第15話 She is the main heroine‼ ESS - Enemy Side Scene -

クソFuck! クソFuck! クソFuck! クソFuck! クソFuck! クソFuck! クソFuck! クソFuck! クソFuck! クソFuck! クソFuck! クソFuck! クソFuck! クソFuck! クソFuck! クソFuck! クソFuck!」


 見ていた光景に憤るあまり、マリー・ミイは、口角泡を飛ばしながらデスクを拳で強打した。


クソ野郎!Son of a bitch!


 机の上に飾られていた写真立てが揺れる。その写真には、抜群のスタイルと美貌を持つ茶髪の女性と、見苦しく太った不細工な下着姿の女性が、抱き合うようにベッドで横になっていた。


「なんなんだ……なんなんだアイツ!」


 ミイは枯れ枝のような手でボサボサの茶髪を掻きむしった。それほど興奮しているのに頬は青ざめており、『I'm Hungry』と大きくプリントされた白いTシャツと、黒いショーツしか身に着けていないやせ細った身体は、かなり不健康に見える。


最悪Fuck、あーもー、あー最悪Fuck、あーあーあーあー! もー最悪Fuck‼」


 ミイのカルマ《アラクノフォビア》は、自分を中心とした2千平方kmの真円空間内に存在するクモの形をした生き物を無制限に支配し、感覚を共有できる。


 ヘル・シミュレータに存在するヒトと人工物以外の環境要因に干渉する死全ネイチャーの中でも、図抜けた範囲と価値を持つ強力なヘビー級カルマだ。


 その力はソドムのほぼ全域をカバーしており、アサイラムのミイに目を付けられてソドムを生きて出た者はいないと言われるほどである。


 それ相応に、カルマの条件と罰は厳しい。


 ハエトリグモのような動き回るクモは物の形がわかる程度の視力を持つが、造網性ぞうもうせいのクモはほとんど視覚がない。


 その代わりに、聴覚に類似する聴毛と呼ばれる器官が存在し、多くの糸で巣をつくるクモは、空気や地面の振動を感じることができ、聞き耳を立てられるのだ。


 つまり現場にクモがいるかどうか、そしてそのクモの種類によって、ミイの情報収集能力には制限が発生している。


 その罰は『カルマ使用後30日間は、支配したクモと同じ食物と水以外から栄養素が摂取できなくなる』。


 彼女には、『アサイラムNo.1のキャリアー』、『殺し屋部隊現筆頭』、『地獄最優のキャリアー』という輝かしい名声とは別に、『ゲテモノ食い』という蔑称もあった。


 断じて、好きでガやハエやイモムシを食べているわけではない。


 それが罰だと悟られないために喜んで食べてみせているだけだ。


 もともとミイは胃腸が弱かった。


 カルマを使った後は胃腸薬が手放せないし、何度も食中毒で倒れている。

 

 この罰の恐ろしい点は、サプリメント、点滴、投薬、胃ろう、カルマ等のあらゆる手段で栄養が摂取できなくなる点にある。


 30日間、クモと同じ物を食べる以外に飢えをしのぐ手がないのだ。


 寄食きしょく珍食ちんしょく悪食あくじき飢餓きがにより、ミイの健康と人格は破綻寸前だった。


 ヘル・シミュレータに堕ちる前の自分は、こうではなかった。


 机上の写真に写った自分は赤の他人のようにも、遠い過去のようにも感じる。


 操るクモとは全感覚が共有されるため、カルマ使用中にクモが傷を負ったり死んだりすれば、すべてミイにフィードバックされる。


 ヘル・シミュレータの生態系は、空想上の生物を除けば現実と大差ない。地上の生き物も存在しており、食物連鎖はAIが疑似的に再現している。そして現実と同じく、クモは肉食の小動物にとって格好の餌だ。


 そのせいでミイが死にかけた回数を上げたらキリがない。


「ミドル級4人が20分とたたずに全滅……クソオオオオオオオオオオFuuuuuuuuuuuuuuuuuuuck‼」


 何度も危険を冒し、ゲテモノと胃腸薬を胃に流し込む代償が、水泡に帰した。


 アサイラムの奴隷商を殺した犯人を特定し、追い詰めたところまではいつも通りだったのに、蓋を開けてみたらこの有様だ。叫びたくもなる。


「アンノウンだって? いますぐ死ねFucking crazy! マジ死んでくれFuckin' crazy‼」


 ミドル級は2番目に重たい罰と、2番目に強力なカルマを持つキャリアーだが、2番目だからといって弱いわけではない。


 手頃な罰でカルマを行使できるため、戦闘に集中できる。ミドル級キャリアーは戦闘員として一番バランスが良いのだ。


 階級が重たいカルマは優れた効果を発揮するが、比例して行わなければいけない罰も尋常な物ではなくなる。


 一度使えば最期、罰を実行するために死ぬしかなくなるようなヘビー級カルマも存在するくらいだ。


 そういったキャリアーは死ぬ前提の特攻兵器と変わらない。


 キャリアーを消耗品として使い捨てる人海戦術に近い運用法や、核抑止論にように威嚇目的で保持しておく分には問題ないが、一度使えばそれまでで再現性がないし、同様の手段での報復リスクも高まる。


