第2話 狙撃

 大阪府警の刑事課では、今回の銃撃事件は暴力団同士の抗争事件の可能性もあると睨んでいた。


 その為、組対四課の協力も仰いだが、例の犯人の二人の身元はようとして知れなかった。


 持っていた拳銃も、安物や改造拳銃でなかった所から見ても、プロのヒットマンではないかと言う意見が浮上して来た。そうなると今度は狙われた方が問題になる。一体誰を狙ったのかと。


 店主を始め、従業員達にも協力してもらって、当日狙われた人物の似顔絵を制作したが、既存する暴力団組織のどの幹部とも合致する者はいなかった。


 それにしてもと組対四課の川北は思った。もしあれがプロのヒットマンなら、何故あの距離で外した。


 距離にして3メートルほど。しかもあの状況でなら、標的は入り口に背を向けて座っていたはずだ。店主もそう証言していた。


 なのに何故外した。弾は確実にずれた軌道を通っていた。しかしあれなら素人でも当てられる距離ではないのか。ましてプロが外すとは到底考えられない。


 一体あの時何が起こったのか。そして二人はどうやって倒されたのか。全てが腑に落ちない事だらけだった。


 腑に落ちない事は更に起こった。この件に関しては、身元不明の暴力団組員の発砲事故と言う事で処理しろと言う指示が上からおりた。


 一課の刑事達も、組対四課の刑事達も、この指示には噛み付いた。


 しかしその指示は所轄の署長や、大阪府警本部長をも超えるもっと上からの指示で、どうする事も出来ないままうやむやに終わってしまった。


 その後警察病院の二人は、1週間後息を引き取った。しかしその原因については、ついに突き止める事が出来なかった。


 勿論そこには官邸の意向が働いていた。


「よろしいんですね、総理」

「いいんじゃないか、一般人に被害者はいなかったんだろう?」

「はい、攻撃したヒットマン達だけです」

「なら発砲事故として処理したまえ」

「畏まりました」

「これで少しは貸しが出来たかな」


「ところで、そのヒットマン達の死因はどうなっとるんだね」

「それが詳しい事はまだ何も。こちらでも資料を集めて

解析にかかってはいるのですがまだわかりません」

「そちらも早く解析を頼むよ」

「はい、承知いたしました」


 それで事件は一件落着となったが、済まなかったのはヒットマンを雇った佃組の方だった。


「頭、失敗したんやてな。どうするんや」

「はい、こっちの素性が割れた訳やおまへんから、もう一人ぶつけて見ようと思とります」

「もう一人やと」

「はい、今度はスナイパーです」

「遠距離から狙おう言うんか」

「そうです。それやったら反撃される事もありまへんし、失敗しても誰がやったかわかりまへんから」

「まぁ、そうやな。しかし今度は失敗するなよ、頭」

「はい」


 問題は何時、どうして狙うかだった。ターゲットが何処にいるかわからなければ、例えプロのスナイパーと言えども狙いようがない。


 こう言う展開も予測していた鳴海はまた罠を張った。今度は堺市の方で組を幾つか潰し、そこでも行きつけの店を作った。


 堺で仮の宿として、大浜公園の近くのホテル堺と言う所に部屋を取り、そこから時々午後に行く喫茶店までの道筋を印象付けた。


 この情報を得た佃組は、それを直ぐにスナイパーに送り、狙撃の準備をさせた。


 スナイパーは鳴海がホテルから出て、喫茶店に行くまでの道すがらで狙撃し易い場所を探した。


 それは距離にして500メートル程先にあるビルの屋上だった。ターゲットはその通りに出てから真っ直ぐ歩いて、四辻で右に曲がる。


 その瞬間だけだが狙撃のチャンスだが、このスナーパー八木野にしてみればそれで十分だった。


 そしてその日、いつもの様に鳴海が喫茶店に向かい、その四辻に向かった所で、八木野はビルの屋上から狙いを定めていた。ターゲットが辻の角の手前に来た所で撃つつもりにしていた。


