N02A1b 銀色の手足 2
日が暮れる頃。
場末の居酒屋では目立つブレザーであやが訪れた。もちろんアルバイトではない。義父を持ち帰りに来た。
店員は大声で「いらっしゃい!」と叫んで顔を上げる。あやの顔を見ると、首を逆へ向けて、いつもの相手へ声をかけた。
「ハマカンさん、彩ちゃんのお迎えですよ!」
あやは目線のほうへ向かった。座敷のテーブルには半分入りのジョッキと綺麗な小皿が並んでいた。四人組の顔ぶれは見覚えがある。彼らは義父のゲーム仲間だ。
その一人が
義肢を求める人は少ないが、その少ない人は切実に求める。やがては眼鏡と同様に人の健康を補う。自分の工房を構えて最初に訪れたのがあやの産みの母だった。彼女は見てその日のうちに義肢と眼鏡の類似性を指摘した。気をよくしたハマカンはいつでも来ていいと大口を叩き、その縁でここにいる。
あやに対しては、
礼儀正しい子に育った。
「皆さんお久しぶりです。急ですが義父に頼みがありまして」
あやの
「いいんだいいんだ。ハマカンを持ってけ」
「俺らもちったぁ寂しいが、女の子に寂しい思いを押し付けちゃあいけねえ」
「ついでにひと口つまんでくか。刺身はうまい。こっちは養殖の牡蠣だ。やわらかくてうまい上に安全ときた」
あやは頭を下げる。彼らはいつもこうだ。自分たちよりもあやを優先してくれる。小さい頃はただ喜んでいたが、今はそうもいかない。相手にもお楽しみがあり、それを自分のためにおあずけにさせている。
そう理解する程度には成長した。しかし、どう向き合うかはまだ決めかねている。皿の様子から集まったばかりに見える。少し話をしてもらって、とも思ったがそれではまるで、お言葉に甘えて牡蠣を食べようとしているように感じた。申し訳なさの形が変わるだけだ。
ハマカンはその横顔を見た。
「あと三十分だけ話をさせてくれ。埋め合わせに牡蠣を食ってていい。あと腹は減ってるか?」
「まあ、少し」
「少し? つっても定食みたいなのはないか」
すでにタブレットを持ち注文する気でいる。主食があって、普段は食べにくいもの。とりあえず目につく位置には海鮮丼があった。
「じゃあお言葉に甘えて」
「そうだ甘えとけ。子供の権利で親の義務だ」
ハマカンの言葉に、すかさず友人たちのツッコミが入った。甘えろと言うなら、待たせてないですぐ出ろと。
「なんだか急にお腹が空いちゃった! 海鮮丼いただきます」
「よし、注文した。ありがとな」
大人の話を聞くのは楽しい。普段なら遠い所の話題が今は目の前にある。為替の動向で利益が増えた減ったとか、どこの機械が高性能とか。普段はインターネットの画面越しでしか触れられない話題を、現実の身近として関わる人がいる。
話題には入れないが、聞くだけで経験だ。いつかどこかで思い出すかもしれないし、これっきりかもしれない。しかしもし聞かずに済ませたら、チャンスもなく世界が閉じる。
話題の数はそのまま友達の数になり、友達の数は喧嘩をしたくない理由になる。初めはピンと来なかったが、今ならわかる。ハマカンの友達に意地悪をしたら、ハマカンに意地悪をするのと同じだ。
障子が開き、海鮮丼が届いた。あやが受け取り、割り箸を上下に割る。食べ始める直前に「退屈でないですか」と小声で問われた。彼は板前と見るには若そうで、大学生か、もしかしたら高校生に見えた。
「全然。知らないものに触れるのは好きですから」
あやはにこやかに答えた。経験から、若者のこんな声かけは、仲を深めるチャンス探しに感じた。聞こえる声で返せば後ろのハマカンが気づく。
「お? 友達だったか?」
「や、気を使ってくれただけ」
「そうか。ありがとな、
角は立てず、敵は作らず。気持ちよく話を終えさせる。見えない攻防はあやに傾いている。若者にも気づく腕はある。
「彩ちゃん、こっちの刺身もつまんでいいからね。半分までね」
「そんなにいいんですか?」
「後でもっと注文するから、ここまで食べても実質一割くらいだから」
勧められたら少なくともひとつは受け取るようにしている。食わず嫌いだけはしない。
「おいしいです! 名前なんですか?」
「サンマだよ。焼くイメージが強いけど、刺身もうまい」
