第64話 ロシア狼3

 今回は警視庁の刑事課も騒然としていた。最近不可解な事件が多いが今回は特別だった。そもそもこんな事が人間に出来るのかと思ってる刑事も多かった。


 むしろ何処かの動物園から猛獣が逃げ出して、これをやったと言う方がまだ理解出来る。それほどの事件だ。鑑識も法医学の方でも解明不能と言う体だった。


 毎朝新聞の朝巻も一報を聞いて現場に駆けつけ、情報を拾い集めている内に、これは一体何なんだと思った。


 こんなもの報道出来るのかと。人としての常識を外れている。そもそもこれは殺人なのか。それとも猛獣による事故か災害か。そう言う問題の事件じゃないのか。


 もしこれを人間がやったとすると一体どうやって。いやそんな事の出来る人間がこの世にいるのか。


 ただ一つ猛獣の仕業でないと思えるのは刀が全て圧し折られている点だった。流石にこれは猛獣ではやらないだろう。


 警察の記者会見でも実に歯切れの悪い発表でしかなかった。普段なら突込みをいれる記者達ですら、仕方ないかと言う表情をしていた。


 ただ不幸中の幸いと言えるのは、一般市民に被害がなかったと言う事だ。しかし数十名のやくざが惨殺された事に変わりはない。これは立派な殺人だ。いや、途方もない殺人だと言っていいだろう。


 流石の朝巻も、これを鳴海に関連付ける気にはならなかった。それはいくら何でもないだろうと。


 何処の新聞も怪奇殺人事件として扱っていたが、その真相に近づいた所は何処もなかった。


 それは官邸でも同じだった。流石に今回だけは理解不能と言う感じだった。


 内調の松前根彦も今回は何の情報もないと言っていた。無論これは鳴海の仕業ではない事はわかっていた。あいつがこんな事をするはずがないと。


 理解不能な所はあるがあいつは知能犯だ。こんな力任せの犯行はしない。それが松前の結論だった。では誰がやったのかと言う事になる。それも常識外れの方法で。


 これがもし戦力の一つだとしたら、それは恐ろしい戦力になる。松前はそちらの方を恐れていた。


 もし我が国の反対勢力か、もしくは海外からのテロの仕業だったとしたら脅威だ。


 勿論テロ集団がやくざを狙うはずがない。だからと言って無視出来る問題ではなかった。だからこれは何が何でも真相を解明しなければならないと思っていた。


 鳴海は今回の件に関わっていたドクターから、その内容を聞き出した。


 もし鳴海がロシア語を話せなければ、それこそ知らぬ存ぜぬを決め込めたかも知れないが、ここまで完璧なロシア語を話されてはそれも難しい。


 それ以前に、この男の力を見せ付けられた後では、逆らう気さえ失せていた。


 我が国の最強の人間兵器だと思っていたものをこうもあっさりと破壊されてしまったんだ。それは反抗心も失せるだろう。


 このドクターはドミトリー・バシレンコと言うらしい。この研究チームの一人だと言った。


 そもそもこれは地下の秘密工作員組織の中で生まれたアイデアーだった。それに一部の機関が協力してこのプロジェクトが立ち上がったそうだ。


 基本的には人間の持つ潜在能力を極限まで発揮させる為の薬を開発する事だった。それが今回発見された特殊ホルモンだ。


 ただこれだけではまだ不安定なので、このホルモンを吸収した後に、もう一種類の薬剤を混ぜて安定させる事になっていた。


 さっきこの男が口にしたカプセルがそれだと言う。この効能の持続時間は30分だそうだ。


 ただ今はまだ副作用があり、フルに活用すると使用後しばらく動けなくなると言っていた。


 そこはまだ改良の余地のある所だが、それも近いうちに何とかなりそうだと言った。


 今回の試験体は3体だった。今の所それが全てだ。ただ母体となったオリジナルが一体いるそうだ。つまり全部で4体と言う事になる。


 今回鳴海が一体を破壊したので残りは3体だ。日本にはこの1体が来ているだけだで残りはロシアだ。ただ対人間実験として何処かの国でその実験をしてる可能性もあると言っていた。


