第30話 この門をくぐる者、一切の望みを捨てよ――
ここは、キュア・ハートフル診療内科から6km程度離れた場所にある高層ビルの屋上だ。
バイオリニストたちはまだ僕らを探している。
敵に見つかりそうになったり、不安定さを感じたりしたら、ウルウの魔法で姿を隠して、なんとかここまで戻ってきた。
「プロパティ」
僕はアイテムボックスから携帯電話を取り出し、番号を押す。
ウルウは何度も魔法を使ってひどく疲れていたから、今はアイテムボックスで休んでもらっている。
「来たよ。初めてくれ」
連絡先はジーン君の携帯だ。
『了解……なぁ、アンノウン』
「なに?」
『いや、まあ、せいぜい気張れや』
「もしかして、心配してくれてるの?」
『ああ、心配だ。どう転んでもメチャクチャになるだろうからな、この街が』
「まあ期待しててよ?」
電話を切って、少し瞑想する。
それから僕はビルの屋上の鉄柵から身を乗り出した。
際に立ち、感覚を研ぎ澄まし、目を凝らす。
シン・セントラルを全体を見渡していく。
上手くいけば、そろそろ始まるはずだ。
少しの変化も見逃さないように、目を細める。
夜になって益々盛況に輝くビルの明かり。
けばけばしい店のネオンサイン。
眠らない街を行き交う車。
小さく見える罪人たちの営み。
それらに照らし出された夜闇に昇る一筋の黒煙――――見つけた。
「いま、会いにいくよ」
僕はビルの屋上から飛び降りた。
そのまま何もしなければただの身投げだ。
ヘル・シミュレータが少し平和になるだろう。
しかしそうはならない。
僕はナイフ側面のボタンを押す。
ワイヤー付きの刃が射出され、ビル外壁の脆い部分に刺さった。
片腕に強い衝撃を感じたあと、ナイフの柄を手放し、再び落下。
それを繰り返し、地上に無事到着する。
通りを歩いていた人間がぎょっとした顔で見てくるが、無視。
今はとにかくスピード優先。
全力で走りながら言葉を紡ぐ。
「プロパティ、ブルー、付いて来て」
『はいはいマスター?(・∇・)』
ブルーが車道に現れ、僕に並走する。
そのシートに飛び乗りフルスロットル。
タイヤが路面を擦り、僕らは風になる。
『どこに向かうんですか?( •̀ω•́ ; )』
「いつも僕に熱い視線をくれる、僕のファンのところだよ」
《アラクノフォビア》の居所を特定した方法は、それほど難しくない。
まずキュアのところに電話で予約があってから、実際に彼女が診療所に現れるまでの時間から、心療所とミイの居所との、おおよその距離を算出する。
チーターで、薬をもらうような体調の彼女は、普通は車で移動するだろうから、範囲はかなり広い。
それでもシン・セントラル西部のどこか、というところまで捜索範囲は絞りこめた。
決め手は、《爆風と共に去りぬ》だ。
《爆風と共に去りぬ》は『会話したと判定された時点でターゲッティングされ、会話を続けると2分30秒で時計の音が鳴りはじめ、3分経過すると火のついたダイナマイトをターゲットの眼前に生成する』カルマだ。
その会話に電話も含まれるのか?
答えはYESだった。
まず警戒させないために、何度か会った事があるキュアからミイに電話してもらう。
「今日来た患者が、アンノウンに関する重要な情報を知っていて、その情報を売れるものなら売りたいと言っている」等とキュアからミイに伝えてもらい、ミイが興味を持ったらジーン君に代わる。
そして僕の話題で3分間、ジーン君とミイが話す。
結果、反撃の
ジーン君は自分を地味なライト級キャリアーと評し、ウルウは彼を路傍の石と言っていたが、彼の持つカルマはいろいろな活用方法があり、罰もそれほど重くないため、
実際、ジーン君なしで僕個人が三大マフィアと
キュアの言うとおりどんなカルマにも応用や抜け道や裏技がある。
地獄でヒトは、自分の罪を自覚しなければ生きていけない。
「地獄で長生きしたかったら罪を知り己を知れという事かな」
『マスターは罪も己も知らないでしょうに\( ̄∀ ̄*)』
痛いところを突くバイクだ。
確かに僕は、僕の罪を知らない。覚えていないのだ。
だから僕はカルマが使えないのだろう。
「それじゃあ短く図太く生きるしかないね」
ブルーを停める。
そこはシン・セントラルの西の外れだ。
目の前には小さなあばら家が建っている。
黒煙はあばら家付近の排水溝から噴き出していた。
僕はバイクを降り、素早く、慎重に、近づいていった。
周囲には、不安定さしかない。
心臓を鷲掴みにされているような、重たい空気だ。
フリーウェイキラー戦と同等か、それ以上の危険を感じる。
「何かいる……来る?」
すると突如、あばら家のまわりのコンクリートがめくれ上がった。
地下から何かが現れる。大きい!