 しかし何故か、その一歩手前あたりで、ターゲットが立ち止まりこちらを見た。まさかと思った。


 この距離で自分が見えるはずはないと。仮にたまたまこちらを見たとしてもそれは偶然でしかない。しかし何故か胸騒ぎがした。


 そしてターゲットはこちらを見て不敵に笑った。「何故だ。何故笑う。俺が見えるとでも言うのか」


 しかしそんな事で躊躇していてはプロは務まらない。鋼鉄の意志を持って引き金を引いた。


 狙ったのは頭だが、彼は「俺の腕なら百発百中だ」と言う自信を持っていた。


 しかし弾はそれた。「まさか」と八木野は思った。この距離で外した事など今まで一度もなかった。「なのに何故」と言う疑問がまた沸いた。


 弾丸を再びチェンバーに装填して、今度は心臓を狙った。何故かターゲットはまだこちらを見ている。「まさか、本当に見えているのか、この俺が」


 と思った時、ターゲットはまた歩き出した。これが最後のチャンスだ。八木野は引き金を引き絞った。


 その時大きな音と共に暴発が起きた。自分の持つライフルが暴発して顔右側が破壊された。勿論八木野は自分の死を覚悟した。


 しかし何故このタイミングで暴発する。薄れ行く意識の中で、八木野もまたある噂を思い出した。


 『戦場の死神』には銃を向けるな。自爆するぞと。


 今回もまた発砲事件だと言う事で、一課の強行班と組対四課が現場に駆けつけた。


「今度は堺か。この前は大国町やったのに」


 見れば一目瞭然だ。これはプロのスナイパーだ。こんな屋上からライフルで狙撃出来る素人はいない。


 そしてこの男もまた、身元を示すような物は何一つ持ってはいなかった。


 しかしこれだけでは暴発事故だ。銃刀法違反が付いたとしても。


 だがもし誰かを狙っていたとしたら殺人未遂になる。それには狙われた相手を見つけ出さなければならない。


 地元の所轄と共に、捜査員全員が聞き込みに走った。鑑識の調べで、この屋上から狙える範囲を絞り込んだ。


 そして硝煙反応があったと言う事は一発は発射されていると言う事になる。そうなれば着弾も何処かにあるはずだ。


 予測された辺りをしらみつぶしに当たって、やっと一発の弾丸を見つけた。


 この軌道からしてあのビルから撃たれた銃弾に間違いはなかった。


 しかしと鑑識員は訝った。これでは人には当たらない。何処を狙ったかは知らないが外れ過ぎている。


 そして誰一人として怪我をした者はいなかった。それだけではなく誰一人、狙撃があった事に気が付いた者もいなかった。


 距離は500メートルだ。発射音は聞こえなくても着弾した時に、何らかの音や反応があっても不思議ではない。なのに誰もそれに気がつかなかった。

 

 その上、この周囲には監視カメラがない。だからその周辺の人物の映像の入手は出来なかった。


 今回もまたマルタイ不明のままの事件だ。しかしそれがまた共通性を匂わせる。


 狙撃犯は病院に搬送中に息を引き取った。ただその時一言、『死神』と言い残したと言う。


 今回もまた被疑者死亡のまま送検となった。川北は今回もまた疑問を持っていた。


 プロの狙撃手が一発目を撃って、二発目を暴発させる。そんな事があるのだろうかと。


 銃が古くて故障してる、またはガタが来てると言うのならまだしも、少なくともプロの使う銃だ。


 手入れもそれなりにしているだろう。それでどうして暴発が起こる。


 そして今回もまたマルタイがいない。自分が狙われているとわかると困る人物なのか。それとも・・・。


 川北はこの二つの事件、関連があると睨んでいた。確かに場所は離れているし殺害方法も違う。


 最初は至近距離からの発砲で二度目は遠距離からの狙撃だ。一見違うように見えるが共に銃を使ったプロの犯行だろうと思われた。


 標的が同一なのかどうかはわからないが、狙う側に何らかの関連があるように思えて仕方がなかった。

 

 川北は思った。本当にこれらの人物は狙われていたのかと。いや、狙われていたのは確かだろう。


 しかし結果として狙った方がみんな死んでいる。これってなんだ。逆に狙った者を殺したのか。しかしどうやって。


 二番目の狙撃手など殺す事自体不可能だ。仮に銃に細工するにしても如何して細工する。


 いや、どうして相手を特定してその銃に細工出来ると言うのだ。

 

 全ては不可能と言う答えしか返って来ない。しかし川北はそれでもまだ自分の考えを捨て切れずにいた。


 そして最後に言い残した『死神』とは何だ。自分が死神に魅入られたとでも言いたかったのか。それともそれは誰か特定の人物を指す言葉なのか?


