第35話 史上最低のカルマ



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 そこで見た景色を、落ち着いて反芻はんすうしている暇はなかった。


 虚無への落着を目前に、引き伸ばされた1秒間の中で、唐突に理解したからだ。


《プラン9》


 これが僕の罪、それが僕のカルマ。


 罪を知り、己を知った。


 自然とやり方はわかっていた。


 空中でカルマを発動し、ナイフを振る。


《出口》を作成。


 迫る地面にもう一振り。


《入口》を作成。


 地面に激突する。


 そう思われた瞬間、


 落下から一転、真上に向かって吹き飛ぶ運動の頂点で、寸断されたビルのフロアを視界に収める。


 再び落下し始める前に、むき出しになった安定している鉄骨にワイヤーを巻き付けた。


「生きている……」


 ワイヤーで地上に降り、我知らずつぶやいた。


 手を握ったり開いたりしてみる。


 さっき体の内側からあふれ出した光景――記憶を噛み締める。


 記憶は断片的で現実感はなかった。


 結局、自分の名前はわかっていないし、全部を思い出したわけでもない。


 何かを得たようにも、失ったようにも感じられた。


「……愛なんて、僕には一番縁遠いものだと思っていたのに……」


 物思いに耽るより前にやる事がある。


 正確には、やれる事ができた。


 手に入れたカルマで、《アラクノフォビア》を攻略する。


 罰の事は…………今は考えないようにした。



 //



 建物から飛び出た僕を、ミイは全力で出迎えてくれた。


「ああ、そうだろうよ! アンノウン! お前があの程度でくたばるとは思っていない!」


 ビルの崩落に巻き込まれた人間の生存も織り込み済み、と言いたいようだ。


 頭は回っていないが、油断はしていない。


「大きな棺桶で豪快に葬り去ろうとして……建てた創憎クリエイターとビルのオーナーと住人に謝るべきだ。ついでに僕にもね」


 ぼやきながら地獄蜘蛛ヘル・スパイダーに突撃する。


 吐かれたクモ糸を、ワイヤーを使って跳躍し、かわす。


 そのまま地獄蜘蛛ヘル・スパイダーの背中に飛び乗り、僕とミイは再び向かい合った。


「第二ラウンドだ。時間は取らせないよ」


「もうお前に勝ち目はない! いい加減観念して死ね!」


 子グモが迫る。


「君、虫を食べるのが好きらしいけど、なんの虫が一番好きなの? やっぱりクモ?」


 子グモを避けながら、ミイに語りかける。


「クモが操れるなら、食べる物には困らないだろうね?」


 なるべく神経を逆撫でするように、命懸けで子グモと戯れながら、軽薄な態度で、ヘラヘラ口を動かす。


だああああああああああああSharaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaああまああああああああaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaあああれえええええええaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaえええええええええええええaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaap!!!!」


