第25話 ハートフル心療内科
クラクションを鳴らされて、現実に引き戻される。
バックミラーで後ろを確認すると、大型トラックが煽ってきていた。
あっかんべーしてからスピードを上げ、トラックを置き去りにする。
諸々、かなり目立っているが、問題ない。
僕は監視のキャリアーに捕捉される前提で動いている。
こちらが目立てば、その分ウルウたちが自由に動けるようになるからだ。
僕がデザイア・フロントに繋がる情報を手に入れるか、ジーン君とウルウが通信機とダイナマイトを手に入れて生還するか。
どちらかが達成できたら
両方達成できたら
ついでに監視してくるアサイラムのキャリアーの正体を探り、無力化できたら
もちろん全部失敗したら僕らの人生が
これまでの経験から、位置が捕捉される条件はおおよそわかりはじめていたが、用心深い敵はなかなか尻尾を出してくれない。まだ決め手に欠ける。
「A判定は厳しそうだけど、やるだけやってみよう」
『なんか言いました、マスター?(´ω`)』
「独り言だ、気にしないで」
程なくして、僕はとある一軒家の前の広い駐車スペースにブルーを停めた。
同スペースには、タンクローリーや軽バンがぽつぽつと間隔をあけて停車している。
時刻は19時ちょうど。あたりには夜の帳が降り、電灯が点きだした。
到着後、僕は少し考えてから、ブルーをアイテムボックスに入れる事に決めた。
彼?を路上駐車していたら盗まれそうだし、逃げ出すかもしれないし、バイク心は女心よりも難しいからだ。
アイテムボックスに名前があったので、完全に僕の物になったと考えていいのかもしれないが、念のためだ。
「何かあったら声をかけるね」
『何もないことを願っています……無理でしょうけど(ㅍ_ㅍ)』
そう諦観するバイクが、プロパティの平らな画面に吸い込まれていく様はシュールだった。
僕は一軒家の電光看板に視線を移す。
看板には『キュア・ハートフル心療内科』と書かれており、ギラギラと明滅している。一目見て、そこが個人病院とわかる人は少ないと思う。正直、ぼったくりバーかイメージクラブにしか見えない。
しかも心療内科のすぐ右隣はアダルトモーテルで、左隣は墓地だ。
テーマパークにレストランと土産屋があるように。
デパートに銀行と花屋があるように。
病院にラブホと墓がある。
生み出すところと弔うところが併設されているのだ。ここの駐車スペースが広かったのは、それぞれの施設が供用しているからだろう。
ある種の複合商業施設だ。子作り、出産、埋葬まで一箇所で済むと考えれば、良くできたビジネスモデルと言える。産婦人科じゃあないからちょっと違うか。まあ、どうでもいいか。
余計な事を考えながら、僕は扉をノックした。
「開いているわ」
よく通る涼やかな声に入室を促される。
普通の病院なら閉まっている時間だが、地獄の病院はさすが、普通じゃない。
「こんばんは、ちょっと診察してもらいたいんだけど、いいかな?」
そう言うと、女性が背もたれの付いた丸椅子をくるりと回して、こちらを向く。
「君がドクター・ハートフル?」
年齢は20代前半、体つきは華奢。理知的な面差しと美しい黒髪を持つ女性だった。
「キュアでいいわ。診るのは構わないけど、高いわよ?」
キュアはスラっとした足を組みながら小首をかしげた。
「大丈夫。問題ないよ」
正直、懐は心許ない。万が一足りなくても暴力沙汰にするつもりなので問題ないのだ。やはり暴力。暴力はすべてを解決する。
「ふーん……いいけど。どこが悪いの?」
「ちょっと頭が……」
「それは大変ね。愚かさは死に至る病よ? その頭、すぐ取り替えたほうがいいわ」
「で、13人殺したの?」
「ああ、カルマランキング? いい宣伝になったわ。おかげで来院者ゼロだもの」
彼女は肩にかかった黒髪を払いながらシニカルに微笑んだ。
「ネガティブキャンペーンの間違いじゃない?」
「脂ぎった権力者どもの命を救う手間が省けて、とてもポジティブよ」
「それに、手を下したのは私じゃあないわ――」
僕の頭上に影がさした。
音も、臭いも、支点も、何も感じなかった。
僕の持つすべての感覚をすり抜けて、その物体はいつの間にか現れ、上から僕を覗き込んでいた。
「――カルマ《
上半身がヒト、下半身が魚になっている長い金髪の美女が、空中に浮かんでいた。
