第63話 ロシア狼2
鳴海はシベリアで見た事をベースに色々と思案していた。まずボス狼が見た白い悪魔は3体だった。つまり試験体は3体だと言う事だ。
ただしそれで全てなのか、それとも何体かいる内の3体だけがあそこで実験したのかはわからない。だが少なくとも3体が実存すると言う事実は掴めた。
そして彼らの性能と言うか力だが、雪の中には20匹ほどのロシア狼の死体が埋められていた。
幸い冷凍保存されていたので死体の腐敗はなかった。そこで鳴海は死体の破損状態を調べてみた。
確かにこれは刃物や武器による破損ではなかった。明らかに人の手によるものだ。
しかしこれだけの事をするとなると少なくとも常人の3倍以上の力が要るだろう。
つまりその試験体はそれほどの力を出したと言う事になる。もしかするとそれ以上の力を出せるのかも知れない。
しかしそれは人としてのリミット、限界だ。確かに人間は通常の力以上の力を出す事も可能だ。
つまりリミットを外せば。俗に言う「火事場の馬鹿力」と言うやつだ。
それでも人体構造上の限界と言うものはある。つまり骨格や筋肉の許容限界と言うものだ。
それを超える力を出すと、身体を構成する組織自体が崩壊する。
通常は3倍が限度とされている。しかしそれでもそんな力を出した後には相当な反動が来る。
悪くするとしばらく動けなくなる事もあるだろう。それでは戦力としては使えない。
だから何らかの方法でそれを補正しなければならない。そう言う手段を彼らは持ってるのかと言う事だ。
それとまだある。その力は無制限に使えるのかどうかと言う事だ。
つまり何時間でもその力を維持出来るのか。鳴海は恐らくそれは無理だと考えていた。
出来ても精々十分単位だろう。それ以上は身体への負担が大き過ぎる。
それともう一つ、今回は動物実験だったが、これでは不十分だ。戦闘に使うなら当然人体実験が必要になる。
つまり人間を対象にして殺戮してみない事には、その真の性能はわからないと言う事だ。
なら必ず何処かで人体実験をするはずだと鳴海は思っていた。それで各地の戦場の状況を調べてみたが、まだその様な報告は上がって来てなかった。
いくら戦場を離れたとは言え、「イエロードラゴン」だ。今でも各地の戦場には情報網を持っている。今の所その様な存在は確認されてはいない。
すると実用化はまだと言う事になる。しかし何処かで必ず人体実験はするだろう。そうでなければ安心して戦場に投入する事は出来ない。
「すると何か。その人体実験の場所と言うのは日本なのか?」
そんな疑問が沸き上がってきた。
しかしそれには少し無理があるような気がする。何故なら普通の一般人を相手に実験しても仕方がないと言う事だ。
少なくとも反撃能力のある対象でないと。そうなると日本でそれに相当するのは警察官と自衛官と言う事になるが、これは流石に無理があるだろう。
そんな事が表沙汰になったら、国と国との関係にひびが入る。流石に向こうもそこまでのリスクは負わないだろう。それ以外となると。
「そうか、あれがあったか」と鳴海は思った。
つまり日本にはまだ非合法の組織がある。それにそこならそれなりの反撃もするだろう。まぁ、軍隊に匹敵するとは言えないが。
つまりそれはやくざ組織だ。仮にこれを殲滅したとしても、警察はそこまで執拗な捜査はしないだろう。そんなもの無くなればいいと思ってるのだから。
なら彼らがもし人体実験をするとしたら、やくざが危ないと言う事になる。
この事も含めて鳴海は、横浜におけるロシア人の動向と、やくざ組織に異変はないかどうかと言う事で、梶木組に情報を集めさせた。
もし海産物を装って魚の卵に似た特殊ホルモンが日本に持ち込まれ、それを何処かで精製するか、何かの薬品を加えて人体強化薬を作っているとしたら。
もしそれに気づいた関係者がいたら、口封じの為に殺されても可笑しくはないだろう。しかもその狙撃手がロシアの工作員だと言う事もうなづける話だ。
「なるほど、少し話が見えて来たな」と鳴海は思った。
ならばする事は二つだ。その海産物の輸入後の足取りと、ロシアサイドの加工工場、及びその根源の摘発だろう。
鳴海はロシアの方はリンに任そうと思っていた。そして鳴海は、島本貿易から先の流れを調べてみる事にした。
