第13話 詩芽と空手家武藤と亜里沙

 その道場には20人位の黒帯達がいたが、みんな尖った雰囲気を持っていた。


 きっと門下生の中でも喧嘩の出来る黒帯を集めたのだろう。その中央で武藤が胡坐をかいていた。


「良く来たな、昨日の試合の決着をつけようと思って待ってたぜ」

「決着って、お前が負けたんだろうが」

「うるせぇ、お前は誰だ」

「俺か、そうだな、この子のマネージャーみたいなもんだ」

「マネージャーなら黙ってろ、素人の口出しする事じゃねぇ」

「素人ね、その素人みたいな女の子に負けたのは誰だっけな」

「うるせーと言ってるだろうが。大人しくしてりゃ調子に乗りやがって」


 そう言って武藤は鳴海に近づいて、右の正拳突きを鳴海の顔に向けて打ち込んだ。しかも最大パワーで。


 もし当たっていれば即死も免れなかったかも知れない。ただ武藤は脅しの為に寸止めにするつもりだった。


 しかしその時、その正拳は鳴海の左手によって受け止められた。門下生達は何と見事な寸止めだと感嘆した。


 しかしそれを放った本人だけは冷や汗をかいていた。


 受け止められたのが寸止めの一寸手前、つまり自分の最大パワーの所で受け止められた事になる。しかも相手は涼しい顔をしている。


 その拳は押せども引けどもびくともしなかった。まるでそこに固定されてしまったかのように。そしてその男はちょっとその手に力を込めた。


 すると痛みが腕から伝わり心臓が締め付けられるような圧迫感を覚えた。


 一瞬息が出来なくなり鼓動が早まった。『俺は死ぬのか』そんな感覚さえ持った。


 門下生のみんなは「もう許してやったらいいのに。脅しはそれくらいで十分でしょう」と思っていた。脅されてるのはどっちだ。


 そしてその男はにっこり笑って、

「詩芽、この人がもう一度お前と手合わせをしたいと言っているので、お相手をして差し上げなさい」

 と言って手を離した。


 身体から瞬間に力が抜けた。俺はまだ生きているんだと思った。


 しかし今はこの男ではない。この女と決着をつけなければならないと思い直し、意識を切り替えた。そこは全国大会に出るだけの猛者だ。


 この前は後れを取った。確かに酒が入っていた事は認める。


 しかしあれ位の酒で俺の空手がどうこうなるものではない。だとすればやはりこの女が強いと言う事だろう。


 あの時は女だと思って油断があった。しかし今はもうない。俺と同等かそれ以上の相手として対戦してやる。そう思った。


 二人は中央の仕切りに立ち、審判は武藤の後輩が務めた。「はじめ!」


 この合図で二人は構えた。詩芽は右足右手前の剣道の様な構え方をしていた。


 武藤はアップライトの構えを止めて、脇を引き締め小さく構えた。


 門下生達は不思議に思った。武藤先輩があんな構え方をするなんて。いつもはもっと豪快に構える先輩なのにと。


 この女に大技は危険だとこの前の戦いで理解していた。コンパクトにシャープに、それしかない。


 それと接近戦も危険だ。もし懐に入られたら投げられる。その感覚で立ち向かった。武藤にしては珍しく地味な攻めだった。


「先輩、そんな奴、回し蹴り一発で終わりですよ」


 勝手な事ばかっかり言いやがって、一回でもこの女と戦ってみろ、そんな事は言えなくなるぞと武藤は後輩達を罵っていた。


 コンパクトな攻撃をしてるのにそれでも全て流されてしまう。


 蹴りは無駄のない直蹴りだ。それでもかわされる。何処をどう攻めたらいい。武藤は焦りを感じていた。


 こうなったら最後の手段だ。この子には悪いが、俺の必殺技を使おうと考えた。


 何故ならこの技は禁じ手に入る。だから大会では使えない技だ。しかしそれ以外に有効打があるとは思えなった。


 左足を踏み込んで左の順でけん制の突き、そのまま足を差し替えて右の横猿臂(肘打ち)、これで肋骨を粉砕する。


 上段を狙うとかわされ易いのでかわし難い中段に打ち込む事にしていた。


 この猿臂を入れた瞬間相手は猿臂の外側に回り込んでいた。まるでこの攻撃を見透かしていたように。


 そして攻撃が猿臂だった為間合いが近い。そのまま相手は右手を武藤の右首筋に当てがった。そしてそのまま身体を開いて投げた。


 信じられない事に武藤の身体は空中で一回転して床に叩き落された。しかもドチャと言うような音と共に。


 見ていた者達はこんな小さな子が、どうしたら武藤の様な大男を、ああも見事に空中に舞わす事が出来るんだと信じられない顔をしていた。


 武藤は立ち上がる事も出来なかった。それを見た門下生の何人かは敵討ちだとばかり飛び出して行った。最初の二人は一瞬で倒された。三人目が構えようとした時


「いい加減にせんか。馬鹿ども。どれだけ恥を晒せば気が済むと思っとるのだ」と大音声が轟き渡った。


「館長」


 みんなは固まり大人しく下を向いてしまった。


