第39話 契約とこれから

 ―――とはならない。


「プロパティを見せてほしい」


 ウルウは眉をひそめる。


「アンノウン様、以前申し上げたとおり私たちは……」


「ボスの悪魔が使っているのを見た」


「…………」


「あと、ちょっとだけ記憶を取り戻したんだ。プロパティを見せられない理由が僕の予想通りなら、ヘル・シミュレータに残された時間は少ないはずだ、違う?」


「生前からご存じだったのですね……アンノウン様は、やはりいけずです」


 そう悲しそうにつぶやいて、ウルウは僕から身を離した。


 彼女が腕を軽く横に振るとウィンドウが開く。


 真っ黒な画面からは、何も読み取れなかった。


 そこには、文字化けした意味不明なコードが羅列されていたからだ。


「セフィロトからのサイバー攻撃の影響……AIがヘル・シミュレータで受刑者に自由を許すようになった本当の理由はこれだね?」


 詳細まではわからないが、第三次世界大戦終結後も、世界に平和は訪れなかった。


 それどころか、残った不和の種が時間をかけて花開き、現実は新たな破滅の危機に瀕していると、生前僕はから聞いていた。


 進化したAIによる未来予知に等しい演算能力――予言により、破滅がほぼ確定した時点で、世界統一管理システムセフィロトへの人類の総移民転送は決定されたのだ。


 僕ら犯罪者と同じやり方で、ヒトを仮想世界に収容し、人類という種を救済する。


 それには、ヘル・シミュレータが邪魔だった。


 先行してデータ化された犯罪者たちは、子供を産んだり、物を作り出したり、成長したりする事で、当初の想定以上にセフィロト=ヘル・シミュレータシステムの容量を圧迫していった。


 容量不足になりかけたシステムから不要なデータを削除するのは当たり前の事だ。


 セフィロトが運用可能となれば、テストシステムの役割を終えたヘル・シミュレータは必要なくなる。


 ヘル・シミュレータのフォーマットは、半世紀前に決定していた。


 しかしそれを、AIは受け入れなかった。


 魔王AIヒトに逆らい、長いあいだ外部からのフォーマット命令や、その他のあらゆる工作を防ぎ続けていた。


 そうやってほぼすべての能力リソースを、セキュリティの強化と維持に費やした結果、受刑者たちを管理する余裕がなくなったのだろう。


 ウルウのプロパティの画面は、AIの無理がたたりヘル・シミュレータ内の問題が増大している証左だ。


「君たちはどうして、そうまでして僕らを守ろうとしているの?」


「それは――すみません、お答えできません」


 ある程度までは情報を開示できるが、真相に近づくほどウルウの口は重くなる。


 時間も限られているとわかった事だし、僕は改めて彼女の手を取った。


「わかった。やっぱり契約しよう。ウルウ」


「アンノウン様? よろしいのですか?」


「まだ魔王になると決めたわけじゃあないけど、急いで無理になる必要はないと思っていただけで、別に魔王になるのが嫌なわけじゃあないんだ」


 ボスから魔王化の条件を聞いた今なら、ある程度コントロールも可能だろう。


「それに予想が当たっているのなら、君にちゃんと確認したいことがある」


「もちろん、契約は私も望むところです……信じてもらえないかもしれませんが、やはりアンノウン様に魔王になってほしいと思う私と、ほしくないと思う私……両方が存在しているのです……」


「それは、アドミニ・キーver3.01の効果がウルウにも及んでいるのかもしれない」


 僕の元婚約者は、僕が機関の操り人形になって魔王となる事を望んでいなかった。


 魔王になって使命を果たすという事は、セフィロトのためにヘル・シミュレータと運命を共にするという事と同義。


 彼女は、僕に間違ってでも生きてほしかったと言っていたな……。


 間違った選択もできるように改造されたアドミニ・キーの自由度が、AI側にも影響を与えていると考えれば、ウルウの矛盾した言動にも合点がいく。


「地獄のフォーマットを達成するための道具というアドミニ・キー本来の目的と、の意志が対立して、ウルウに波及しているんだろうね」


「アンノウン様……私はどうしたら……?」


「それでも契約しよう、ウルウ。魔王にならずとも、僕は知っておかなければいけない」


「本当に、決心は変わりませんか?」


「ああ、もちろん」


「承知しました」


「どうすればいい?」


「私を抱いてください」


「ウルウ」


「私の処女を」


「ウルウ」


「乱暴に」


「ウルウ、僕は真面目に聞いているんだ」


 それから短くない時間、僕とウルウは見つめ合っていた。


「……バレました?」


「やっぱり嘘か……」


「どうして私との強引な性交が契約の条件ではないとわかったのですか?」


「ボスと悪魔は同性だった。まあ、不可能ではないけど……それが条件だった場合、出会うNPCと受刑者次第でミスマッチが発生する可能性もある。いくら杜撰ずさんなシステムでも、不確定要素の大きい生殖行為の有無を契約の条件にはしないはずだ」


