N30C3a ready-2/6: 迅速 1

 当日の未明、東京を発つ。六月ながら小雨もあって肌寒い。あやは特に、金属製の腕を厚着で覆った。


 前日入りのほうが楽だが、相手に気取られてはいけない。こちらの動向に気づける頃にはもう覆せない段階へ進めさせる。今頃は千葉県の銚子港で書類上の本業を積み下ろしている。表の計画に合わせて出港するはずの船だ。異常な動きはできない。相手は強引にでも進められそうな策を持っている。それでこそ乗ってくれる。


 最後の準備は蓮堂探偵事務所で行う。


「集まったな」


 蓮堂のひと声に頷き、各自が左腕を出した。


 腕時計を四時二十二分〇秒に合わせて、一斉に竜頭りゅうずを戻した。寸分違わず時を刻む。互いに目視で確認する。今後の行動はすべてこの時計に合わせる。


 オオヤブラボーは途中でドローン操縦部隊と合流して海へ、岩谷フォクスハマカンゴルフは美浜区の高級ホテル駐車場にワゴン車で待機し、あやアルファ蓮堂デルタは車で前線となる海岸へ向かう。目立たないよう、出発には時間差をつけて。


 蓮堂は今日も赤いスポーツカーを出した。視細胞の仕組みから、目立つのは日中だけで、暗闇では見落としやすくなる。


 蓮堂デルタが左前の席で、あやアルファが左後ろの席。右半分には箱や袋に機材が詰まっている。シートベルトを着けたら静かに走り出した。


「蓮堂、腕の電波も切ったよ」

「上出来だ」

「そろそろ教えてよ。なぜ説明できなかったか」


 枕元にあったメモ書きの指示だ。車に乗ったら電波を切る、電波を切ったら説明する。お待ちかねのワンポイント探偵タイムだ。


 今なら小難しい話だってできる。朝の一般道は空いている。運送業者は集積待ち、一般人は布団の中、たまに走るのはプロだけだ。加えて、歩行者の異常な動きは主に子供とたまに馬鹿で、どちらも朝は眠っている。


「盗聴だ。エシュロン、世界中の電波を盗聴する情報処理装置で、日本では青森県の三沢にある」

「アメリカの駐在基地の? 敵はアメリカってこと?」

「問題はそこじゃない。性能を絞ればアメリカ軍以外でも再現できるって話だ」


 電波は無数に飛び交っている。電話をかけるだけでも、場所さえわからない相手の電話を見つけるまで基地局から電波を放つ。人の数だけ、通信する数だけ、電波が街中を駆け巡る。あらゆる電波は干渉し、減衰し、やがて消滅する。それをもし、消滅せずに受け取れたら。


 言うなればコウモリの耳だ。暗闇の洞窟でも針金の迷宮でもコウモリは自在に飛び回る。超音波を放ち、反響を受け取り、空間を把握する。コウモリたちは後方を含む全方位を理解して飛んでいる。


 同じくエシュロンも、電波に電波をぶつけて、返ってくるまでの変化を観測している。秒ごとに億を超える結果を受け取り、相似形から関連度を割り振り、必要な結果を絞り込む。


「けどそれさ、青森県まで往復する電波が届くなら、他の影響とか出ない? 鳥とかは電波に敏感って言うし」

「確かに敏感だが、人間でなくてもやがて慣れる」

「ずっと電波を出してるって? そんなの」


 地球上にはない。しかし、地球外には。


 人工衛星からの電波がある。アメリカのGPS、ロシアのGLONASS、日本のみちびき。地球上のどこにいても衛星からの電波を受け取れる。位置情報は電波を受け取る間隔と方向から端末側で計算している。


 歴史の授業でも話題に出ていた。ロシアによるウクライナ侵攻と同時期に、あらゆる位置情報ゲームで同時多発的に精度が下がった。ポケモンもドラクエもピクミンも、巨大コンテンツさえ例外なく。GLONASSの電波を使えなくなったためだ。


「探偵と同じだ。誰も意識しない。誰も見たことがない。しかし、いつでも隣にいる。巨大な太陽光発電の産物は地球上の収支に現れない。当たり前になるまでその場に居続けるのが一番の隠れ蓑だ」


 日常が薄氷うすらいに浮かぶ幻だったと気づいたとき、疑いもしなかった常識を覆されたとき、人は正気を失う。保つには精神力か拠り所か、どちらも無い場合は嘘だと言い聞かせて身を守る。


「それの廉価版れんかばんを使われてるって?」

「実を言うと、何年も前からだ」

「前に蓮堂がさ、探偵は終わりって言い出したのも」

「持っていかれてた。知ってるか? 窓から赤外線を照射すると、音の振動を見つけて盗聴できる」


 探偵は依頼人と顔を合わせて打ち合わせをしなければならない。必然的に場所が一定になる。狙い放題だ。


 加えて周囲は住宅地、どこに誰が住んでいても不思議じゃないし、中身の検分もできない。相手は最初から蓮堂の存在を知っているが、蓮堂は相手を知らない。不利に始まっていた。


「だが探偵はアナログ職だ。浮気調査も人探しも情報泥棒も、究極的には人と人の繋がりを求めて依頼が来る。私は一度だって困ってないぞ。打つ手なんかいくらでもある」


 今日の連絡手段を確認した。電波がなくても、定時連絡は紙に書いてドローンで飛んでくる。ドローンは電波を使わずに既定の経路を飛ぶ。急ぎの知らせは雨雲へのレーザーを見て暗号とする。忍者の狼煙のろしと同じ役目になる。傍受されてでも必要な連絡があるならトランシーバーを使う。


「おっと、そろそろ近いぞ」

「まだ住宅地だけど?」

「エシュロンが反応してる。向こうの電波が来てる」


 蓮堂は鞄の中身を見せた。透明な立方体と白の球体、台座からの短いケーブルでノートパソコンと繋がっている。


「こっちにもあるじゃん!」

「前にも見せただろ。ヒツジ人形を持ってきた日、その前は新しい腕をつけてきた日」


 あれも今も全力ではないが、と前置きをして、見覚えある画面を見せた。


 普段と何ら違いのない、和やかな雰囲気で、次の予定がただの遠足な気がする。蓮堂にそう言ったら、社会科見学に近いと返ってきた。遊ぶだけではなくて、知識と経験を使う。足りなければ増やす。





作者から連絡

エシュロンの仕組みはまるっきりのフィクションです。

今回ばかりは取材も調査もやりようがないので諦めて。

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