N38D2a ready-5/6: 可能 1

「つまりは、あたしが死んだ証拠を送りつければいいんでしょ」


 リティスは半端な顔で頷く。説明によると、第一ボタンに仕込んだカメラは写真を撮ると電波を発する。その電波は誰に届くでもなく、傍受によって本隊が読み取る。盗聴器と同じ、突発的な使用を捨てて作戦に特化したタイプだ。


 小型カメラなら蓮堂が使うところを見たことがある。探偵事務所にも似たものがある。すぐに電波に変換するなら、あとは暗号化のキーがわかれば。


「いくら蓮堂さんでも分析は厳しそうですけど」

「だろうね。届けるだけで時間かかるし。だからあたしがこの場でやる」


 あやは周囲にちょうどいい場所を探した。激しい激突の果てにあやが死ぬならば、どこでどんな死体になるか。かつ、偽装にちょうどいい色になる場所はどこか。岩よりも土のほうがいくらか誤魔化しが効く。草は粗が出るので避ける。


 見つけた場所の近くにリティスを立たせた。隠す場所と見せる場所を指示して、左腕の準備を済ませたら、シャッターを促す。


「本当にこんなのを撮っていいんすか」

「大丈夫。『リティスはさっきあたしを殺した。写真を撮るつもりが、怪我で姿勢がぶれて地面くらいしか映らないのを三枚も撮ってしまった』からね」


 データの暗号化にはふたつの要素が関わる。公開鍵と秘密鍵だ。これらは暗号文と暗号の解き方の組み合わせで、単純な例にすると、公開鍵を『うもゆかいた』、秘密鍵を『あ行はひとつ上に、か行はひとつ下に、ま行とら行を入れ替える、た行とや行を入れ替える』としたら、暗号を解いた結果は『いろつきあや』となる。実際はさらに多くの処理を入れるので解読はまず不可能になるが、あやには経験がある。マシン語を直接その腕で受け取り、自分宛てと他人宛てを聴き分けていた。


 音もなく一枚目。左腕で電波を受け取った。二枚目と、時間を空けて三枚目。暗号化した電波がリティスのボタンから出て、あやが聴きとる。写真として復元するには、どんな鍵を合わせるか。


 静かな空間で、目を閉じて、脳のすべてを演算に回す。少しずつ別の写真になるから、どこに共通点があるか、違いに対してマシン語の違いがどこに出るか、感覚であたりをつけて理屈で掘り下げる。


 暗号にも法則がある。データ量を減らすため、欠落のリスクを下げるため、各国のエンジニアが叡智を注ぎ込んだ。第二次世界大戦の頃にはすでに研究が始まっていた。元号は三つも前、昭和まで遡る。


 必要に合わせて発展する。読み取られたくないから複雑にする。複雑では扱いにくいから法則を作る。法則を隠したいから二重に三重にと暗号化を組み合わせる。すべてのパターンを試すだけで膨大な組み合わせがあり、それをすべての情報に対してなど当然やっていられない。


 セキュリティは無関係な情報が本当に無関係かどうかを隠すだけで価値を持つ。無数の金庫にくだらないものまで入れておけば本物を見つけるのは至難だが、金庫がひとつならば大切なものがどこにあるかは明白だ。


「あの、本当に大丈夫なんすか」

「もう少し」


 傍目には無策で投げ出したのとの区別ができない。手が動かないし、目も口もものを言わない。結果だけが語る。最後まで積み重ねて初めて価値をもつ。


 静寂は安全との相関がある。先の大騒ぎで逃げていた鳥たちが少しずつ戻ってきた。誰かがギャアギャアと鳴き始めた声を合図に帰省が加速する。危機は去った。防風林の動物たちが日常に戻ろうとする。


 見えない場所ではあやの戦いがある。暗号は解いた。三枚分のマシン語から写真を復元したからわかる。次は暗号化だ。映したい写真を想像して、暗号のルールに則りマシン語への翻訳をする。


 最後に再び写真を復元できるか確認して、電波を意識した。


「よし、送った」

「は? 何をっすか」

「あたしが死んでる写真。秘密の方法だけど、今頃は届いてるはず」


 物理的には目を閉じて開けただけで、何かをした様子が見えない。外見と実態の剥離は、知識なしではほら吹きとの区別がつかないが、ありふれていないから想像をつけやすい。あやの目立つ珍しさとは、まず義肢がある。腕がいいと聞いてもいるし、腕を出したポーズもあったので、きっとリティスにも想像がついた。目の前の顔がわかったふりでなければ。


「信じますけど、向こうの水平線あたりの雲を見てください。黄色の光で集合場所の合図がきます」

「おお奇遇。蓮堂もそうするってさ」

「考えることは同じっすね」


 死んだはずのあやと、船に乗り遅れるリティスは、動くわけにもいかないので休息の時間とした。静寂と大自然の薫りが一時いっときのみ文明を忘れさせる。恩恵と頼りすぎに気づいて次に文明に戻ってからの見方を研ぎ澄ます。


 眠くなってきた。時計を見る暇もなかった。体感では一日中ずっと走り回っていた気がするが、蓮堂と離れてからたったの一時間と少し。アドレナリンが抜けて、疲労や負担に気づく。もう当分は動きたくない。きっと明日は筋肉痛だ。油圧ピストンの手入れも必要になる。


「ねーリティス、おやつ無い?」

「もう全部たべちゃいました」

「ちぇー。あとで蓮堂に買ってもらお」


 何がいいかを今から考える。それしかすることがない。盛り上がって気取られる懸念があるので、うかうかお喋りもしていられない。


「黄色の光なんて来ないけど。成功したと思ったんだけどな」

「存外、蓮堂さんとかがやってくれたかもしれませんよ」

「そっちか。一理あるね」


 あやは体重を土に預けた。衛生の対極だが、転げ回っていた時間もあるから五十歩百歩だ。いまは体を休めたい。


「ん? でも待って、それだとあたしの見せ所が全部いらなかったことになる。寂しいな」

「結果論すよ、それ」


 静かに笑って、ただ進展を待った。

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