第72話 大槻源蔵
『ライドラ』に関してはあれから色々と変遷があったのだが、その事はいずれまた話すとして、あれからしばらくの歳月が流れた。
久し振りに鳴海が社長室の自分の椅子に座っていると、大女優の太井峰子が珍しく神妙な顔付きで入って来た。
「どうした、峰子さん。沈んでいるようだがまた何かあったのか」
「まぁ、そうなんだけど。実はお願いがあるの」
「何だい、そのお願いと言うのは」
「ただね、これは正直どうしようかと迷っているのよ」
「へーあんたで迷うような事があるのかい」
「馬鹿にしないでよ。あたしにだってあるわよ、それくらい」
「で、その悩みってなんだい。俺に出来る事か」
「かもしれないし、出来ないかもしれない」
「ほー俺に出来ない事ね」
「そうは言わないけど、相手がね、大物なのよ」
「大物って、まさかこの国の総理大臣とか言うんじゃないだろうな」
「それならまだいいかも知れないわ」
「何だい、それは」
「相手はね、大槻源蔵と言う男なの」
「ほー、その名前があんたの口から出るとはな」
「知ってるの」
「詳しくはしらんがな」
「大正、昭和、平成と生き抜いて来た日本のドン、政財界の黒幕、影の総理とまで言われる男よ。今でも総理大臣の首を挿げ替える事くらい簡単に出来るそうよ」
「ほーそれはまた大物だな」
「そんな大物とあんたとどんな関係があるんだ」
「あたしじゃないの助けて欲しいのは。あたしの兄なの」
「あんたの兄さんね。じゃー詳しい話を聞こうか」
実は峰子も峰子の兄、連星も、大槻源蔵の三人目の妻の子供だと言う。
そして峰子は、源蔵にアクセサリーの様に扱われるのが嫌で逃げ出して芸能界に入ったらしい。
ともかく有名になりさえすれば世間の注目も浴びるので、源蔵も中々手を出し難くなるだろうと思ったそうだ。
なるほど、太井峰子と言う女優が力を持ってるのも、そう言う所に原因があるのかもしれなないなと鳴海は思った。
ただ兄の連星は、小さい時から大槻源蔵の下働きの様な形で彼の家に囲われ、大きくなってからは彼の闇の部分の仕事をさせられているようだと言う。
その兄を大槻源蔵の手から救って欲しいと言う願いだった。なるほど、峰子の話は理解したが、果たして峰子は自分の母親の事を何処まで知っているのだろうかと思った。
まだ生きている事を知っているのか、それとも先妻達の様にもうこの世にいないものだと思っているのか。
今峰子に母親の事を話しても根本の問題が解決しないと何もならないだろうと考えた鳴海は、敢えて峰子に母親の話は持ち出さなかった。
ただ問題は、もし峰子の兄が闇の仕事をしているとなると例え手を切らせたとしても、普通に生きて行ける道があるのかと言う事だろう。
しかももし峰子の母親が言っていた事が本当だとしたら、人として生きて行けるかどうかも怪しくなって来る。
そして峰子は更に恐ろしい事を言った。救うのは兄の命を絶って救って欲しいと言った。しかしそれは幾らなんでも滅茶苦茶だろう。鳴海に人殺しをしろと言ってるのと同じだ。
それはどう言う事かと聞くと、今の兄は人ではないかも知れないと言った。
大槻源蔵に何か特殊な事をされて人でなくなってると言う。つまりそれは、大槻源蔵の影の存在として特殊な殺人鬼になってしまったと言う事だ。これは峰子の母親の話とも合致する。
最後に峰子が兄と会った時は、もう本人の意識すら薄れかかっていたらしい。
最後の願いだ。俺を殺してくれと言って兄は去ったと言う。言ってみれば、それが峰子の兄の最後の遺言だったのかも知れない。
峰子にも、今の兄がどう言う状態になってるのかはわからないが本人がそう言う位だから、きっと苦しんでいるのだろうと言った。
今の峰子の兄がどう言う状態なのか、それを知る事がまず第一だろう。どうするかはそれからだなと鳴海は思った。
「話はわかった。何が出来るかはわからんが、出来るだけの事はやってみよう」
「本当に、やってくれるの。でも今度だけは相手が相手だから大変よ。死なないでね」
「おいおい、それを承知で俺に頼むのかよ。やっぱりあんたは女狐だな。ただし依頼料はきっちりもらうからな」
鳴海はまず法務大臣の米山に連絡を取った。
「米山さん。久し振りだな。元気だったかい」
「あんたか、一体、何の用だね」
「まぁ、そう警戒する事もないさ、ちょっと教えてもらい事があるだけだ」
「一体、何を知りたいのかね」
「大槻源蔵と言う人物についてだ。知ってる事を教えてもらおうか」
「大槻源蔵だって、それは・・・」
流石の法務大臣も言葉が詰まってしまった。
