第66話 閑話2 あるバーの話2

 鳴海の力を見て普通では勝てないと悟った三つ揃えは、トカレフを握って鳴海に銃口を向けていた。


「どうでしょう。これで彼女を渡していただけますでしょうか」

「へーそんな物まで持ってるとはね。負けましたよ。悪いですね彼女。やっぱり僕ではあなたの彼氏の代わりは出来なかった様です。悪く思わないでください」

「いいえ、こちらこそ申し訳ありませんでした。あの時貴方の言葉に従っておけば良かったんですね」

「でも心配しないでください。いつか暗雲は晴れます。僕が必ず晴らせて見せますから、少しの間我慢してください」


「では我々はこれで引き取らせていただきます。所でもし良ければお名前など聞かせていただけると助かるんですが」

「僕は鳴海。あなたは?」

「私は勝篠崎と言います。もうお会いする事がない事を祈っております。では」


 そう言って勝篠崎は彼女を連れていた。


『そう言えば彼女の名前を聞くの忘れたな。まぁいいか。この次会った時に聞けば。それにしてもあいつは裏社会の人間ではないのか。裏社会の人間なら俺の名前を知らないはずはないんだが、もしそうでないとすれば何だ』


 あの鳴海が、今回は随分とあっさりと諦めたものだ。その気になれば拳銃くらい屁でもなかっただろうに。恐らく相手の素性を知る為にあえて泳がせたんだろう。


 それに鳴海は彼女とあの三つ揃えにブックマークを付けたので、何処にいても見つける事は出来るだろうと考えて今は敢えて逃がした。


 あの様子だと彼女が殺される事はないだろう。むしろ彼女を欲しがってる誰かがいる様だ。そいつが黒幕だろうと鳴海は判断した。


「今日は帰ろう。せっかく気持ちよく酒を飲んでいたのにとんだ日になってしまったものだ」


 翌日鳴海は早速、『五泉会』の会長、竹林に連絡を取って「勝篠崎」の素性を洗わせた。


 するとどうやら「勝篠崎」と言うのは右翼の「翼臣興和会」と言う所の会長、利根丘の懐刀の様な男だと言う事がわかった。


「なるほど、右翼だったか。それなら俺の名前を知らなくても無理はないか。それにしても中身はやくざみたいなものだな。なら向こうもついでに掃除しておくか」

 と物騒な事を言っていた。


「だけどあの彼女の顔、本当に何処かで見たんだよな。何処だっけ」


 そう言って鳴海は芸能関係の雑誌や音楽関係の雑誌に目を通し始めた。そしてそれはあった。


 最近のミュージカルを紹介している雑誌で、ミュージカル界の輝ける女王と言う題材で紹介されている記事だった。その女王の名前は朝霧昇華。正に夕べの彼女だった。


「そうか、これで見たんだ。なるほど彼女は歌姫だったのか。なら亜里沙のライバルになるのかな」


 そう思いながら雑誌を見てると、そこに亜里沙が入って来た。


「何、ニヤニヤしながら雑誌みてるの。また何かエッチな雑誌でも見てるんじゃないでしょうね。このヘケベーめ」

「おいおい、それはないだろう」

「じゃーなに。あしにも見せてよ」


 そう言って亜里沙はその雑誌を鳴海から奪い取った。


「あれー。これって、朝霧昇華さんじゃないの」

「何だお前、知ってるのか」

「知ってるも何も、あたしの憧れの人よ。いつかあたしも朝霧さんみたいに歌えたらいいなーって思ってたの」


「会った事はあるのか」

「あるわよ。何度か楽屋に訪ねたの。そしたらね、あなたならきっといい歌手になれるから挫けずに頑張りなさいって言ってくれたんだ。凄くれしかった」

「そうか。それは良かったな」


 また勝篠崎の方でも「鳴海」と言う名前で調べていた。そしてその名前が『やくざ狩り』と呼ばれる男の名と同じだと言う事がわかった。


「もしかするとこれは、虎の尻尾を踏んでしまったかも知れませんね。さてどうしますかね」


 そこで勝篠崎は親交のある安野組に支援を頼みに行った。安野組と言うのは関東でも十指に入る組だ。そこの安野に会って話を持ち掛けたがあっさりと断られた。


「勝篠崎さん。俺だって会長には世話になってる。だから助けたいとは思うよ。だがな、こればっかりは無理だ。俺だってまだこの組を潰したくはないんだよ。あいつに逆らったこんな組位、直ぐに吹き飛んでしまう。そう言う奴なんだよ、『やくざ狩り』と言うのは」


