第31話 ――その先に、真実はある

 瞬きのあいだに彼我ひがの距離をゼロにする。


 ミイはナイフの軌跡を目で追えていない。


 必殺の一撃は、しかし彼女には届かなかった。


 黒い塊が、ものすごいスピードでミイの足元からい上がり、刃をインターセプトした。


地獄蜘蛛ヘル・スパイダーの子どもだ! 鋼鉄よりも硬い糸で体を覆い、身を守る!」


 ジーン君のダイナマイトを防いだ方法と一緒だろう。


「子どもを盾にするなんて……心は痛まないの?」


「お前にだけは言われたくない!」


「さすがの僕でもやらないよ」


「殺人鬼が正論を語るんじゃなあああああああああああああああああああああああああああああああああああいっ!」


 楽しくおしゃべりしながらナイフで切って、突いて、抉ってみるが届かない。


「……ところで、どうして子グモのことを教えてくれたの? 言わなければいろいろなトリックに使って戦闘を有利に進められそうだけど?」


「クソがあああああああああああああああ‼」


 言葉による揺さぶりは有効だ。


 僕の戯言ざれごとに逐一反応し、動揺してくれる。


 ミイは一流のキャリアーだが、一流の戦闘者ではないのだろう。


 それに彼女、すごくお腹がすいていると言っていた。


 見た目もガリガリで、いかにも不健康そうだ。

 

 昆虫食が好きらしいが、ろくに食べていないのかもしれない。


 もしヘル・シミュレータの昆虫が現実と同じなら、昆虫食は高タンパクで、アミノ酸、カルシウム、ミネラル、ビタミンも豊富だ。『ちゃんと食用に適した虫を選べば』というただし書きは付くが、見た目と違って虫の栄養価は高い。


 ミイの場合、不摂生と空腹で頭に血が巡っておらず、戦闘によるハイテンションもあいまって、冷静さを欠いているように見えた。


「いいからのために死にさらせえええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」


 地獄蜘蛛ヘル・スパイダーの子供が僕にたかろうとしてくる。あの方って誰?


 いや、今はそれよりも逃げなければまずい。地獄蜘蛛ヘル・スパイダーはたぶん有毒だ。そういう色をしている。


 僕は再びダイナマイトをまいて、クモの背から降りた――と見せかけて、爆煙に紛れてウルウを呼び出す。


「《自己証明Devil's Proof》お願い」


「はい、アンノウン様」


 僕が小声で告げると彼女は魔法陣を展開した。


 爆発に紛れて姿を消し、から子グモに触れない足の踏み場を探る。


 魔法の効果が残っている内に再びミイに接近。彼女は完全にこちらを見失っている。


 その状態で20以上の斬撃を見舞ったが、やはりナイフが彼女の体に届く事はなかった。


 ミイに隙は多いが、子グモの反射防御を超えられない。


 よくよく考えてみれば、《爆風と共に去りぬ》で至近距離に生まれたダイナマイトを、爆発後に防御したという事は、音速の衝撃波を凌ぐ速度で防御可能という事になる。その速度は人間がナイフを振るよりもはるかに速い。


 音速で防御できるのに音速で攻撃できないのは何故だ、と思う。


 ふと、完璧なカルマはないというジーン君の言葉を思い出した。


 それがシステムの調整なのだろう。


「振り落とせ地獄蜘蛛ヘル・スパイダー!」


 いつの間にかミイは体に糸を巻き付け、その糸で地獄蜘蛛の体と自分の体を固定していた。


「プロパティ! ウルウ!」


 不安定すぎる。僕は慌ててウルウをアイテムボックスにしまい、ナイフを射出。ビルの屋上に逃れた。


 直後、大型犬が雨水を振り払うように地獄蜘蛛ヘル・スパイダーが体を震わせた。


 その影響でまた何棟か建物が潰れ、道路が破断する。


 シン・セントラルは壊滅的な打撃を被っていた。


「まるでKAIJU映画だ。フリーウェイ・キラーもそうだったけど、チーターは災害と変わらないな……」


 ぼやきながら、パルクールのように建物を渡っていく。


 僕がいたところが巨大グモの攻撃で次々と瓦礫の山に変わっていった。


「ちょこまか逃げるな!」


「おー怖い怖い」


 そう茶化していたが、実はかなりマズい状況だ。


 外がダメなら中からと考え、隙を見て地上に降り、クモの口に狙いを定める。


 その口が開いたところにダイナマイトを放り込んだ。


凡手ぼんしゅ! 誰もがそう考える!」


 クモは瞬時に糸を吐き出した。


 ダイナマイトを強靭な糸で包み、爆発を封じ込めながら輩出。


「当然対策しているんだよ!」


 動き続けながら地獄蜘蛛ヘル・スパイダーとミイの弱点を探っていたが、手持ちの武器ではダメージを与えられないという結論が出た。


 ウルウの魔法は殺傷能力がないサポート的な物が多く、あっても子グモの防御の前では決定打を与えられない。


 手詰まりだ。


 しかし僕はなんだか愉快な気持ちになっていた。


 自然と笑みが浮かぶ。


「いよいよ追い詰められてきたな」


 逃げながら次の手を考える。


 これは退けない戦いだ。


「ミイを排除しなければアサイラムには勝てない……」


 しゃべっている方が落ち着くから、口と足を動かしながら考えをまとめていく。


「ミイがまた地下に潜ったら、もう見つけられないだろうな。そういう風に隠れるはずだ」


 定期会合を奇襲する斬首作戦が唯一の勝ち筋だが、《アラクノフォビア》がいるかぎり奇襲は成立しない。


 これだけわずらわせれば、隠れて監視しながら刺客を送り続ける方が楽に目的を達成できると思い至るだろう。わざわざ僕と直接対決するメリットがミイにはない。


「長期戦になれば数の暴力で僕らは負ける」


 いま逃げれば、遠くない未来に死が待っている。


 しかしそれは、いま戦い続けても同じだ。


「いま死ぬか、あと死ぬか」


 あたりは更地になりつつある。


 どこを見ても不安定な感覚が付きまとう。


 遮蔽物や足場がなくなれば、いよいよ後がない。僕の命は風前の灯火だ。


「心臓が脈打っている。身体が熱い。地獄に墜ちてから初めての経験だよ、マリー・ミイ。僕は心底、死の恐怖を感じている……それか、君に恋したのかもね?」


 軽口を叩いているが、もうすぐにでも虚無に堕ちそうだ。


「それも一興か」


 僕がそう言ったときビルが大きく揺れた。


 クモが長い足を伸ばして、ビルを蹴りつけたのだ。


 足を軽く広げた状態で30m以上の大きさがあったが、全力で伸ばした前足は、50m近く離れたところにあった僕のいるビルに届いた。


 足場が崩れる。


 僕はとっさにナイフの刃をビル屋上の手すりに射出したが、


「まずい」


 ワイヤーが手すりに絡んだ瞬間、手すりは抜けて支えがなくなった。


 同時に、僕の命の支えもなくなる。


 周囲のすべてが不安定だった。


 何もかもが崩れていく。


 僕は為す術もなく、屋上から真っ逆さまに落ちた。


「――――――――――――――死――――――――――――――――――?」


 呆気ない最期。


 何も残さず、何も成しえず、無意味に、無価値に、消えていく。


 殺人鬼にはお似合いの結末だろう。



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