ハマカンの友人たちは、自分が見ているものに対するあやの反応を見ている。共通の話題を作り、それとの向き合い方で仲を築く。微妙な機微だが、先の若者にはなかった。大人は話がうまい。真似るならこっちだ。
別の店員が空のジョッキを下げに来た。あやも海鮮丼を食べ終えた。
ハマカンは約束通りに立ち上がり、ひと足お先に会を抜ける。ここまで飲み食いした分に色をつけた五千円を預けて、板前に挨拶をして、あやと共に夜道を行く。
地元の集まりなので工房までは近い。車が少ないので安全だが、歩行者が多いので話には向かない。こういう日の話題は決まって伏せたい話題がある。
二人は口数も少なく工房に入った。八時だった。
「で、用事はなんだ?」
「脚の六番を使わせて」
「お前、また危ない頼まれごとか」
「まあね。木曜の午後七時に呼ばれちゃった」
ハマカンは付箋に書き加えて作業台の中央に貼った。調整用の道具を取り出しては並べていく。普段は使わない工具は少し遠い所から出す。
「一応、訊いとくが、どっちからだ?」
「岩谷さん」
「だろうな。大丈夫か」
「お色気の話でしょ? 大丈夫だよ」
心配性な義父も楽観的なあやの笑顔には勝てなかった。額をさすりながら長い箱を出す。商品にはならない無骨な段ボールを開けて、緩衝材をどかす。
「まあいいが。明日のうちに腕の七番を慣らしてくれ」
「お、新作」
「五番で見せてくれたマシン・ネイティブ仕草を元に、今回は無線で使えるようにした。スマホに繋いで操作できるぞ」
「便利! ありがとハマカン」
「楽しみにしとけ」
閉じ直してあやに持たせた。二階の居室へ戻り、荷物を置いて、風呂を済ませる。
ハマカンは明日と言ったが、あやは待たずに夜、七番の箱を開けた。
外見は普段使いの一番とそっくりで、二の腕の内側にある縦の溝が違いを教える。五番と同じならここにマイクが仕込んであり、音声の記録や入出力に使える。
あやは右腕が生身なので、左右のバランスを精緻にしなければならない。重心がずれると歩くだけでもひと苦労だ。
一番を基準にすると、機能を追加するほど頑丈さか出力が犠牲になる。五番では小指と薬指をコネクタに置き換えて省いていた所を、七番は真っ当な外見をしている。ならば中身だ。
人の体は筋肉への電気信号で動く。義肢が動く原理も同じで、電気信号を受けたら関節部の擬似筋肉が伸縮する。七番で握ると、小指と薬指の力が弱かった。油圧ピストンを小型化している。
トレードオフにしたものを確認したら七番の機能のテストだ。早速、自分のスマホとペアリングした。機械は電気信号で動いている。電流の有無でゼロかイチかを判断し、二択をいくつも重ねて物事を判断する。
ファミコンの時代なら二択を八回、スーパーファミコンの時代なら十六回だった。古いゲームで最大値が二五五だったり六五五三五だったりする理由がこれだ。
ではスマホは二択をいくつ重ねるか。大雑把には、画像ならば一六〇万回、動画ならば八〇〇万回、この段落ほどの短文はおよそ千回だ。
数字では圧倒されても、人間の脳も似た方法で情報を処理している。それが腕の五番だ。ハマカンが試しにとコンピュータに接続させてみたら、あやは自在に操作した。マウスと同じくカーソルを移動したり、キーボードと同じく文章を入力した。飽き足らず、インターネット上の情報を義肢との接続だけで読み取れるようになった。
その実績があったので無線式の実験を始めた。あやが思い描いた操作を七番が電波に変換する。スマホが受信し、電波での回答を七番が受け取る。肩へ続く神経が震える。スマホの処理速度に合わせた電気信号だ。答えを返してペアリングを済ませる。
あやとスマホは繋がった。これからは左腕に意識を向けるだけでも操作できる。普段使いするほど楽ではないが、必要になればいつでも使える程度には馴染ませておく。
新規メールの作成、宛先はハマカン、本文は「七番だけで送りました」
やり遂げたとはいえ、負担は大きい。腕と脚を外して眠った。ぎりぎりで日付は変わらなかった。
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