N06A2c 顔合わせ 3

 荷物を自宅に投げ込んだ。帰り道をもう少し先まで進む。


 電車で二〇分ほど、徒歩で三〇分ほど。普段はこの程度なら歩くが、今は尾行が気になる。人が少なく入り組んだ道だ。何かあってからでは遅い。あえて電車を使った。


 逆側へひと駅、扉が閉まる直前に飛び出してトイレへ駆け込む。ホームをぐるりと歩いて別の階段からまたトイレへ。ようやく目当ての方向の電車へ乗り、乗り換え駅でも同じく歩き回る。


 これはクリーニング、尾行を撒く技術だ。チームでの追跡は、どの方向に乗ったと連絡する係と、先回りして待機する係の連携により成り立つ。電車の上りか下りかがわからなくなるだけでいい。運よく正解を繰り返すか、そうでなければ諦めるかだ。人手には限りがある。


 一度だけ教わったのを見よう見まねで試している。時間はかかるし成功した実感もないが、何もしないより悪い結果にはまずならない。


 ここは西武池袋線・豊島園駅。中学までは住んでいて、高校からは遠いので離れた地だ。目当ての家まで徒歩七分、一ヶ月では何も変わらない街を歩く。


 狭い階段で二階へ。無期限休業中、申し訳程度の貼り紙で新たな相談を断っている。ノックに続いて扉を押す。懐かしい匂いと内装、すべてが記憶と同じだった。


「やっほ、来ったよー」


 鍵を閉める。奥ではガタゴトと物を動かす音と、続いて変わらない顔が現れた。


 彼女は蓮堂節子れんどう・せつこ。あやの実母の十六女理奈いろつき・りなが蓮堂探偵事務所で助手を務めていた縁があり、義母として身柄を引き受けた。五年前にいきなり「探偵は終わりだ」と言いだして事務所を閉じ、今は池袋の税理士事務所に勤めている。


「早かったな。元気そうで何よりだ」

「そう? 二倍くらいかかったけど」


 冷蔵庫からメロンソーダとコップを勝手に出す。あやのために常備している。対する蓮堂の飲み物は柔らかいボトルの水道水で、アスリートが走りながら飲むに適したものをポケットに入れている。


 座り場所は応接用だったソファとローテーブルだ。普段使いのダイニングチェアよりも座り心地がいい。立ち上がりにくくなる程度に。


「なあ彩、新しいタブレットかなんか持ってきてるか?」

「どういうこと?」

「知らない電波がある。もし彩のじゃないなら問題だが」

「じゃあこの腕かな。ハマカンの新作の」


 あやは袖を捲り、二の腕にある境目まで見せた。普段の義手とは形が少しだけ違い、蓮堂も見たら気づく。合点した様子と、同時にますます訝しむ目を近づけた。


「もう少しよく見せてくれ。どこかカバーとか、外せる部分はあるのか」

「ないと思うよ。メンテナンス用ってことじゃないでしょ?」


 内側、外側、肘関節部分と順に見ていく。目当てが見つからない。


「彩、技適マークって知ってるか」

「知らないや」

「電波を使うなら許可を取れって話だ。書かなくていい理由ならいくつかあるが、今回がそれなのか、それとも違法電波かをはっきりさせる。余計なのに巻き込まれるのは御免だからな」


 蓮堂は電話をかけた。相手はハマカンで、挨拶を含めて三往復で終えた。


「どうだった?」

「岩谷が許可を出してるそうだ。何者だ、あいつ」

「実は今日の相談も岩谷さん絡みなんだけど」


 蓮堂はため息にも似た大きな呼吸をした。本気の顔だ。


「準備する」


 蓮堂は立ち上がり、奥の作業用デスクへ向かった。あやもついていく。


 探偵事務所の頃は画面やカメラをいくつも動かしていたが、今は埃よけの布を被せている。大抵はノートパソコンを一台とタブレットを一枚で片付ける。そのタブレットも、作業の片手間に動画や記事を読める程度の型落ち品で、ややこしい作業にはほとんど役立たない。


 今回もノートパソコンで記録とタブレットで地図や調べ物といった分担だ。あやはすべてを話した。岩谷の指示で追った相手について、その取引現場にいた若い女について、その女があやの方へ手を振ったこと。こいつらが何者で、どんな手段であやを発見したかを知りたい。


「場所がどこだって?」

「椎名町あたりだね」

「もっと具体的にだ」

「て言われても。そうだ、この腕と繋いでよ」


 蓮堂は半信半疑でデバイス一覧を見た。この部屋にあって唯一の知らない電波『A-seven』を選び、接続を確認した。


 あやは目を閉じて、動きなく作業する。見た風景を画像データ扱いにして蓮堂のタブレットに送る。念じた結果が義手を通して電波になり、受信音が成功を教えた。


 タブレットにはあやが見た景色が映る。暗い街並み、道路の光、遠くの人影。写真と違い、すべての距離に焦点が合う。


「どんな仕組みだ? どこから来た画像だ、これ」

「私が思い浮かべたものをゼロとイチに変換して画像にしたんだよ」

「そのゼロとイチは、バイナリデータって意味か?」

「よくわかんないけど、データって全部あるなしで成り立ってるじゃん。それを再現したの」


 説明は要領を得ないが、現にデータはここにある。写真と同じように見えるし、ウイルスチェッカーも反応しない。メタデータに日付や位置情報もある。どう見ても画像データだ。


「待ってろ。もしかして、だが」


 蓮堂は画像をパソコンへ送り、画面上で何かのアイコンを押して、黒い画面に英語を書いた。仕上げにエンターキーを押すと、その画面にゼロとイチが並んだ。


「これがバイナリデータだ」

「そうこれこれ。これと同じのを念じて送ったんだ」


 蓮堂は静かだがきっと笑った。畏敬の対象にされたように感じた。


「マシン語ネイティブ、とんでもないな。誇れよ。同時に、隠せ。厄介な連中からしても彩を狙う価値がある」

「内緒にするよ。知ってるのはハマカンと蓮堂だけ。この画像で特定できた?」


 特徴的なものは見当たらないが、道路の広さと形から候補を絞り込む。角度からビルの高さがわかる。あとは条件を満たすビルを一覧にして、横道がある部分に絞り、ストリートビューで確認する。


「ばっちりだ。椎名町駅の南東のここだ」


 蓮堂は地図の一点を指した。


「早。さすが探偵」

「元な。こいつが何者かも、彩を見つけた理由もわかった」

「それは無理でしょ。元々知ってたとかじゃない限り」


 言いかけた仮説に真実味を感じた。


「待って蓮堂、もしかしてだけど」


 蓮堂の目は真剣だった。


「彩、しばらくはこっちで寝泊まりしろ」


 出戻りは構わないし、蓮堂と一緒にいられるのは嬉しいが、手放しには喜べなかった。

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