N37D1b ready-4/6: 覚悟 2

 基本は追跡側が有利だ。どこを通るかの判断は逃げるあやアルファが済ませていて、残った跡を見て辿るだけでいい。五分で逃げて、一分で追う。


 防風林の深く、土がむき出しの小部屋状の空間。岩や陽当たりの悪さに加えて、周囲の木々が栄養を吸い尽くす。動物の糞やそれを餌に成長する菌類が異臭を放つ。その中央で、あやアルファは左手を正面に突き出して待っていた。


「なんすか、そのポーズ。魔法弾でも撃てるんですか」


 左手の七番、油圧ピストンを縮めて軽量化し、その分だけ機能を載せた高機能型だ。使い始めてからは二ヶ月ほど。近距離の無線通信でスマホと繋ぎ、経由して他の機器に繋いでいた。電波の送受信ができる。


 組み合わせるのは、今朝の車で聞いたばかりの話だ。エシュロンによる電波の傍受を、この場で簡易的に再現する。ぶっつけ本番でも有無ならきっとわかる。


「魔法ならあるよ。リティスをこっちに連れ出すから、楽しみにして」


 発達した科学を用いて飛び交う電波を受け取る。感度を高めて、安全装置を切って、すべての電波が電気刺激となってあやアルファの神経へ流れ込む。情報の濁流がまともな人間を押し流す。鈍ければ不愉快な振動に感じるかもしれない。


 あやには経験がある。中学生の頃、腕の五番とパソコンを有線接続したときも似た調子だった。インターネットページを開くたびに共通の刺激から始まり、固有の刺激が続き、再び共通の刺激で終わる。当時は知らなかったが、データ転送の最初と最後を示す符号で届け損ねを確認している。いくつものページで何度も試して、知らない刺激があったら読んで確認する。毎日の繰り返しで少しずつ身につけた。


 マシン・ネイティブとして、それより少ない量を読み取るくらい、やってみせる。聖徳太子ごっこの練習なら小学生の頃にした。当時は二人が限界だったが、今ならどうだ。しかも音ではなく電気刺激だ。条件は違うが、不利ではない。


 定期的に届く電波がある。いつも似たような内容で、おそらく時刻を示している。きっと人工衛星の位置情報だ。ひとつ見えたら、次はその電波と干渉した分を加味して読み取る。短い音声通信で、街から遠いのに強く届く。飛行機と管制塔なら違和感はない。どちらとも別の強い電波が二つ。『レディ・メイド』のエシュロンとドローンだ。


「何も出ないっすね。終わりにしますよ、そろそろ」


 リティスの構えがさりげなく、受け止めやすい位置に来た。ただ防ぐだけなら容易でも、偽装との両立はできない。無難な勝ちはいらない。最高の勝ちだけが欲しい。


 お目当ての電波はもっと小さいはず。軽くて小さい発信源に相応の弱い電波を探す。目を閉じて、集中して、


「見つけた!」


 見開き、リティスの手首へ十手を投げつけた。親指の爪をへこませてナイフを落とす。次いで右手は指一本を立てて口の前に、左手でスカートを捲り上げた。パニエの裏、洗濯表示と重なったベロを摘む。


 これだ。半導体技術と発電技術の結晶、ロゴの刺繍に重ねて微弱な電波を発する特殊装備。そのカードを左手で握り潰した。板状の極小電池が指の中で爆発し、微量の放射線を撒き散らした。


 一連の動きと並行して電波を放つ。電波は逆層の電波で中和できる。船が水面下のしゃくれ顎で逆層の波を作りかき消すのと同じ、盗聴器の電波を左腕の電波で相殺する。この音は拾わせない。


 人工衛星からの電波が澄んでいる。この場から発信源が消滅した。


「これであたしと二人きり。誰の目も耳もないから、今度こそ! 本音を聞かせてよ」


 連中のやり方を知っているから。盗聴機をひとつ壊す前提で、安心した所で本音を語れば、密かに捉えてくる。基本技の上げ落としだ。


 ドローンを追加しても木々に阻まれて届かない。電波は消滅した。これでだめなら、諦めて戦うしかない。


「根拠とか、あるんすか」

「もっちろん。ナイショの方法だけど、生きてる盗聴機はもうないよ。二個で全部だった」

「うちの存在が知れたら、皆さんも巻き込みますよ」

「大丈夫だから。乗りかかった船だよ」


 あやは胸を叩き、どっしりと構えた。動物の声も風の音もない、静寂は呼吸音を際立たせた。運動の後でさらに酸素を多く求める変化、すなわち。


「ありがとう、ございます」


 固い握手を交わした。涙と鼻水の音が加わった。互いの肋骨を抱えあう。あやの左腕は添えるだけだ。出力の制御はできても念のために。


「これでひと区切りついたね。次はどうするか、教えてよ」

「何も決めてないっすけど」

「指示もされてない? あたしをどうしたかの証拠を送るとかさ」


 落ち着いたが、まだ吐息には湿り気が残る。思い出したくない話を思い出した顔だ。


「写真を送れとは言われました」

「そっか。あたしを殺さなくちゃだ」


 けろりと話すあやはにんまりと笑みを浮かべた。他の誰にもできない、あやだからできる策がある。


「あるんすか、そんな都合いい手が」

「任せて。写真はどれで撮る?」


 リティスは頷く。第一ボタンの仕込みカメラを示して、詳しい作戦会議を始めた。

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