N17B2c 大ニュース 3


 授業を終えて放課後、あやが家に帰るとすぐに応酬が始まった。


「蓮堂きいて、大ニュース!」

「大ニュースはこっちだ。今すぐ着替えて出発するぞ。荷物はソファにでも置け。スマホは持ってていい」


 応接用のローテーブルにある見慣れないバスケットを覗くと、肌着を含む着替えがあった。速乾素材と剛健さが売りの品、これが出てくるなら行き先がわかる。体育の授業よりも激しい動きが必要だ。


「何があったの?」

「着いてから話す。黙って着替えて出発だ」


 普段の蓮堂は言葉がどれだけ乱暴気味でも内容からはやさしさを感じていた。今は違う。有無を言わさない話しぶりが何を意味するか、信頼しているからわかる。一刻を争う動きだ。


 パスケットをひっくり返して、着ていた服を放り込んでいく。中にあった服を着る。冷えた肌着が裸身に触れる。剛健なズボンとジャケットは触れ心地こそ慣れないが、匂いはなかった。


 蓮堂の事務所には小型カメラが点在していて、特に応接用の空間は依頼人を複数の角度から記録している。今だけはあやが着替えられるように、すべてのカメラを紙片とテープで塞いだ。あやが知らない位置にも目立つ紙片があった。紐を引けばすぐ外せる仕掛けも。


「おっけ、出られるよ」


 蓮堂は服こそ普段と同じパンツスーツだが不釣合いなアウトドア系バックパックを背負った。腰で持ちあげる本格派だ。事務所の明かりを落とし、戸締りを済ませた。


「それ車の鍵? 免許持ってたんだ」

「当然だ。牽引だって堂々とできるぞ」


 駐車場は地下にある。協力的な者と交渉し、近所のマンションの住人用を借りている。定期的に走らせているのでバッテリーもガソリンもブレーキパッドも万全で、セキュリティは物理と電子をそれぞれ二重三重に構えている。すべて異常なしだ。


 カバーを外してトランクに入れる。赤いスポーツカー、これが蓮堂の車だ。あやが助手席に入ろうとしたが、そこには運転席がある。指示に従い後ろ座った。


 エンジンが鳴り、走り出す。地上へ出たら北へ。東京都練馬区から埼玉県和光市、そして新座市へ。進むほど人工物と植物の比率が逆転していく。


「彩、これから会う奴らだが」


 ルームミラー越しに話す。


「前に見せた写真で、私の隣にいた男だ。今はすっかり筋者みたいな顔つきだが、向こうも彩を大事にしてる。安心していい。名前は大谷秀臣おおたに・ひでおみ、通称オオヤだ」


 あやは産みの親とその友達ばかりを見ていた。隠れた蓮堂がどんな顔をしているか想像していた。その隣にどんな顔があったか、よく思い出せない。


「他に集まってるのはハマカンと岩谷、全部で五人だ。彩には旗振り役を頼むぞ。やりたいとかやりたくないとかをなんでも言っていい。面倒とか困難なんかは老人がいくらでも片付けられる。だが目的地を決めるのは若者にしかできない」


 旗振り役とは、つまりはリーダーだ。あやは筋者以上に自らの言葉が恐ろしくなった。相手は平均年齢四十一歳、あやを抜かせば五十歳の大人たちだ。それを自分が動かしたら、的外れにならないか、車輪の再発明にならないか、同じ轍を踏まないか。何より、間抜けな失敗をしないか。


「慣れてるだろ? 学校ではグループの中心を担ってるって聞いてる」

「でも普段は同年代で、大人と同じには見えないよ」

「大人と子供の違いなんて、体格と経歴だけだ。大人の優位はこれまで練習した量だが、練習してなかった範囲は子供のままで変わらない。そして大人が練習できない範囲がいつの時代でもある。例えば」


 信号で車を止めた。慣性の法則で体が飛び出そうとしてシートベルトが引き戻す。


「二〇三〇年生まれが当たり前に見てきた世界ではどう過ごすといいか。私は少しだけ練習したが、それでネイティブに勝てるとは思えん。どうしても過去の栄光がちらつく」


 交差点は大きいほど信号待ちが長くなる。歩行者が通る時間は道幅が決める。


「私が子供の頃は友達と遊ぶと言ったら、公園か友達の家で任天堂のゲームが当たり前だった。その頃の大人が子供の頃はベーゴマとかメンコとかで遊んでいたらしい。歴史の外部顧問から教わる程度の骨董品だ。そんな世代に、ゲーム機が何をしてるかわかりっこないんだ。私が、子供の頃からスマホがあると何をできるか知らないのと同じでな」


 信号が変わった。横切る車から右へ曲がる車へ。


「私も若者から教わる番になった。彩も三十年後にはそうなる。誰だってやがて交代する。楽しみ尽くしておけよ、半端だと縋りつきたくなる」

「あたしは蓮堂を、新しいものをどんどん取り入れてると思ってたけど」

「手段としては、確かに取り入れてる。だが、新しい目的を作れてはいない」

「あたしも作れてない気がするけど」

「気づけないもんだ。彩の当たり前が私には新鮮そのものだからな」


 黄色信号。発車に備えた。


「悪い、柄でもなく昔話をしちまった」

「新鮮で楽しいよ。あたしはもっと聞きたい」

「よせ。カビが移る」

「はい、チーズ」

「そこまで古くはない」


 青信号。進み始めた。あやが何を求めるか、今のうちに洗い出しておく。


 リティスは友人だ。きっと仲良くなれる。リティスの家族は問題あるらしく、うち一人をあやも恐れたが実害はまだない。根雨椎奈ねう・しいなは、よくわからないが不気味な動きをしている。あとで蓮堂か岩谷から情報をもらってからだ。


 学校の皆が関わりないのは幸いだった。ハマカンも直接は関わりない。気になるのは蓮堂だ。聞いている限り、最も深く踏み込んでいる。だから危険が迫るなら、あやの手脚で跳ね除けたい。

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