N10A4b 求人情報 2
水曜日、リティスと約束した日だ。一時だけでいいはずだったが、昼休みに同じく音楽室の前へ向かった。
付近にはトイレと物置だけで、音楽部はない。あやとリティスの二人だけで話せる場所だ。
「お待たせしました。
「うちは
「それは恋愛的な? あたしはまだよくわかんないですが」
この時代は性的少数者の存在が親世代まで広く知られていて、親からの悪口を聞かずに育つ。誰に対しても確認を恐れない。
「恋愛とは多分違う感じで、うちって見ての通り口下手なんすけど、なんでこんなのと関われるのかって」
「あたしが避けてもしょうがないからですね。それに口下手は経験が足りないだけですから、関わってみれば早いし、あたしも経験を積めて一石二鳥ってね」
「経験不足なら、うちも練習してたら
「時間はかかると思いますけどね。今までの経験を覆すかもしれないですし」
リティスだけでなく、きっかけにして他の先輩と関わる機会は増やしておきたい。人の繋がりは、偶然の出会いから始まり、次へ次へと連鎖していく。一人だけで行き止まりの人はいない。
「なんだか達観してますね。歳下なのに、姉みたいっす」
「あたしに教えてくれた人たちのおかげです」
「その謙遜も。何者なんすか、
あやは気付き遅れた。これは仲良く話す場じゃない。腹の探り合いだ。蓮堂の昔話で聞いたことがある。互いの背景を知り、何を喜び何を嫌うかを推察して、望む結果を得られそうな動きを見せる。対等から上下関係に移行したり、あるいは共通の敵を見つけて手を結ぶ。
大人の世界だけではない。中学生の頃にも似たような経験がある。
別のクイーンビーがあやを目の敵にしていた。特定の男子へのアプローチに邪魔だからとあやへ関わらないよう要求してきた。恋路は応援するのみだが、別件で彼とは離れられない。保健委員の仕事があった。連絡を蔑ろにしてはいけない。
その話を持ち帰ったらハマカンは防塵防水を強化した。甲斐あって嫌がらせを受けても腕や脚は壊れず、一週間もすれば急な税務調査が始まってあやへの嫌がらせどころではなくなった。
あやが困った期間は短くとも心にしこりが残った。自分では解決できずに親頼みだった。偉そうにリーダー顔をしているくせに、困りごとに負けた自分に腹が立った。
今度こそ。
この場のあやは防御側だ。当時の蓮堂がそう表現した。あらゆる関わりには攻撃側と防御側がある。攻撃側は自分の要求を通し、防御側はその要求での損失を防ぐ。自分がどっち側かを見誤ってはいけない。まずは相手を攻撃側から追い落とし、
まずは質問に答える。あやは何者なのか。
「自分じゃあよくわかんないですけど、大きな不運と、同じぐらいの幸運があった、って答えでいかがでしょう」
「不運、その手っすか」
「脚もですよ。両方とも」
「すみません、なんか」
「かっこいいでしょ。それが救いですね」
リティスの言葉が止まった。口下手で助かった。会話は拮抗になり、次に主導権を握ったものが攻撃側になる。あまり大きく動くとカウンターが来るので、始まりは小さく、外堀から。
「先輩、お姉さんがいらっしゃるんですか」
記憶を過去に向けさせる。些細な個人情報をとっかかりにする。
「まあ、いますね。仲はそれなりっす」
「その方もいい方なんですよね。三人で一緒に話せませんかね」
自分が仲介して、リティスが経験できるように。人は恩があると敵対しにくくなる。売っておくと今後の関わりが楽になる。
リティスは唸り、ようやく答えた。
「すみません、見栄で嘘つきました。仲はいまいちで、あんまり話したくないっす」
「それは残念」
あやが次の言葉を出す前に「けど」と割り込んだ。
「話したいならバ先を教えますよ。いつ店にいるかまではわかりませんけど」
リティスのポケットから折り畳まれた紙が出てきた。チラシだが、フルカラーの光沢紙なのでフライヤーと呼ぶ方が通りやすい。
「求人なんすけど、いつも人不足だからって、うちもこれて手伝うことになってるんす」
『食事・洗濯・介助など、家事全般を代行します。もちろん担当は一種類からでOK!』