 最後に立っていた三人目は、館長の蹴りで後ろの羽目板まで飛ばされた。


「申し訳ありません。門下生の馬鹿どもが失礼な真似をいたしました。私からお詫び申し上げます」と館長の黒沼天梧は深く頭を下げた。


「いや、わかってもらえればそれでいい。では我々は帰らせていただく」

「ちょっと待ってください。それではお詫びになりません。良ければ私の部屋まで。この馬鹿にも謝らせますので」とのびている武藤を見やった。


「そこまではしなくていいでしょう。我々はまだ夕食を取ってないのでこれで失礼したいのだが」

「そう言う事でしたら是非とも私にご馳走させていただきたい」


 そう言う事で『養武館』の館長と武藤、そして鳴海達とでテーブルを囲んだ。


「しかし驚きましたな、そちらのお嬢さん。実にお強い。うちの武藤でも相手にならないとは。あなたのお弟子さんですか」

「いや、俺は武道をやらないので」

「それはないでしょう。あなた程の人が」

「それは買いかぶりと言うものですよ」

「そうでしょうかね」


「ところで失礼ですが、あなたはどう言うご職業なんですか」

「俺はこう言う事をやってます」と言って鳴海は名詞を渡した。


「『北斗トラブルシューティング』とは?」

「まぁ、言ってみれば揉め事処理屋みたいなもんですかね」

「なるほど、あなたらしいと言えるかも知れませんな」


「で、そちらの武藤さんと言うのがこちらのホープと言う訳ですか」

「いやー、ホープと言ってもそちらのお嬢さんに負けるようではもうホープとも言えんでしょう」

「それはないでしょう。その人なら大会でもかなりの所まではいけるのではないですか」

「そうですね、去年は準優勝でした」

「準優勝ですか、それは大したものだ」


「教えてください。俺には何が足りないんですか」


 といきなり武藤が口を挟んだ。


「おい、武藤」

「いいですよ。どうだ詩芽」


「そうですね、間合いの使い方ですかね。あなたは一本調子なんですよ。間合いと言うものは生き物です。相手の出方、動きに応じてそれぞれに対応する必要があると言う事ですかね」


「武藤、ようく覚えておけ、滅多に聞けない意見だぞ」

「はい、館長」

「もし良ければ、今後とも昵懇に願いたいと思うのですが」


「我々は旅行者でして、明日には関西に帰ります」

「関西の方でしたか、それではまたそちらに行った時には宜しくお願いします」

「わかりました。今日はご馳走様でした」


 と言って一同は別れた。


 後に残ったのは黒沼と武藤だった。


「館長、あの鳴海と言う人物、どう思います」

「あれは、お前では到底無理だ。恐らくは達人の域に達してるだろうな」

「でしょうね、俺も拳を止められた時殺されるかと思いましたよ」

「あの娘もそうだが、恐ろしい男だ」


 翌日、鳴海達がホテルで待ってると、豊洲が自分のSUVでやって来た。行き先は埼玉にあるノーザンカントリークラブ錦ヶ原ゴルフ場だと言う。


 車で1時間半ほどだ。それなら今出れば丁度良いだろうと言う事で出発した。


 その頃官邸では、首相が電話連絡を受けていた。


「松前君、また何か揉め事かね」

「申し訳ありません。大事な週末だと言うのにお手を煩わせまして」

「それはいいんだが何かね」

「今回はまだ何かが起こったと言う事ではないのですが、あの男が上京しました」

「東京に来たというのかね」

「はい」


「なんの為に」

「誰かに会いに来たようです。今わかっているのは下北沢にあった『エリハルコン・プロダクション』と言う芸能プロダクションを探していると言う事でした」


「ほーあの男と芸能プロダクションとはこれまた奇妙な取り合わせだね。あの男も人並みになったと言う事かな」

「それはどうでしょうか。こんな事で大人しくなるような人物とは思えませんが」

「まぁ、そうだろうね」


「ただ一つ、その夜、あの男の助手が街で三人の男達と喧嘩をしております」

「ほー本人ではなく助手がかね。それで」

「圧勝でした。その三人は渋谷に本部を置く『養武館』の門弟でした。そして一人は全国大会にも名を連ね猛者でした」

「それでその助手が圧勝したというのかね」

「はい」


「あの男の所は助手でも強いと言う事か」

「しかもその助手と言うのが歳輪も行かない少女でした」

「ほんとうかね、それは。何かの見間違いではないんだね」

「はい、それを見ていたうちのメンバーに格闘術に優れた者がいるのですが、その彼でも勝てないだろうと言ってました」

「それほどの少女が。驚嘆だね」

「はい、益々目が離せません」

「わかった。宜しく頼む」

「はい」


 千葉のゴルフクラブでは、亜里沙が経済界のビックのコンパニオンとして一緒に回ってると言う話だが、歌手がそんな事までするのかと鳴海が聞いたら、今は何でもやらされていると言う。