 ミイの頭に血が上ったのを確認してから、カルマを発動する。


 大きくナイフを空振りして、すぐにその場から飛び退いた。


 更地になりつつある周辺で、唯一残っていた店舗の屋根に着地する。


 いい距離感だ。種も撒いた。


「マリー・ミイ、君は大したキャリアーだけど、大したヒトじゃあない。君に僕を黙らせることはできないよ」


 最後に余計な一言を呟き、彼女の背中を押す。


「黙れと言っただろうがあああああああああああああああああああああ!」


 地獄蜘蛛ヘル・スパイダーが前足を振りかぶる。


 僕は動かない。


 ミイは勝利を確信したように笑い出す。


「あはははは、ははははははははは、死ねええええええええええ!」


 地獄蜘蛛の凶器が繰り出される直前、僕はカルマを発動し、大きくナイフを振った。


《プラン9》


 次の瞬間、


 地獄蜘蛛ヘル・スパイダーは、身体から滝のように紫色の体液を流しながら、轟音を立てて大地に沈む。


 続いて一本一本が塔のような高さの脚が倒れていき、破壊と汚染をコンクリートミキサーで混ぜたような地獄絵図ができあがる。


 怪獣は、罪の中心地シン・セントラル凄絶せいぜつに息絶えた。


 僕は何の気なしにペン回しの要領でナイフを指から指へ移動させたあと、回転させながら空中に放り投げる。


痕沌ケイオスじゃなかったのは残念だけど……」


 その柄を見ずにキャッチ。


「……まあ、悪くないね」


 僕のカルマ《プラン9》は、死全ネイチャーのミドル級だ。


 発動しながらナイフを振る事で、時空の歪みを作り出す。


 カルマを発動した状態で、一度目に振った刃の軌跡に沿って《出口》ができ、二度目に振った刃の軌跡に沿って《入口》ができる。


《出口》と《入口》は必ず対になっており、通過する物体の状態や物理量は通過前と変わらない。


 ビルの屋上から墜落したときに起きた現象は、落下しながらナイフを振った一回目で空中に上向きの《出口》を作り、地上目前の二振り目で作った《入口》から、上方に向かって飛び出す事で、九死に一生を得たのだ。


 今は、クモの胴体上部に《出口》を、僕の目の前に《入口》を作った。


 地獄蜘蛛ヘル・スパイダーの渾身の一撃が、そのまま自分に返るように仕向けたのだ。


「終わったけど、ミイを見失ったな」


 マリー・ミイはどうなったか確認するために、毒の沼地のような色の大地――実際、有毒だろう――をよく観察する。


 そこに、動く人影を認める。


「驚いたな、あれで生きているなんて……」


 毒を使う人間は、その毒の解毒薬も準備するだろうから、ミイに地獄蜘蛛ヘル・スパイダーの毒は効かないだろうと予想はしていた。


 それにしても、予期せぬカウンターパンチを食らい、頼りのペットは死に、全身に毒を浴びるような経験をしながら、まだ立って歩ける彼女の強運と精神力には脱帽する。


「挑発のためとはいえ、大したヒトではないと言ったことは、訂正するよ」


 彼女も一流の異常者だ。ただし今は頭に「満身創痍の」と付く。


「アンノ、ウ、ン……! のために……! お前は! お前だけは殺す……!」


 そう言うミイは、全身から血と毒液を滴らせており、右腕は変な方向に曲がっている。一歩踏み出すたびに激痛が伴っているはずだが、彼女はまだ戦意を失っていなかった。


 子グモもけしかけてこないところを見るに、親グモの一撃を防ぐために使い切ったのだろう。


 見るも無惨だ。楽にしてあげようと思い、僕はナイフのボタンを押そうとした。


 ――――しかし、できなかった。


「これが僕の罰か……まいったな……」


 当たり前の話だが、カルマと一緒に罰も与えられている。


 しかも、フリーウェイ・キラーと同じ強制的に履行されるタイプの罰だ。


 僕の意志に関係なく、僕は罰に逆らえない。


 そのせいで、方針転換を余儀なくされる。


 ため息をつきながら、プロパティを起動してウルウを呼び出した。


「これくらいの水たまりなら、ウルウの魔法で無害にできるよね? お願いしてもいい?」


「承知しました。ぶどう酒にするのと、道を作るのと、どちらがよろしいですか?」


「お酒は苦手なんだ。道を作る方でお願いするよ」


「わかりました……アンノウン様を酔わせたら好き放題できる……という事ですね……フフフ……」


 悪魔が良からぬ事を企てようとしている。


「ウルウ」


「あ、はい、すみません。では―――」


 ウルウは誤魔化すように笑ってから、魔法陣を生み出した。


聖書引用Bible Quotes


 その魔法で毒の沼地が割れ、一本の道が出来上がる。


 道の中央にいるミイに、僕は近づいていった。


のために……私は……私は!」


 立っているのもやっとの様子だが、あの方とやらが彼女を支えているらしい。


 異常な忠誠心だ。これほど他人に傾倒する理由が、僕にはわからない。


「アンノウン様、もしかしたら彼女は、なんらかのカルマの影響を受けているのでは?」


「そういえば、自哀ナルシシズムのミドル級以上には、条件次第で洗脳染みたことができるカルマもあるんだっけ?」


「他者の精神を支配するには、厳格で特殊な条件を満たす必要があるため、注意していれば防げます。なので、そういったカルマはヘル・シミュレータに堕ちたばかりの無知な者に対して使われることが多いと聞きます」


「初心者狩りの上位版か……ミイはチーターだし、都合よく使われていたのかもね?」


「わああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 僕らの会話を無視して、ミイが叫び声をあげながら無事な方の腕で殴り掛かってきた。


