N19B3b 策略家 2
蓮堂の事務所に帰ってまず、勧めに従い、一番風呂はあやが貰う。
アイデアが浮かぶ場所は三つある。トイレ、風呂、布団の中。余計な情報を排して体の感覚だけに集中できる場所だ。
あやは追加で、義肢を外す場所でもある。生活防水ではあるものの、身体の接続部を洗わずには気分が悪いし、濡れたままでつけ直すのもやはり気分が悪い。
機械の左手に手袋をつけて、頭から始めて下へ、全身の汗や垢を落とす。残りが接続部だけになったら、まず左腕を外して、握り拳大の二の腕を撫でるようにして汗と垢を落とす。最後に姿勢を維持していた脚も同様に。
安全のためにあやは半身浴を主にしている。うっかり滑らせればすぐに溺れるし、体が小さいと温まるまでが早い。脚がないので水位が上がらない。
「蓮堂、あがったよ」
湯上がりのあやは車椅子を使う。義肢を一時的につけて自力で座り、再び外して水滴を拭いたら、後部に備えたバスケットに並べて乾かす。
車椅子はかっこよくなければならない。ダサい車椅子とは、すなわち不細工な顔やボロボロの服と同じで本人の
ホイールは垂直とスポーツ用の中間程度に広がり、騎馬のように跨り、背もたれは場所や向きを示す程度に。動力は充電式で、操作は義足と同じしくみで繋ぐ。これほどの仕上がりはほとんどあや専用で、通常はホイール側面を手で転がしたり任天堂のコントローラによる操作で動かす。
転倒防止の補助輪を合わせて六本足、アラクネと化したあやは台所へ向かう。お風呂あがりにはアイスと決まっている。小腹を満たし、明日の支度や歯磨きで使うエネルギーも確保する。
蓮堂がまだ画面に向かっているので、差し入れも兼ねて雪見だいふくを持ち出した。半分を自分の口に、もう半分にピックを刺してトレイごと前に出した。
「ありがとう」
「まだ長い? お風呂が冷めちゃうよ」
「まあな。何しろ今は超特急だ。が、もうリミッターを外しちまうか」
蓮堂はノートパソコンからケーブルを抜き、ダイニングテーブルへ運んだ。画面にはいくつもの波形や文字が流れる。それぞれが事務所のどこかにあるセンサーからの情報を示している。あやはそれ以上のあれこれを知らないが、存在を知っているだけでも蓮堂の次に詳しい。
台所で湯を沸かす。棚から湯呑みを出す。ダイニングテーブルに運ぶ。そして蓮堂は喋り始めた。
「お前に言っておくことがある」
「え? 何?」
「目的や望みは分かってるから、お前が自分で決めて動くといい。こっちで受け止める」
「急にどうしたの?」
あやを無視して、蓮堂は言葉を続ける。
「お前はひとつ大間違いをしてる。指示された行動をしたんじゃあない。お前がやりたいと思った行動をしたんだ。誰かの言いなりの駒をやめろ。お前自身が誰とでも対等なプレイヤーとして向き合え」
「ねえ蓮堂」
「当然だが、戦略が甘ければ負けるだろう。負けの正体は勝つ前の脱落だ。脱落さえしなければやがてチャンスが来る。戦略を磨け。定石を身につけて、勝ちか継続を手繰り寄せろ」
あやは全く流れが見えない。話のひとつひとつは蓮堂が暗黙のうちに見せていた内容の再確認だが、それを言う理由が見えない。
「あと必要なのは、そうだな。止まない雨は無いって言葉があるが、雨で死ぬまでは三時間程度だ。その雨はすぐに防ぐほうがいい」
「誰に言ってるの? あたしのことをお前呼びは始めてだよ」
「お前に言ってる。聞いてるだろ、ヒツジ人形」
目線で応接テーブルを示した。出発前の着替えから置きっぱなしていたスクールバッグの、新しくつけたばかりの羊人形がある。リティスからお守りにと受け取った品だ。
あやはざわついた。車輪で駆け寄り、羊人形を外した。丸っこくて、綿が固まっている。縫い目を探すが見つからない。
「この中に、あるの?」
盗聴器が。口には出したくなかった。
蓮堂はハサミを出した。あやは差し出した。湯呑みの熱湯で糊を溶かし、柔らかくなったらハサミで生地を裂く。果たして奥からは、小さな基板とコイン電池が現れた。
「まともなメイド喫茶とかの接客業なら、贈り物を必ず断るよう指示がある。その理由がこれだ」
「どうして、リティス!」
あやは右手を握りしめた。左手を外していてよかった。もしつけていたらきっと、油圧ピストンをまた破裂させていた。
蓮堂は落ち着くまで待ってくれる。本当にだめな八つ当たりは止めるが、他は黙っていてくれる。アンガーマネジメントの六秒間、根拠はないがプラシーボ効果が役立つ。新たな刺激が加わらず、自分の中だけでは同じ思考ばかりを繰り返す。感情は短命で、手がかりや足がかりをなしには残せない。
喉の奥から雪見だいふくの味が迫り上がる頃には落ち着きが戻っていた。
心拍数が増えて呼吸が減ると脳は酸欠状態になっている。まともな思考はできないし、眠気に似て見落としが増えるし、快不快への感度が高まる。怒りに任せた向こう見ずな行動はこうして生まれる。まずは深呼吸で元に戻す。
「落ち着いたか」
あやは頷いた。湯呑みにはすでに湯気はなかった。まだ受け入れきれない考えを言葉にする。疲れが眠気になっているが、このままでは眠れない。
「あたしはリティスを友達だと思ってた」
ホットミルクが出てくる。蓮堂が置いた。最初からテーブルにあった。目に入らなかっただけだ。
「初めは
「それでいい。向こうには逆らうにはビビる事情があるようだな」
蓮堂は盗聴器に向けて喋る。
「まだ電波がある。お前を見張ってる奴の名前は
音は空気と水の境目で一気に弱くなる。それでもこの盗聴器なら受け取る。
「蓮堂。どこ情報」
「裏で出回る名簿だ。出身地がわかれば学校や保育園は限られる。すべてを買い集めても名前がない、闇生まれの子がこいつらだ。特に目立つお前は、見張りをつけるほど信用できない状態で、切り捨てられないほど人に余裕がない」
初耳の情報でも、その価値はわかる。蓮堂は仲間割れを狙って、引き込むつもりで言っている。その前の言葉とも一致する。リティスが使いたくなる情報を送りつけたら、使うために隠すか、諦めて対立を確かにするかだ。
可能性をおさらいする。
リティスが『レディ・メイド』に
リティスが裏切るかもしれないなら、何も知らないふりをして、
「彩もお前も覚えておけよ。些細な情報をいくつも組み合わせて、ないはずのものがあるか、あるはずのものがないなら、そこに正解がある。調査ってのはこうやるんだ。探偵を舐めるな」
ならばあやも、言いたいことを言っていられる。
「てことはリティスもこっちに来るってこと?」
「それを決めていいのは本人だけだ。敵対するなら文句は言わせない。さて」
必要な話を済ませた。蓮堂は湯呑みの中の基板を折った。電池を外してからノートパソコンを確認して、もう少し折ってまた確認する。
電波が無くなったとわかったら、中身をまとめて捨てた。
「彩に言っておく。連中には目当ての品があって、今は貸し金庫に預けてある。この事務所への襲撃はない」
「向こうは品なしの首だけでは満足できないってことね」
「そういうことだ。安心して寝ろ」
中間テストに備えて。あやは歯を磨き、軽く教科書を眺めてから眠った。
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