 それに何より、有事のたびに勝っても負けても人員が減るような組織は成立しないだろう。


 長い目で見ればヘビー級カルマの使い捨ては問題が多かった。


 殺し屋部隊No.2のバイオリニストがミドル級なように、安定して実働できるキャリアーの大多数は中量級なのだ。


 そのバイオリニストと引き分け、複数のミドル級キャリアーを易々と返り討ちにするとなると、


じゃないと相手にならない……」


 ミイがぼさぼさの髪を乱暴に搔きむしる。


 憤懣ふんまんやるかたない、といった様子だった。


「あーもう、最悪Fuck‼」


 チーター――そう呼ばれるキャリアーは、生前の罪状と凶行から特殊なカルマを持っている。


 全員もれなくヘビー級。


 しかしながら、カルマの行使と罰の実行を両立可能だった。


 ミイもチーターの一人だ。


 チーターは全員、本物の核兵器に近い立ち位置にいる。


 劇毒とも言い換えられるかもしれない。


 ソドム内外を問わず人狩りが横行しているのは、ダルマ――便利な創憎クリエイターのカルマを持つキャリアー――と、チーターを確保するためだ。


 各組織が、血眼になってチーターを探している。


 アサイラムには現在、ミイを含め4人のチーターが所属している。


 自分は例外だとミイは思っているが、例外なくADXフローレンスすら生ぬるい真正のサイコパスだ。


 そんな人間たちと協働しなければならない事が、ミイが憤っている理由の一つ目。


 二つ目は、アサイラムの最高戦力を投入するために、幹部会の許可がいる点だ。


 を除いて、クソ以下のクソたちと対面しなければならないと考えると、気持ちは滅入る一方だった。


 いや、とミイは考え直す。


 アンノウンの動きは想像以上にはやい。


 ソドム郊外で19人。

 奴隷商7人。

 殺し屋部隊ライト級キャリアー5人。

 ライダー1人。

 殺し屋部隊ミドル級キャリアー4人。


 ヘル・シミュレータに堕ちて早々、二桁の人間を殺している。


 あの男は間違いなく明日も《デジタルミラージョウハリ》のカルマランキングにランクインするだろう。


 上の決定を待てば、アンノウンの順位がまた上がるかもしれない……そんな気しかしない。


 本来ミイは、アサイラムという組織そのものには思い入れはない。


 アンノウンと組織が敵対しても一向にかまわないと思っている。


 しかし、アサイラムにはがいる。


 いけ好かない組織のために馬車馬のように働くのは御免だと思いながら居続けるのは、への恩義があるからだ。


 ミイは生前も死後も、裏稼業でずっと生きてきた。


 生きている間は、日本でいうところの『毒物及び劇物取締法』を破り倒し、毒の製造や販売、それを用いた暗殺の斡旋等を手広くやっていた。


 仕事の関係で政財界の要人ともコネクションはあったが、最終的に自分たちの後ろ暗い過去を知る彼女を疎ましく思ったそのコネクションのせいで、ミイは吊るしあげられた。


 ヘル・シミュレータに来て右も左もわからなかったミイを救ったのが、だった。


 下痢げり嘔吐おうとも空腹も、のためなら耐えられた。


 アサイラムに恩義はないが、のために最善を尽くす。


 マフィアはメンツがすべてと言っても過言ではない。


 三大マフィアの一角が、冴えない青年一人にかき回されている。


 格好の隙だ。他組織も愚鈍ではない。アサイラムの隙を見過ごしてはくれないだろう。


 組織そのものはどうでもいいが、の御尊顔を潰させるわけにはいかないと、ミイは思う。


 それくらい強く、深く、ミイはに心酔していた。


 幹部会の承認を待っている暇がないとすれば、すぐにコンタクトが取れ、自分が交渉可能で、幹部会が事後承諾でも自分を許し、アンノウンとも互角にやり合える人選が必要だ。


 1人だけ心当たりがあった。


 車両製造部隊と殺し屋部隊を兼任し、毎日カルマランキングに載っているイカレたクソ野郎だ。


最悪Fuck、あー最悪Fuck、もー最悪Fuck、ほんと最悪Fuck……最悪Fuck


 ミイの憂鬱な時間はまだ続きそうだった。

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