 と言う事は今頃、リンもウラジオストックの何処かで、この人間兵器と戦っている可能性もあるなと鳴海は思った。


 鳴海はウラジオストックの工場の場所を聞き出したが、流石に地下組織の場所はこのドクターも知らなかった。まぁ、それはいい。いずれけりをつけてやると鳴海は思っていた。


 そしてこんな物騒なものはない方が良い。鳴海はドクターを含めここの関係者全員を殺し、機械を破壊し、焼却して地下室を封印した。


 地下の部分はこれで終わったが、地上の部分がまだ残っている。それはつまり島本貿易と卸業者と店の主人だ。『戦場の死神』になった鳴海に容赦はない。


 ただ島本貿易に関しては、何も知らずに輸入していたかも知れない。そしてたまたま秘密を知った黒蜜洋介が殺された。そう言う事ではないだろうか。


 そこで鳴海は卸業者の主人は心臓麻痺、店の主人は交通事故で葬った。これを事件と関連付ける者は誰もいないだろう。


 鳴海が日本でこれだけの事をしている時に、ウラジオストックでもリンが成果を上げていた。


 鳴海がドクターから聞いた工場の場所をメールで送った時には、リンも既に同じ所に目をつけて乗り込んでいた。


 そこでの戦いでリンはもう一人の人間兵器を倒した。そしてその工場を壊滅して引き上げて来た。勿論証拠を残す様なへまな真似はしなかった。


 帰って来たリンに、鳴海はご苦労さんと言った。


「向こうの供給源は叩いてきましたが、大本の組織はわかりませんでした。それでこれからどうします」

「そうだな、後は向こうの出方を待ってみるか。ここまで出先を破壊されたんだ。向こうだってこのままで引き下がりはしないだろうさ」

「そうですね」


 供給元を断たれた島本貿易は、その後の海産物の輸入が出来なくなった。


 それはそだろう。組織の力で優先的に入荷させてもらっていたんだ。その補給が止まれば商売も止まる。


 ただ今回の壊滅的なダメージを受けた組織では、何故こうなったのかと言う事を検討していた。


 破壊されたのは日本の支部とウラジオストックの支部だ。それはお互いに関連し合っている。


 ウラジオストックなら統制が効く。我々を敵に回してこんな事をする組織はない。しかし日本は別だ。


 向こうで支部が破壊されたとなれば、その根源はやはり日本にあると見るのが妥当だろう。


 そしてウラジオストックの支部を壊滅したのもまた日本から送り込まれた工作員だろうと結論つけた。


 ただ疑問は残る。日本にそれだけの能力を持った工作員がいるのかと言う事だ。


 日本の内調には情報収集しか能力がない事はわかっていた。しかも世界の情報戦で対抗出来る様な能力は持ってない。まして非合法工作員など皆無だ。では何処の誰がやったのかと言う事になる。


 そこで組織は一人の男を日本に送り込んだ。身分はロシア大使館付きとして。彼の名前はアレキサンダー・ソロノフと言うが、組織では『ゲゾン』と呼ばれていた。ドクター・バシレンコが言っていた人間兵器のオリジナルだ。