基本的に輸入されたロシアの海産物は、ロシア系の卸問屋を通して、町のロシア系の小売店に卸される様だ。
問題はそれらの何処でこの特殊な薬に関与しているかと言う事になる。
恐らくは卸段屋が何らかの形で絡んでいる事は間違いないだろう。それが一般の手に渡ると困るのだから。かと言ってそこが直接関与してるとは考えにくい。
そうなるとやはり小売店の何処かと言う事になりそうだ。それも分散しない様にその特殊な魚の卵を買い付けなければならない。
まぁ、その辺りは卸問屋とナァナァでやっているんだろう。鳴海はそれを探る事にした。
横浜でもロシア人が多い所と言えばやはり中区だろう。そこは中華街とも接する、だから中華街がざわついていると言った言葉もうなづける。
梶木組から上がって来た情報と照らし合わせて、鳴海はある店に絞り込んだ。
他にもあるかも知れないが、ともかくはここだ。それにトップシークレットであればあるほど、関与する人間は少ない方が秘密の漏洩は少なくなる。
丁度同じ頃、一つのやくざ組織が襲撃されたと言う情報が舞い込んで来た。ただそれは横浜ではなく東京のやくざ組織だった。
『五泉会』の情報によれば、100人ほどの組員を擁する組織だと言う事だった。
始めは『やくざ狩り』がまたやったんだろうと言う情報が流れた。しかし今回は違うと皆思ったそうだ。
何故ならそれは、そのやり方だ。『やくざ狩り』はまだ殺しはやってないが今回は皆殺しだった。
それも壮絶な殺し方だったとか。とても人に出来る殺し方とは思えないと言っていた。
手足をもぎ取られた者、内臓を引き裂かれた者、首の骨をへし折られた者と、まるで途方もなく大きな猛獣が暴れた後の様だったと言う話だ。
全員殺されてる為、目撃者はいない。中にはドスを抜いて歯向かった者達もいたそうだが、そのドスはみんな圧し折られていたらしい。台風一過の様相以上のものだったと言う者もいた。
鳴海は
「いよいよ、始めやがったか」
と言った。そしてこれは恐らく手始めに過ぎないだろう。
死んで直ぐならまだ脳の記憶を探れるが、今となっては遅い。それにもう既に警察の手も入ってるだろう。今更のこのこと出向く訳にもいかない。
次の情報を待つと共に、鳴海は鳴海でそのロシアの店の調査を始めた。海産物の輸入品は毎日入って来る訳ではない。だから輸入した日からの流れを追った。
すると最終的には商品の一部がその店に流れ、そこから更に配達の様な形で、店主が横浜市内にある会社に届けに行っていた。
その会社はごく普通の商事会社の様な形を取っていたので、その商品、イクラの瓶の詰め合わせで商売しようと言う様な所ではなかった。
では食料品か持ち帰り用かと言う事になる。しかしその為にわざわざ店主が届けに来ると言うもの妙な話だ。
鳴海がその会社を気のセンサーで透過してみると、どうやらそこには地下室があるようだ。それも結構広い。そしてそこには色々な機材が持ち込まれていた。
「なるほど、ここか」
鳴海は後でここを調査してみようと思い、会社が終業して、人がいなくなった頃を見計らって、その会社に侵入した。
地下への出入り口は精巧に偽装されてあって、普通の人間ではまず見つける事は出来なかっただろう。しかし鳴海に取っては素通しのドアの様な物だ。
そこから階段を下りて地下の部屋に向かった。扉は鉄製の分厚い物だった。
しかも暗証番号式の物だったので、簡単には開きそうもなかった。しかしこれも鳴海にはないに等しい。
そのドアを開けて中に入った。そこは何かの実験室の様な所だった。最新の電子機器や計器と共に病院の様な設備もあった。
「なるほどここで薬の精製と、投与の実験をしていたと言う訳か」
鳴海がそれらの計器を調べていると、パラパラと数人の警備員の様な者達が銃を手に入って来た。
「きさま、そこで何をしてる。どうやってここに入った」
「あんた達こそ何だ。いくら警備員だと言っても、日本では拳銃の所持と使用は認められてないはずだが」
「うるさい。正直にしゃべれ。でないと死ぬ事になるぞ」
「随分と物騒な所なんだな、ここは。そんなにイクラの瓶詰は大事な物なのか」
「何だと。何を言っている、きさまは」
