第37話 アサイラム
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個人的な事情や弱みに繋がるところは省いて、説明を終える。
「――で、マリー・ミイを正気に戻して、彼女にここまで手引きしてもらったわけさ」
そのミイからは、デザイア・フロントを奇襲するにあたって、『ソギンの身柄は必ず自分に預けるように』という条件を出されていた。
ちょうど、遠くから女性の悲鳴が聞こえてきた。
ミイが受けた
長いあいだ自由と尊厳を奪われていた彼女の、当然の権利だ。
僕がうんうん頷いていると、ボスはゆっくり手を挙げた。
「あ、もう始める?」
「いいや、終わりだ――」
つまり、戦闘開始という事だ。
まだ僕の命の支えは揺らいでいないが、人魚のように感覚を凌駕するカルマもある。油断はできない。
何が起こってもいいように足腰に力を込めて、いつでも動けるように身構える。
しかし、いつまでたっても攻撃は来なかった。
「――アサイラムは、今日をもって解体する」
ボスの言葉で、ひんやりとした沈黙が霜のように降りたった。
数秒間、誰もが言葉を失う。
僕は警戒心をより強くした。
「何故だい?」
質問しながら、思考は止めない。
嘘で動揺を誘っている?
罠を仕込むための下準備?
カルマの発動条件を達成するため?
逃走の合図という可能性は?
頭の中を様々な考えがよぎっている最中に、別方向から声が上がる。
「なん……っ! どういうことですかボス⁈」
仲間のムラタが、誰よりも驚いていた。
少し様子が変だ。
「ようやく代わりが見つかったんだよ、ムラタ」
ボスがそう言い、憂いを帯びた瞳で僕を見る。
「代わり? 僕が? なんの?」
質問しながら、まだ警戒は解かない。
「もしかしたらとは思っていた。お前の話を聞いて確信した」
「だから、なんのこと?」
「俺は自分のことをほとんど覚えていない。だから仮にボスと名乗り、部下もそう呼んでいる」
ボスは悪魔に視線をやると、悪魔はその視線に頷き返した。
それからボスと悪魔は揃って僕を見た。
『極刑が決まった世界中の犯罪者の中から選ばれた人間が、工作員としてヘル・シミュレータに送られています』
闇の底で見た光景が、脳裏をよぎった。
『工作員は人格を
ボスは記憶をなくし、悪魔を従えている。
「まさか……君も、なのか……? いったいいつから?」
「現実時間で言うと、おおよそ20年前……しかし、ヘル・シミュレータの体感時間は現実の百分の1だ。俺は2千年、地獄で生きている」
その場にいたヒト全員が、息をのんだ。
「ボス……何を言っているんですか? ……俺たちは……――アサイラムは三大マフィアの一角! ボスはその
ムラタは困惑するあまり、身体を震わせていた。
「そうだな、しかし俺は、魔王にはなれなかった」
「魔王って、なんなんですかボス……何が何やら……」
ムラタは額に汗を浮かべて戸惑うばかりだ。
僕は上司と部下の会話に割って入る。
「時間は腐るほどあったはずだ。これほど巨大な組織のトップに立つ君が、魔王になる条件を整えられなかったわけがない」
そう言うと、ボスは首を横に振った。
「アサイラムは、過酷な地獄の生活に心を病んだヒトを救済するために、俺と仲間が一九〇〇年前に立ち上げた聖域だった」
少年が、遠い昔を懐かしむように微笑んだ。
「初期メンバーは俺以外全員虚無へ旅立ち、代替わりを繰り返して当初の理念は薄れ、何でもありの他組織に対抗するために武力と権力を身に着けていった結果、今の形に堕ち着いたんだ」
「悪の組織そのものだよ。マフィアなんだろう?」
「マフィアと名乗ったことは、一度もなかったんだがな……いつの間にかそうなってしまった、そう、できてしまった……」
ボスは、「俺自身不思議に思っている」と付け足した。
もしかしたら、世界機関によって無意識的に組織を作るように誘導されたのかもしれない。
魔王になる条件の一つと考えられる殺人の数は、組織のトップに収まれば効率的に成し遂げられるだろう。
「良心は痛まなかったよ。アンノウン、お前も同じだろう?」
僕も人殺しをはじめとした悪事に一切抵抗感がない。
「魂の改造……だけど――」
『魂のすべてが0と1に置き換えられるわけではないと、私は信仰しているわ』
「――誰にも触れられない領域がある」
