N08A3b 家庭の事情 2

 前提として、犯罪を防ぐには犯罪をする側の考えを理解しなければならない。


 痴漢でも泥棒でも殺人でも、それらを成功させる方法を考え抜いて初めて的外れでない対策が可能になる。スタンガンを鞄に入れたら防げるか? 答えはもちろん否、対策したつもりになって安心するのが関の山だ。犯罪者になれない者は、犯罪者から身を守ることもできない。


 朝一番であやは指示を受けた。


 第一に、写真をネットに投稿されたら炎上するような行いをしない。対処が必要になれば忙しくなり、忙しくなれば疲れて、疲れれば他の対策が緩む。もし起こったら蓮堂がすべてを処理する。


 第二に、寂しい場所を避ける。手を出したら誰かが気づく場所にいれば手を出してこない。相手にも守りたい我が身があるからだ。


 第三に、車に連れ込みやすい場所を避ける。拉致に必要な時間は五秒程度だ。外からは見えないし声も届かない。こうなれば蓮堂でもすぐには見つけられない。


 第四に、友達と話しながら歩くといい。一人を一瞬で消すのは簡単だが、二人で歩けば二人を同時に片付ける手段が必要になる。手段を運ぶ方法も、消した人を処理する時間も。


 第五に、花の近くを歩くといい。蜜の香りが虫を引き寄せる。人間になおすと、コンビニや駅前だ。


「そこまであかん相手?」

「念のためだ。見えてない情報がまだ多いが」

「多いが?」


 蓮堂は目を伏せた。言いたくない事情なんて、これまでになかった。伏せるべき内容なら必ず伏せたし、どんな言葉でもあけすけに言い放ってきた。半端に迷うような何か。蓮堂にもあるらしい。


「多分、やる奴らだ。昨日は子供を使ってたよな。どんなのが来ても驚かない」


 ため息と、立ち上がって朝食の準備に移る。蓮堂の後頭部を見ながらあやも未熟なりに考えを巡らせた。


 発端は自分にもある。岩谷に協力した結果で怪しい連中に目をつけられた。有利な場所にいる驕りがあった。せっかくだからかっこよくポーズを決めて記録していたのだ。


 過去は覆せないが、利用ならできる。毒を食らわば皿まで、さらに深く関わって調査を進めたら手柄を立てるチャンスになる。解決が早まれば不安もなくなり一石二鳥だ。


 手札には腕と脚と目がある。特に腕は外見でわからない機能を持つ。最後まで隠していればきっとどこかで役に立つ。


 手を振った女は手を振るだけだった。記録があると気づいていないか、あやを消すには届かないか。恐ろしく感じても冷静に振り返ると付け入る隙はありそうだ。


「できたぞ。考え事は食べてからだ」

「わーい。いただきます」

「めしあがれ」


 茶碗を取り、箸で掴む直前に「それと」と呟いた。


「彩を巻き込んだ。悪かった」

「むしろあたしが飛び込んだと思ってるけどね」

「親の問題に巻き込むなんて話にならん。荷が重すぎるんだ、子供には」

「じゃあ提案。あたしが潜入する」


 蓮堂は味付けを間違えたような顔になった。同じものを食べると、ちゃんと美味しいゴボウだった。


「やめてくれ。私の胃だって無敵じゃない」

「ピンチはチャンスって言うでしょ。椎奈を見つけてなかったみたいだし」

「そういう所は目ざといよな。誰に似たんだか」

「誰かに似た所が他にもあるんだな、これが」


 蓮堂は口の中身を水で流し込んだ。あやも同じく、ただし、勝ち誇ったにやけ顔で。


「こっそりでもやる気なわけだ。誰かにとっては見えない所で動くよりも見えていたほうが安心できる、と。わかったよ。短期バイトとして雇ってやる」

「やたっ。よろしくね」


 座ったままの小躍りで喜びを示す。蓮堂は息を漏らすように笑った。


「どしたの蓮堂」

「なんでもない」

「なんかあるね」

「言いたくない」

「先っちょだけ」

「ドドド下品娘」

「ドが多いよね」

「これが妥当だ」


 本気で言いたくなさそうなので、さりげなく話をずらした。蓮堂もきっと気づいて乗ってきた。三〇以上も歳上で、血縁もなくても、一緒に笑ってくれる。他のご家庭と形が違えど、中身はきっと違わない。


 日曜日の朝はテレビ番組が面白い。初めは幼稚に見えていたが、蓮堂があとで解説するおかげで楽しみ所がわかる。子供と一緒に見る大人が楽しめる小道具の詰め合わせだ。名画や映画に触れるきっかけになり、友達が増えるきっかけになった。


 食事を終えて、テレビ番組の一群を終えて、体を動かす時間を始めた。蓮堂のジョギングについていく。今の脚は日常用なので、自転車で。


「待って蓮堂、速い!」

「彩が遅いんだぞ。自転車が下手すぎる。練習しろ」

「ひぃん。コーチできると思ったのに」


 町内を一周して、涼しい顔と汗だくのへたれ顔が戻ってきた。坂があるコースを選んだので、帰路の半分をウォーキングに切り替えた。


「そんなにか。バスケの活躍はどうした」

「脚が違うからさ。頼りすぎてたね」

「悪かった」

「むしろいいよ。気づけたし」

「気を使うのはよせ」

「じゃあハーゲンダッツ四個」


 蓮堂は顔芸をしながらもコンビニに入った。冷凍庫の前で好きに選ばせる。


「変な金を使うことになっちまった」

「ひゅう。言ってみるもんだね」


 会計を済ませる頃には、冷房のおかげもあり、あやは元気な顔に戻った。袋は右手で持つ。


「どこで覚えてきたんだ、その言葉」

「けっこう昔だけど、とある探偵が言ってたんだな、これが」

「物覚えの悪さを求めるのは初めてだ」


 家に着いたら久しぶりのゲーム機やホームシアターを調える。あやが外へ出ずとも退屈せずに済むように。


「物理ペーパーの漫画ってある?」

「あるにはあるが、電子よりは少ないぞ」


 本棚の一角を示した。実用書より少なく、小説より多い。多くは一巻から三巻まで、試し読みのように貸し出す様子が背表紙の傷から香った。


「この中では『ヤオチノ乱』の二巻以降が電子、『せんせいのお人形』の四巻以降が電子、『カラーレス』はここにある分で完結だ。他は紙もあるが、続きを読むなら電子にしてくれ」

「生まれる前の本だ。いい仕事してますなあ」

「その言い回しもな」


 まとまった時間を共に過ごすのはほとんど初めてになる。前回は幼稚園児だった。大きくなったあやは何を見てどう動くか、蓮堂がいちいち反応をくれる。


 こういうところが気持ちいい。特にあやは、自分の上に立てる相手が珍しいので、久しぶりの庇護下を堪能している。

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