第26話 爆誕、おしゃクソキラー

 

 さて、僕の前には3つの問題が転がっている。


 キュア・ハートフルと争わずにソドムの権力者の情報を手に入れなければならない点。


 これから片腕のハンデキャップを抱えて地獄で生きていく必要がある点。


 そして、ここからなるべく早く退散しなければまずい点。


 おそらくもうアサイラムのキャリアーには見つかっているだろう。


 時間はないが、問題は多い。


「さっきは悪かったね、君のナースはアサイラムのチーターよりも強いかもしれないよ?」


 痛みをごまかすために、僕は普段より饒舌じょうぜつになっていた。


「DJ閻魔えんまもそうだけど、痕沌ケイオスのカルマは本当に興味深い。アリをたくさん生み出して自爆していたキャリアーもいたし……詳しい条件や効果を知る前に虚無へ堕としたことが悔やまれるな」


 キュアはネクタイを解いて、代わりに止血帯を巻きながら、怪訝けげんそうに僕を見る。


「もしかして、あなたが噂の『おしゃべりクソサイコキラー』?」


 そのとき僕は、自分の腕を切断した時よりも大きく顔をゆがめていたと思う。


「念のため、念のため聞かせてもらいたいんだけど……その噂って?」


「ソドム来訪初日に日間カルマランキングで7位になり、翌日すぐ1位になってランキングの歴史を塗り替えた殺人鬼。アサイラムに薄利多売で喧嘩を売っているおしゃべり好きのサイコ野郎……みんな名前がわからないから、『おしゃべりクソサイコキラー』とか『おしゃクソキラー』とか呼んでいるわ」


「ああ、うん、そう、うん、はい、たぶんそれ、僕のことだね……もっと良い呼び方なかったのかな……」


「本当の名前は?」


「アンノウン」


「教えられない?」


「教えられないんじゃなくて、覚えてないんだ」


「肉体全損のショック症状、AIのソウルスキャンの不備、仮想空間上に心身を再構築する時のエラー……そういった要因で部分的健忘症になるヒトは、まれに存在するわ。全世界で使うシステムのくせに、細部の作りが杜撰ずさんなのよ、ヘル・シミュレータは……扱うデータが犯罪者だからって、テキトー過ぎるにも程があるわ」


「まあ、元ゲームだからね」という軽口は、急に押し寄せてきた痛みの波をやり過ごしているあいだに、言うタイミングがなくなった。


「――――名無しじゃあ不便だろ? 今は、アンノウンと名乗っている」


「アンノウン……《ザ・ハウス・ウェア T H W ・マーダーナース・スリープ M N S 》相手の立ち回り、自分の腕をためらいなく切る度胸、そしてこの状態でずっと喋り続ける根性……嘘じゃあなさそうね……」


 キュアは、何かを決意したように少しだけ目を伏せた。


「……いいわ、本当に治療してあげる」


「本当に……って、今まで治療する気なかったの?」


「ええ、医療ミスであれば《THWMNS》のルール違反には引っ掛からない。それを事前に説明する必要もない。麻酔を打って、メスを入れて、放置……それでどんな人間もおしまいよ」


 しれっと、とんでもない事を宣う。


 地獄の医者の倫理観を舐めていた。


 この女医も、罪を犯してヘル・シミュレータに墜ちたヒトだという事を忘れてはいけない。


「そういった応用や抜け道や裏技が、すべてのカルマにはあると言われているわ。カルマの効果を額縁通りに捉えず、想像力をはたらかせて、自分のカルマも他人のカルマも研究していかないと、寝首をかかれるわよ?」


 それを、寝首をかこうとしていた人間から言われるとは思わなかった。


 確かにジーン君の《爆風と共に去りぬ》にも、通常の用途とは違う使い道があった。


 カルマは思った以上に奥が深いらしい。


 僕のカルマは記憶喪失の影響か、まだ不明Unknownのままだから、実はひそかにカルマが使えるキャリアーの皆が羨ましいと思っていたりする。


「医者の風上にもおけないことを言った自覚はある?」


「でもやめたわ。推定無罪ね」


「良く言う」


「あと、ここは心療内科で、私は内科医、応急処置くらいならできるけど、外科手術は専門外よ? そういうところにもカルマのヒントは隠されているわ」


 悪びれた様子がない。さては常習犯だな?


