第18話 詩芽拉致される

 鳴海達が試合会場を出ると、黒沼が試合は通常月一回、第三土曜日に行われると言った。


 来月もまた気が向いたら俺に連絡してくれと携帯番号を鳴海に渡した。鳴海は考えとくよと言った。


「あのさー、あそこにいたの全然大した事なかったよ」

「あれは余興組みだからな、しかし選手口の奥にいた者の中には強そうなのがいたぞ。リカ、お前でも苦戦するかもしれんぞ」

「うっそー、全然わからなかった。でもそんなのがいたら戦ってみたいわよね、先輩」

「え、ええっ、何で私が」


 ディナーに少し遅れたので亜里沙がブーブー言っていたが、それでもみんな揃ったので楽しく会食をした。


 これからが本当の『エリハルコン・プロダクション』の始まりだ。


 明日、亜里沙には一つイベントが入ってると言うので、鳴海はついて行く事にしたが、他の者達はこれと言ってする事もないので、個々に解散と言う事にして、月曜にまた大阪の事務所で会う事にした。


 リンとリカはやる事もないので、帰ると言って羽田に向かった。詩芽は滅多に来ない東京だから、色々と散策してみようと一人で歩く事にした。


 しかも懐には、昨日もらった賞金の100万円がある。これだけあれば結構な買い物が出来るだろうと、詩芽はウキウキしていた。


 馴染みのある渋谷に来てはみたが、一人だとここはどうも落ち着かない。


 確かにここには人は多い。それに若い者も。だから本来なら孤独を感じる事はないはずだが、周りを見渡せばみんな友達同士や恋人同士と言った者が多い。


 勿論一人で歩いている者もいる。でもその者達は通過者だ。


 目的もなくうろつくにはここはやはり一人では寂しい所だと感じた。こんな時に隣に所長がいてくれたらいいのにと。


 それに一人でいるとやたらと声を掛けられる。その殆どがナンパだ。更にはタレントになれるとか、君なら直ぐにトップモデルだよとか。


 果たしてそんなもの何処まで信用していいのやら。でもこう言う甘言に惑わされて、堕落への道を歩む若者も多いのだろうなと詩芽は思った。


「タレントか、そう言えばあのプロダクションはどうなったんだろう」と詩芽は思った。


 亜里沙が縛りつけられていたプロダクションだ。確か『マルサン・プロダクション』と言った。それを鳴海が上手く捌いて亜里沙を解放した。


 バックに付いていた『勇源会』と言う組織も鳴海が切り離した。だから今はどうなってるんだろうとふと思った。


 そう思うと、いつの間にか足が目黒に向いていた。確かこの道を真っすぐ行くとあのプロダクションだったはずだと。


 そう思って歩いていると急に叫び声が聞こえた。「ドロボー。誰か捕まえてー」と言っている。


 見渡してみると通りに一人の老婆が倒れていた。そこに駆け寄った詩芽に「あの、あの男が私のハンドバッグを」と言って駆けて行く男を指さしていた。


 「ひったくりか」そう思った詩芽は直ぐにその男を追いかけた。


 まだ若そうだ。年の頃なら二十代位だろうか。「ドロボー待ちなさーい」と言いながら詩芽は追いかけた。


 結構速いが詩芽には敵わない、もう少しで追いつけると思った時に、突然一人の男がそのドロボーの前に立ち塞がった。


 そこそこの年配の男性だった。ただ顔は良く見えなかったが、ドロボーがその男をすり抜けようとした時、足を掛けて倒した。なかなかの手際だ。


 倒れたドロボーの腕を固めてその男性は「これ以上ふざけた真似してるとてめぇ命はねえぇぞ」とやくざ独特の脅しをかけた。


 その気迫に押されてドロボーは抵抗を諦めた。ハンドバックを回収してその男は「イケ」と顎をしゃくった。


 ここで警察に突き出して色々聞かれるのも面倒だと思ったので脅しだけにしておいた。


 その時に詩芽が駆け付けて来た。その男は振り返りハンドバッグを詩芽に手渡した。


「あ、ありがとうございます」

「あれ、お嬢さんじゃないですか」

「神原さん?。何でここにいるの」

「お嬢さんこそ」


 取り敢えずは引き返してハンドバッグを老婆に返した。老婆はありがとうございましたと何度も礼を言って去って行った。


