第22話 誌芽の派遣指導員

 試合が終わったてからしばらくして、鳴海はみんなを集めてこう言った。


「これから先、お前達にも尾行が付くかも知れん。別に何もしなくていい。ただ尾行を巻け。それだけだ」

「所長、巻くって言ったって、一体どうしたら」

「お前は気の操作が出来るはずだ。それを使えば簡単だろう」

「だからどうやって」


「そうか、詩芽は気のセンサーは出来るようになったが

まだ気の消し方は知らんか」

「気と言うものはな、生物固有の生体エネルギーだ。個人によってその大小はある。特にここにいる者達はその数値が飛びぬけている。だからそれをエネルギーの一種として使う事が出来るのだ」

「それを使えると言う事は逆に消す事も出来ると言う事だ。正直詩芽、お前にも出来るはずだ。奈良の爺さんから隠遁の術、気配の消し方を習わなかったか」

「ああ、あれ。うん。何度かやらされたわ」


「それが元だ。普通の人間だと気配を消す程度しか出来んが、我々は自分の気そのものを消す事が出来る。一種の隔離法だ。それを行うと人は認識出来なくなってしまうのだ。確かに我々はそこに存在する。しかし道端の石っころと同じで、存在はするが自分の求めるものとして認識しなくなる。それが究極の隠遁の術だ。尾行者は容易にお前を素通りして行くだろう。だからもし尾行の意識を感じたら今後はそれを行え」


「鳴海さん、さっき『お前達にも』と言いましたよね。

それってあなたにはもう尾行がついてると言う事ですか」

「ああ、そうだ。日本に帰って来た時からな。ただ面倒なので放っておいたが、ここしばらくはうるさくなって来たので、排除する事にした」 

「ねぇねぇ、所長。尾行とかって何なのそれは」

「そうか、お前はまだ何も知らなかったな。いいだろう。この際だ。話しておこう」


「俺もこのリンもリカも元傭兵だ。共に戦場で生きて来た。特にリンと俺とはチームを組んだバディだ。リカはその後リンとチームを組んだ。俺達はそう言う関係なんだ」

「ええっ、傭兵さんって、なんか漫画みたい」

「そうだろうな。この平和ボケした日本では想像出来ない世界だ。だからここの政府は俺を要注意人物として監視していると言う訳だ」


「それって鳴海さんを尾行してるのは」

「そうだ。内調だ」

「内調って何。所長」

「内閣情報調査室、言ってみればアメリカのCIAみたいなもんだ」

「所長ってそんなとこに目つけられてるの」

「そう言う事だ。だから詩芽、ここから先はお前の選択に任す。俺達と一緒に来るも辞めるも、お前の自由だ」

「だけど先輩は、私達と同じ力持ってるけどね。あはは」

「ばか、調子に乗せるな。リカ」


「そうなんだ。どうしようかな。でもね、私には今まで本当の友達や仲間っていなかったの。ここに来て初めてそう言うものが出来たと思うの。みんなもそうだし、亜里沙さんもそう。私ってさ、やくざの娘だから本気で付き合ってくれる人がいなかったのよ。違うわね、自分から距離を置いてたのかな。でもさ、ここでなら何も気にしないでいれるの。だから私、みんなと一緒に行く」