「いったい、どういう心境の変化だい?」


「医者らしく仕事をするなら、インフォームド・コンセントくらい必要か……私のカルマ《BtoP過去に帰れ》は、非生物を過去の状態に戻せるの」


 そう言ってキュアは、骨になった僕の腕を拾い上げる。


「罰として私は、戻す時間に応じた負債を背負うことになるわ。生物には効果がないから、あなた自身には使えないけれど、あなたから切り離された腕は、生物ではない」


 キュアは銀のトレーに骨をおいて、カルマを使った。


 すると、骨の形がみるみる変わっていく。


 真っ白な骨に、筋繊維と血管と神経が加わり、赤く染まっていった。


「『ヒトに感謝されたかどうか』みたいな罰の判定もそうだけど……一度、AIの判定基準を詳しく聞かせてもらいたいよ。『生きているかどうか』なんて、ヒトでも明確な線引きが難しい複雑なテーマだと思うけど?」


 腕が変化していくあいだも僕は痛みと戦っていたが、無駄口は忘れなかった。


 なにか喋っているときが一番落ち着く気がする。


「ヒトより優れたAIだから判断できるのでしょう? それと、医者の私が生きていないと判断する基準は明確よ。呼吸の停止、脈拍の停止、瞳孔の拡大の3つね」


「医学的にはそうだけど、生物学的には自己の複製、進化、エネルギー変換能力があり、外界と仕切りがあるものを生物と定義しているはずだ……例えば、ウイルスは自己複製能力があるけど、細胞がなくて代謝もできない。その一方で、遺伝子を持っているし、進化もできるし、他の生物に感染して増殖もする……そういう生物と非生物のあいだにいる存在に対して、君の能力はきくのかな?」


 そう言っているあいだも腕はどんどん治っていく。


 筋肉の上に筋膜きんまくが張り付き、その上を皮膚が覆う。


 まるで逆再生の映像のようだ。


「面白い着眼点ね……ウィルスは試したことがないけれど……たぶん、過去の状態に戻せると思うわ。これは私の個人的な考えだけど、カルマ使のではないかしら? だから、私が意識的・無意識的に、『医学的根拠から生きていない』とするものだけ、私のカルマは反応するのだと思うわ」


「じゃあ脳死したヒトは? 君の定義では死んでいないことになるけど、カルマは使えるかな?」


「あなた、馬鹿だけど頭は悪くないのね? 今度そういったヒトが居たら連れてきてちょうだい、試してみるわ。もちろんお代はいただくわよ?」


 そこで僕は、重大な事実に気が付いた。


「君……カルマが2つあるの?」


 キュアは首を横に振る。


「《THWMNS》が私のカルマと説明した覚えはないわ」


 そういえば、そうだったかもしれない。


「あれは私の元恋人……ナ・シエルのカルマよ」


「ナ・シエル……女性?」


「そうよ」


「ふーん」


 今日会ったばかりのヒトにカミングアウトするのは、普通は抵抗感がありそうなものだけど、キュアは自然体だった。


 僕もキュアが同性愛者だろうが異性愛者だろうが別に気にしないが。


「ルールを違反すると恋人でもお構いなしに殺害対象にするのは、ちょっとどうかと思うよ? そのバイオレンスな彼女さんは今どこにいるの?」


「シエルとはけんか別れしたの。最後の夜は、それはもうひどいものだった。原因はまさに仕事中のルール違反……あれは、シエルと私が決めたルールだった……それを破って、お互い口汚く罵り合ったわ。シエルは、夜中にうちを飛び出していって、それっきりよ」