「それほど恐れる事もないんではないですか。この間拳銃で脅したらあっさりと手を引きましたよ」


「それこそあいつの茶番だな。いいかい勝篠崎さんよ。あんた関東でNo2の『五泉会』と言うやくざ組織を知ってるかい。そこと鳴海との間で戦争になったんだ。その時『五泉会』は200丁のハジキと5000人の兵隊を用意したんだ。5000人だぜ。勿論銃も撃ったさ。それなのに傷一つ付けられずに全員倒されたそうだ。拳銃の1丁や2丁でどうこうなる様な玉じゃねぇんだよ。あいつはバケモンさ。そんなもんで倒せる位なら俺がもうやってるよ。あいつを倒せるやくざ組織なんて日本中探してもないと思うぜ」


 その話を聞いた勝篠崎は肝が冷えた。ではあの時は一体何だったんだと。あれはあの男の芝居だったと言うのか。では一体何の為にと考え、あっと思った。


 『あいつはあの時こんな事を言っていた。「いつか暗雲は晴れます。僕が必ず晴らせて見せますから、少しの間我慢してください』と。


 それはこう言う事だったのかと理解した。


「あいつは私達の事と居場所を知る為に私達を敢えて泳がせたと言う事か。と言う事は名前を言ったのはまずかったか。それ程の奴なら情報網位どうにでもなるだろう。と言う事は今頃はもう既に私達の事も知られてると思っていいだろう。後はあいつが、いつ彼女を取り返しに来るかだが、果たして私達の力で防げるのか。もし安野の言う事が本当なら無理かも知れない。もし助かる方法があるとすれば、それは一つしかないと言う事だが、それを会長が納得するかどうか。こっちも難しいか」


 正直勝篠崎は思案に暮れていた。しかしただ黙って待ってる訳にもいかないので、ともかくまずは会長を安全な所に避難させる事にした。


 会長には手持ちの別荘の一つに行ってもらう事にした。別荘はもう一つある。これだけでも目くらましにはなるだろう。そして事務所と別荘には屈強な者達を配備しておいた。


 事務所の方は言ってみれば囮だ。ただし鳴海の名前は伝えてない。こんな業界だ、中には鳴海の事を知ってる者もいるかも知れない。


 それで名前を知ってビビってしまっては話にならないのでもし襲ってくる者がいたらただ殺せとだけ言っておいた。後は会長が何とでもしてくれると。


 もし鳴海を始末出来ればそれでよし。がだもし無理ならしばらく姿を隠すか、それともあの女を手放すしかないと勝篠崎は考えていた。


 ただ会長は今その女にぞっこんだ。会長の女好きは有名だったので、これもまた難しい注文かも知れないなと勝篠崎は思った。


 何とか会長の米倉正平を説得して軽井沢の別荘に移動してもらったが、やはりあの女、朝霧昇華は連れて行くと言って聞かなかった。


 これ以上無理押しをして会長にへそを曲げられても困るので、足手まといにはなるが朝霧昇華も連れて行く事にした。最悪の時には人質位にはなるだろうと考えて。


 鳴海は米倉の事務所には寄らず、直接米倉のいる別荘に向かった。勝篠崎は知らなかった。


 自分と朝霧昇華がブックマークされている事を。こんな事、誰も理解出来る者はいない。


 鳴海は二人の気を辿って軽井沢の別荘に現れた。しかしその時の鳴海は『やくざ狩り』ですらなかった。最悪の顔『戦場の死神』の顔になっていた。


 外で別荘を警護する20人は瞬く内に鳴海のデザートイーグルの餌食になった。反撃する暇もない。仮に反撃出来たとしても、鳴海の身体にはどんな弾も当たりはしない。


 そして鳴海は別荘内に堂々と、ドアを蹴破って入った。そこにも屈強な6人のボディーガードがいた。皆、散弾銃や中には自動ライフルまで持って待ち構えていた。


 しかしこれも同じだ。何を撃っても鳴海にはかすりもしない。そして次々とデザートイーグルで眉間を撃ち抜かれて行った。


「どうやら本当だった様ですね。貴方が化け物だと言う噂は。私は虎の尻尾を踏んでしまったと言う事ですか」

「それは違うな。お前が踏んだのは竜の尻尾だ」

「竜の尻尾ですか。そう言えば昔、傭兵をやっていると言う友人から戦場にはとてつもなく強い傭兵がいると聞いた事があります。何でもその男は『イエロードラゴン』と呼ばれているとか」


