N25C1b 蓮堂探偵事務所 2

 解散した面々は各自の持ち場へ向かう。


 オオヤは自分たちの部下へ、岩谷は名目上のプライベートへ、ハマカンは工房へ、尻沢は自宅からダークウェブへ。


 そして蓮堂は、寿司桶を玄関前に置いた。あやが洗いそうになったが、こういう道具は飲食店の財産だ。勝手な扱いをしてはならない。ありがた迷惑になる。


 蓮堂が並べた画面にはあちこちの街頭が映る。ライブカメラが生配信している様子をこの場で見ている。多数のノートパソコンはすべて発信源を特定できない方法でインターネットに繋がり、その様子を別のパソコンが制御するカメラで記録している。


 昔のあやは説明されてもちんぷんかんぷんだった。今ならわかる。相手側からの感知を逃れるためだ。


 インターネットに匿名性はない。どの地域から、何を要求して、どう扱ったか、すべてを辿れる仕組みがある。画面を記録しているかどうかも。


 それを物理的に切り離したら余程の手間をかけずには感知できず、最初の手がかりがなければ入念な調査だって始められない。


 情報を手に入れるには、無関係に思える中から有関係を探し出す。その方法のひとつがこのライブカメラだ。人の流れが変わる状況は何かが起こる前触れだ。なんとなく違う気がする、その違和感を大切にする。蓮堂は背もたれを倒し、くつろいで眺めている。


「で蓮堂、そのへんって今は関係あるの?」

「直接はないが、念のためだ。五年前とどんな変化があるかをな」


 仕組みがわかっても、目的まではわからなかった。あやにはまだ。


「顔色が悪いな」


 蓮堂が呟いた。あやは画面の話だと思ったふりをした。


「会議が想像と違ったか。そんな感じの顔をしてる」


 逃げられなかった。あやは出せる言葉を探す。


「なんか会議って感じじゃなくて。連絡だけっていうか、情報交換だけっていうか」

「そうだな。彩の不安はわかる。それでいい」

「どういうこと?」

「不安は二通りがある。あるべきものがないか、ないべきものがあるか。今回なら、あるべき意見交換がなかった、あたりか」


 まだ続くと思っていたところで終わった。だからあやは気にした。


「きっしょ。なんでわかるんだよ」

「懐かしいな。経験が少ないと誰でも同じことを考える。雑魚に個性はない」


 昔の漫画の名台詞とかけて、未熟な頃と説いた。どちらも懐かしい。


「大人の会議はああなるんだ。これから考える話なんかない。すでに考え終えた内容を、改めて考え直すような事態が起こってないと確認した。各自が次に取り掛かる作業を予想通りと確認して、自分の作業と関わる時まで信用して任せる。それだけだ」

「ハマカンと尻沢さんは? ほとんど喋ってもなかったよ」

「あれでいい。チーム活動には受動的な役目もある」


 納得はできないが、蓮堂が言うなら信じてみる。後で振り返ればきっともう少しわかるようになる。


「彩、他にもあるな。しかもとびきりの奴だ。言いたくないなら無理にとは言わないが」

「だから、なんでわかるの」

「探偵を舐めるな。終わり頃からの不安とは別に、私が話を始めた直後あたりからも怯えみたいな顔があった。彩はいつも、大きな悩みほど一人で抱え込む癖がある。前は小学生だったからどうにかなったが、今は高校生だ。もう大人だよ。大人は影響力がでっかい分、やっちまった時の損失もでっかくなる」


 蓮堂は目線を外した。逃げたければ逃げろと言外に伝えている。


 あやは人生のほとんどを蓮堂とハマカンに育てられてきた。産みの両親との記憶もあるが、その四倍もの蓮堂とハマカンがいる。どちらも微妙に素直ではないが、言葉よりも態度で表してくれる。


 信用はしている。あと必要なのは勇気だ。あや自身の弱さを明かす勇気。手と足がなくてもやっていく強さを台無しにしかねない話を打ち明ける勇気。


 時間を示す道具がこの場にはない。蓮堂の飲み水は胸ポケットのソフトボトルにあり、外からは量が見えない。画面はいつでも似たようなものが並び、時計はあやの背後だ。


 だから時間を長く感じた。焦らせてこないからこそ自前で焦る。


「もうちょっと待って」

「待つ」


 蓮堂は画面を眺めた。あやは椅子と尻の合わせを整えたり、指の関節を逆側に伸ばしたりした。


 人間は同じ姿勢を続けると調子が下がっていく。座れば体を内側へ丸める筋肉を使う。逆方向の、外側へ広げる筋肉を刺激する。ここに義肢は関わらないが、義肢の付け根にある二の腕や太ももが関わる。原因と問題が遠いなんてよくある話だ。