僕は慌ててナイフを飛ばし、近くの建物の屋根の上に避難する。
「――――よくもっ、よくもやってくれた! やってくれたなっ! アンノウンっ‼」
叫び声と共に、半身が炭化した半裸のヒトを乗せる巨大なクモが、コンクリートを押しのけて姿を現した。
「なかなか姿を見せてくれないから、極度の恥ずかしがり屋さんなのかと思ったら、派手に登場するね、マリー・ミイ?」
そう言うと、巨大グモの背にいる半裸の女性がギロリと睨んでくる。
そのとき炭化した部分がボロボロと崩れ落ちる。
目を凝らすとそれは、無数のクモの死骸だった。
彼女、ダイナマイトの爆発をクモで防いだらしい。クモに関するカルマか。
「この代償、高くつくぞ」
「君の罰のこと? チーターってヘビー級だから、重くて大変そうだね?」
その言葉は彼女の逆鱗に触れたらしい。
「私は腹が減って――」
ミイがゆっくりと腕を上げていく。
「減って、減って、減って、減って、減って、減って、減って、減って、減って、減って、減って、減って、減って……気が狂いそうなんだ……その上お前が――!」
それに合わせて、クモが毛の生えた太い前足を振り上げていった。
「減らず口を――!」
ミイの腕が、断頭台の刃のように振り下ろされるのと同時に、
「叩くなあああああああ――――‼」
巨大グモがものすごいスピードで前足を振り下ろした。
少し動くだけでコンクリートの舗装路を破壊する巨大グモは、目測で全長20m、全幅30m、体重は少なく見積もっても30tを超える。
その一撃は、質量とスピードがあわさり、大口径の火砲が着弾したような爆発的災厄となる。
数秒前まで僕がいた建物は跡形もなく吹き飛んだ。
衝撃波が周辺一帯にある建物の窓ガラスを割り、ビルを傾ける。
僕はナイフのワイヤー移動で建物から大きく飛び退いていたが、余波と破片で少なくないダメージを負った。
今日一日でかなり負傷している。アサイラムも本気だ。
「……コソコソ地下に隠れていた君が、こんなに騒々しい目立ちたがり屋だなんて、やっぱりキャリアーに先入観を持つのはよくないな」
監視が得意なキャリアーだから、戦闘は不得意だろうと想像していたら、ぜんぜんそんな事はなかった。
「
クモの口から大量の糸が吐き出された。
おそらく、たぶん、いや絶対に当たったらダメな攻撃だ。僕の命の支えは揺らぎっぱなしだ。
糸の網の隙間を潜り抜け、全力疾走する。
僕の命は、秒単位で脅かされていく。
マリー・ミイは後衛でも前衛でも優秀なオールラウンダー。少し冷静さを欠いているようだが、地獄で五指に入るキャリアーはこれくらいやれて当然、という事だろう。
「
クモが8本の足でめちゃくちゃに足踏みすると、周辺を震度6強の地震が襲う。
安定している所がほとんどなくなり、とても立っていられない。
そのさ中、また糸がばらまかれた。
お返しにダイナマイトをばらまく。
「お前が爆弾を使うことは知っている! だが、
ミイが勝ち誇って宣言したとおり、爆発を受けてもクモの体はびくともしなかった。
もとから仕留められるとは思っていない。クモに不安定な所が見当たらないからだ。
爆弾は、糸を回避するための隙間作りと煙幕代わり。
いまミイは、一時的に僕を見失っているはずだ。
ナイフの刃を射出し、唯一安定していたビルの側面に逃れる。おそらく耐震構造のビルだ。
僕はビルの窓枠に手と足をかけて張り付き、自分もクモの真似事をしている事を皮肉に感じながら、周辺状況を観察していった。
シン・セントラルにいた受刑者たちはパニックになっている。死傷者はかなりの数に上るだろう。ソドム来訪初日に抱いた予感は見事に的中した。やはりこの街のハザードマップは真っ赤だ。
「ブルーは……うまく逃げたか、よし」
これで心置きなく戦える。
ミイがヘル・シミュレータ産のクモを操っているなら
すでに何度かクモの体にナイフを当てているが、硬い箒のような毛が邪魔で肉まで刃が届かず、爆弾も効果なし。
そもそもスケールが違い過ぎるのだ。相手は30mのクモで、クモからすると僕のナイフは蚊の一刺しに等しい。僕は爆弾の効かないシロナガスクジラか旅客機とナイフで戦っているようなものだ。
モンスターが盤石なら、テイマーを狙うしかない。
僕はビル側面からクモの折りたたまれた足の節に向かって刃を発射した。
刃は刺さらなかったが、ワイヤーが節の毛に絡む。
そこを支点に、ワイヤーを巻き取りながらクモの背に飛び移った。
音を立てずに気配を殺して着地したつもりだが、ミイはすぐに感付き、振り返った。
もしかしたらクモと感覚を共有しているのかもしれない。
僕に注がれる彼女の視線には、万感の思いが込められていた。
あらゆるマイナスの感情が飽和するような熱視線。
いい
それでこそだ。
これでこそだ。
堕ちた
死に向かって一歩一歩近づいていく過程を、僕は堪能している。
この世は地獄だ。
時間に追われ、老いに負け、不自由に迷い、ごくわずかな喜びを糧にたどる素晴らしき死出の道行きだ。
どんな美辞麗句を並べても、この世に不条理はあふれており、地獄のようにならざるを得ない構造的欠陥を抱えている。
時代、社会、政治、経済、技術、その全てが変わっても、ヒトがヒトである限り、必ずどこかにしわ寄せが生じる。
間違いを犯し、罪に罪を重ねるヒトが、欠陥そのものだからだ。
ツールが完全でも、ヒトが不全であるかぎり、不条理は絶対になくならない。
しかし不全だからこそ、ヒトはヒト足りえる。
その事実は、厳然として揺るぎない。
繰り返すが、この世は地獄で、不条理はなくならない。
だからこそ僕は笑う。
この世は地獄だ。
素晴らしき地獄だ。
死に向かって生きるために。
死を楽しめ。
生を楽しめ。
そうやって楽しみきれれば、地獄も天国と変わらない。
素晴らしき
素晴らしき
「
「
僕は胸を躍らせながら、彼女に躍りかかった。
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