 ゲゾンは通訳と道案内を兼ねて、大使館の中の外務事務官ニコライと一緒に行動していた。


 このニコライもまた組織の工作員の一人だ。ゲゾンが最初に手をつけたのはやはり島本貿易だった。


 何らかの形で秘密が漏れるとしたらここしかないと思っていた。そしてここの課長、黒蜜洋介を狙撃したのはこのニコライだった。


 彼らは島本貿易の社長島本を拉致して、保土ヶ谷の狩場町にある森林の中の小屋に連れて行った。そこで拷問を始めた。


 島本は決して意思の強い男ではないし、こんな事に耐えられる男でもない。だから知ってる事なら直ぐに喋っただろう。


 しかしいくら攻められても知らないものは言いようがなかった。だから泣きながらもう止めてくれと悲願したがそれでも許されなかった。


 結局島本はあまりの苦しみの為の最後には悶死してしまった。


「こいつは知らなかったと言う事か」


 ゲゾン達に取ってこれくらいの事はいつもの事だった。知らなければ死ぬだけ。それ以外の認識はなかった。


 この事は後日、近隣の者が発見して警察沙汰になった。今度は島本貿易の社長が殺された。しかも拷問を受けた形跡があると言う。


 先日は課長の黒蜜洋介が狙撃されたばかりだ。どちらも普通の殺され方ではない。この二つの事件に関係があるのかどうか。恐らくはあるだろうと捜査陣達は見ていた。


 だから警視庁と神奈川県警で合同捜査と言う形になった。最初の事件を担当した長谷部と吉住刑事もこの捜査に参加していた。


 ただ残念な事に、最初の黒蜜洋介が狙撃された事件も、その後の捜査に進展がなく暗礁に乗り上げていた。


 ただ今回の事件を合わせて見ると、以前にはわからなかった背景が見えてくるかも知れないと長谷部は思っていた。


 もし以前の狙撃が口封じだとしたら、今回の拷問はどう言う事になる。あの口封じではまだ足らなかったと言う事か。


 更に情報が漏れていて、それを誰が何処に漏らしたのかを聞き出すための拷問だったとしたら。長谷部はそう考えていた。


 だとしたらやはり島本貿易には何かしらの秘密があると言う事になる。


 二人も死人が出たと言う事は、個人よりも会社そのものに原因があるかも知れないと長谷部は思っていた。


 そう言えばあの男、鳴海と言ったか。あの時おかしな事を言っていたな「ロシアですか」と。この事件、ロシアと何か関連があるんだろうか。


 その事が気になって、長谷部と吉住はロシア関連の事項を調べてみた。するとおかしな事がわかった。


 島本貿易が海産物を卸していた卸業者の主人が心臓発作で病死していた。病死なら事件との関わりはない様に思えた。ただ問題はその卸業者から商品を購入している一つの店舗の主人が事故死していた。


 その二件には事件性はない。しかしだ、島本貿易を頂点として中間業者、末端業者と一本の線で繋がってないか。そしてそれぞれの所で死人が出ている。これは偶然と言えるだろうか。


 もしこの二件が病死、事故死でなければ事件がもっとはっきり見える来るんだがと長谷部は思っていた。


「いや、待てよ。何も事件性がないと考える必要もない。死因が何であれ、もし事件性があると考えたらどうなる。それぞれの所で何かやばい物を扱ってた。いや上から下に流していたとしたら。それを良く思わない誰かがリンチにかけて後始末をした」


「しかしな、それでは時系列が成り立たん。中間業者、末端業者も島本社長が拷問を受ける前に死んでいる。これをどう説明したらいい」


 長谷部の推理は、それぞれの所で犯行の動機と犯人が違っていたが、全体としては間違ってはいなかった。


 このニュースを知った鳴海は、これは地下組織の工作員の仕業だろうと思っていた。


 恐らくウラジオストックと横浜の基地を誰が潰したか。その解明の為に島本を拷問にかけた。多分そんな所だろう。


 敵がこっちに来たのなら、こっちも反撃の態勢を整える必要がある。そこで鳴海はリンを東京に呼び寄せた。


 向こうは既に2体の実験体を潰されている。と言う事はそれに匹敵する相手がこちらにもいると知ったはずだ。


 だとすればの残りの2体をこちらにぶつけて来る事は十分にある。もしくはドクターが言っていた最強のオリジナルだけを送り込んで来るかも知れない。


 島本貿易は小さな会社だがまだ社員は何名かいる。なら今度は彼らが狙われる可能性もあるだろう。可能性は少ないがゼロではない。


 そこで鳴海は彼らにブックマークをつけておいた。これで何かおかしな動きがあればわかるだろう。


 やはり反応はあった。一人が急速な移動状態に入った。これは車に乗せられたと言う事だ。待機していた鳴海とリンが鳴海のGT-Rで追いかけた。


 車は東神奈川の海岸線の倉庫に入って行った。今度はそこでリンチにかけて吐かせるつもりだろう。鳴海がサンサーで探った所、中には人質と後二人いた。


 鳴海とリンは前後に分かれてその倉庫に入った。


「もうそれ位にしたらどうだ。お前達の基地を潰したのは俺達だ」

 と鳴海がロシア語で言った。


「ほーロシア語が喋れるのか。それは話が早くて良い。お前達は何処の工作員だ」

「何処の工作員でもない。通りすがりの者だ」

「冗談はいい加減にしろ。工作員でない者にあの二人が殺せるか」

「ああ、あの不完全体の事を言ってるのか。あれはまだ商品としては欠陥だらけだ」

「欠陥だらけだと、馬鹿な事を言うな。もう完全に使える状態になっていたはずだ」

 とニコライが言った。


 そこに裏口から入って来たリンが加わった。そして『ゲゾン』の顔を見て驚いた。リンにしては珍しい事だ。滅多に感情を表に出さない男が。


「お前だったのか『ゲゾン』」リンもロシア語で言った。

「何だ、俺を知ってるのか」

「ああ、良く知ってるとも。俺の部隊を殲滅してくれた上に、俺の親父を殺した張本人だからな」

「知らんな。殺した者などいちいち覚えてはおらん。何しろ数が多過ぎてな」

「そうか、なら今度はそっちの側に入るんだな」

「リン、そいつはお前に任せる。こっちの奴は俺が遊んでやるよ」


 そう言って二組に分かれた。


 対峙した途端、ニコライはいきなり拳銃で撃って来た。しかしその弾は鳴海を外れ、鳴海の気弾によって、ニコライは反対にふっ飛ばされた。しかしそれでもまだ銃を握っていたのは大したものだ。


