N16B2b 大ニュース 2
「感想には必ず発生源がある。感想だけが独立して生まれることは決してない。チョコレートが板では生えてこないようにな。大切なのは、その感想の原産地から加工から開封までの追跡性だ」
あやが社会科の授業で習った言葉だ。フェアトレードやSDGsが広まる前のカカオやコーヒーは貧しい国の子供奴隷が作っていた。言葉を知らず、教育も受けられず、反逆のための団結も力もない。企業が賃金を減らせば脱出の手立てを封じて、同時に値下げを可能として、何も知らない消費者は安いほど喜ぶ。
現状に当てはめるには、あやでは力不足だった。蓮堂はしばしば突飛な発見をして、結論を出す頃には順当に思えるよう整えてくる。期間はまちまちで、二年越しにお礼を言われた日は思い出すだけでも頭の中は大騒ぎだった。
あやにとっての蓮堂は、誇らしい指導者であり、高い高い壁であり、バランスを取れる手鏡だ。蓮堂に対して思ったすべてが教室では皆から自分に向いている。
中間テストが近い今は特に。
昼休み以外でもプチ勉強会としてあやの周りに集まってくる。移動を抜かして七分程度の短時間でもワンポイントアドバイス程度はできる。記憶に引っかかりを作り思い出しやすくする、あとは本人の知識次第だ。
「英語は倒置法のつもりで読むといいよ。その例文なら、『あたしは食べたよ、ひとつのりんごを、場所は自分の部屋でね』って感じで」
「なーんか石田っぽいんだなあ」
「ずいぶん昔の声優さんだよね。ごめん、よく知らないけど」
教室には四つの派閥がある。リーダー格が男女で分かれて、さらに快活か物静かかで分かれる。どのグループも話題がテスト対策で一致した今は得意分野の紹介から新たな交流が始まる。
あやは答えるついでに、
「なんかあいつ、失恋みたいですよ」
「えっマジ?」
「落ち込んでたから『失恋か?』って茶化したら本当だったみたいで」
「わかるよ。失恋よりマシな何かだったらって考えるよね」
「そう、そうなんだけど悪いこと言ったって思ってる」
長く聞く時間もないので、あやは味方すると伝えてなだめた。次は四時限目、その後の昼休みの動きが決まった。
あやは仲介した。たったそれだけの関わりでも義は通す。あやは中立だ。
昼休み、いつもの場所に誰もいないの、三年の教室へ出向いた。が、リティスはいない。出席はしているらしいが、他に会えそうな場所を知らない。あやが知るリティスは茶道部と音楽室前だけだ。
クラスメイトたちに訊ねても候補は得られなかった。リティスは人付き合いが薄く、勉学も運動も目立たない。ただ、わざと目立たなくしているらしいと噂を得られた。
などと話していたら当のリティスが現れた。
「その後ろ姿は彩さんすよね。用事はうちにっすか」
手にはハンカチ、背後には閉じかけの扉。どこから来たかは明白だった。
「話したくて。トイレでよかった」
「うちは逃げないっすよ。
場所を改める。いつもの静かな音楽室前、ここが最も話しやすい。壁際に座り込んで、リティスは膝を抱える形で口周りを覆った。
「彼が嫌いとかじゃあないっすよ。ただうちが、ちょっと巻き込みたくなかっただけで」
「言いづらいなら無理には」
「平気っす。けど、他の誰にも聞かれたくないっすね」
あやは義肢が録音している事実を伏せる。後ろめたいものは隠し通す。
「うち、家族じゃないんすよ」
リティスはここからぼそぼそ喋りになった。口の動きを最小限にして通らない声にする。静かな場所なので、近くのあやには聞こえるが、少し離れただけですぐに消えていく。これまでの彼女はそんな喋りではなかった。意図がある。
「彩さんの話は知ってます。うちはそれとは違って、全員が父親違いの姉妹なんすけど、そのせいが関係は冷え切ってて。アットホームな職場とか、それか逆のビジネスライクな家庭とも。うち以外の皆がひとつの目的のために動いてる感じがして、うちだけが馴染めなくて」
あやは黙って聞く。肩を並べて壁際に座る。口と耳が近い。
「姉の名前は
知っている名前が思わぬ所から出るとやはり驚く。同時に、全てが繋がった。
「彩さんには悪いことをしました。この前の求人、あれを渡したあと、後悔したんすよ。いつまでもこれでいいのかって。友達を巻き込んでいいのかって。その上でひとつ、頼まれてください」
リティスは顔を上げた。合わせてあやも。
頼む内容が喉で引っかかっている。リティスは口を開けて、閉じて、息を整えて、もう一度。慣れない言葉は気力を使う。頼み事は気力を使う。秘密の行動は気力を使う。戻れない決定は気力を使う。理由が重なるほど言葉は出しにくくなる。
あやは見たことがある。蓮堂が探偵だった頃だ。依頼人が言葉を詰まらせたとき、蓮堂はどう動いたか。物陰でよく見えなかった。朧げな記憶を頼りに、手を出して、握る。
精神的なものだ。精神とは神経のつながりでできている。神経に不具合があれば行動にも不具合が出る。
だから必要なのは親しさを伝える動きだ。受け取ると勝手に、その動きから親しさを感じ取る。本物や偽物を人の脳では区別できない。少しずつでいい。あやができるのはリティスを信じて待つだけだ。
昼休みの終わりをチャイムが告げる。無視して同じ姿勢を続けた。五限に遅刻するが、構わない。この場にいる相手の価値は五限より上だと示す。
リティスはようやく、続きを言えた。
「助けてください。逃げ出したいんす。あの家族から」
具体的な計画はなく、震える声で
「あたしはできることをするよ。できない範囲は、頼んでみる」
ほとんど中身がない言葉だが、リティスは顔を緩ませた。場の空気がなくなってからよく考えるといけないので時期の話に移しておく。
「来週が中間テストだから、その後ぐらいかな。近いうちに何かしらできそうだけど」
「秘密情報なんすけど、来週の水曜に重要人物が店に来るみたいっす」
「ナイス情報、覚えとく」
親指を立てて、笑顔を向けて、引き続き座る。沈黙を共有する。涙の匂いが薄まるまで。その後は互いに、相手が立ち上がるまで。
割り込むように足音が近づいた。名前も顔もよく覚えていない先生だ。
「いた! 心配したんだぞお前ら、急に行方不明になるんじゃない」
あやは立ち上がり、率先して答えた。
「すみません、内緒話してて」
「授業より大事な内緒話か」
先生は呆れとも興味とも取れる曖昧な顔で続けた。
「踏み込まないでおいてやる。今からでも授業は受けな」
「はーい」
あやが聞き分けよく階段を降りる。その背中を呼び止めた。
「彩さん待って、これ」
リティスは小さなものを投げた。あやの中心に飛び、ちょうど受け止めた。羊のぬいぐるみのチェーンストラップだ。
「受け取ってください。お守りに」
「ありがと。大事にする」
今度こそ階段を降りる。午後の授業へ向かう。
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