「いいんだな、ほんとうにそれで。修羅場になる時があるかも知れんぞ」

「わかってる。所長を見た時にそれは感じてた」

「そうか、勘のいい奴だ」


「あのさー、先輩。私の親父もね、実はマフィアなのよ。表向きは実業家だけど裏ではマフィアの顔を持ってたわ。だからやっぱり私達は似た者同士なのよ」

「そうなんだ。あはは」


 これで『北斗トラブルシューティング』の結束は固まった。後は前進あるのみだ。


 その時を境にして内調の捜査員達が次々と消息を絶ち始めた。既に10人。その行方はようとして知れなかった。


「どうしたんだね。松前君、浮かない顔して」

「実は総理、うちの諜報員達が次々と消息を絶っているのです。既に10人にのぼっています」

「何だって、それはどう言う事かね」

「それがみんな鳴海の監視に当ていた者達なのです」


「それは鳴海に消されたと言う事なのかね」

「わかりません。一切の痕跡がないものですから。しかし鳴海の担当だけがと言う事になればそう解釈せざるを得ないでしょう」

「それではこれから先もそうなる可能性があると言う事かね」

「かも知れません」

「どうするんだね、松前君」


「そこで総理にお願いがあるのですが」

「なんだね」

「公安を動かしてはいただけないでしょうか」

「公安をかね」

「はい、そうです。テロリストの容疑者と言う事にすれば公安も動くでしょう」


「まぁ、テロリストには違いないかも知れないがね。ただまだ真相は公安にも教えたくはないんだがね」

「それはわかっております。そこは伏せたままでと言う事で。どうでしょうか」

「仕方がないね。大阪府警の公安を動かしてみるか」

「はい、お願いいたします。そしてその情報は私の所へも知らせてもらえるようにお願い出来ますか」

「わかった。そう手配しよう」


 大阪府警本部長から公安部長に特別指令が下った。『北斗トラブルシューティング』の主管、鳴海正人なる者の身辺を調査、監視せよと。


「本部長、それはどう言う事でしょうか」

「国家公安委員会からの要請だ。その人物にテロリストの疑念があるそうだ」

「そうですか、で、その人物の背景は?」

「いや、何もわかってはいない」

「一から調べろと言う事ですか」

「そう言う事だ」


「何とも厄介な事を押し付けてきますね」

「悪いが頼むよ」

「承知いたしました」


 こうして急遽、鳴海を監視する特別チームが編成された。


 鳴海の背景を調査していたチームも、その情報は全く掴む事が出来なかった。


 同じ会社にいるリンやリカと呼ばれる従業員についても同じだった。


 リン、林寛治。リカ、小峰友梨佳。共に児童施設で育ち両親はわからない。


 そして共に高校を卒業してから今までの消息が掴めていない。ただバイトで働いている女子高生の矢野詩芽についてはある程度の事がわかった。


 彼女は大阪に事務所を構える長谷川組の組長、長谷川が愛人に産ませた娘だと言う事が判明した。


 以前は奈良に住んでいたが2年前母親が亡くなり、大阪に移転して来て、今はこちらの高校に行きながら鳴海の所でアルバイトをしていると言う事だった。


 この報告を受けた松前は、この情報はいつか使えるかも知れないと思った。


 ただ大阪府警は混迷していた。いくら尾行しても皆巻かれてしまうと言うのだ。


 素人じゃない。尾行は専門のはずなのにそれでも巻かれてしまう。


 それは鳴海だけではなかった。リンやリカ、まして女子高生の詩芽をつけてた課員達までもが巻かれてしまったと言う。


 こんな事は府警の公安始まって以来の出来事だった。だからと言って拘束する容疑もない。


 盗聴器や電波発信機を仕掛けると言う手にも出たが全て失敗に終わった。正にお手上げ状態だった。


「川北さん、何かおかしないですか」

「公安の事か」

「そうです。あいつら『北斗トラブルシューティング』をマークしてるみたいですが」

「誰がそんな命令だしたんでしょうかね。公安部長か本部長か」

「いや、もっと上やろう」

「また、あの神の声ちゅうやつですか」

「かも知れんな」


「ところで最近のあいつの動きはどうや」

「それが結構東京に足運んでるようですわ」

「週末は殆ど東京と違いますか」

「東京で何しとるんや」

「何やあいつ、芸能関係の事に首を突っ込み始めたとか」

「芸能関係なー、なんやえらいソフトランディングやないか」

「でもないみたいですで、ああ言うとこはこれ絡みが多いとか」


 そう言って大田は指で頬を斜めに切る仕草をした。


「そうか、ほなまだ要注意やな」


 その頃長谷川組長は、一つの計画を立ていた。それは誌芽を格闘の指導員として、出張指導してもらう事だった。


 この辺りは、いくらやくざの組長と言っても、娘に激甘の親バカに他ならなかった。少しでも娘の顔を見ていたいと言う思いからだろう。


 娘が奈良にいた頃、町道場に通っていた事は知っていた。そして今は鳴海の助手をしている事も。


 しかしそんなものは、所詮子供の遊び程度であり、鳴海の所にいると言っても、女子高生の雑用のバイト程度だと思っていた。


 しかし名目は何とかなりそうだと考えた。鳴海は『やくざ狩り』でしられた男だ。


 そこの助手と言う事なら、その助手もまた凄腕だと思うだろう。


 ただしそれは事実でなくても良かった。そう言う名目さえあればいいのだ。


 実際には子分達に言い含めて、適当にお茶を濁させておけばいいと思っていた。


 そうすれば、少なくとも指導に来てくれる時には娘に会える。そんな何とも情けない考えを持っていた。


 まぁ、言ってみれば、それだけ娘を溺愛してると言う事だ。


 ただ前回の話し合いで、長谷川組との縁は、娘から切られてしまったので、親バカの部分は伏せて、鳴海に誌芽の指導員の件を頼み込んでみた。


 誌芽は「何で私がそんな事やらないといけないんですか」とブツブツと文句を言った。


 しかし鳴海は逆に、やくざの更生の一環になるんならいいんではないか。お前がしっかり指導してやれと賛成した。


 それを聞いたは長谷川は内心小躍りした。ただこの親バカは、自分の娘がどれほどの化け物になっているのか、全く知らなかった。


 そう言う事で話がまとまり、基本的に週2回、行ける時に長谷川の事務所に指導に行く事になった。長谷川の方でも一つの広い部屋を改造して道場にした。


 最近の長谷川組は羽振りがいい。小崎組との抗争に勝ち、向こうのしまも手に入った。


 そして今では目の上のタンコブだった、佃組もその上の洲本組も、長谷川組の敵ではなくなり、大阪では屈指の組織の一つになっていた。


 これで大手を振って娘と会えると長谷川は喜んでいた。この関係を続ける為にも、子分達にはうまくやってもらわないと困る。指導員の誌芽を立てろ。これは組長の厳命だった。


 そうなると今度は組員達が委縮してしまった。いつもは傍若無人に振舞っているやくざが、まるで壊れ物にでも触るような扱いだった。


 初めはこれで通った。しかし子分達もバカではない。いや、こと喧嘩に関してのみは馬鹿ではなかったと言う事だ。


 何度か手合わせをしていれば、自然と相手の強さがわかってくる。どう本気になって、もどうにもならない相手だと理解し始めた。


 その頃になると、組員達はみんな本気で誌芽に挑んでいた。しかし全く相手にならなかった。


 女子高生相手に、自分達がこれほど無力だったとは、今まで思った事もなかっただろう。


 いや、そうではない。この少女が特別なんだと、やっと理解し始めた。


 そんな時だった。親戚の組に修行に出されていた男が帰って来た。喧嘩の益男と呼ばれた男だった。


 これもまた喧嘩に明け暮れした男だった。あまりに喧嘩ぱやいので兄貴筋に修行に出されていた。


 その益男が帰って来て、組長の長谷川に挨拶に行く時に、何やらバタバタする音がするので、その部屋を覗いて驚いた。


 以前にはこんな部屋はなかった。いや、こんな部屋と言うより、この部屋は何だと思った。やくざの組事務所にこんな物がいるのかと。


 しかも弟分達が小娘にいいようにあしらわれている。なんと言う様だ。こうなると収まらないのがこの男だった。喧嘩の虫がうずいた。


「何やっとんじゃお前らは。こんな小娘一人にええようにあしらわれやがって。はずかしゅうないんか。おんどれらは」


 そう言って益男は部屋に土足のまま上がり込んだ。誌芽の怒りを買ったのは当然だ。


「何ですか。土足のままで。ここは神聖な道場です。靴を脱ぎなさい。あなたはそんな躾もされてないのですか」

「じゃかましーわい、このアマが。俺が喧嘩とはどんなもんか教えたるわ」


 そう言って益男は誌芽に突っかかって行った。これを見た組員が大急ぎで組長に連絡に走った。


「オヤジ、大変です。益男の兄貴が誌芽先生に突っかかって行きました」

「何、益男やと。何であいつがおるんや」

「オヤジ、そう言えば、今日が益男の帰ってくる日でしたわ」


「あかん、それはあかんぞ。あいつは誌芽の事は何も知らんのや。あんな奴に本気になられたら誌芽が半殺しにされてしまうやないか。直ぐに止めんかい」


 そう言って長谷川も道場に飛んで行った。しかしそこで見たものは、道場の上で長々と伸びている益男の姿だった。


「誌芽、大丈夫か。怪我はなかったか」

「何なの、こいつは。躾が全然なってないんだけど。こいつは一から叩き直す必要がありそうね。この次からこいつを絶対に道場に来させてね。今日は気分が悪いからこのまま帰るわ」


 そう言って誌芽は帰ってしまった。


「おい、どうなっとるんじゃ、これは」

「それが益男の兄貴が喧嘩吹っ掛けて誌芽先生に向かって行ったんですけど、全然話にならんで、三回のばされました」

「三回とはどう言う事や」

「のばされてはまた活を入れられて息を吹き返させられ、またのばされる。それを三回やられたんですわ」

「なんやと、この益男がか」

「はい、そうです」


「そんな。誌芽の武術なんて、子供騙しみたいなもんやろう」

「オヤジ、本当にご存じなかったんですか。わしらみんな本気でやってたんですよ。そやけど誰一人、触れる事も出来んのですわ。あの誌芽先生には」


 そんな事がと、長谷川は唖然となった。


 まさか自分の娘がそんなに強かったとは夢にも思わなかった。鳴海の助手と言うのは冗談ではなかったと言う事か。


 長谷川はこれを喜んでいいのか、どうしたものかと思案してしまった。


 ただ一つ、益男が息を吹き返した時、長谷川に散々怒られた事は事実だった。


「お前はまだその喧嘩癖がなおっとらんのか。このボケが」と。


 そして誌芽が、組長の娘だと知らされて青くなってしまった。まさかあれがオヤジの娘だったとは。そしてその強さに。


 益男は喧嘩だけは誰にも負けない自信を持っていた。しかしその自信をこうもあっさりと砕かれようとは。手も足も出ないとは全くこの事だった。


 どんなに攻めても本当にかすりもしなかった。それなのに自分は確実に叩きつけられ、または当身を入れられて、何度も畳を舐めさせられていた。


 これ程の人間がいたのかと初めて知った。しかもそれがまだ、たった17歳の女子高生だと言う。


 益男はまるで自分のこれまでの人生を否定された様な思いだった。


 それと同時に益男は、それなら俺はまだまだ強くなれると思った。


 それからの益男は、誰よりも熱心に誌芽の指導を受ける様になった。


 益男に取って従うべきは、自分よりも強者と決めていた。そして今まで出会った事もない強者がそこにいた。ならば従うしかあるまい。男とか女とか、歳さえも関係なく。


 いつの間にか益男は、長谷川組で一番の誌芽の崇拝者になっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る