 立ち上がったニコライは鳴海に狙いを定め、残りの弾丸全てを撃ち尽くしたが、それでも鳴海には傷一つつける事が出来なかった。


「お前は、化け物か」

「それは違うな。俺は『戦場の死神』だ」

「何だと、ま、まさかお前があの『イエロードラゴンの鳴海』だと言うのか」


 ニコライがそう言った時、鳴海の手にはデザートイーグルが握られていた。そして銃声一発。ニコライの額には大きな穴が開いていた。


 対するリンはゲゾンと向かい合って。一体何年こいつを探していた事か。「仇は今取ってやる」


 ゲゾンが自動拳銃を速射をして来た。しかしその弾は鳴海と同じ様に全て外れて行った。


「面白い事をするんだな、お前達は。お前達に銃は効かんと言う事か。それならそれでいい。二人共確実に仕留めてやろう」


 そう言ってゲゾンは自分の拳で床を打った。そるとその衝撃で床がひび割れ、その衝撃波は正面のリンを襲った。リンは震脚でその衝撃波を相殺した。


「ほうーそんな事も出来るのか。面白くなってきたな、楽しみ甲斐があると言うものだ」


 そして二人の壮絶な戦いが始まった。打ち蹴り投げ、全ての技術を駆使して二人はお互いをつぶし合った。だが、とゲゾンは思った。


「この男とは互角だ。しかしあの男は何だ。仮にこいつを倒してもまだあの男がいる。2対1ではちょっと不利か。今日の所は引いておくとするか。あの男はこの男の後ろにいる。逃げるなら今だ」


 ゲゾンは目も止まらぬ様な鋭い蹴りを、地面からリンの脳天に向かって蹴り上げ、その反動で後ろに空中回転してそのまま逃走に入った。もう少しで出口と言う所でゲゾンは急ブレーキを掛けた。


「何故お前がここにる。お前はあの男の後方にいたはずだろう」


 ゲゾンは鳴海の蹴りによって20メートル後ろまで蹴り戻された。普通の人間なら内臓破裂で死んでいただろう。


 だが流石はゲゾンだ。ダメージはなかった。ただしこれは鳴海が殺すつもりの蹴りを出してなかったからでもあった。


 ここはリンに譲ったんだからと普通の蹴りで戻しただけだった。


「お前達の勝負はまだついてないんだよ。途中で逃げるな、馬鹿め」

「何て言う奴だ。こいつは。どうしても生き延びたければこいつ等を倒すしかないと言う事か。まてよニコライの奴が、『イエロードラゴンの鳴海』と言ってなかったか。そしてこいつがリンだと言う事は、こいつらはあの地上最強の傭兵コンビと言われた『ツイン・ドラゴン』だと言うのか。馬鹿な」

「では始めるか、ゲゾンよ」


 そう言ってリンは静かに構えた。全身神経を一点に集中する様に。その時リンの体が薄く青い光を帯びていた。リンの最高の技、ドラゴン・オーラー・ブラスターを出そうとしていた。


 ゲゾンは身体を鋼鉄化してリンに向かって行った。この状態になったゲゾンにはどんな武器も効かない。


 そのゲゾンに向かってリンは左右の指を合わせてドラゴン・オーラー・ブラスターを撃った。


 指先から放たれたドラゴン・オーラー・ブラスターはゲゾンの身体を突き破って大きな空洞を作った。


 竜をも殺すと言われたこのドラゴン・オーラー・ブラスターの前には如何に超人間兵器と言われたゲゾンと言えども敵ではなかった。


「そうか、今日は俺の災厄の日だったか」


 そう言ってゲゾンは倒れた。そして二度と起き上がって来る事はなかった。


 鳴海の脳の記憶精査によって、セルゲイ・アナトリェビッチの父親を殺したのもこのゲゾンだったと言う事がわかった。


「待たせたな親父、そしてセルゲイ。今度こそ本当に安らかに眠れ」

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