 体育の準備運動に似ている。見学席でも準備運動だけは一緒に動いていた。経験は細かいところで役に立つ。


「お待たせ。言うよ」


 蓮堂はまず頭を、次いで体を向けた。


「ついていけるかが怖いんだ」


 蓮堂はゆっくりと瞬きをした。続きを待っている。


「昨日の、蓮堂に助けてもらう直前が特にひどかった。話題を作る自信はあったんだけど、何を言っても凛丹先輩のてのひらの上な感じで、全然あたしじゃ敵わない気がして、次もそうなるんじゃないかって、怖がってる。わかんないよ、なんにも。何を考えたらいいのか、今までの私はなんだったのかって、怖がってる」


 この言葉もうまく言えてない気がして。


 蓮堂は頷いて受け止めた。あやが言葉を切ったら「そうか」と呟き、もう続かないとわかれば口を開いた。


「大人の舞台に来た、ってことだ」


 蓮堂は抽象的に始めた。


「思い出せるか? 初めて幼稚園に行く日と、初めて小学校に行く日を。その頃も怖かったはずだ。誰がいるのか、何をするのか、自分がやっていけるのかってな。だが似たような節目でも、中学校に行く日は違った」


 あやの記憶も同じだ。腕や足が機械になっていて、どう扱われるかを恐れた。現に露骨な嫌悪を示した子もいた。他の好意的な子がいたから、小学校ではもう少し自信を持って話を始められた。最初に「かっこいいでしょ」から始めたのも上手くいった。人はどう扱えばいいかわからないものを恐れる。だから、かっこいいと扱えばいいと示す。


 中学校が決定的だった。クラスの半分以上が小学校とは別の子になり、その中で存在感を勝ち取り、グループのリーダーへ、そしてクラスのリーダーへと任されてきた。あやは最強だった。口を開いても、手を動かしても、いつでも舞台の中心にいた。


「子供の間は日ごとに強くなっていく。体は大きくなるし、知識も経験も増えていく。幼稚園児から小学生に、小学生から中学生に。それが成長だ。実のところ、大人になっても同じだ。体こそ伸びないが、知識や経験はずっと増えていく。サボらなければな」


 実例のひとつが蓮堂だ。あやが小学生の頃にいきなり探偵をやめて税理士を始めた。初めは帰りにはいつも疲れた顔だったが、あやが中学生になったあたりでは涼しい顔でこなしていた。職場からと思しき電話への応対も聞いたことがある。返事で使う言葉や間の取り方を洗練する過程を見た。


「ところがだ。子供から大人になる時期だけはそうもいかない。ステージが変わるからだ。彩は特に落差が大きい。子供の最強から大人の最弱になるんだから、ここで自信を失うのも仕方なしだな」

「蓮堂」

「だがこの落差に気づいていれば、改めて最強になれる。今の彩は第二の幼稚園児だ。ハイハイの練習をして、たっちができるようになって、言葉を話せるようになる」

「それは幼稚園より前だけど」


 ならば今のあやも試せば変われる。幼稚園児の頃も、何か意外な発見をして周囲を驚かせていた。振り返れば教科書に書いてある内容でも、それを周囲より先に見つけていた。発想と仮説と検証と観察を繰り返した結果だ。


 同じくこれからも。今度は知恵比べだ。『レディ・メイド』の総力とあやが属する蓮堂の総力がどんな結果になるか、あやの働きにかかっている。


「結果は必ずついてくるが、あいつは足が遅いからな。気長に待ってやれ」

「ありがと。やってみるよ」

「早いな。ほとんど答えは出てたか」

「全然。今がどこなのか教わったから、次にどう進むかわかっただけ。それさえわかれば、何度だって始め直せる」

「頼もしい。任せるぞ」


 あやは親と同じポーズをした。写真で見ただけの、成人式のリナを呼び戻す。これには蓮堂も初めて怯んだ顔をした。新しいショット入手、あやの左目がしっかり記録した。


「おい、まさかだが今のそれ」

「えへへ、もう撮っちゃった」

「恥ずかしいだろ」

「あたしは現地で動いてるから、無視してこっそりね」

「私の写真なんか使わないだろ」

「使わなくても欲しいもーん」


 賑わう事務所が戻ってきた。帰って来られる場所だ。次も帰ってくる。みんなで。


 そこにノックの音と、扉が開く音。会議メンバーでも寿司屋でもなく、来客だ。


 彼女は戸浦とうらリティス、敵対している『レディ・メイド』の一員だ。


「今は探偵事務所じゃない。悪いね、お嬢さん」


 蓮堂が皮肉から始めた。


「話をしたくて来たんすよ。彩さんでも蓮堂探偵でもなくて、義母ぎぼさんと」

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