「お前はその男のもう一つの名前を知ってるか」

「いいえ、何でしょう」

「『戦場の死神』だ」

「そうですか。私は『死神』の尻尾までも踏んでしまった訳ですか。それでは勝てない訳ですね」


 そう言った時、勝篠崎の額は見事に撃ち抜かれていた。


 外の様子を見る為に米倉正平が隣室から出て来た。しかもブリーフ一枚で。


「大したものだな。この状況でまだ女遊びか」

「お前は誰だ。こんな事をしてただですむと思っているのか。わしを誰だと思ってる」

「ただのスケベー爺だろう」

「わしは政界にも警察にも顔が利くんだぞ」

「それは頼もしいな。しかしお前がこの世から消えればそれもパーになるんじゃんないのか」

「何だと、わしを殺すと言うのか」

「そのつもりだ。こいつらの様にな」

「何だと」


 そしてそこに転がるボデォーガード達の死体を見て米倉は驚いた。しかもその中には右腕たる勝篠崎も混じっていた。


「勝篠崎!お前までやられたと言うのか。何と言う事だ。きさまぁぁ~、よくもわしの可愛い息子を殺してくれたな~」

「ほー、あれはお前の息子だったのか。苗字が違うと所をみると妾の子供と言う辺りか」

「そうじゃ、わしの後を継げる唯一の息子だったのに」

「そんな大事な息子なら悪事の手伝いをさせるべきじゃなかったな」


「何をぬかす。この世は力じゃ。力のある者が正義なんじゃよ」

「正義かどうかは知らんが、この世は弱肉強食だと言う事は認めてやるよ。そしてお前達は弱かった。それだけの事だ」

「なんだとーきさまー」


 そう言って米倉は自分のいた隣室に飛び込んで行った。鳴海が後について部屋に入ってみると、米倉が裸の朝霧昇華を楯にして、彼女の喉元に果物ナイフを突き立てていた。


「それ以上近づくな。近づけばこの女を殺すぞ。そしてその銃をこっちに投げてよこせ。早くしろ。この女が死んでもいいのか」

「鳴海さん!」

「ほーお前は鳴海と言うのか。そんなにこの女を取り返したいか。いい身体をした女だからな。よく見てみろ」

「いや、見ないで鳴海さん」

「相変わらず陳腐なセリフだな。そんな事しか言えないのか」


「いいのか。本当に殺しても。お前はこの女が欲しいんだろうが」

「誰がそんな事を言った。お前は頭がおかしくなったのか。俺はお前を殺しに来たと言ったはずだ」

「冗談はよせ。この女が死んだら悔やむのはお前のはずだ」

「なら殺すんだな。俺がお前を殺すよりも先にな」


 そう言った時には、鳴海は既にデザートイーグルの引き金を引いていた。ズキューンと言う音と共に、米倉の額には丸い穴が開き、後ろの壁まで吹き飛ばされていた。


 水ぶくれの様に太った体は、しばらく痙攣を繰り返し、そして動かなくなってしまった。


「だから言っただろう。俺がやる前にやれと」


 朝霧昇華はショックの為、その場に倒れてしまった。


「さてこれからが一仕事だな」


 鳴海は朝霧昇華を抱えてベッドに寝かし、彼女の頭に手を置いて、彼女の意識の中に潜り込んで行った。今鳴海がやっているのはサイコダイビングの一種だ。しかもかなり高度な方法で。


 普通は意識コンバーターの様な補助機械がいるのだが鳴海は何もなしで、全て自分の思念だけでやっていた。そして今度の操作はちょっと面倒だなと鳴海は思った。


 時間単位で全ての記憶を消してしまうのなら簡単だが、今回は米倉正平が関与した部分だけ、朝霧昇華の記憶の中から消そうとしていた。


 だから複雑で繊細な作業が必要だった。全部を消してしまうと、その間の彼女のアーティストとしての記憶も一緒に消えてしまう事になる。だから鳴海は悪い腫瘍の部分だけを切り取る外科手術の様な作業をしていた。


