N26C1c 蓮堂探偵事務所 3

「話をしたくて来たんすよ。彩さんでも蓮堂探偵でもなくて、義母ぎぼさんと」

「私はしたくないが、彩から頼まれれば気が変わるかもしれないな」


 蓮堂は不快感を丸出しで答えた。事前の連絡もなく来るのは社会人失格だといつも言っていた。それでも客には応対していたが、今回はわけが違う。敵対している『レディ・メイド』の一員がのこのこと現れた。


「じゃあ蓮堂、リティスと話してあげて。おねがいおねがいおねがいおねがい」


 あやは手を合わせてかわいく頼んだ。それを聞いたら蓮堂は、応接用の椅子へ促した。リティスは素直に座った。


「いいんすか、うちは敵っすよ」

「お前は通信機を持っていなくて、武器を持っていない」

「どこかで見てるんすね」

「ついでに技術も持っていない。正直なところ、取るに足らない存在だ」


 冷蔵庫にプリンもアイスもない。あやは買いに出ようとした。話の邪魔になりそうなので一石二鳥だ。空はまだ青い。


 が、そこは蓮堂が止めた。


「今はよせ」

「なんで?」

「こいつがいる。出れば余計なのが来るぞ」


 凛丹りんにか、るるか、そのあたりが。


 事態が始まった初期に、蓮堂はこの建物にいれば安全と言った。あやも意味を汲み取った。耳があるので暴れにくく、目があるので逃げにくい。それらはご近所でも届くと思っていたが、どうやら違う。


「辛辣っすね。今は誰もいませんよ。けど、うちも彩さんとも話しておきたいんで」

「そう? 邪魔じゃないなら、いる」

「彩はこっちに座れ」


 応接用のソファで、二人と一人が向かい合う。面接官の補佐役の心境で聞く。


「蓮堂さん、うちは率直に言って、裏切りたくて来ました。向こうは怖いんすよ。情報を持って来たんで、どうか拾ってくださいませんか」

「断る」


 早。あやの感想は一文字だった。探りを入れるくらいはすると思っていたが。


「理由を聞いても?」

「私は探偵だぞ。手土産が情報なんて三種類のどれかしかない。既に知っている話か、どの道これから知る話か、役に立たない話か。ましてや裏切ろうとしてる奴が拾える情報なら偽情報と見るのが妥当だ。これまでもあったんじゃないか? 当日になって急に知らされた計画変更が」


 リティスはため息をついた。


「ですよねえ。ありました。特にここ数週間は」

「この場にも見張りが来てるだろ。前に羊人形で教えた奴が」

「それはないっす。今の彼女には外せない用事があるんで」

「急に外せるようになるかもしれない用事がな」


 蓮堂の当たりの強さを当然のように受け取る。リティスは少なくとも分かった上で来ているらしい。あやは一応、その様子を記録している。細かい動きや服の下に何か仕込んでいないかを後で検証できるかもしれない。


