N33C4a ready-3/6: 傾向 1

 命題:正しく射ったならばあたる。

 裏 :正しく射っていないならばあたらない。

 逆 :あたるならば正しく射った。

 対偶:あたらないならば正しく射っていない。


 これらのうち、命題と対偶は真偽が同じになる。命題が正しいならば対偶も正しく、命題が誤りならば対偶も誤りになる。


 あやアルファが射った投げ縄銃は外れた。すなわち、正しく射っていなかった。具体的な理由がよくわからない。あやはただの高校一年生だ。手足が金属製でも、珍しい経験があっても、普通の範疇からは外れられない。順当に知らないものもある。そのひとつがコリオリの力だ。


 前提となる慣性の法則なら知っている。物体は移動速度と方向を維持しようとする。西武線の池袋駅でよくわかる。先頭車両に乗ると線路の急カーブがよく見える。


 もうひとつの前提となる相対速度もわかる。同じ速度で同じ方向に動くものは止まって見えるし、同じ速度で逆方向に動くものは速度が二倍に見える。西武線の池袋駅では逆方向の例が見えるし、大江戸線の都庁前駅では同じ方向の例が見える。


 相対速度が同じなのに絶対速度が違う場合にコリオリりょくの話になる。すなわち、回転運動の内側と外側だ。


 椎奈が巨大な手で木を掴み、振り回す外側にあやアルファが掴まった。あやアルファから見れば、木を辿って椎奈までの止まった直線が伸びて、景色だけが回転している。しかし実際には、椎奈は回転の中心で止まっていおり、あやアルファは外側で動いている。


 この状態で椎奈を真っ直ぐに狙ったならば、投げ縄銃から放たれたベルトは慣性の法則により横へ逸れるが、椎奈は同じ方向へは逸れない。その結果、ベルトだけが明後日の方向へ飛んでいった。


 実は西武線の池袋駅にも同じ例がある。隣と同じ速度で並走していても、カーブの内側を走る電車が必ず前へ出ていく。体育の授業の百メートル走でも内側を走るほどスタートが後ろになる。あやはこれらの経験がなかった。豊島園駅への電車は各駅停車だけで隣の準急が先行しても違和感にならないし、体育は見学だった。理屈ではわかっていても、今この場との関連を見つけられなかった。


 後日に教わる蓮堂の説明はすぐにわかった。自分の目では同じ速さに見えるからといって、側から見ても同じ速さとは限らない。右へ逸れるならば左へ、左へ逸れるならば右へ、それぞれ直線上には何もない位置を狙って放つ必要があった。


 教わる前の現在は、空振りの理由を考えるよりも他の手段を探す。


 この距離で外したなら近づく作戦は危ない。黙って近づかせてくれるはずがない。


 掴んだ木から降りる。必要だがこれも危ない。離れてから着地までに木が一周して、体勢が整う前に脇腹へ叩きつけられる。


「びっくりしたなあ! 彩も射撃は苦手なんだ!」


 椎奈は勝ち誇って、手首を捻った。動きが強化外骨格に伝わり、木が回転してあやアルファの位置を上から下へ向かわせる。生身より角度の限界が近いとはいえ、足場が傾いただけで大問題だ。危険を承知で降りるしかなくなった。


 どんな降り方ならマシか。試していた考えがある。


 弓なりのカーボンファイバーの脚を限界まで大股開きにして、鍋の蓋が転がるようにして落下の衝撃を逃した。方向は幸いにも崖ではなく草、細長い草が絡まったり、千切れた葉がヘルメットに挟まったりを代償に、距離をとって仕切り直した。


 生身で同じ姿勢なら膝が折れるし、生身で受け身を取るには散らばる石ころで背骨を砕くかもしれない。どちらでも水平方向への推力には変換できずに身を傷める。サイボーグならばこその技を使いこなすには経験が物を言う。休日サイボーグとフルタイムサイボーグの差が出た。


「彩ぁ、かくれんぼがお望みかな」


 草むらに木が叩きつけられた。客観的にはあやアルファの位置には的外れでもが、主観的には巨大な音と衝撃がぎりぎりを通過したように感じた。戦場の霧、歴史の授業で軽く聞き流した話が目の前にある。何がどこにあるか、見える範囲が狭まり、見えなかった分を想像で補う。悪い方向へ。


