N15B2a 大ニュース 1
本当に忙しくなった。席には余裕があるのに、物を運ぶ往復が途切れないままで夕方になった。隣ではキノもへとへとで着替えている。
雑談の続きをする気力もなく駅へ向かった。キノは駅とは逆側へ徒歩で去る。近いと楽でいいが、座れる電車も悪くない。
後に聞いた話では、この日の客は常連の食いしん坊らしい。
別嬪なねえちゃんの手料理を食べる機会として軽食店を使う。金に余裕がありながら人付き合いが希薄な男だった。彼は料理長に挨拶をと言って、出てきた長身と話し込んでいた。
その様子をあやは物陰からチラリと見た。
彼女はあの夜に手を振ったのと同じ顔だ。そうとわかれば目立たないように仕事を続けた。落ち着いた頃に挨拶をして逃げるように帰る。店を出たのは午後六時だった。
夕食は蓮堂の元で食べる。録音と録画のデータを送る。その間に概要を話しておく。食後に蓮堂が目と耳を通す間、あやは適当な映画を観ていた。
「大手柄だ。大手柄すぎて私の準備が出遅れてる」
「この男が重要なの?」
「そっちはこれから調べ上げるが、まあ使い捨ての極悪人だろうな。それより火元責任者だ。
蓮堂は引き出しの奥から写真立てを出した。裏を見ただけでわかる。横長で、長らく立ててない。被写体はきっと。
「あたしも見ていい?」
「だめだ」
「ドケチンボ」
「何とでも言え」
「じゃあじゃあ、誰の写真かだけでも知りたいなー!」
ダメ元で言ってみたら、蓮堂は目で迷いを語った。写真と相談して、引き出しの奥に戻して、ゆっくりと語った。
「集合写真だ。真ん中が
急に喉が渇いたので手元のココアを啜った。
「周りにいるのは私と、この部屋の大家と、理奈の友達と、理奈の彼氏。後に彩の父親となる男だ」
この話の流れでそんな写真が出る。産みの親の顔も少しは気になるが、目の前にいる蓮堂の判断はもっと気になる。
「彩が産まれるより少し前に、理奈の友達が二人とも行方不明になった。名前は
「蓮堂もしかして、あたしの産みの親のために探してくれてる?」
「その他人行儀な言い方はやめてやれ。母親と呼んでいい。探してる理由は長くなるが、この猪瀬と犬山が関わってる可能性がある」
被害者でなく、一員として。
これまで猪瀬も犬山も、一度も語られずにいた。関わってこなかったからだ。あやが産まれたときも、理奈の死に目にも、その後も。それを友達と言われても信用も納得もできない。
「蓮堂さ」
「なんだ?」
「やっぱり見せてよ。満面の笑みの蓮堂、見ってみったいっ!」
蓮堂へ寄った。引き出しを押さえる位置を陣取られたので、全身を擦り付けて主張する。
「見せないからな」
「お母さんが写ってるんでしょ? 見る権利がある」
「知らないか? 権利と義務はセットなんだ。私に見せる義務がない時点で彩に権利はない。ここからは対等な交渉だ」
世には義務を果たすまで権利がないと主張する者がいる。これは気に入らない相手を黙らせるための意図的な誤用で、正しくは自分の権利が他人の義務、他人の権利が自分の義務だ。
コンビニでおにぎりを買う権利のためにコンビニ店員にはおにぎりを売る義務があり、売り切れを防ぐ義務がないので売り切れたおにぎりを用意させる権利がなく、コンビニ店員が迷惑客を追い出す権利のために迷惑客には出て行く義務がある。
あやは気づいている。初めて聞いたら誤用を信じるかもしれないが、蓮堂は触れる機会を作ってくれた。何も教えてくれないが、自力で見つけられるチュートリアルクエストをくれる。ドライな態度が心地よかった。だから安心して意見を出せる。
「むー。言いくるめられた」
「対等な交渉は強い側が一方的に有利だからな。諦めずにまた来な」
蓮堂は笑って席を外した。トイレだ。
写真を入れた引き出しに鍵はないが、これは蓮堂のヒントだ。本当に問題があるなら触らせない備えがある。すなわち交渉の練習だ。
今のうちにこっそり見ても構わないが、それで信用を壊すのは避けたい。だから言葉を探す。何について言うか、どの順番で言うか。普段の蓮堂は満面の笑みが似合わない言動をしている。ここを外すのは決まりで、他に何を求めるか。
あるいは絞るのも手だ。見たいのがひとつだけと言えば、残りのうちどうでもいい部分を見せてくれるかもしれない。どこかに重要なものがあるなら、それを隠すために全部を隠す。一度で全てを見なくてもいい。別の日にもチャンスはある。
「どうした彩、まだ用事か」
蓮堂が戻ってきた。
「あのさ、犬山さんの顔だけでも見せてよ。どんな人か見てれば役立つと思うから」
「それが交渉の手札か。確かにうっかり間違えたら困る」
「猪瀬さんも一緒にいるかもしれない? 見つけられるかも」
「わかったぞ。見せたくない理由の持ち主を探ってるわけだ」
図星だからこそ図太く行く。
「だって蓮堂の写真ってどこにもないし、撮ろうとしたら嫌がるし。そんな蓮堂が写ってるなら特別な日だと思うから」
「そうだな。やがて遺影に困るだろう」
「ん?」
「及第点には遠いが、着眼点は悪くない」
蓮堂は写真立てに厚紙を合わせた。
「これなら見せてやる」
成人式の写真の、蓮堂がいる場所らしき一角を隠した。このために用意があるあたり、見せたくないと言うのも怪しいものだ。
輝いて見えた。桜と、立て看板と、白の塀。余計な情報が何ひとつない空間に四人がいる。隠れた場所にあと二人も。
中心にいる、振袖で控えめなピースが母親で、絡む二人が犬山と猪瀬で、ひとつ奥の落ち着いた男が父親だ。確かに顔立ちに血縁を感じた。写真の中の親は歳が近いのもあり、より強く感じる。
「彩には理奈の面影がある。だが私が義母をしてる理由はそれとは関係ない。これだけは覚えておけ」
「うん。ありがと」
「中間テストが近いよな。今日はもう寝るといい。記憶にもな」
「そうする」
風呂と、歯磨きと、トイレと、ベッド。刺激が少ない環境ではひらめきが生まれやすい。記憶が繋がり、次のアイデアになる。
たとえば、キノ先輩と犬山成美もどこか似ているとか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます