N05A2b 顔合わせ 2

 茶道部は小体育館に集まる。柔道の技を受け続けた歴戦の畳だ。座布団を出し、正座での挨拶から始まる。


 あやは出入り口に近い場所で、畳を踏む数が最も少ない。万が一にでも義足の突起部で傷をつけないように、つけても一枚で済むように。


 続々と集まる顔ぶれからハーフらしい人を探すが、外見では区別がつかない。ただ気になるのが、一時いちどきくんが言葉を間違えている可能性だ。


 誰かがハーフと話していたらしい。髪型の話かもしれない。後ろ髪の内側はそのままで外側だけを束ねる髪型、ハーフアップの先輩がいた。上履きの色から彼女は三年、事前の情報と噛み合った。


 顔立ちは野暮ったいが、背筋は伸びている。できる相手だ。


 顧問はまだ来ない。今のうちに声をかけてしまえ。先輩が座る場所を決めるときに手を振り、用事があると示した。


「すみません、実は戸浦先輩にご用事があって。あなたが?」

「そうっすよ。二年や三年の戸浦はうちだけなんで、間違いないっす」


 相手を定めたら、声かけは挨拶に変わる。


「一年の十六女彩いろつき・あやです。十六に女って書いてイロツキって読みます」

戸浦とうらリティス、名前はカタカナでいいけど一応、綴りはR・E・T・I・Sっす。父親がアメリカ人なんすよ」


 アジア系だ。国籍は人間が後から決めたもので、顔立ちや肌の色を左右しない。遺伝的な性質はほとんどあやと変わらず、文化的な背景だけを多く持つ。


「そういうのを知って話すのは初めてで、もし失礼があったら教えてください」

「強いて言うなら、普通に日本人として扱ってほしいっすね。特にうちは父親と会ったこともないし、日本にしかいたことがないんで、名前だけっすよ、日本ぽくないのって」

「早速ごめんなさい、けど仲良くしてください」

「用事っすよね。どんな話でも聞くだけ聞きますけど」


 心象がマイナスから始まった。表情も声色も言葉選びもそう語っている。こんなときにあやは弁明を控えて、共通の話題を通して信用を築き直していた。


 今回は事情が違う。要件から始まり、要件だけで済ませようとしている。


 コミュニケーションは相手との共同作業だ。その前提が覆った。あやが問い、リティスが答える。すべての決定をあやが担う。


 甘く見ていた。話の応酬に付き合わない相手はこれまでなら関わりを切り上げるだけだった。その結果、周囲には応酬に付き合う相手だけが残った。


 始める前に顧問が来た。茶器が入った岡持オカモチを揺らして定位置へ向かう。


「来ちゃった。また後でおねがいします」


 何も解決しないが時間稼ぎはできる。どう話を始めるか、茶を立てながら考える。


 あやは正座で足が痺れないと思われているし、始めは自身もそう思っていた。けれど本当は軽くではあるが痺れた経験がある。足の痺れとは血流が滞って起こる。大きな血管とは、太ももや膝の裏にある。あやも太ももは一部がある。


 茶を立てる。茶道部の活動はまだ五度目だが、それでも未経験と比べればずっと仕上がった。脇目の余裕もある。欠席続きだったリティスは手つきがやはり覚束ない。とはいえ、あやの初めてと比べればいくらか整って見えた。


 器を回して飲む。隣で口をつけた位置からずらして、唇と水面が触れないように。


 あやはリティスの茶に興味を持った。表情でそう伝えた。向こうも気づいたら目を伏せた後に器を渡してくれた。


「結構なお手前で」


 本当に、あやの初めてより整っていた。


 言葉が少ない時間にも作品で語る。漫研ならば作風やキャラクターで、料理部ならば味付けや食材で、模型部ならば処理方法で、自分がどこをいい部分と評したか伝えつつも一歩上に引き上げる工夫を見せる。茶道部のあやも同じだが、リティスに伝わった気はしなかった。


 コミュニケーションは、受け取る側が何を聞いたかで決まる。同じ内容が教導にも嫌味にも友好にも誇示にもなる。リティスがどう受け取ったか、答え合わせは今後の態度から読み取る。


 茶器を洗い、解散した。リティスは小体育館を出た向かい側で待っていた。


「用事って、なんすか」


 やはり友好は築けなかったが、これからだ。茶の次は弁を立てる。


「きっかけは私のおなクラ男子の頼みで、話をできるか訊くためだったんです」

「伝言役っすか」

「けど今は私も仲良くしたくなっちゃいました。あの手つき、初めてじゃないですよね」


 リティスの表情が変わった。表情筋をわずかに持ち上げただけだが、人の目はわずかな変化に強い。匂いの変化もある。感情は脳で起こるホルモンの分泌だ。個人の中に留まらず、あらゆる形で外へ漏れ出した変化を訓練次第で読み取れる。大抵は無意識のうちに練習している。あやも同じだ。


「予習はしましたけど、突貫工事っすよ?」

「えっ予習!? そっか、言われてみれば部活も予習できますもんね」

「まあ、はい」


 リティスの態度はどうやら、拒絶ではないように見えた。話の膨らませ方を知らないだけだ。こういうタイプなら覚えがある。業間休みには自分の席にいて、昼休みには廊下の静かな所を陣取るような日陰者だ。


 ならば積極的に押すと逆効果になる。時間をかけて、信用を築いて、満を辞してはじめて連絡先を交換する。その先は手探りだ。


「その男子って名前はなんすか」

一時理助いちどき・りすけくん。一目惚れみたいです」

「覚えときます。なんだか一度きりみたいな名前っすね」

「言ってやらんであげてくださいよ。彼も持ちネタみたいに『二度三度とやる男だ』ってよく言ってますけど」


 リティスが初めて笑った。控えめに息の音が聞こえる程度でも大きな一歩だ。


「面白いっすね。じゃあその彼の都合も教えてくださいよ。それか、うちは次の月曜の昼休みに音楽室の前に行きます」

「了解、おまかせあれ」


 おどけた敬礼、そして手を振り、あやは教室へ戻った。帰り支度はすでに済んでいる。バッグを持てば帰り道の始まりだ。


 一時いちどきくんが期待を胸に待っていたので、リティスとの約束を伝えた。月曜の、昼休みに、音楽室の前。小声で何度も呟いて恋心へ言い聞かせる。廊下で小さくなる後ろ姿は小刻みに上下していた。


 これで頼まれごとは済んだ。残る問題を片付けるため、電話帳から「義母」を選ぶ。今日のうちに、家に行く約束をした。

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