 『死神』など、普通の日常生活で出て来る言葉ではない。もし出てくるとするなら、何か極限状態の状況でならあり得えるかも知れない。


 例えば戦争や戦場、そう言う状況に居る人間の間でなら。


 そう考えると、この前死んだ二人も今回のスナイパーも、そう言う環境にいた人間ではないかと考えられる。つまり闇組織の人間か傭兵か。


 川北はそう言う方面の情報を集めてみようと思っていた。


「総理、今回はどういたしますか」

「別に何もしなくてもいいのじゃないかね」

「そうですね。今回も誰も怪我をした者はいませんし、彼も確認はされておりません。そしてスナイパーの死因は暴発事故と言う事ですから」

「ならこのままで決着と言う事でいいだろ」

「はい」


「所でどうしてスナイパーの銃は暴発したのかね」

「その原因を探求してるのですがまだわかってはいません」

「そうか、単なる事故ならそれでいいのだが」

「そうですね」

 

 今回もまた狙撃に失敗した佃組では、今後の方策を検討していた。


「どうするんや、頭」

「そうですね。ここは一旦時間を置いて次のチャンスを考えたいと思てます」

「そうやな、その方がええかも知れんな。あんまりちょっかい出してこっちの素性がばれたらえらいこっちゃからな」

「私もそう思います」

「しかし頭、失敗は失敗や。わかっとるやろうな」

「はい」


 丁度その時、入り口でちょっとした騒動が持ち上がっていた。


「なんじゃおまえは」

「どこから来たんじゃ。帰らんかい」

「なんじゃわれ、殺されたいんか。えー」


 そんな会話が交わされていた。


 そして肉を打つ打撃音と、壁が振動する音に、組員達の呻き声。


「おい、誰か見て来い」


組長にそう言われた幹部の一人が表に向かった。


「オヤジ、カチコミですわ」

「なんやとカコチミや。何処の誰や」

「それがわかりまへん。たった一人で」


「何やっとんじゃおまえら、一人くらい何とかせんかい」

「それがえらい強い奴で。

表の奴らみんなやられてしまいよりました」

「なんやと。おい正。お前見て来い」

「はい」


 正と言われたのは、この組で一番ゴロマキが強いと言われた幹部だった。


「どけ、おまえら」

「あっ、正の兄貴」

「何やっとんじゃたった一人に。情けないのー」

「おまえかい。カチコミかけて来た言うんわ」

「そうだが、お前は少しは強いのか」

「なんやと、この方はな。『ゴロマキの正』言われてこの辺りじゃ敵なしじゃ」

「へー、それじゃ少しは遊べるのかな。まぁいい。かかって来いよ、正とやら」

「舐めるなよ、糞ガキが」


 そう言って突っかかって行った正は、知らない間にドアの方に4-5メートルも投げ飛ばされていた。


 これは相手の突進力を利用して、そこに軽く手を添えて身体を開き、相手の突進方向に更に加速を加えて鳴海が投げた。


「なんやと、この俺が投げ飛ばされるやと」

「ほーまだ立てるのか。流石は『ゴロマキの正』と言われるだけの事はあると言う事か」

「じゃかましいわ」


 そう言って正は、相手の右腕を掴んでおいて、右拳で殴りかかった時に、相手はその手の内側、手首の辺りに軽く手甲を添えて、そのまま身体を開きながら、その手を掛け手にして正の手首に引っ掛け、そのまま下に落とした。


