N22B4b 対立陣営 2

 カウンターの内側には各所に踏み台がある。凛丹りんにの身長を補うほかに、役目がもうひとつある。乗り越えて出やすくする。


 今村と何を話してもいいが、凛丹の気が変わる前に離れたい。なのであやは話に巻き込んだ。


「あれ、彩もう上がり?」

「そー。凛丹先輩のお言葉に甘えて、早上がりで一緒に遊んでおいでって」

「マジ? 優しい先輩すぎ。お気遣い痛み入ります」

「いいんですよ。お友達は大切にしてくださいね。お気をつけて」


 どの言葉からも裏の意味が聞こえる。今村はいかにも何も知りませんと書かれた顔で笑っている。言葉の価値は耳が決める。誰が何をどのように言っても、聞く側が求めた言葉だけを聞き取る。あやは恐れている。


 店を出たら右へ、大通りに出たら左へ。道はごく単純だ。車道が広く、歩道も広く、その割に通行量は落ち着いている。あとは中身が『レディ・メイド』でさえなければ理想的なバイト先だ。


「そいえばなうちゃん、今日はなんでここに?」

「近くに用事があって、せっかくだから」

「ここらに何ある? 家とかばっかりに見えるけど」

「立教大学。気が早いけどさ」


 誰ともすれ違わないので遠慮なしに喋れる。車道からは遠い。


「遠くない? 池袋でしょ確か」

「駅から十分じっぷんで、そこから十分で彩のバ先で、もう十分で椎名町駅だもん。言うほどじゃないよ。それにマは西側だし」

「確かに西武まで歩くはダルい。納得。にしても、進路が早いなあ。まだ二年半もあるのに」


 今村は理由を言いかけたが、着信音が割り込んだ。あやは「いいよ」と促した。


「もしもし」


 あやは周囲へ目を向けておく。特に屋上に。


「つつがなく」


 間隔が近かった。


「もちろん。代わります」


 歩数にして一桁だ。短い話で端末をあやに差し出した。奇妙な動きだ。あやの背筋が冷えて縮んだ。今の脚は運動用ではなく、この先は駅まで下り坂だ。走れば負担がかかりすぎる。そのリスクを背負った上で踏切にでも引っ掛かればもう目も当てられない。


 観念して受け取る。左の機械の手なら指紋はつかない。右手で髪を押さえて、汚れないように持つ。


 画面に見えた名前は『マ 峯崎みねさき』、知らない名前だ。素直に解釈するなら今村のバイト仲間だが。


「もしもし代わりました」


 おそるおそるの言葉。緊張の糸はすぐに解けた。


『蓮堂だ。驚かせたがこれしかなかった』

「え、なんで!?」

『少し前に今村さんに頼んで、ところが今日になってピンチの知らせが来たもんだ。なら、秘密を守るには他の方法がない』


 義肢の機能で電話をかけられる事実を伏せるには。知らない所でどんな話があったか、誰がどこまで動いているのか、峯崎とは何者か、聞きたい話はいくらでもあるが、言いたい話は決まっている。


「怖かったよ、本当に」

『悪かったよ、本当に。まずは今村さんと一緒に直帰していい。道中はダークブルーのワゴン車を探しておけ。乗ってる男三人は味方だ。言葉は交わすな』

「わかった。なうちゃんに戻すね」


 端末を返して、どうやら同じ話を聞いた様子で、通話を終えた。


 ダークブルーのワゴン車は見えないが、ここは半端に止まれない道だ。遠くに見える安全運転のロービームがきっとそれだ。他の車がないからよく目立つ。


 下り坂を降りる。踏切で止まり、その先が駅の入り口だ。


 タッチして電車へ、座ってすぐ豊島園駅に着く。感覚の話ではない。普段は途中での出入りやトイレ利用を繰り返して尾行を落としていた。今日はそれがないおかげで、本当に早い。