 その時走って来た者がいた。


「神原さん、何されてたんですか。俺がちょっと買い物してる間に」


 恐らく長谷川組の若い衆なんだろう。


「いや、ちょっとな。で、あったか」

「はい、ラークでよろしかったんですね」

「ああ、それでいい」


「神原さん、タバコ止めたんじゃなかったの」

「いや、どうもこの年になりますと他に楽しみがありませんで」

「何ですか、この女は」

「馬鹿野郎。お嬢さんだ」

「お嬢さんって、まさかあの」

「そうだ」


 若い衆は恐縮して固まっていた。


「だけど、何で神原さんが東京にいるの?」

「いや、野暮用でしてね。この先にある芸能プロダクションに向かう所だったんです」

「芸能プロダクションって『マルサン・プロダクション』の事」

「そうですが、どうしてご存じで。あっ、そうか、あそこも鳴海さんが片付けられたんでしたね」


 実はマルサン・プロダクションが亜里沙を解放した後で、鳴海は更に追い討ちをかけておいた。


 バックをやっていた『勇源会』はもうお前達のバックにはならないから、今度からは関西の長谷川組がお前のバックになると告げた。


 この決定に従わなければ『勇源会』が今度はお前達の敵となると脅した。


 これには流石の社長の加治木も承諾せざるを得なかった。これも鳴海の関東進出の計画の一つだった。


「鳴海って、あの鳴海ですか」

「ちょっと、うちの所長を呼び捨てにしないでよね」

「えっ、所長って?」

「お嬢さんはな、鳴海さんの助手をなさっているんだ」

「そ、そんな。失礼しました」


「あのさ、あそこの社長の加治木って相当な狸よ」

「わかってます。それも含めて私が面倒をみようと思ってます」

「お父さんが、神原さんをここに送ったの。人使いが荒いのね」


「いいえ、私は昔、興行関係の仕事を仕切ってた事があるんです。それで今回、組長は私を選んだんだと思います」

「そうだったの。知らなかったわ、神原さんがそんな仕事をしてたなんて」

「お嬢さんがお生まれになる、ずーっと前の話ですから」


「そうなんだ。そうだ、それなら何かあったら所長を頼ればいいわ。今東京にいるから」

「東京におられるとは」

「今度ね、所長は曽根亜里沙さんのいる『エリハルコン・プロダクション』の社長に就任したのよ。それで週末は東京に来る事になってるから」

「それは心強いですね。前にバック持ってた『勇源会』もまだ完全に消えた訳ではありませんので」


「それから今度、弁護士の瀬野先生にもこっちに来て入ってもらう計画になってるんです」

「そう言えばマネージャーの豊洲さんもそんな事を言ってたっけ。じゃー瀬野さんは、こっちに事務所を構えるのかな」

「かも知れませんね」


 れ以上神原達を引き止めてもなんだと思ったので詩芽は引き上げる事にした。


「それじゃー私は行くわ。またね神原さん」

「お嬢さんこそお気をつけて」

「それから君さー、ちゃんと神原さんの面倒みてよね」

「は、はい。わかりました。お嬢さん」


 詩芽はこの近くに確か庭園美術館があったなと思った。ちょっとそこに寄ってみるかと足を向けた。


 丁度その時「めかじめ料」の回収をしていた『勇源会』の二人が詩芽を見つけた。


 この二人は鳴海が『マルサン・プロダクション』に乗り込んだ時にガードとして『勇源会』から送られた四人の内の二人だった。


「おい、あの女覚えてるか」

「確かあの時、鳴海にくっついてた女だよな」

「そうだ。こんなとこで何してやがる」

「おい、いい機会じゃねーか。あの女、やっちまわねーか」

「しかしよ、そんな事をしたら鳴海が」

「大丈夫だって。鳴海は普段大阪にいるんだろう。それによ、あんな女の一人、やっちまった後でどっかに埋めりゃ、誰にもわかりゃしねーよ」

「おい、金子と石田にも連絡とって、バンとスタンガン持って来させろよ」

「わかった。見逃すなよ」

「まかしとけって」


 後をつけていた横田は、ここからなら奥多摩まで運んで、そこでやって埋めてしまえばいいだろうと考えていた。