 周囲の鳥たちがギャアギャアと鳴きなたら飛び去る。舞い上がったらしき土がパラパラと降ってくる。大質量を再び持ち上げる様子がないが、手放しには喜べない。相手の都合で他を選んだだけだ。


 椎奈は手近な場所から草をむしろうと伸ばして、すぐ中断した。その様子があやアルファの義眼なら見える。些細だが有用な情報だ。


 椎奈は草むらに入りたくない理由がある。好き嫌いよりもおそらく強化外骨格の都合だ。椎奈は目を持っていない。肉眼で見える範囲が限界だ。椎奈はどこからか指示を受けている。草毟りで情報を残したくないか、音と衝撃によるお小言か。


 電波を使うなら蓮堂デルタがうまくやる。音が届くならオオヤブラボーの援護に期待できる。ならばあやアルファの役目は、それまでを繋いであわよくば終わらせる。


 運がよければ勝つガチャを回す。運が悪くても状況はそのまま続く。なので当たりを引くまで無限に回し続けられる。戦略をなぞり勝つべくして勝つ。これも歴史の授業でいくらか聞いていた。諸葛孔明ではなかった気がする。生きて帰って調べ直す。


 転んだ視界からひとつ思いついた。試す価値がある。


 あやアルファは周囲の石ころを拾った。椎奈が耕したおかげで取りやすくなっていた。抱えられるだけ抱えて、草むらを出た。


「うわーっ見つかっちゃった。今から鬼はあたしね」


 白々しく抑揚のない言い方でおちょくる。あやアルファは寝転がり、脚を椎奈に向けた。


「それはふざけすぎじゃないの?」

「や、あたしは大真面目だよ。椎奈は気づいてない? 頭を向けて寝られなくなっちゃうな」


 寝技だ。一見すると上から一方的に殴られそうだが、実際には相手は横にいる。上を取るには攻防を突破してからになる。腕は肩の高さを中心にした回転運動しかできない。遠くまで届かせるには水平に近いほどよく、寝た姿勢は肩よりずっと垂直に近づく。ほとんど真上に来るまで届かない。もしくは強引に届かせようとしてアンバランスな姿勢で隙を見せるか。


 加えてあやアルファの脚はカーボンファイバーだ。生身にはできない使い方もある。


 左手で弓なりの脚を引き絞った。脚の先端に石ころをのせて、狙いをつけて手を離せば飛んでいく。即席のスリングショットだ。


 まともな腕では引く力が出ないし、先に側面のエッジが指を切り飛ばすが、あやアルファには機械の左腕がある。片手で十分な力を出せるし、尖っていても怪我をしない。


 これで椎奈はジャンプができない。空中へ出れば軌道を変えられなくなる。さらに目を背けられない。よそ見をすれば石が飛ぶ。できるのはいつでも回避に移れる歩き方か、腕で守って強引に来るか。


「ならその頭、向けさせてやろうじゃん!」


 椎奈は来た。頭がハイなままで、巨体をのしのしと進めてくる。


 あやアルファは石ころを放った。椎奈は左腕で弾いた。斜めに受けるあたりはわかっている。傾斜装甲、貫通までの厚さが増すほか、衝撃を受け流してダメージを減らす。


 二発目、三発目。右腕で弾く。次は二個を同時に。狙いはやや甘くなるが、強化外骨格のせいで的が大きくなる。受け止めるしかない。


 あわせて投げ縄銃を放った。左腕と一体化しているので、引き金のような徴候もなく放てるし、構えても目立たない。


 椎奈の目は石ころに夢中だ。タイミングを合わせて構えた陰からベルトが追い抜く。気づいたときにはもう間に合わない。


 左右の脚から束ねた。椎奈はバランスを崩し倒れるので、あやアルファは起き上がって駆け寄る。拾った土を顔に降らせて、視界を塞いだら次は腕だ。


 先の空振りを含めて合計四発、椎奈を無力化した。


「あたしが上手うわてだったね」

「普段のあの調子で、どこでこういうのを身につけたんだか」

「言われてみるとどこだろ。イメージして試すってぐらい?」


 喧嘩が終われば仲良しに戻る。表面上は。


 周囲を警戒する。片手間に弾倉を交換する。残弾は再び五発で、一発の弾倉は腰に戻した。


 何もなければ海を見下ろして船を待つだけだが、当然ながら楽じゃない。


 蜂の巣を刺激したように、あるいは猛獣の檻に久しぶりのエサを投げ込んだように、小さなドローンの群れがあやアルファを囲んでいた。

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