2章 初夏、忍び寄る影

N12B1a アルバイト 1


 この電車では先頭に乗るといい。


 池袋駅から西武線に乗る人は、地上改札から入れば最後尾が近く、地下改札から入れば正面に見えるのは最後尾側だ。こんな配置で先頭車両にいる人は、端から端まで歩く物好きか、方向転換する物好きだけだ。


 加えてあやが乗る豊島園行きの乗客は、大江戸線への乗り換えか途中の不人気な駅で降りるかに限られる。それでも人は多いが、他のどこよりも楽をできる。


 まもなく午後八時。蓮堂の家に着くのはこんな時刻になった。


「ただいま。カレーだね」


 荷物をソファへ投げ捨てた。ダイニングテーブルになぜかノートパソコンがある他はいつも通りの食卓が待っている。


「おかえり。今日ははなまるカツカレーだぞ」

「はなまる? って何?」


 蓮堂は苦笑いで説明を追加した。


「目玉焼きだ。初アルバイトから帰った子にぴったりのな」


 フライパンがジウジウと唸る。炊飯器の米を平皿へ、鍋の液体を米の横に、レンジのとんかつをさらにその上に。最後にそのとんかつを台座にして、花の形に整えた目玉焼きを載せた。


 あやの皿には少し崩れたものを、蓮堂の皿には大きく崩れたものを。


「すご。本当にはなまるだ」

「最初の一歩だ。こんな形でもな」

「ありがと蓮堂」

「どういたしまして。報告は食べてから聞く」


 蓮堂は画面を見て、少し操作をして、閉じたら食事を始める。斜めに向かい合って手を合わせて、コップの水から冷やしたスプーンを取る。


 蓮堂はいつも、ご当地食文化に触れるきっかけをくれる。探偵として各地に馴染んで動くためと言っていたが、あやは別の理由を感じている。すなわち、知見を広げるため。初めてのものに増える機会がいつ訪れても、見たことがあるものの本場になる。


「今でパソコンって珍しいけど何?」

「内緒だ。緊急性がある」

「ふーん」


 こういう時は大抵、備えただけで何も起こらない。一度だけ、画面の何かを見て作業台へ向かった日があった。その日もカツで、こっそりひと切れ貰ったらすぐに見つかってお説教をされた。蓮堂はいつでも見ている。


 今日もカツだが、何事もなく食べ終えられた。大満足のはなまる味だ。


 報告の準備を始める。コピー用紙に書き直す。蓮堂が食器を洗う間に全部はもちろん間に合わないので、本当に重要な部分だけをまとめる。


 時刻は九時、手早く済ませて、お風呂に入って寝よう。


「報告を頼む」


 ダイニングテーブルで、いつものノートパソコンとタブレットを並べる。あやは事実から話した。


 駅付近を歩いたとき、不審な顔は見つからなかった。動画を送る。『レディ・メイド』店舗では、着替えとレジ打ちの他は、ほとんど物の場所を確認するだけだった。これも動画を送る。


 なんか変、その違和感を信用する。会えた従業員は一人だけで、客は五人だった。音楽と仕切りのおかげで寂しくはないが、事前に聞いた金額に対してお金が動かなすぎる。レジ打ちの際に内容と金額も見た。客単価は一般的な飲食店と同等だった。


「金曜の六時でこれは、おかしいよね」

「そうでもないぞ。この看板と入り口で飲食店とは思わないだろ。客に関してはむしろ来る方がおかしい。その若者グループみたいな奴らがな」


 近くに他の飲食店はないが、客を独占する武器にはならない。飲食店を求める客は別の場所へ集まる。


「だが気づいてる通り」


 蓮堂は目線で促した。


「利益が出てない」


 あやの答えに頷いた。


「そもそもだが、料理店とクリーニング店をまとめるのがおかしいんだ。しかもこの間取りを見ろ。奥の部屋が見えてる範囲の二倍もある。厨房と倉庫だけでがそんなに大きいはずないだろ」


 蓮堂は小難しい顔をしている。あやが口を挟もうにも、何も思い浮かばない。あやはメモに目を落とすが、助けはもちろんない。


「言うか迷ってたが」


 蓮堂がやけに重く口を開いた。


「ひとつだけある。料理とクリーニングを同じ店に置いた上で、推定・物置き部屋をでかでかと置いて、筋が通る理由が」

「あるんだ。なに?」


 蓮堂はますます、睨むように目を細めた。あやも気づく。これは覚悟が必要な話だ。襟を正して見せつける。


「聞かせてよ」

「寝る前だが」

「大丈夫。ちょっと予想ついてきた」

「そうか」


 まだ溜めて、ようやく徐々に言葉を紡いだ。覚悟が必要なのはお互い様だ。


「人を殺すと、洗濯物ができる。この汚れを落とすには洗剤が必要だが、ある程度は大根で代替できる。不自然なく仕入れられる方を使えるわけだ」


 怖い話と予想はしていた。言う側に覚悟が必要な話とも見えていた。それでも、あやにはまだ少し重い。


「こんな身近に犯罪組織ってこと?」

「連中が誰に金を払ってるかは知ってる。だが、買った品の使い方まではわからない。食材は廃棄が発生しやすいものだ。根拠もない想像だが、どうしても気になってな」

「じゃあ例えば、親指にタコができるのも」


 あやは側面を示した。凛丹りんにの手に見えたのと同じ場所を。


「矛盾はしないが、そいつは背が低くて手も小さい女だろ?」

「そう。このぐらいかな」


 掌底から中指の関節で伝える。あやの手は言うほど大きくないが、凛丹はさらに小さかった。


「その大きさと位置なら拳銃は無理がある。使うにしても刃物だが、小柄な格闘術がどこまでやれるか私は知らないんだよな。クリーニング担当だったか」

「そう」

「実行じゃない側か、あるいは油断させて懐へ潜り込むか」


 蓮堂は続きを考えていそうだが、急に「止めよう」と呟いて立ち上がった。いつもの気分転換だ。


「すべては想像だ。実際どうなのかは情報が足りない。空想と現実の区別はつけておけ。恐れを見せたら向こうが動きやすくなる」

「かもね。信じておくよ、蓮堂を」


 わからないことだらけの今は考えても進められない。まずはすでにある情報を精査する。細かい所まで問われては答えて、意見や予想を交えて、関係ありそうな情報を探す。


 あやは初めて、起きている間に日付が変わった。

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