「彼女はカルマで生み出された
キュアは、診療所の壁にある貼り紙を指さす。
「ここに書いてあるルールに違反すると彼女の怒りを買うわ。死ぬかもしれないから、気を付けなさい」
その紙には箇条書きで診療所内のルールが書いてあった。
「残念ながら、僕はここに
一息でナイフを取り出す。
まずは障害になりそうな人魚を排除する。その次に医者だ。
人魚の透き通るような首の皮膚から骨の継ぎ目を探し、人体と構造は変わらないことを確認して、刃を一閃。
正確に骨の継ぎ目を狙って、首と胴体をお別れさせる。
しかし、人魚は首を失ったままものすごいスピードでこちらの腕を掴んできた。
僕を超える反射速度に少し驚かされる。
ただ、力はそれほど強くない。
すぐ振り解き、首のない人魚を右手で地面に引きずり落とす。
その両腕を肘から切断したときには、もう彼女の首が再生しかけていた。
完全に再生しきる前に、人魚から距離を取る。
「不老不死は誇張じゃあないようだね。キャリアーを狙った方がいいかな?」
キュアに微笑みかける。
「ご満悦のところ申し訳ないのだけれど、言ったわよね? 『ルールに違反すると彼女の怒りを買う。死ぬかもしれない』って……あなたは、カルマの条件を満たした」
ふと、違和感を感じた。
不安定だ。
安定を欠いているのは、僕の命。
人魚に触られたスーツの右袖部がボロボロと破れていく。
その下にある皮膚、肉、骨も、急激な悪寒と痺れに見舞われる。
得体のしれない力が、僕の腕を侵攻していた。
僕は躊躇なく、自分の二の腕から下をナイフで切断した。
激痛が脳髄を焼く。
目の前で火花が散り、全身に稲妻が走った。
大量の血と一緒に、悪態を吐きそうになったが、なんとか堪える。
切り離した僕の腕は急激に萎み、皮膚がひび割れ、間もなく骨になった。
「良い判断よ。たとえ危険を感じても、自分の腕をすぐ切断できるヒトはなかなかいない……」
僕は、ネクタイを解き、左腕と口で右腕を縛り上げてから、伝ってきた汗を舐めた。
「……今が、僕を虚無へ堕とす最大のチャンスだよ?」
「『規則1:診療所内での暴言、暴力、そのほか迷惑行為を禁止します。』……ルールの下では、私も例外じゃあない」
「
「私にはルールを説明する義務が課されているわ。説明不足の医者、規則を守らない患者を、彼女は触診する。彼女の触診箇所は、時間を加速させるわ。だいたい1秒で10年経つ時間加速は、触れた箇所から全身を侵食していく」
「腕を骨にしたマジックの種は、老いか……」
10秒で100年分老化するのだから、ルールに違反した状態で人魚と接触するのは自殺行為だ。
掴み掛かってきたときのスピードは、瞬間的ながら僕の
直接戦闘では無敵。事前に説明があるといっても、反則級のカルマだ。
「一度カルマが発動した事で、ターゲットから外れたみたい……命拾いしたわね? 汚い言葉を使わなかったのも賢いわ」
人魚はすでに傷一つなく元通りになっており、キュアの上を円を描くように泳いでいた。
その様子は、キュアを守っているようにも、次の獲物を品定めしているようにも見えた。
「ここの治療代を踏み倒そうとしたアサイラムの連中は、ルールを全部破って骨になったわ……それで、あなたの本当の要件は? 脅迫? 強盗? 殺人?」
「その全てをテーブルに載せていたけれど……場をわきまえた方がよさそうだ……」
片腕で無限の命を持つ化け物を相手するのは骨が折れる。
骨どころか、腕一本丸々なくしているんだから世話ない。
大人しく認めよう。暴力で解決しない事も世の中にはある、と。
「アサイラムのゴミどもよりは上等な頭を持っているようね。治療は必要なさそうよ? もう手の施しようがないわ」
「簡単に
汗と血でシャツを濡らしながら精一杯強がると、キュアは少しだけ笑ってくれた。
「診るのはいいけど、マジお高いわよ?」
「……ツケで、お願いできない?」
「ここは安酒場じゃあないわ……けど、まあ、いいでしょう。ちょうど暇だったし」
それは君の殺人ナースのせいだよ、とは言わなかった。
人魚は我関せず、診療所の天井付近を悠々と泳ぎ回っていた。
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