 最近の詩芽は気のセンサーも随分と使えるようになっていた。自分をつけてる澱んだ気を既にキャッチしていた。


「この気って以前何処かで感じたような。そうだ、あの時の『勇源会』の奴と同じ気だわ」

「まだ懲りてないんだ。あいつら。じゃー何がしたいのか、ちょっと試してみようかしら」


 そう言って公園の方に向かって歩いて行った。その間にバンを用意した二人が追い付いてきた。


「おい、本当に大丈夫なんだろうな。こんな事してよ」

「大丈夫だって。相手は小娘だぞ。どうとでもなるさ」

「だけどよ、もしこの事がオヤジに知れたら」

「わかりゃしねーよ。奥多摩に埋めてしまえばよ」

「そうだな」


 と言って四人は詩芽の拉致にかかった。


 奈良にいた時は不覚を取ったが、今はもうそんなへまはしないと思っていた。


 それにあの時はどう考えても、所長が何かしたに違いないと今でも思っていた。でないとあんな奴らに拉致されるなんて考えられなかった。


 今度も同じ手だ。低俗な奴らの考える事は何処でも似たようなものだなと思った。


 詩芽に近づいて三人が取り囲み一人が後ろからスタンガンで眠らせる。


 ただしこの時詩芽は、気でスタンガンの効果を相殺して無力化していた。


 だから眠らされたのは芝居だった。ともかく四人は、この辺りで事を起こしては面倒になるので奥多摩まで車を急がせた。


 この辺りでいいだろうと詩芽を車から降ろし、男達は詩芽を前に舌舐めずりをしていた。


 こんな若い女の身体を自由に出来るんだ舌舐めずりもしたくなる。その時詩芽が目を覚ました振りをした。


「よう、気が付いたか、ねえちゃん。俺達を覚えてるか」

「覚えてるわよ。『マルサン・プロダクション』にいた屑でしょう」

「それだけ覚えてりゃ上等だ。これからよ。ここでお前を裸にむいて、散々慰めものにして、それから殺してやるからよ。覚悟するんだな」


「あんた達、本当に懲りないわね。次は手加減しないぞって言った所長の言葉忘れたの」

「ここまでは鳴海の威光も届かねーんだよ」

「そう、じゃー私が代わりに届かせてあげるわ」

「じゃかましい、このアマが」


 そう言って詩芽に馬乗りになって、服を脱がそうとした一人がいきなり弾き飛ばされた。


「なんだと」


 立ち上がった詩芽に殴りかかった二人目は、横の立木に逆さまに背中からぶつけられた。勿論立ち上がる事など不可能だ。


 三人目は持ってたスタンガンで詩芽をもう一度眠らせようとした。詩芽はそのスタンガンを手で掴んだ。


 「馬鹿か、お前は」と言ったが詩芽は平然とスタンガンを掴んでいた。


「私にこんな物が効くとでも思ったの」

「そんな馬鹿な。お、お前は化け物か」


 そう言った男は、腹に詩芽の寸勁を食らって数メートル吹っ飛んだ。


 四人目は持ってたヤッパを抜いて


「ぶっ殺してやる」


 と言って突っこんで来たが軽くかわされて、小手返しの要領で投げ飛ばされ肩の関節を外され頭を蹴られて失神した。最初の男だけが一番軽傷だった。


「残ったのはあんただけだけどさ、まだやる?」

「いえ、結構です。勘弁してください」


 ここまで力の差を見せつけられたら謝るしかないだろう。しかし鳴海の身内はみんな化け物ばかりなのかと身体が震えた。


 鳴海に教育されている詩芽は、ちゃんとみんなの顔写真と身分証明書を撮った。


 それから最後の男に倒れてる男達をバンに担ぎ込ませ、お前達の事務所に戻れと指図した。


 震えたのはその男だった。そんな事をしたら組長にこの事がばれてしまう。それこそ自分達が殺されかねないと。


「それだけは許してください。お願いします」

「あんたさ、これだけの事をしておいてただで済むとは思ってないでしょうね。嫌ならそれでもいいのよ。所長に処分してもらうから。どっちがいいか考えなさいよ」


 組長と鳴海、どっちがいいか。考えるまでもない。化け物よりもまだ人間の方がいいに決まってる。その男は覚悟を決めて車を事務所に向けて走らせた。

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