「なうちゃんはどんな関係なの、蓮堂と」

「秘密にって頼まれてたけど、マでバしてるよ」

「蓮堂が? マで?」

「調査の一環なんだって。手際いいし、本部の指令にもめちゃくちゃなら指摘してくれるしで、みんなからも信頼が厚い人って感じ」

「知らなかった。今度モかロのチバ食べよ」

「彩らしいことするね。ブクロならキもあるけど」

「そこ知らない。連れてって」

「おっけ。来週ね」


 賑やかな帰り道になった。終点の豊島園ではひとつの改札にひとつの出口で、直後の分かれ道は左を選んだ。銭湯、橋、ハリーポッターを越えて、明るい窓へ続く暗い階段をのぼった。


 扉を開けると、まずは匂い。安心できると体が理解して柔らかくなった。踏み込むと声。蓮堂が迎えてくれる。


「おかえり。怪我はないな」

「ないけど、疲れたよー! けどやっぱり蓮堂すき」


 蓮堂の胸に飛び込んだ。あやの左腕は自分の右腕を押さえるように抱きつく。服を破ってはいけない。結構な値段なので、肉類なしの一週間は寂しい。


「そういうのは冗談でもよせ。人前だぞ。牛のミルクでも飲んでろ」

「モーモー、カランカラーン。ガアン! コオン!」

屠殺場とさつじょうの音もやめろ!」


 あやは冷蔵庫へ向かう。客人への茶菓子も合わせて応接席に持ち込んだ。今村も蓮堂もすでに座っている。


「コントみたいなの、いつもしてるの? 蓮堂さんも付き合ってくれてるし」

「してる」

「してないだろ。私は芸人じゃないぞ」

「あたしはしてるつもりだもん」

「気づいてなかったな。お詫びにアールワンに出場させてやる」

「ピン芸人じゃんそれだと」


 今村を観客にして盛り上がる。蓮堂はそのつもりではないらしいが、あやが何を言っても真面目に向き合って答える、しかも似た言葉に対してても必ず新しい言葉を続ける様子は、あやに言わせれば楽しい人だ。


 茶菓子に手を伸ばす。今村はカントリーを、蓮堂はブラックサンダーを、あやはホワイトロリータを。


 糖と水を流し込んだ所で、蓮堂が本題を始めた。


「これからだが」


 時計は五時十三分を指す。


「今村さんのご両親がここに向かってる。込み入った話をするが、危害は及ばせない」

「わかりました。よろしくお願いします」

「来るまでにさ、なうちゃんとの話も聞かせてよ」


 あやもカントリーを開けた。表裏が逆転したレア包装だった。勿体つけて半分を齧る。話すまで待つ構えだ。


 蓮堂となうちゃんが目を合わせた。小さく頷くので、蓮堂が話し始める。


「私が持ちかけた。彩を狙うだろうと思って、助け船を出せるように」

「先週でしたね。なぜ今日とわかったんです?」

「わかってない。ただ、今日が有力だった」


「じゃあさ」あやの言葉を蓮堂が遮る。「飲み込んでからだ。待つ」


 牛のミルクも飲み、今度ははっきり喋った。


「あそこで何をしてるかも知ってたの?」

「知ってた。もっとも、見つけたのはその先週のさらに前日だったが」

「ひどいなー。あたしが行かなくてもよかったじゃん」


 あやは頬を膨らませた。比喩ではなく現実に。その風船を蓮堂の人差し指で割り、しぼんでから続きを話す。


「必要だ。私が知ってるだけじゃあ足りないんだ。誰もに見せられる証拠が足りない」

「ふーん。じゃあデータ送るね」

「助かる。これで当分は動きやすい。だが本当に重要なのはもうひとつの方だ」


 蓮堂は、あやをまっすぐに見つめた。


「やる自信はあるか。なければ老人だけで片付ける。答えは来週までに頼む」


 ノックの音と扉が開く音。今村の両親が着いた。蓮堂とも挨拶をして、話が始まりそうなので、その前に。


「答えは決まってる。やるよ」


 ほとんど衝動的な直感だ。あやは今すぐ言っておくべきな気がした。理由を説明できないが自分ではわかっている。欲求は言葉より先に生まれる。


 緊張と弛緩を往復した直後の、今の燻った心境を燃料とした。明日には忘れて気が変わるかもしれないから。


「いい答えだ」


 蓮堂はそれ以上を求めず、あやを休むよう促した。今村ご一家との話は必要なら後で概要を聞く。あやは風呂へ向かった。

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