第7話 晴れ時々汚物

 ヒトを誘惑し、堕落させ、正義を根絶やしにするために超常の力を操る。


 そんな圧倒的存在を想像していただけに、心の中にがっかりしている自分がいた。


 彼女は悪くない。期待してハードルを上げすぎた僕が悪い。


 詮無い事を考えていると、女悪魔の細い腕が、助けを求めるように僕のつま先に伸びてきた。


 その様子を見ていた首魁しゅかいの男が、にわかに激昂する。


「おい、おいおい、おいおいおいおい! クソ! なんだそりゃあクソが! ご主人様の前で男漁りか⁈」


「アゥ……」


 首魁に踏みつけられた女悪魔の腕が、ぬかるみに沈む。


 彼は百点満点だ。文句のつけようがないクズ。僕とキャラが被っている……どうしてくれるの?


 見下げ果てていると、首魁しゅかいがこちらをぎろりと睨んでくる。


「おい、その目、なんだクソ、言いたいことでもあるのかクソ野郎!」


 そう言って首魁に肩を掴まれかける。


 僕は咄嗟に身をかわした。汚い音を出す肉袋に1mmも触れられたくなかった。


「あァん!? 舐めてんのかオラァ!」


 たたらを踏んだ男の怒りが加速する。


 取り巻きたちも臨戦態勢だ。


 僕はやれやれと、大げさに肩をすくめてみせた。


「いいや、感謝しているんだ。僕はちゃんと地獄に墜ちた。君を見ていたら、よく実感できたよ。ありがとう」


 馬鹿にするつもりで、わざとらしく鼻を鳴らす。


「クソ意味わかんねェこと言ってんじゃねェよクソ野郎!」


 皮肉が通じない。


「そろそろ黙ってくれないかな?」


「アァ⁉」


「君の顔についた排泄口から出る排泄音を聞いていると、耳が腐りそうだ」


 汚い上に愚かなんて、同じ人類でいることが恥ずかしくなってくる。


「やんのかクソ――」


 すべて言い終える前に、頸動脈けいどうみゃくを搔っ切った。


 ナイフの軌跡を目で追えた人間は、その場に一人もいなかっただろう。


 少し遅れてから首魁が血を吹いて倒れると、ジーン君は舌打ちし、取り巻きたちがどよめいた。


 このヒトたち……ぬるいなぁ。


 僕は全身の筋肉を使い、一息に男たちの輪の中に飛び込んだ。


 着地と同時に、バレエを踊るように一回転。


 ナイフの切っ先の軌道に沿って、6人の男の喉が裂け、即席の人間噴水ができあがる。


 ジーン君は、赤いシャワーを浴びないように、さりげなく距離を取っていた。


「あーあ、やっちまったよ……ったく、止める間もねぇ」


「僕なりに優しく警告したよ。第一、止めてどうするつもりだったのさ?」


 ナイフについた血を死体の服で拭ってから懐にしまう。


「これだからシリアルキラーは始末に負えねぇんだ……いいか? ヘル・シミュレータにも人の営みはある。殺しは禁じられちゃいねぇが、そればかりじゃあ社会は立ち行かねぇだろうが?」


「僕を集団でリンチしようとした奴のセリフとは思えないな」


「てめぇはヘル・シミュレータに来たてのペーペー丸出しだったろ? 利害関係も後ろ盾もねぇ。新参者が堕ちやすい無垢の道を鼻歌まじりに歩きやがって……あそこは人狩りが横行するソドム郊外屈指の危険地帯だ」


 ジーン君は最後に「いいカモだと思ったんだがなぁ……」と独り言のように付け足した。


「カモも捕って食われるとわかれば精いっぱい抵抗するさ。まさかクズ同士、平和的に話し合いでもするつもりだったの?」


「交渉なり、恐喝なり、てめぇのステータスとその顔についた排泄口があったら、やりようはいくらでもあるだろ?」


「法やモラルに従って生きるのは生前だけでお腹いっぱいだよ」


「その考えが頭わいてんだっつぅの」


 ジーン君は白目を剥いて動かなくなった首魁に歩み寄り、両手を縛られたまま器用に懐を漁った。


「あ、やっぱりこいつ、マフィア子飼いの奴隷商だ。クソ、この状況じゃあ俺も共犯扱いじゃねぇか!」


 そう嘆きながら、首魁のポケットから取り出した名刺サイズの金属板を、ひらひらと振ってみせてきた。


 それが身分証らしい。


「できるだけ証拠は残さねぇ方がいい……おい、ダイナマイトよこせ」


「はい」


「……いや、俺が言うのもなんだが、普通わたすか?」


「君がよこせって言ったんだろ? 理不尽すぎだよ」


「……反撃されるとは考えねぇのか?」


「その前に君の首を落とせるから大丈夫」


「大丈夫じゃねぇが? ヒトの命なんだと思ってやがる……ったく、とことん地獄向きの奴だな……」


「そんなに褒めないでくれよ、照れるだろ」


「馬鹿じゃねぇのか?」


「死んだ甲斐があった。ミレニアム懸賞問題に勝る証明困難な問題が、たった今解決したんだ」


「なんだそりゃ?」


「馬鹿は死んでも治らない、QED」


「言ってろバーカ」


「で、どうするの?」


「はぁ……身元の確かな死体じゃなければ、足はつきづれぇ。仮に特定されたとしても、時間はかせげる。まあカルマがあるから、絶対はねぇがな」


 ジーン君はそう言いながら、各遺体から手際よく身分証をむしり取っていく。


 そのあと僕は、ジーン君の指示で近くにあったキャスター付のごみ収集ボックスに死体を投げ込んでいった。


 一通り終わると、そこにジーン君は火のついたダイナマイトを放り込んだ。


「うらっ!!」


 ジーン君がゴミ収集ボックスを思いっきり蹴飛ばす。


 簡易霊きゅう車は、道を滑るように進んでいき、大きな溝に落ちたところで破裂した。


 僕らは揃って近くにあったひさしの下に移動する。


「証拠隠滅にしては派手だね」


「クソ野郎の葬式にしちゃあ贅沢だ」


「灰は灰に、塵は塵に、ゴミはゴミ箱に、か」


 今日はよく汚物が降る日だ。

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