 それだけで正は大きく宙を舞って、背中から落とされた。しかもその衝撃が半端ではなかった。正は一瞬息が出来なくなった。


 口はパクパクすれども空気が入ってこない。ショックで肺が動いてないようだった。


 身体中に悪寒が走り、冷や汗が全身を覆った。指一本動かせない。自分はこれで死ぬのかとさえ思った。


その時相手が、握った手の小指側で、胸の中心を軽くトンと叩いた。その瞬間「ガーッ」と息を吐き出してまた吸う事が出来た。


 正は生き返ったと安堵した。この時『ゴロマキの正』にして初めて死の恐怖と言う物を味わった。


「違う、レベルが違い過ぎる」と正は思った。自分も喧嘩だけでここまで来ただけに相手の力量が計れる。


 これはとても喧嘩になるレベルではない。今までやって来た喧嘩などこの相手に比べたら児戯に等しいとさえ思えた。


 正は完全に戦意を喪失していた。その間に鳴海は更に奥へと進み、近寄て来る者は全員床に這わされていた。


 もはや鳴海の前に立ちはだかる者など一人もいない。鳴海としては軽く叩いている程度だが、本人達に取ってそれは、三途の川を垣間見る様なものだったかも知れない。


 奥の会議室のドアを蹴破って鳴海は中に入った。


「なんじゃおんどれは」

「ここを何処やと思とるんじゃ。佃組の本部と知ってやっとるんか。おんどれ死ぬだけじゃすまんぞ」

「ほー、これは面白い事を言う。俺を殺しにかかったのはお前達だろうが」

「なんのこっちゃ」


「お前ら俺にヒットマンを2回も送ってくれたじゃないか」

「なんやと。なに訳のわからん事ぬかしとるんじゃ。知るかそんな事」

「そっちの頭さんなら知ってるよな。あいつらが吐いたぞ」

「アホな。あいつらはプロやぞ。そんな事、言う訳ないやろう」


「バカかおまえは、自分で白状してりゃ世話ないよな」

「なに、騙したんか」

「いいや、本当に喋ったんだよ。お前に雇われたとな」

「そんなアホな」


「そんな事はどうでもええんじゃ。お前が『やくざ狩り』とかぬかして粋がっとる奴か」

「あんたが組長さんか。初めてお目にかかる」

「なめてんなよガキが。ここから生きて帰れるとでも思ってるんやないやろうな」

「帰れるさ。こんなとこくらい。正と言う奴も倒したしな」

「なんやと。正がやられた言うんか」

「じゃーそろそろ始めるか」


  そう言って鳴海の侵略が始まった。それはもう喧嘩とか闘いとか言う様なものではなかった。


 ただ一方的な蹂躙としか言い様がなかった。そこにいた全員が足腰立たないほど叩きのめされていた。


 特に酷かったのは頭の岡部だろう。顔の形状が変わっていた。まだ生きているのが不思議な位だった。


「俺にヒットマンを送ると言う事がどう言う事かわかってくれたかな」

「さて残ったのはあんた一人だ。組長さんよ」

「調子に乗るなよガキが」


 そう言って佃は、机の引き出しから拳銃を出して鳴海に狙いをつけた。


「そうそう三人目のスナイパーだが、ライフルが暴発して死んだのを知ってるか。その拳銃も暴発しないといいがな」

「なんやと、そんな事ある訳ないやろうが」

「そう思うのなら撃ってみろよ。当たったら御慰みだ」


『しかしこいつは何故そこまで堂々としていられる。拳銃が怖くないのか。自分は死なないとでも思ってやがるんか。それともこの銃が本当に暴発すると思っとるんか』


 そう思うと正直引き金が引けなかった。それはこの男の言葉だけではなかった。前に立ちはだかったこの男の気配だ。


 それはもう野生の猛獣に等しかった。いくつもの修羅場を潜り抜けて来た佃も初めて経験する恐怖だった。


 佃の額からはいくつもの汗が滴り落ちていた。握った拳銃がやけに重い。今にも落としそうだ。そして動悸が激しくなってきた。


『なんだ。なんなんだこいつは』佃はそう思い、手が震えていた。


「なぁ、佃さんよ。これで終わったんじゃ、あんたの面子も立たんだろう。だからチャンスをやるよ」

「な、なに、チャンスやと」

「そうだ。3日後の日曜の朝5時に、この前スナイパーが俺を狙った堺の埠頭の公園で待ててやる。出来るだけ頭数揃えて俺の玉を取りに来いよ。俺一人で相手してやるからさ。これで逃げたらあんた、業界の笑いものになるのはわかってるよな。なら気張れ。じゃーな」


 そう言って鳴海はあっさりと去った。


「糞ガキが。覚えとれよ。絶対玉取ったるかなら」

 

 そう言って佃はあちこちに電話をかけまくっていた。

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