「どうした。たかが一人の年寄の事だ。そんなにびっくりする程の事もないだろう」
「冗談じゃない。あんたはあの方の恐ろしさを知らないんだ。我々がおいそれと口に出来る方ではないんだよ」
「そんなに怖いのかね」
「ああ怖い。あのお方の機嫌を損ねたら、例え総理大臣と言えども簡単に首を挿げ替えられてしまう。それだけじゃない。生きている事さえ難しくなる」
「それはどう言う事だ」
「あのお方は恐ろしい力を持ってる。逆らった者や意にそぐわない者は知らない内にこの世から消えている。そう言うお方だ」
「それでは、あいつが動かしてる裏社会の勢力はどれくらいだ」
「特には無いが、全部だと言っても良いだろう。ともかくやれと言われてそれを拒める裏社会の組織はないと言う事だ。だから下手をするとあんたも日本中の裏社会を敵に回す事になるかも知れんと言う事だ」
「なるほどな、それでうかつな事は言えないと言う事か」
「そうだ。わしに言える事はここまでだ」
「わかった。ではそのおっさんの居場所を教えてもらおうか」
「どうする気だ。まさか敵対しようと言うのか。いくらあんたでも、どうなるかわからんぞ。あそこには人間以上の者がいると言う噂だ」
「それは楽しみだな」
そう言って鳴海は電話を切った。
太井峰子がこの話を持ち込んで来る少し前に、長らく失踪していたマネージャーの坂崎が死体で発見されたと言う報道があった。
しかもそれは、見るも無残な猟奇的殺人だったと言う話だ。
坂崎は長らく海外を転々として逃げ延びていたようだ。しかし逃亡資金も尽きたのと、もうそろそろいいだろうと思って日本に帰った所を殺された様だ。
警察でも色々な話が出来たが、いつの間にか暴力団によるリンチ殺人と言う事で事件がうやむやになってしまった。
太井峰子のマネージャーの坂崎の件も、当然峰子の売春に絡んだ事だ。
だから鳴海は『勇源会』と『五泉会』とに、坂崎に関して手を下したかと聞いてみた。
どちらもそんな事はしてないと言う返事だった。確かに『勇源会』は坂崎を少々手荒く扱って、喋らせる事はしたがその後は解放したと言った。
だとすると、この二つのやくざ組織以外の仕業と言う事になる。しかも猟奇殺人だ。
鳴海には、峰子関連でこの件に関わってくる人物となると一人の名前しか浮かび上がって来なかった。
それは大槻源蔵と言う人物の名前だ。しかも警察にも影響を与える事が出来る人物となるとそこに辿り着いてもおかしくはないだろう。
「さて、どうしたものか。小競り合いはあったが、本人にはまだお目にかかってないしな。一度は相手の顔を見ておくのも悪くはないだろう」
そう言って鳴海は目白に向かった。住所は米山から聞いていた。
そこは目白御殿と呼ばていた。それなりの大きな館なんだろう思っていたが、行ってみると確かに立派な門構えだ。
それにそこから中の母屋に宿り着くまではかなりありそうだ。それこそ山梨の鳴海の実家に近い感じだった。
「さて、いきなりやって来たんだ、案内を乞ったところでそう簡単には入れてはくれないかも知れないが、まぁ物は試しだ、やってみるか」
そう言って鳴海はインターホンを押した。
「どちら様でしょうか」と言う慇懃な声が聞こえた。
「俺は鳴海と者だが、太井峰子のマネージャーの件で、大槻源蔵氏に会いたいのだが、取り着いてもらえるだろうか」
「少々お待ちください」
そう言って声は消えた。さてどうするのかなと待っていると
「どうぞ、中にお入りください」
と潜り戸が勝手に開いた。
「なるほど自動ドアか。爺さんにしては結構進んでるじゃないか」
鳴海が中に入ると既に2人の男が待っていた。こいつらは何処から来たんだろうと思った。
母屋はかなり向こうだ。すると右手に小屋の様な物があった。
「なるほど、ここが門番の小屋と言う訳か」
と鳴海はその二人について行った。
かなり歩いてやっと母屋に辿り着いた。しかしその間、4匹のドーベルマンを押さえてる者達がいた。
普段だとここにはドーベルマンが放し飼いにされているんだろうなと鳴海は思った。そう言えばうちの家にもこの犬がいたなと思いだした。
どうやら正面からではなく横の庭園に向かうようだった。広い庭だ。日本庭園にしてあった。そこの接待用の広場に行ってみると、一人の老人が椅子に座っていた。
大正10年生まれと言うから、既に100歳に近い歳のはずだが、さほどしわもなく、まだまだ綽綽としていた。
一体この爺さん、何を食ってるんだろうと鳴海は思ったほどだった。
「お前さんかね、鳴海と言うのかね」
