N43D3c ready-6/6: 欲求 3

 あやとリティスは立って動く準備をした。尻の汚れを払い、へこんだ土を誤魔化す。


 痕跡を片付けるのは常識だが、折れた木はどうにもできない。気づいてからはあやの足でもできる程度に手を抜いた。抜いたのは手ではなく足と言って笑い合った。


 薮を越えて蓮堂がきた。パンツスーツには不似合いな手袋や、脚には裾を塞ぐようにラップを巻いて即席のゲイターにしている。薮には必ずマダニがいる。咬まれれば後始末が大変で、感染症もついてきたら命に関わる。寄せ付けない装備を最小限の手間で用意してきた。


 計画では、蓮堂は車で待機して、あやが戻ったら体を拭いて出発するはずだった。


 蓮堂は青い顔で、目の前にいるあやを確かめるように上へ下へと目を這わせた。


「彩だな。生きてるな」

「そうだけど、どしたの蓮堂、異常事態?」


 蓮堂は気が抜けたようにため息をついた。


「どうしたもこうしたもないが、本気でわからないか。あの写真だ」

「え、あっ」


 あの写真と呼ぶような候補はひとつしかない。あやが偽装した、あやの死体の画像だ。電波に変換して、傍受させて届けたつもりだった。


 興奮状態ですっかり忘れていた。傍受するのは敵だけではない。蓮堂も同じ電波を読み取った。あやが無残な死体となった画像を。


「前と同じ方法であの写真を用意したな」


 いい親には見せたくないものだ。エッチな本の方がいくらかマシだ。


「で、その画像は」リティスの顔を見た。「お前も内容を知ってるか」

「いえ、彩さんが任せてと言うので、任せましたけど」


 そうか、そうか。蓮堂は押し殺したように笑いを漏らした。


「彩にはあとで山ほどお説教がある。楽しみに待っていろ」

「今回ばかりは言い訳もないや。ごめんなさい」

「次はから見せられる側のことも考えとけよ。こっちは本当に、肝が冷えた」


 ひとまずは生きていてよかった。蓮堂はいつになく疲れた声で言った。小休止がてら服にダニがいないか確認する。よじ登る様子を見つけたら手袋で払い落とした。


「蓮堂、あたしをそこまで気にかけてくれてたんだ」

「当たり前だ」

「いつもドライな感じだし、すぐ切り替えるかなって」

「たったひとりの愛娘だぞ。あいつの、それに、私の」


 蓮堂は顔を背けた。どう見ても疲れたふりだ。態度だけで滲み出ていたし、言葉より行動が優先とわかっていても、言葉には力がある。何気なくこぼすだけで契約のように残りの人生を狭くする。無くしたいものを切り落として持ちたいものを濃厚にする。


 照れ臭さを隠す行為も次に繋がる。大抵は意図とは違う方向へ。


「しおらしい蓮堂、かわいいやったー!」

「うるさい。ほら帰るぞ。お前もだ戸浦リティス。あったかーいピザパが待ってる」


 顔を背けて歩き出した誰かの分まであやが笑顔を向けた。引率の先生のように防風林をかき分け、その道を二人でなぞり車へ向かう。遠くても薮がない道をのんびり歩く。鳥たちは見知らぬ動きと匂いを恐れて隠れ潜む。静寂に足音が三人分、他は話し声を混ぜた。


「あの、蓮堂さん」


 安全とはすばらしい。歩きながらでも話ができる。


「どんな画像なんすか、彩さんが送ったのって」


 蓮堂は悩むそぶりを見せた。


「コロンビアネクタイ、知らないなら調べないでおくほうがいい。グロ画像が出てくる」


 正直に、ただし要点をぼかして答えた。模範的な大人だ。怖気づいたら終わりにできるし、興味が勝るならば覚悟を決めてから調べられる。しかしここは。


「あたしが説明しましょう」

「よせ」


 あやは調べる機会があった。自分と同じように四肢を失った人がその後どうなったか。どんな困難があって、どのように乗り越えたか、あるいは諦めたか。諦めたなら、その時代になくて今ならある道具は何か。


 その過程で多様なグロ画像を見る機会もあった。初めは少し驚いたが、よく考えれば誰もが皮膚の下に同じものを持っている。ありふれていながら普段は見えないもの。服を脱ぐセクシー画像があり、さらに下着まで脱ぐポルノ画像があり、同じくもう一枚を脱げば出てくるもの。


 インターネットには物好きのコミュニティがある。ジャーナリストが発信した地名だけで通じるビデオの他に、マニアが求めるスナッフフィルムもたまにサンプルが流れていた。そのひとつがコロンビアネクタイだ。


「喉仏の上を切って、そこから舌を引きずりだした画像」

「おいリティス、耳か口を塞げ」


 リティスは両手で自分の口を押さえた。あやも乗って自分の耳を塞ぐ。本当は人差し指を途中で曲げているので聞こえているが。


「逆だアホタレども!」

「本来の口を塞いで、この傷口から呼吸をさせるっていう伝統芸能だね」

「しかも嘘こいてんじゃねえ! 見えないだろ、伝統にも芸能にも」

「本当は出血が少ないようにするんだけど、今回はたっぷりの画像を送っておきました」

「それで血の色までわかってやがった。俗に言う中二病だぞこんなのは」

「いっつ・とぅるー・あ・わーるど」


 話題はともかく、賑やかな帰り道になた。


 英語の話題ならthe worldとa worldの使い分けになり、技術の話題ならあやはそのグロ画像を目で見たのか腕で見たのかとなり、グロ画像の出典となった歴史の話になり、各国の現状の話になる。目まぐるしく移ろいながらも中心はずっとあやになるよう蓮堂が計らう。あやは中心を蓮堂に押し付けようとするが失敗続きで、開き直って中心の楽しみ方を探りだした。


 自分の話をするか、相手の話につっこみをいれるか、話が少ない側へ話題を振るか、話題を移ろわせるか、もう少し続けるか。一口に中心と言っても、無数の選択肢が浮かんでくる。


 どうやら自我を出す覚悟はここでも必要らしい。どんな話をしたいか、参加者が飽きそうなときにどう手を打つか。


 人は鏡だ。綺麗なものを映したい鏡は綺麗な者に寄る。映りたい自分を映せるように、目を見て我がふりを直す。

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