 それも借金返済の為に。一応顔が売れてるので、こう言う接待役には持ってこいだと言う事で、プロダクションが亜里沙を積極的に使っているらしい。


「なるほどな、それでは光も失う訳だな」

「私、そんなの許せないわ。所長、何とかならないんですか」


 借金の額を聞いてみたら5億だと言う。それを営業で返済してるらしいが、会社の利益を最優先に、それもかなり抜かれて、その残りと言う事になるので殆ど返せてないと言うのが現状らしい。


 それでは完済するまでに一体何年かかるのか。豊洲の概算では20年はかかるのではないかと言う事だった。


 それはあまりにもぼったくりと言うものだろう。どうやら亜里沙を飼い殺しにするつもりらしい。


 そのカントリークラブに着いて様子を見ていると、亜里沙の入ったパーティがグリーンに上った。


 しかしよく見ると人数が多過ぎる。あのゴルフをしない黒服の男達は何者だ。


 豊洲によると会社が付けているガードだと言うが、本当は亜里沙の見張りらしい。おかしな者が近づかない様にと。


 普通であれば、それはストーカーとかの為と言う事になるんだろうが、ここでは亜里沙が逃げ出さない為のものだと豊洲が言った。


 しかも亜里沙個人の携帯にもチェックが入ってるらしい。それでは簡単に携帯にも出る事が出来ないはずだ。それで亜里沙は自分の携帯を切っていたのか。


 ただ亜里沙の母親とか同姓の友達とだけは簡単な会話なら許されているらしい。それではまるで監禁されているのと同じではないか。


 そう言う状況を理解した上で、鳴海は何とか亜里沙と話が出来ないかと豊洲に言った。


 すると豊洲が何とかやってみますとプレーの休憩の時間を見計らって亜里沙に近づいた。


 豊洲ならガード達も知っているので少し時間をくれた。


 その時にガード達に見えない様に亜里沙を鳴海に引き合わせた。亜里沙は目に涙を浮かべて鳴海にしがみついた。もう言葉はいらなかった。


「良く聞け、亜里沙。俺が必ずお前を助ける。それまで我慢しろ。いいな」


 亜里沙はただコクコクと頷くだけだった。


 そして亜里沙に詩芽を紹介して詩芽の携帯番号を渡した。連絡はこれで取ると鳴海が言った。


「お前の高校の後輩と言う事にしろ」


 それだけ言って鳴海と詩芽は消えた。しかし亜里沙の心には再び明るい灯がともった。


 亜里沙は午後のプレーに向かって行ったが、心なしか足取りが軽やかに見えた。


 ゴルフ場からの帰り道で鳴海が豊洲に、

「出来るだけ『マルサン・プロダクション』の内情とバックとのコネクションを探ってくれ。俺達は俺達のルートで探る」


「俺達はこれで大阪に帰るが来週また来る。その時にまた会おう」


 そう言って豊洲と別れた。


「所長、大丈夫ですよね。亜里沙さん、助かりますよね」

「俺が関わって、上手く行かなかった事があったか」

「そうでしたね。ただちょっと後始末が大変ですが」

「なんだ、それは」


 詩芽はクスクスと笑っていた。


 大阪に帰ってから鳴海は詩芽の父、長谷川を呼び出した。


 組事ならいつもは頭の東郷が一緒に来るんだが、これは詩芽の絡む事なので神原が一緒に来た。


「長谷川さん、ちょっと頼みがあるんだが」

「なんでしょう」

「東京に『マルサン・プロダクション』と言う芸能プロダクションがあるんだがここのバックを調べてはもらえないだろうか。恐らくこっちの極道とも繋がりがあるんではないかと思ってるんだが」


「そこが何か?」

「ああ、詩芽の大好きなアイドルがいる。詩芽が何とかしてやりたいそうだ」

「わかりました。そう言う事なら組を潰してでも」

「オヤジ」


「ははは、冗談や。それくらいわかっとるわい。しかし詩芽絡みと言われたらせんとしゃーないやろう」


 これで裏道に少しは穴が開きそうだと思った。


 しかしと鳴海は思った。


「俺も悠長になったものだ。今までなら全員を抹殺して全てを終わらせていたのだが、ここが日本だからかな」


 『戦場の死神』も人並みになって来たと言う事だろうか。

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