「ほー俺の事を知ってるのか」
「きさま、何と言う口の利き方をしておる。場所をわきまえろ」
ここにもうるさいのがいるもんだと鳴海は思った。
「わしもまだ耳はいい方でな。色々と話が入ってくる」
「そうかい、黒い御仁辺りからかな」
「それもあるが、お前さんが世界最強の傭兵だと言う事は知っておるよ」
「そうかい、それなら話が早くていい」
「おい、お茶の用意をしろ。中に行こうか」
家人たちは驚いた。総理大臣が来てもお茶を出す事のなかなった主人がお茶を出せと言う。
「俺はここの方が楽でいいんだがね」
「まぁ、いいだろう。ここにお茶を運べ」
「畏まりました」
「どうだ、わしと組まんか」
「爺さんと組んだら何か良い事でもあるのかい」
「この日本を牛耳る事が出来るぞ」
「日本をね」
「お前さんは、今は世界最強の傭兵かも知れん。しかしいずれは年を取り、体力も衰え、世界最強ではなくなる。そうなると追われ、命を落とす事にもなるだろう。だがな権力を持てば年は関係なくなる。わしを見てみろ。この歳で、今でも総理大臣が挨拶に来よるよ」
「それで俺にもその道を歩めと」
「そうだ。それにお前にはその資格がある」
「資格ね。俺はそんなかったるい事は好きじゃないんだがな」
「これはおまえの為に言っておる」
「そうかい。一応礼は言っておくよ」
「ところで太井峰子のマネージャーの件だが、何で爺さんが関与するんだ」
「わしが関与したと言う証拠でもあるのか」
「そんなものはないさ。そんな証拠を残すようなあんたでもないだろう」
「ではどうしてわしだと」
「まぁ、言ってみれば俺の勘だ。しかし俺の勘は良く当たるんでな」
「そんな事でここに来たのか。ここが何処かわかって来てるんだろうな」
「爺さん、勘違いしてないか。あんたがどれだけ、この国で力を持ってるか知らんがな、戦場では糞の役にも立たないって事をよ」
「なるほど、お前には何の脅しにもならんと言う訳か」
「そう言う事だ。俺はその戦場で生きてきた人間だ。あんたの権威も力も脅しも俺には効かんと言う事だ」
「おもしろい。わしに面と向かってそんな事を言った男は、お前が初めてじゃよ」
「ところであんたは、太井峰子の父親だそうだな。マネージャーの坂崎をやったのはそれでか」
「ほー、わしが峰子の父親だとよくわかったな。もしかしてあいつがお前に話したか」
「ああ、聞いたよ。本人からな」
「そうか。あれは良い娘じゃ。じゃが、あやつはわしの庇護を反故にしよった」
「それで『可愛さ余って憎さ百倍』ってやつか。爺さんにしてはちんけな事だな」
「なにを無礼な!」
と侍従の一人が言いた。
「いい。しかしな、そうではない。今でもわしは、あの娘を愛しておる。だから娘に不埒な事をする者は許せんのだよ」
「それで坂崎をやったと言うのか」
「それは知らんが、天罰じゃろう」
「天罰ね。天罰であんな残酷な殺し方が出来るのかね。聞いた話だが、手足がみんな引き千切られていたそうだな。人に出来る事ではないな。あんたの飼い犬が噛みついたのかい」
「そんな飼い犬がいれば便利でいいがな」
「いるんじゃないのか、一匹。連星と言う飼い犬がよ」
「ほう、そんな名の犬がいるのか」
「今日は挨拶だけだ。また会う事があるかも知れんが、出来れば会わずに済ませたいものだな。では失礼する」
「おぬし、このままここから帰れると思っておるのか」
「そのつもりだが」
庭から外に向かおうとした時、左右に三人づつ並んだ家人が手に拳銃を持って鳴海に狙いをつけていた。
「こんな事したらまずいんじゃないのか、爺さん」
「いいや。何とでもなる。それが権力と言うものじゃ」
「権力ね。覚えておくよ。爺さんも覚えておくがいい。力とはどんなものかをな」
そう言って鳴海は左右に並ぶ者達の中央を何事もないように歩いた。しかし誰一人として発砲はしなかった。
「どうした。わしは殺してもよいと言ったぞ」
「はい。わかっております。ですが出来ませんでした。ここにおる者達も恐らくは立っているのが精一杯でしょう」
「ふむ、それほどの男か、鳴海と言うのは」
そして鳴海の行く先では、4匹のドーベルマンが地べたに這い蹲り身動き一つしなかった。いや、出来なかったと言った方が正解だろう。
「おい、燐蛾を呼べ」
「御前、あの男をお呼びになるのですか。しかし危険では」
「面白いではないか。あの男をぶつけてどう反応するか。楽しみだの」
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