「これでいいか。結構手間取ってしまった」


 そして鳴海は彼女に服を着せ、別荘の死体を全て消してしまった。その死体を何処に運んだのか。


 深海の底か、アフリカの猛獣のいる草原の中か、広大な砂漠の砂の中か、それとも雪の降り積もる高山の雪の中か。まさに『死神』のみぞ知ると言った所だ。


 鳴海はある日の夜、またいつもの様に行きつけのバーで、一人静かにバーボンを飲んでいた。この日は少し小雨がぱらついていた。すると一人の女性客が入って来た。


 スラッとした髪の毛の長い女性だった。身長は168センチくらいか。薄い水色のワンピースに白い上着、それにアクセントに首にスカーフを巻いて、大きなサングラスをかけていた。


 それが結構様になっている。服のセンスは凄くいい。ただし今日の彼女は傘を持って、何処も濡れてはいなかった。


 その女性は何か不思議なものでも見る様に、店の中を見回しながら鳴海の隣まで来た。


 そして椅子の背に両手をついて、マスターの磯崎を見、そして隣の鳴海を見て、少し驚いた様子で、じーっと鳴海の顔を見つめていた。


「僕の顔に何かついてますか」

「えっ、あっ、いえ。すいません。あのー何処かでお見掛けした事がありますか」

「いえ、でもよくある顔ですから」

「そうですか、でも何処かでお目にかかった様に思うのですが」

「きっと他人の空似でしょう」

「そうなんでしょうか」


 このやり取りをマスターの矢部は静かに眺めて少し眉を持ち上げていた。


「いらっしゃいませ。どうぞおかけください」

「あ、はい。ありがとうございます」


 そう言って彼女、朝霧昇華は鳴海の隣にためらいもなく腰をかけてサングラスを外した。


「何にいたしましょう」

「そうですね。私には何かブランディーを。いえ、ちょっと待ってください。『カルヴァドス』をお願いします」

「『カルヴァドス』でございますね。承知いたしました」

『あれー、なんで私はこんな名前知ってるのかしら』


 そして彼女はまた不思議そうに周りを眺めていた。


「デジャヴって知ってます?」

「デジャブですか。既視感(きしかん)と言われるものですね。実際には一度も体験した事がないのに既に何処かで体験した様に感じると言うものですね」

「よくご存じですね。それがここかも知れません。以前にここには来た事がある気がして仕方がないのです。そして貴方にも会ったような気がするのです。でもそれが何時だったか思い出せないのです」


「そうですか。こんな美しい人にそう言ってもらえると光栄ですが、でもそれは夢で見たものがここの情景に似ていたと言う事ではないのですか」

「そうなんでしょうか」

「それ以外の事で何か思い出される事はありますか」

「それが何もないんです。ただこのお店の事だけが何故か記憶の中にあるんです」


「どうぞ。『カルヴァドス』でございます」

「ありがとうございます」

「ではまずはその記憶に乾杯しましょう」

 そう言って鳴海はグラスを持ち上げた。


「あのーそれってバーボンですよね」

「よくわかりましたね」

「ええ、香りが」

「気になりますか」

「いいえ、別に。昔の彼氏がよく飲んでましたので」

「そうですか。昔の彼氏ですか。ではその彼氏にも乾杯しましょう」


 鳴海は心の中で「再会を祝して」と言っていた。


「あなたはミュージカルをやっておられる朝霧昇華さんですよね」

「わかっちゃいましたか」

「ええ、有名な方ですから」


「私ね、こう言う所、今まで一人で来た事がないんです。でも何故かここだけはすーっと入れたんです。どうしてでしょう。ここはいいお店ですね」

「ありがとうございます」


 とマスターの矢部は言った。しかしそれ以上は何も言わなかった。


「あのー時々またここに来て、貴方と一緒に飲んでも良いですか」

「もし僕がいればいつでもお付き合いしますよ」

「ありがとうございます。何だかほっとしました」


 そして二人の静かな夜が過ぎて行った。この日小雨が上がった後には暗雲は欠片もなかった。

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