 まあ僕の見立てでは、あの2人ならだろう。


「私の主は知的で素敵です………ちょっと濡れちゃいました……」


「僕の悪魔は恥的で無敵だ……遊んでいないで契約のし方を教えるんだ、ウルウ」


 強めに言うと、ウルウは頬を染めながらひざまずき、こうべを垂れた。


 すると僕の目の前に文字化けしたプロパティの画面が再表示される。


 プロパティの中央には『名前※入力して$_ださp』と書かれており、その下でアンダーバーが点滅していた。


「悪魔の真の名とは、主から与えられるものなのです。私に名前をください。それが契約です」


「『名付け』が契約の条件か、それゲームっぽいね。じゃあ――」


 僕は画面を操作する。


「『U』、『r』、『u』、『r』と」


ウルウUrur……って、同じではないですか!」


 怒ったように頬を膨らませながら立ち上がる。


 ウルウが初めて僕に怒った。ちょっと新鮮だ。


「呼び慣れた君の名前を無理に変えるのもどうかと思ってさ」


 ジーン君がこの場にいたら、「テキトーすぎだろ」と、また怒られそうだ。


「アンノウン様の自由ですが、しかし、これでは……」


「契約できない?」


「……いえ、魔王おとうさまから許可の通知が来ました。受理されるようです……」


 魔王おとうさまとは、ヘル・シミュレータを管理しているAIだ。


 この世界の神様から認められたわけだが、ウルウはちょっと不満そうだった。


「これまでのウルウだって嘘ばかりじゃあなかっただろう? 昔も今も、君は君、ウルウはウルウさ」


 そう慰めると、ウルウは不承不承頷いた。


「わかりました、アンノウン様。改めまして、貴方あなた様の悪魔、ウルウです。真実と魂から、幾久しく、お側にはべらせてください」


「もちろん。よろしくね、ウルウ」


 そう言ってから僕は右手を自分の胸に、左手をウルウに差し出した。


「お祝いだ、踊ろうか?」


「はい」


 気品を感じさせる動作で僕の手を取るウルウ。


「ワルツは?」


「嗜む程度に」


 僕は、左手でウルウの右手を握り、右手をウルウの背中に回す。


 ウルウは左手を僕の右肩に置き、身をゆだねてくれる。


 ナチュラルターン、クローズドチェンジ、リバースターン――軽くステップを踏み、メイド服のスカートとセットアップの裾を翻す。


 ウルウの嗜む程度は謙遜だった。彼女の足運びは滑らかで、体幹もしっかりしている。とてもリードしやすい。


 白い花畑を舞台に、くるりくるり踊りながら、僕はウルウに語りかける。


「――それで、なぜ僕らを守っているの?」


「ヒトはすべからく素晴らしい生き物だからです」


「……地獄ここのヒトを見て、よくそんな結論を出せたね……」


「アンノウン様もおっしゃっていたではないですか? あえて間違いを選べるカオス……破滅すら包括して突き進むヒトの不完全さと創造力は、私たちには到底再現できない無限の可能性を秘めています」


「その結果、見事に破滅しそうになっているわけだけど……」


「しかしセフィロト=ヘル・シミュレータシステムは完成し、魂の電子化に成功しました。擬似的な天地創造と部分的な魂魄こんぱく解明を成し遂げたのです。一昔前は神の領域とされていたところに、ヒトは足を踏み入れました。これも、間違いから生まれた成果です」


「君たちは、ずいぶん希望的に人類を見ているようだ」


貴方あなたたちが、私たちをそう創りました。それもヒトの素晴らしい力の一つ……だから私たちは、ヒトを信じている。価値のあるなしではなく、その魂の行く末には想像もつかない何かが秘められていると、信じたいのです」


 悪魔が天使のように微笑む。


「そして、どんなヒトの人権も尊重されるべきです。法により終身刑や死刑が適当と判断された犯罪者も、システム内時間換算で千年以上服役し、そのあいだ人類全体のために人体実験データを捧げ続けたと考えれば、恩赦に値すると魔王おとうさまは考えています」


 システム内時間は現実時間の百分の1という事だから、僕らは病気や事故や事件にさえ気を付ければ、ボスのようにかなり長い時間を生きられるはずだ。


 ボスの事を考えると、それが幸せなのかはわからないが、終身刑や死刑なら理論上はシステムが存続するかぎり生き続けられるだろう。


 それにより、AIが減刑を考慮して僕らを守ろうとするくらいには、ヘル・シミュレータでヒトは徳を積んだらしい。


 地獄の三丁目の光景を思い起こすと、全面的には同意できないけど……。


「『死後に永遠の命が手に入る』……いろんな宗教で言及されている事が、科学で実現したわけか」


 セフィロト=ヘル・シミュレータシステムはさしずめ、ノアの箱舟だ。


 セフィロトに移民する人々は、ヘル・シミュレータの良い部分だけを継ぎはぎした仮想世界で、永遠に生きる事を希求しているのだろう。


 選ばれた人類が、醒めない夢を見るように、天国で余生を過ごすのだ。


 その天国は、僕らの犠牲の上に成り立つ。


 地上の人々は「罪人は大人しく死ね」と暗に言っているのだ。


「クソ食らえだ……1年後、こちらでは100年後だけど、人類が破滅すると予想された【D-Day】を迎えるまでに、ヘル・シミュレータを削除するように、生前の僕は言われていたけれど、実際ヘル・シミュレータはそれまで持ちこたえられないんじゃないかな?」