キャッチコピーに続いて制服の写真や給与や形態が並ぶ。店舗で作業する者と、顧客の家へ出張するもの。住所は椎名町、あまり近寄りたくない場だが、今それを伝えるのは憚られる。店名は『レディ・メイド』、素直に訳せば既製品だが、洒落てReady Maidと書かれているので、他の文言も加味して、すぐに動ける家政婦と読み取った。
「レジ打ちもある? 出張のほうは想像つきますけど、どんなお店ですかこれ」
「喫茶店とクリーニング屋を合わせたみたいな所っすね。見たことありますよね?」
どちらも近所にたくさんあるが、中をしっかり見たことはない。ガラスに書かれた説明書きの奥は、白か薄緑の床や色々がある、程度にしか把握していなかった。
「コインランドリーみたいな洗濯機もありますけど、それで洗えない服を綺麗にしてアイロンがけとかする、あれです」
「外からだとカウンターしか見えないので、知りませんでした」
「でしょうね。うちも聞いただけですし」
いい所だが、一時くんが来た。トイレが長かったので望外に深まっていた。
参加者の組み合わせが変われば話題も変わる。三人で話せる内容、今日は一時くんのサッカーから始めた。もちろんあやも見物していた。フォワードとして刺すような活躍で輝く。この場の口下手とはうってかわって、体では饒舌に語れる。一度きりでなく何度でもやる男、あの決め台詞には相応の背景があった。
チャイムが鳴れば昼休みは終わる。一年組は教室まで遠いので、最後の一言を残して足早に階段を降りる。
「とりあえず行っていいか親に相談します。また」
「相談? まじに応募するんすか?」
「とりあえず!」
水曜日もグラウンドをサッカー部が使う日だが、毎回見るほどの義理はない。午後の授業を終えたら直帰する。
蓮堂に相談だ。椎名町の『レディ・メイド』へ行くか行かないか。
家に着いたらすぐフライヤーを見せた。
「っていう話で今日は最後になったよ」
「最高のお手柄だ。これを求めてた」
「は?」
蓮堂はフライヤーをじっくり読み込んでいる。表はもちろん、裏側も。白一色に折れ目の格子模様だけの面をよくも楽しげに眺められる。あやは思ったことでもあえて言わずにおく技能がある。口は災いの元、沈黙は金だ。
「こいつは給与をかなり出してる店だ。年に数人は新たに雇ってるが、逆に減ったことはない。どういうわけか、求人情報がまるっきり見えてこない。口コミだけで拡大してるってわけだ」
「けど戸浦先輩は人手不足って言ってた。事情がある?」
「そこだ。表立って求人を出すとまずい理由がある」
「広告費を出せない、とかは?」
「ないな。住所を調べたか? ここのテナント料は月に百万だぞ」
家賃は最も大きな固定費だが、安く済ませる損失も最も大きい。人は変な場所には行かない。知らない店のために駅から遠くまで歩いてはくれないし、近くても脇道の探検はしない。同じ駅の別の出口にさえ行かない。希少な物好きに大金を出させるか、それができないなら広く浅く出させるしかない。そして、飲食店の客単価は高が知れている。
「なんで知ってるの? やっぱり探偵を続けてるんじゃない?」
「税理士を舐めるな。金の流れは関係性の流れだ。たかが数字からあらゆる情報を読み取れる」
「ふーん。どうやるのか見てみたいな!」
「それはだめだ。たとえ家族でも勝手に見せちゃいけないんだぞ」
直前の話との整合性が気になったが、あやは災いを防いだ。
「まあいいや。じゃあ行っていい?」
「本気で行く気だったのか」
「だって可愛いじゃん! メイド服だよ」
「それを否定する材料はないが。とはいえ、敵の本拠地候補だぞ」
「有力な?」
「ではない、いや、順位をつけるには情報がないだけだが。これは『街灯の下で鍵を探す』話だ」
どこを探すべきかではなく、探せる場所を探す。他の候補たちを探せない以上、探せる『レディ・メイド』から探す。
「私はここが、幸運にも正解であれば楽だが、不運にも正解であれば頭を抱えるハメになる」
「助けに来てね」
「そんな前提はやめろ」
もちろん冗談と分かってのツッコミだ。きっと。笑い合って、面持ちは真剣に戻る。
あやを送り込む準備を始めた。
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