「だから人間兵器を作る材料はそんなに大事なのかと聞いているんだよ」
「やはり死んでもらうしかない様だな」
そう言って全員が鳴海に向かって拳銃を発射した。しかしその時には、鳴海は彼らの視界から消えていた。
そして一番右端にいた者が最初に弾き飛ばされて壁に激突した。そして次から次へと同じ様に弾き飛ばされて行った。鳴海の前では拳銃など子供の玩具程度でしかなかった。
「では聞かせてもらおうか、ここで何をやっている」
その時もう一つの部屋の扉が開いて、一人のロシア人と白衣を着たこれもまたロシア人の医師の様な者が入って来た。
「これは何の真似ですか」とその医師は日本語で言った。もう一人のロシア人は見るからに屈強そうな肉体を持った男だった。
ただこの男は日本語は話せない様だ。そこで鳴海がロシア語で、
「お前か、シベリアでロシア狼を殺したのは」と言った。
「ほー、ロシア語が話せるのか。それは便利だ。そうだ俺だ。そしてお前もそうなる」
「なるほど、お前がロシアの作った人間兵器と言う訳か」
「お前は何処まで知ってる。俺達の事を」
「お前をバラシて見れば、もっとよくわかるだろうよ」
「面白い事を言う奴だ。お前はまだ真の恐怖と言うものを知らない様だな。ではそれを今から見せてやろう」
そう言って男は一錠のカプセルを飲み込んだ。するとはち切れんばかりだった筋肉が更に膨らんだ。
「なるほどな、お前は筋肉馬鹿と言う訳か」
「軽口を叩いていられるのも今のうちだ」
そう言ってその男は鳴海に向かって突進して来た。鳴海は横にあった金属の折畳み式の椅子で横殴りに一閃した。しかしへしゃげたのは椅子の方だった。
「ほーそこそこには丈夫なんだな」
「お前も直ぐにその椅子の様になる」
「ふん、口も筋肉並みか」
「ほざけ、死ね」
渾身の右パンチを鳴海に当てようと打ち出して来た腕を、鳴海はまるで飛んで来た邪魔なハエでも払う様に、左手でいなして、そしてそれに右手を添えて投げた。
その動きはあまりにも華麗で一片の無駄もなかった。本人は何をされたかもわからなかっただろう。そして地響きと供にその男は壁にめり込んでいた。
しかし流石は試験体だ。これくらいでは倒れない様だ。埃を払いながら立ち上がって来た。そして男は不適な笑いを浮かべながら、
「初めてだぜ、この俺を投げ飛ばした奴はよ」
「そうかい、それはいい経験が出来たな。俺に感謝するんだな」
「ああ、そのお礼にミンチにしてやるよ」
それからは獰猛なヒグマの嵐の様な攻撃が続いた。しかし鳴海には掠り傷一つ負わせる事は出来なかった。
「お前さ、戦闘能力と言う物を誤解してないか。力だけが全てだと思ってるだろう。下等な奴の考え方だ」
「そうかよ。ならこう言うのはどうだ」
そう言って両手を顔の前に持ち上げ、力を集中している様だった。すると十指の爪が伸び、まるで猛獣の爪の様になった。なるほどこれなら狼の腹も引き裂けるだろう。
「器用な事が出来るんだな」そう言った所に爪の攻撃が襲って来た。
それをかわしながら、前方に回転して、倒した警備員の持っていた拳銃を拾って、その男に向かって撃った。しかし弾は表皮で弾かれてしまった。
「むだだ、俺の筋肉はそんな弾丸など通しはしねーよ」
「なるほど、自分の力に自惚れる訳だ」
「ぬかせ。お前にはもう、死以外の選択はねーんだよ」
そう言って近寄って来た男の懐に、鳴海はいつの間にか入り込んでいた。
そして片手の手の平を男の胸にあてがって浸透勁を放った。男はまた壁まで飛ばされた。しかし今度は簡単には起き上がって来れなかった。
「何をした。きさま」
「知らんのか。それは浸透勁と言う技だ。表面ではなく内部に浸透する」
「な、何だと」
「少しは武術も勉強しろ。それでは秘密兵器どころか傭兵にもなれんな。そしてこれで終わりだ」
鳴海は尻餅をついている男の頭を両手で挟んで、両側から再びその浸透勁を放った。
恐らく内部の脳はぐちゃぐちゃになってしまっただろう。即死だった。どんな人間兵器も『戦場の死神』の敵ではなかったと言う訳だ。
「さて、では話を聞かせてもらおうか、ドクター」
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