N27C2a ready-1/6: 準備 1

 あやは学校へ行く。


 中間テスト期間なので楽に終わる。チャイムまでは五十分で、途中退出は三十分から。次の科目までの十数分はおしゃべりの時間にできる。楽しい日々だ。


 理論上は。


「ごめん彩、今日はなにも考えられない。オーバーヒートしてる」

「あらら。大変だ」


 今村をはじめ、グループの多くは普段以上に消耗していた。人は有能ばかりではない。あやが楽にできることでも、大抵は頑張ってようやくだ。


 科目ごとに目的もなく校内を歩いた。廊下を、階段を、音楽室前を、生物室前を、地学室前を、小集会場前を、トイレを。すれ違う者は生身の指で数えられる程度しかいない。


 場所が変われば立場も変わる。『レディ・メイド』ではあやが消耗する側だった。学校ではまるっきり逆だ。惜しいのは数まで逆になることだ。


 孤独だ。賑やかに見えてもその実は上辺だけの付き合いだった。対等な話をしたい。進学先を間違えたかもしれない。中学まではもっと対等な相手がいた。


 蓮堂の所ならこうではなかった。経験でも実技でもあやの上を行く者がいくらでもいる。教わりながら動ける。自分の至らなさを見つめて、それでも付き合ってくれる。


 たった一人で考えるとひとつの方向へ進んでしまう。正しいと思える考えなのだから、どこまで踏み込んでも異論を見つけられい。誰も軌道修正をしてくれない。


 きっと、リティスも。


 三時限のあと、三年の階を訪ねた。教室の前を歩けば聞こえてくる。鉛筆が、シャープペンが、解答用紙に書き込む音。


 扉が開いて女生徒が出た。彼女はリティスではなかった。


「一年生? たしか戸浦さんの」

「友達です。もう出ちゃいましたかね」

「いや、休みだと思う。それか保健室登校」


 あやは頭を下げて下へ向かった。保健室にもいなかった。以後も歩き回ったが、リティスは現れなかった。


 現れないといえば、根雨椎奈ねう・しいなもだ。欠席続きで、早くも進級さえ怪しいと話題だった。敵対しているし、リティスと違って説得の余地もなさそうだが、それはそれとしてグループの賑わいだった。一人が抜けただけでも休み時間が寂しくなる。


 きっと、あやも。


 ギャルメンバーには必要なものがある。求心力と、学力と、リーダーとの繋がり。ひとつまでなら欠けてもいいが、二つが欠けたら成り立たない。あやが欠けたら全員が繋がりを失い、グループは崩壊する。


 必ず生きて帰る。誰もいない廊下で、あやはひっそりと誓った。


 四時限目だけは途中退室がない実技科目だ。これが終われば給食なしで下校となる。義肢の兼ね合いで見学のあやも同じく、皆の運動を見ていた。体育館の舞台からだ。


 順番待ちの間、小声でのおしゃべりが盛んになる。あやの隣に来た彼もその一人だ。名は一時理助いちどき・りすけ、リティスとの仲はすでに失われたが、仲介したあやとは相変わらず仲を続けている。


十六女いろつきさん、浮かない顔だけど」

「別に」

「いつメンと何かあった?」


 一時いちどきくんは隣に座った。口説くつもりに見えるか見えないかの微妙な距離だ。


「みんなには何もないよ。ただ、あたしに少しね」

「そっか。無理には聞かないけど」

「ありがと。うれしいよ」


 何も言わない。言ってどうにかなる話ではない。それどころか逆効果だ。


「ところで十六女いろつきさんの義母さんだと思うけど、赤いスポーツカーが見えたんだ」

「は? どこで? いつ?」


 一時いちどきくんは体育館の奥側を示した。女子が手前で、男子が奥。換気のために扉を全開にしている。男子側でのみ見える景色ができる。


「ついさっき。裏の駐車場へ向かってた」


 特筆するようなトラブルはないと思っていたが。


「わかんないけど、すぐ行くほうがいいなら連絡が来るはずだから」

「それもそっか。もし男手が必要なら貸すから」

「律儀だよね。あたしはきっかけを作っただけなのにさ」


 あやは苦笑いでも、一時いちどきくんは真剣だ。


「一度きりじゃない、残りの全部も貰ったんだ」

「そうだね。さて」


 女子側でのみ見える景色もある。校舎から体育館への通路を小走りで、事務の先生があやを呼ぶ。


十六女いろつきさん、お母上がお呼びよ。うっかり伝え忘れた用事があって、すぐ連れて行きたいって」

「用事? で、行ってもいいんですかね」

「見学だし用事だし、仕方なしにしときますよ。ほら早く、焦ってたわよ」

「はあい」


 あやは教室へ走り、荷物を取って駆け降りた。裏の駐車場へ。


 ここを使うのは搬入のトラックか視察に来た客人くらいで、ほとんど空間はないが蓮堂は最も出やすい位置を陣取っている。あやの足音で気づかせると、中から助手席の扉を開けた。あやは飛び込んだ。


「お待たせ。何があったの?」


 言う間にもアクセルを踏んで走りだす。


「別に何もない」

「んん? じゃあ来た理由は?」

「炙り出したかった。彩を呼びに来たら何かあると踏んで野次馬に来る奴をな。結果は発見ならずだ」


 車は小道を抜けて大通りに出た。中村橋の高校から豊島園の蓮堂探偵事務所へ。大通りを走る。


「なんだかなあ。サボったみたい。助かったけど」

「用事があるのは本当だ。食事のあとで電車で行く」

「はあい」


 あやは頬を膨らませて答えた。肩透かしに見合うお菓子かなにかを要求する顔だ。


「あと電車ってどっち? 大江戸線?」

「西武線だ。飯能へな」


 そんな辺鄙な場所へ行く理由はひとつしかない。あやが最後に行ったのは小学生の頃だった。


「そっか。そうだよね」


 蓮堂の車なら探偵事務所までわずか五分。必要な諸々を済ませて、駅へ向かった。

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