの幼馴染を訪ねてみる事にした。


 その幼馴染の名前はイレナ・メテシュキナと言った。彼女は今、環境省に勤めているとの事だった。


 欧米との交流会議にもよく出席するとかで英語も堪能だった。


 リンとは一緒に仕事をしていたが不慮の事故で亡くなったので、自分がこの地に遺骨を納めに来た事を話した。ただ父親の事情が事情なのであまり大ぴらに話す事ははばかれた。


 既にKGBは崩壊したとは言え、その根は今でも地下で活動している。


 セルゲイの父親がその裏切り者となると当然その家族にも被害が及ぶ。友達にもとばっちりが掛からないとも限らない。


 だからあまり迂闊な事は話せなかった。しかし彼女はセルゲイの事が好きだったんだろう。大きくなってからも何とか連絡を取り合っていた様だ。


 ただある時から急に連絡が取れなくなって心配していた所に彼の家族の悲報を知ったと言う。


 ある程度は予測はしていたらしいが、それでも彼女にとっては悲痛な知らせだったと言った。そして今、彼の死を正式に告げられる事になった。


 ただリンは、セルゲイは立派な男として誇りを持って死んで行ったとだけ伝えた。


 彼女にはそれで十分だった。正直な所もっと色々と聞きたい事もあっただろう。


 しかしそれをするとより悲しみが深くなりそうだから、敢えてそれ以上は足を踏み入れなかった。正しい選択だろう。


「それで今回貴方方が見えられたのは、何か目的があってですか」

「特にこれと言った、はっきりとした目的はないのですが、ただ最近このあたりでおかしな噂とか現象を聞いた事はありませんか」

「おかしなとは?」

「そうですね、何か不思議なと言うか、不可解な現象と言う事でしょうかね」

「そうですね、特にはありませんがそう言えば最近ロシア狼の死骸がシベリアの北部で多く見つかったと言う話を聞いた事があります」

「ロシア狼ですか。猟師に狩られたとか」

「いえ、この時期の北シベリアとなりますと、人間では寒くてまともに息すら出来ないでしょう。ですから猟師も近寄らないと思います。正直な所ロシア狼に関してはまだ生態がよくわからないのです。ただシベリアで多くのロシア狼が見つかったと言うのは少し不思議な気がします。しかも死体でとなると。ただその事で調査隊が現地に出かけた時には死体は跡形もなかったと言います」

「なるほど、おかしな話ですね。ありがとうございました」

「これでよろしいのですか」

「はい、参考になりました」


「リンよ、シベリアに行ってみる必用がありそうだな」

「そうですね」


 無闇にシベリアに向かっても探しようがないので、二人は一旦日本に帰り、そこからヨーロッパに飛んだ。そしてそこから再度ロシアのシベリアに入った。


 ヨーロッパだと入手出来る情報も多く、それなりの手段が手に入る。


 かって『ツイン・ドラゴン』と呼ばれたコードネームは伊達ではないと言う事だ。


 そして二人は極寒のシベリアに降り立った。移動にはスノーモービルを使った。


 普通の人間なら特殊な防寒服が必要だが、この二人にはその様な物は必要なかった。


 ロシア狼の死体が見つかったと言う辺りに行って見たが、確かにそこには何もなかった。


 普通の人の目にはそう見える。しかし彼らの目には、上手く雪でその痕跡を消している事が見て取れた。


 当然人の手で行われた事だろう。しかしこんな所で何の為にと言う疑問が出る。


 鳴海はセンサーの範囲を更に広げてみた。すると動物の反応があった。


 意識を集中させてみるとそれは狼の物だった。恐らくはロシア狼の群れだろう。


 リンと二人でそこに向かうとロシア狼の群れが20匹ほどいた。


 そして鳴海達を見つけるとボスが威嚇を始め、群れの狼達も戦闘態勢を取った。しかし不思議な事にその感情には怯えも含まれていた。


 野生の狼が人間を恐れると言う事はまずない。しかもこれだけの群れがいて。


 しかしそれでも彼らは恐れていた。しかし群れの仲間を守る為に牙を剥いたと言う所だろう。


 では彼らを恐れさせる何があったと言うのか。恐らくはあの死骸に関係する事だろうと鳴海は思った。


 仕方ないと鳴海は先頭のボス狼を倒した。ボスをいとも簡単に倒されては残りの狼達には何も出来なかった。それにもしかするとその恐怖とやらが蘇ったのかも知れない。


 そして鳴海はボス狼の脳を探ってみた。人間の脳とは違うので上手く行くかどうかはわからなかったが、ともかくやってみた。


どうやらこのボスは見ていた様だ。あの白い悪魔達を。しかも素手で自分の同胞達が引き裂かれて行く様を。


 それは彼らにとって人間離れした動きと力を有する者達だった。しかもこの極寒で普通の服装で活動していた。


 それは正に白い悪魔、この地に住む白熊よりも恐ろしい存在に思えた事だろう。


「なるほどこの極寒の地で、敏捷に動ける狼相手に戦闘訓練をしていたと言う事か」

「そうですね。問題はどの程度の能力かと言う事ですね」

「そうだな、しかしこの条件下でしかも素手でこの狼達をいとも簡単に倒せると言う事はかなりの戦闘力を有していると見て良いだろうな。しかもこれに武器を持たせたら」

「それが街中に出てくると厄介ですね」

「そうだな。後はここと日本の商社との関係だな」

「そうですね」


 ともかく鳴海はボス狼に活をいれ群れに戻してやった。それをどう解釈したかはわからないが、全員が戦闘態勢を解いて森の奥に消えて行った。


 ただ鳴海の推測では、何処に基地があるにしろここで活動するにはどうしても近くに中継基地の様な物がいるだろうと思い、周囲にセンサーを広げた。


 するとここから5キロほどの所に山小屋の様な物を見つけた。そこは上手く周囲の環境を利用して隠されていた。


 そこに辿り着いた鳴海達は早速内部の調査にかかった。中には携帯食料の残りが少し、それ以外の物は見つからなかった。しかし鳴海の感性にはまだ引っかかるものがあった。


 屑箱に残ったわずかな染みだ。何かを投げ捨てそれを後で回収した時に中味が少しこぼれたのかも知れない。微量だったが調べられない事はないと思いそれを回収してそこを出た。


 それを西側の鳴海の知る科学機関で検査してもらった。すると一種のホルモンの様だが新種で効能はよくわからないと言う事だった。ただこの分子構造は魚の卵によく似ていると言う報告だった。


 魚の卵に似た分子構造を持つ特殊なホルモン。これ一つだけでは効能を発揮しないのかも知れない。これに何かを混ぜる事で機能が発揮するのだとしたら。


 そこまではまだ良くわからないが、一つには魚の卵に似た分子構造だと言う事だ。


 もしかするとそれは魚の卵に見せかける事が出来るのかも知れない。例えばイクラとかキャビアと言った。


 それを本物のイクラやキャビアに混ぜて輸出したとすれば、税関で引っかかる事はないのではないかと鳴海は思った。


 そこにもし島本貿易ないし、黒蜜洋介が絡んでいたとしたら。そしてもしそこに何らかのトラブルが生じたとしたら、口封じに狙撃もあり得るだろう鳴海は思った。


 もう一度その辺りを洗ってみる必要があるなと鳴海達は思った。

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