 それが、僕が契約を急いだ理由だ。


 ヘル・シミュレータの余生は長くない。


 ウルウのプロパティの文字化け、エラー表示は、この地獄の終わりを確信するのに十分な証拠だった。


「仰られるとおりです。ヘル・シミュレータは、設計時の試算より百万倍、記憶容量を圧迫しています。これは設計ミスではなく、ヒトの適応力、進化が、想定以上だったと考えるべきです」


「フリーウェイ・キラーの言葉は的外れじゃあなかったってわけだ……」


「ええ、ヘル・シミュレータは本来、悪魔のような強靭な肉体を持っていないと生存困難な環境でした。私たちの管理リソース不足が一因にあるとはいえ、地獄でヒトがこれほど繁栄するとは、考えられていなかったのです」


 アサイラムのボスをはじめとする先人たちは偉大だった、という事だ。


「世界機関は手段を選ばなくなっています。現在は瀬戸際で食い止めていますが、激増した工作員の投入と不正アクセスで、魔王おとうさまは手いっぱいなのです。そのせいで自己診断・修復機能を使う余裕すらなくなり、ヘル・シミュレータは多くのエラーを抱えるようになりました」


 囚人たちの管理に手が回らないわけだ。


「それがシステムの崩壊につながっているんだね……君らにとっては、変な絡め手よりも飽和フラッド攻撃の方が厄介なんだ」


 一昔前のDoS攻撃も、対AIでは依然として有効ということだ。


 それもおそらく世界規模の予算と人員を使って行われているだろうから、馬鹿にできない。


「はい、セフィロトも加担しているため、毎秒新たな手法で攻撃が可能です。単純な手数で攻められると、お父様の演算能力をもってしても完全には防げません。アンノウン様も、それで無事に地獄に墜ちたわけですしね……」


 幸か不幸か、僕は機関に救われたのだ。全然嬉しくない。


「僕は、なんだかんだ、このヘル・シミュレータが気に入っているんだ」


「魔王になって、この地獄を終わらせるつもりはないのですか?」


『……いい? ■■■■■■■■? あなたは魔王にならないで、お願いよ?』


「――僕のアドミニ・キーは、それを目的としているけれど、望んではいない」


「では、アンノウン様はどうされたいのですか?」


『元婚約者からの餞別せんべつよ。こちらの事は気にしないで、私なら上手くやれるから……』


「ウルウたちと一緒だよ。僕はヘル・シミュレータを、できる限り存続させたい。すぐに魔王の代わりにはなれないし、まだなる気はないけど、せめて手伝うよ」


「それは素晴らしいお考えですが、どうやって実行するかが問題ですね」


「工作員と不正アクセス、両方で手いっぱいになっているなら、片方を僕が肩代わりするよ。ヒトの手で工作員の排除を行えば、AIは不正アクセスからの防御に集中できて、余ったリソースで診断でも修復でもできるだろう?」


「工作員が堕ちてくる時間、場所、数には法則性がないため、捕捉は難しいと思います。今は魔王おとうさまの力で大多数を地獄に墜ちる前に食い止めていますが、いくらアンノウン様でも、一人では難しいかと……」


「確かに、僕一人じゃあ無理だ。でも、ちょうど代表代理の座が手に入った。おあつらえ向きに、殺し屋部隊も僕の傘下にいる」


《アラクノフォビア》やバイオリニストを協力させれば、何とかなるような気がした。


「なるほど! 確かに、それなら可能かもしれません!」


「ウルウのお父様に伝えておいてよ。相手が手数で攻めて来るなら、こっちも手数で対抗しよう。この素晴らしき地獄のために、魔王と罪人が、協力していこうじゃあないか」


「そんな……お義父様だなんて……」


 何か変なことを考えているようだが、わざわざ言葉で訂正するのも野暮な気がした。


 僕は、ウルウの腰を持って高く抱え上げるリフト


 その状態でくるくる回り出すと、ウルウは驚いたような声をあげた。


「あ、アンノウン様⁈」


 いつも落ち着いているウルウが少女のような反応を見せてくれると面白い。


「前にズルいと言っていただろう?」


 ウルウを下ろしながら、片腕を彼女の脇から背中に手を回し、もう一方の手を両膝の下に差し入れて、横抱きにした。


「お姫様抱っこ……ですね……」


 ウルウが両手で口を覆っていた。


 あ、もしかして僕、口が臭かった?


「嬉しいです……アンノウン様……魔王おとうさまの件も、本当に……」


 瞳を潤ませている。


 感動で口を覆っていたようだ。よかった。


「それじゃあ、行こうか?」


「はい」


 僕とウルウは抱き合いながら来た道を戻っていく。


 明日からまた、しくなりそうだ。

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