「ああ、それで本人は帰らず、当てつけに診療所の規則に関連していた自分のカルマを差し向けたってわけ?」


「いいえ、彼女は帰ってきたわ。一月後、変わり果てた姿でね……」


 キュアの声は庭の芝生の話をするように淡々としていたが、その顔は蝋人形のように冷たい無表情だった。


「そのときから、私の住むところに人魚が現れるようになった……」


 痕沌ケイオスのカルマには、キャリアーが死んでも残るものがある。


《THWMNS》は、シエルが恋人に残した形見なのだ。


「私はカルマを使ったわ。シエルは、私のカルマの対象にできたから……戻せる限界まで使って戻そうとした……けど私のカルマは生きているものには作用しない」


 時間は不可逆で、死は絶対。


 そして、どんなに都合のいい魔法のような能力が備わったとしても、ヒトが踏み込んではいけない領域がある。


 ヘル・シミュレータを管理するAIも、そう考えているのかもしれない。


「わかりきっていたけれど、使わずにはいられなかった……おかげで私は借金まみれ、月一回の返済が滞れば、虚無へ堕ちるわ」


 そう言って笑うキュアの瞳は、星一つない冬の夜空のような暗さをたたえていた。


 後悔、悲哀、寂寥、憤怒――様々な感情が、その暗闇に潜んでいる。


「収穫はあった。事が起こった直後の状態に戻ったシエルは、衣服が乱れて、股に精液が付着していた……付近の目撃情報と照らし合わせて、アサイラムの奴らに強姦されて殺されたことがわかった」


 女医の暗闇に光がともる。


 それは、地獄にもっとも似合う光――――憎悪という名の輝きだ。


「どうして僕にそれを?」


「アサイラムへの復讐が、私が地獄で生きる理由になった。医療ミスを装って何人かアサイラムの構成員を虚無へ送ったけれど、それも限界……治療代で難癖をつけてきた奴らは、私がアサイラムの人間だけを治療に見せかけて故意に殺害していると疑っていた……私の復讐は行き詰まりかけている。あなたを助ける理由は、それよ」


 キュアが話し終えたとき、ちょうど僕の腕が完治した。


「アサイラムに薄利多売で喧嘩を売っておいてよかったよ。腕を失わずに済んだ」


 時間を巻き戻すという性質上、はじめから何もなかったように、僕の腕は動かせた。


 腕と一緒に切断された服も、おまけで直してくれていた。


「……アンノウン、あなたはどこまでやるつもりなの?」


 僕が腕を動かして問題ないか確認していると、キュアが道具を片付けながら尋ねてきた。


「とりあえず、完全にぶっ潰すところまで、かな」


 そう請け負うと、キュアは頷き、自身のプロパティを開いてみせた。

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ・Name:Cure Heartfulキュア・ハートフル

 ・Sex:Female

 ・Age:24

 ・STR:5

 ・DEX:7

 ・CON:5

 ・INT:25

 ・WIS:20

 ・CHA:20

 ・LUK:8

 ・KAR:《BtoP》

 ・Money:-229,474,400

 ・Item:

 ・《ザ・ハウス・ウェア・マーダーナース・スリープ》

 ・診療医院

 ・医療器具

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 他人のプロパティをまじまじと見るのは、これが初めてかもしれない。


 その負債の額を見て、僕は軽く顔をしかめる。想像より桁が1つ多かった。


 あとシエルのカルマは、キュアの持ち物扱いらしい。


「私のプロパティは開示した通りよ。あなたがアサイラムと敵対するかぎり、私は協力を惜しまないわ。だから絶対に、アサイラムを滅ぼしてちょうだい」


 そう言ったあと、キュアは頭上を泳ぎ回る人魚に視線を向ける。


「そうしてようやく、私は彼女から解放されるの……ゆるしてもらえるのよ……」


 人魚は何も言わない。


 空を泳ぎ、優雅に微笑むばかり。


 その振る舞いに過去を思い、強い後悔を抱かずにいられないのは、キュアがヒトだから……。


 どうしようもなくヒトだから、間違い、省みる。


 キュアが一番許せないのは、キュア自身なのだろう。

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