「殺人鬼からそんな世迷い事が聞けるとはな……もう悪魔から魔王になる条件は聞いたか?」
「いいや、まだ彼女と契約していないから、詳しくは……」
「①ヒトを1万人殺害する、②悪魔と契約する、③カルマを得る、④自分にまつわるすべての記憶を取り戻す――この4つだ」
僕はプロパティからウルウを呼び出した。
「ウルウ、彼の言っていることは本当?」
「アンノウン様、私からは何も言えません。仮に今、私が何か口にしたとしても、それは嘘になってしまいます」
ウルウが目を伏せる。NPCとしての立ち居振る舞いを強制されているのだ。
僕は諦めて、ボスに向き直った。
「それがすべて事実だとしても、代わりというのは意味がわからない。僕は魔王にこだわる気はないよ」
「魔王にこだわらない? ……新世代のアドミニ・キーはそういう仕様なのか?」
「よくわからないけど、君がなればいいじゃないか」
「問題は記憶だ。①から③の条件は、すべて④のための下準備にすぎない。記憶は魂と結びついている。俺たちは魂を改造され、カルマとステータスは強化されているが、それ故に欠けている。欠けた魂を、ヘル・シミュレータのAIは魔王に不適合とみなす」
「君の失った記憶は取り戻せないってこと?」
「俺にとっては、もう遠い過去のことだ……2千年は長すぎたよ……」
ボスは、はるか彼方を眺めるように頬をゆるめた。
姿形はみずみずしい少年だが、表情や仕草は老人そのものだ。
「アドミニ・キー所持者は、代わりの人間が現れるまで自死が許されない。それも仕様だ」
それは、はじめて知った。という事は僕も自分で死ぬ事ができないのだろう。
今のところ試そうとは思わないが、そう思わない事も含めて、アドミニ・キーの仕様なのかもしれない。
「魔王になれず、かといって死ぬこともできず、千年を過ぎたあたりからは惰性で生きていた……それも終わりだ」
ボスは、少しだけ嬉しそうに笑った。
「ボス、俺にはボスの言っていることが難しくて、よくわかりません」
ムラタは、ボスの前に
「ただ、ボスは俺たちの元から居なくなろうとしていることだけはわかります。それを止められないことも……ですが、ボスが居なくなったあと俺たちは、アサイラムはどうしたらいいんですか?」
子供に
まあ、気持ちはわからないでもない。
長いあいだ組織をまとめ、三大マフィアと呼ばれるまでに成長させたボスは、名実ともにアサイラムの支柱だろう。
強力なステータスとカルマを持ち、世界の真実を知り、ヘル・シミュレータにヒトの営みを創り出した、偉大な先達だ。
その営みがどんなに不格好で歪な代物だったとしても、何もないよりははるかにマシと言える。
それを成し遂げたボスは、ムラタのような大人ですら縋りたくなるカリスマであり、アサイラムという信仰の象徴であり、
「ここは地獄だ。好きに生きて、好きに死ね」
ボスが力なく座り込んだムラタの頭をポンポンとする。
「それでも困ったら、あの男を頼れ。俺の代わりだ」
ムラタは何かを察して、泣き崩れた。
「……ん? 頼る? え、ちょっ、ボス? どういうこと?」
ボスは僕の質問を無視して立ち上がった。
「いろいろ、ありがとな」
そう言って、ずっと隣にいた男性悪魔の肩を叩く。
「お供します」
「お前は……」
「お供します」
「……そう言って聞かないと思ったよ」
2人にしかわからない世界にいるようだった。
「もしもしボス? 君も僕の言っていることが聞こえていないみたいだよ?」
僕をスルーして、ボスと悪魔は手を繋いで歩きだす。
そして2人は、空に繋がる大穴の近くに立った。
「アンノウン、お前は魔王になって、使命を果たすのか?」
馬耳東風だ。
質問に質問で返すのはちょっとどうかと思う。
「……保留中だよ。僕はまだ、この地獄を見て回りたいんだ」
珍しく僕の方が折れた。
「いい性格をしている」
君もね。
「お前ほどヘル・シミュレータに最適化された魂もないだろう。うまく改造されたな……愛を感じるレベルだ」
誰かさんのおかげ……なのかもしれない。
「それより君の代わりって、本気じゃないよね? 冗談だよね?」
「ふふふっ……」
「かわいく笑ってもごまかされないよ?」
「これも罰の一部だ、
その言葉を最後に、ボスと悪魔は手を繋いだまま、蒼穹に消えていった。
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