「わかりました。じゃあ受け取るだけ受け取ってください」


 リティスは懐からコピー用紙を出した。開くと中身は地図だ。簡素な描き方だが、位置関係はぎりぎり理解できる。線は鉛筆、しかも太くて丸まっている。


「うちは向こうに行きたくないってだけ伝えられたら満足っす」


 リティスは立ち上がった。本当に帰るつもりらしい。髪が横顔の目を隠すが、あやの義眼なら隙間の先まで見通せる。涙があった。


「待ってリティス。蓮堂、本当にだめ?」

「だめだ」

「誰かみたいに忠義を尽くしてくれるとか期待できない?」

「裏切ろうとしている奴だぞ。忠義より保身だ」

「けどそれは、逃げ場がないからだよね」


 リティスを振り返らせた。あやが掴んだ肩は震えていた。


「聞いてリティス。あたしが逃げ場になる。『レディ・メイド』では怖い思いをしたけど、リティスからはしてない。何かが違うよ。うまく言えないけど、何かが」

「ありがとうございます。けど彩さん、うちを信用しすぎじゃないっすか」

「その話の進め方はやめてよ。さっきは信用してほしそうな話だったのに、いきなり逆になってるじゃん」


 リティスの口元が揺らいだ。期待で上げるか、怖くて下げるか、決めかねているように見える。だからあやは、先にねじ込む。


「あたしは信用するって決めた。だからリティスは、あたしが信用してるって信用してよ。話はそれからだよ。いつだって、誰とだって」


 目を伏せてから、改めて合わせた。瞬きの一度も待てずにリティスは目を背けた。


 珍しくもない。自信がない子は視界を狭くしようとする。自分より上に感じる存在を見えない場所へ追い出そうとする。いつでも同じだ。高校でも、中学校でも、小学校でも、あとは幼稚園での自らも。臭いものに蓋をしても、無くなりは決してしないのに。


「彩さんは、すごいっすよ」

「そうやって自分を下げるのもやめなよ。対等になるチャンスを自分から投げ出してる」


 リティスが後退あとじさりをする度にあやも前に出る。


「うちが甘かったっす。こんなに強く生きてるのを、うちなんかが真似ても結局」

「負けて済ませるのもやめなよ。どうやれば上手くいくか一緒に考えよう」


 いつの間にか涙が浮いた。お互いに。きっと語気が荒い。省みる余裕まですべてを費やして目の前に集中する。一挙手一投足を見つける。少しでもとっかかりを見つければ、そこから踏み込める。


「正論ばっかり。それができたら苦労しないんすよ」

「言葉につっかえたら正論だったことにするのもやめて。一緒にできるようになろう。あたしも蓮堂もいる。一緒にならきっとできるよ」


 見つけた。一緒に。リティスはこのフレーズに反応した。あやはさらに踏み込む。


「言ってたもんね。家族が怖いって。頼りかたがわからないんだ。ねー蓮堂、どう?」


 これには蓮堂も苦い驚きを見せた。遅れてリティスが振り返る頃にはすでに普段の顔に戻っていた。


「手ならある。ただし、とある組織が邪魔になってる。壊滅とはいかずとも、少なくともこっちに手を回せない程度まで追い込んでからだ」

「ほら。できるよ、一緒に」


 あやが右手を出す。生身が残っているほうだ。血色のよいイエローベースの手を前にして、リティスは顔を順に動かす。その手に、あやの顔に、蓮堂の表情に。


「うちは、いいんすか」


 この言葉は蓮堂へ向いている。


「とある組織を片付けたらだ。それまで待たせるから覚悟だけはしておけ」


 続いてあやへ向く。あやは顔で答えた。その手を、さながら初めて見た仕掛けのように、リティスは注視しながら触れた。


「ありがとう、ございます。もしうちが海に落ちたら、どうか拾ってください」

「三時間以内にな。遅れると低体温症で死ぬ」

「あたしが泳げるようにしなきゃだ」

「それは絶対無理だ。素直にクルーザーに任せておけ」


 話がまとまったような雰囲気を作った。実際は何も決まっていないが、リティスはすっきり顔で帰った。もう少し遅れて、あやと蓮堂は共にアイスを買いに行った。


 行きは夕方で帰りは夜だ。いつぞやとは異なり最初から蓮堂が隣にいる。誰ぞの手出しを受けても二人なら追い返せる。


 信号が青になってもまだ歩き始めない理由がある。救急車が通るときは動きを止めるとよい。特にのろのろ走っているときは。大怪我を揺さぶれば患者は当然に痛む。車体のサスペンションが振動を低減し、運転手は道路の細かな凹凸まで避けられる位置を探しながら進む。人の動きを見ずに済めば、それだけ失敗率が下がる。


「蓮堂、もしかしてだけどさ」

「よせ」


 偶然はあるし、手を出せない範囲もある。心をざわつかせながらあやは歩き出した。アイスには星型の当たりが入っていた。

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