 ミイにできる精一杯の悪あがきだ。全身に毒を浴びているため、当たればただでは済まない。


 もちろんそんな悪あがきに付き合うつもりはなかったが、罰がそうさせてくれなかった。


「――ああ、もう、仕方ない……」


 僕は上着を脱ぎ、毒と傷にらないように注意しながら、服越しにミイの体を優しく包み込んだ。


 暴れるミイのこめかみを適度な力加減でデコピンすると、彼女は失神する。


 その背中とひざ裏に腕を回し、引き寄せながら抱き上げると、ウルウが「お姫様抱っこ! 私の時は背負ったのに、ズルいです‼」と大きな声を出した。何がどうズルいのか理解に苦しむ。


 僕は毒の沼地から遠ざかり、ミイを地面に横たえる。


 ミイの全身についた毒と血を拭える範囲で拭い、脈を確認して命に別条がない事を確認した。


「アンノウン様? どうして始末なさらないのですか?」


 ウルウが若干不機嫌そうに聞いてくる。


「君には教えてもいいか……今の僕はヒトを殺せない。そういう罰だ」


 プロパティを開いて見せる。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ・Name:アンノウンUnknown

 ・Sex:Male

 ・Age:Unknown

 ・STR:30

 ・DEX:30

 ・CON:1

 ・INT:13

 ・WIS:15

 ・CHA:1

 ・LUK:0

 ・KAR:《プラン9》【↑NEW】

 ・Money:105,000

 ・Item:

 ・防弾スーツセットアップ(ダークブルー)×1

 ・ライトガス・スペツナズ・ナイフ(ワイヤー巻取り機構付き)×4【↓NEW】

 ・ダイナマイト×2【↓NEW】

 ・使い捨てライター×1 

 ・携帯電話×1

 ・生きたバイク、ブルー×1

 ・魔王の末姫、ウルウ(仮)×1

 ・アドミニ・キー×1

 ・状態異常:《聖人衝動》+1【↑NEW】

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 状態異常:《聖人衝動》+1――――それがどういった罰なのかは、カルマの使い方同様に、自然と理解できていた。


《聖人衝動》がある状態の僕は、殺人が禁じられている。


 加害は可能だが、結果的に死につながるアクションはすべて不可能だ。


 その上、人殺しの僕と《聖人衝動》の僕の違いを明確に自覚しながら、それを深刻に受け止められない精神状態に陥っていた。


 言動、性格、趣味、嗜好が、昨日と今日で様変わりしているのに、何の問題も感じない。それこそ、自哀ナルシシズムの洗脳に近い。


《聖人衝動》の質の悪さを理解しながら、それを「まあいいか」と思う。それも罰の一部だ。


 そして《聖人衝動》は


『+X』は、《プラン9》を使った回数、《入口》と《出口》の移動距離、《プラン9》の効果で殺めたヒトの数に従って加算されていく。


 そこまで直観的に理解できるのに、プラスが加算されるタイミングと、正確な計算方法だけはわからなかった。AI任せでブラックボックスになっている。そこも悪質。


 兎にも角にも、いまの僕の《聖人衝動》は+1で、目の前にちょうど救いが必要そうなヒトがいるわけで……、


「つまりミイを救わない限り、僕はもうヒトを殺せないし、殺す気も起きない」


 これでは殺人鬼失格だ。


「そんな、アンノウン様……おいたわしや……!」


 大げさに泣き崩れるウルウ。


 僕を魔王にしたい彼女の気持ちを考えると、演技ではなさそうだ。


「ひとまずこれで、一番大きな障害が取り除けたんだから、良しとしようよ」


「代償は大きいです……」


「まあ、なんとかなるさ。ミイは放っておいたら死んじゃうかもしれないから連れ帰ろう。拘束しておくべきか……重傷だから無理だと思うけれど、地獄で常識に囚われない方が良いね」


ジーンあたりを監視に付けておけばいいのでは?」


「そうだね、ジーン君はなんだかんだ優秀だから、任せてみようか」


「……私より屑の方が、アンノウン様に頼りにされている……? 真のライバルはあの女ではないという事……? そんな……でも……まさか…………――――ありえるか?」


 ウルウがぶつぶつ呟いていた。


 いや、ありえないから。

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