まじない使いの支援者

岸端 戌梨

序章

第1話 開拓者支援店【アメトランプ】

 鬱蒼とした森だ。山菜が育つような、苔の茂る肥えた樹林。日頃は規則によって立ち入りを禁じられているというのに、今はもう何人の人間がこの領域に踏み込んでいるのか想像もつかない。植物が吐き出していたはずの清涼な風は、既に炎を広げるための材料でしかなかった。燃え広がり続ける森の叫びを聞きながら、くるぶしまであるスカートの裾を汚し、走る。


 ――とにかく逃げなければ。


 焦燥によって熱を帯びる思考をどうにか落ち着かせて、私は手の中にある一つの石を確認した。


 石は傍目から見ても普通とは呼べない代物だ。その価値がわからない人間でも、精巧かつ綿密に凝らされた刻印が何かの意味を持つことに疑いを持たないだろう。事実、たったこの一つの石ころに、私は十六年間生きてきた命を懸けている。


 ――まだ人里は見つからないの?


 口に出したい悪態を飲み込んで、もたれていた木の陰から抜け出す。よくよく考えれば、人里に辿り着いたところで安全の保証なんてこれっぽっちも無い。いつの間にか“彼”は人を傷つけることを厭わない人間になってしまった。集落程度なら壊滅させるという手段も選びかねない。


 末恐ろしい想像を体現するように、森の遠くから爆発音と熱風が襲いかかってきた。森を蹂躙し、荒野を作り出すがごとく。辺り一帯を焼け野原にしてでも私を探し出す気だろう。母親からもらった自慢の赤髪に火の粉が散ってきて、火傷しそうになる熱の痛みを必死に堪える。


 全ては約束を果たすため。誰にも止められなくなる前に、何としてでも計画を阻止しなくてはいけない。まずは辿り着くんだ。一抹でも塵の一つでも、希望を見つけ出すために。ルディナ王国の王都へと。


「おい! こっちに小さな足跡があるぞ!」


 突如近くから聞こえた野太い声に身体中の内臓が底冷える。私は茂みを飛び出して無我夢中で森を駆けた。聞こえる怒号も脅迫も全部、後ろ背にして。


※――――――――――――――――――――――


「おいルミー! 酒持ってこいやぁ!」


 ――その注文何回目だこのザルが!


「はいただいまー!」


 数えるのなんか最初から諦めていた。小さな店内の机と椅子と客の間を細身の体ですり抜けて、俺は名前を呼んだ男の元に酒瓶を叩きつけた。


「店主さんよぉ。こっちはこの皿のおかわり頼むわぁ」


 ――それ何の皿だよ!


「はいはいちょっと待ってー!」


 提供した全ての品を勘定無しで把握できるほど記憶力に優れてはいない。それでも皿に残った痕跡から鶏肉のタレ焼きだということを判別して、用意していた同じ商品を持って机に置いて行く。


「おぉルミーさん、丁度良かった。ワシにもあいつと同じのをくれんか」


「あ、ルミ坊。前キープしといたボトルあんよねぇ。アタシ次それで」


 ――いっぺんに言ってくんな!


「タレ焼きと! ワインね! 注文つっかえてるからちょっと待ってて!」


 矢継ぎ早に呼び掛けられる名前に向かって、駆けては聞き、聞いては駆けの繰り返し。機械のような単調作業だが、生憎と生身の人間である俺には厳し過ぎる。しかし呼吸器官とはなんとも不思議なもので、立ち止まらなければ意外と疲れを感じないものだ。もちろん、その後にはぶっ倒れるのが関の山なのだが。


 かれこれ四時間は続く大所帯の宴会は未だに終わりの気配を微塵も感じさせない。しかしながら、そろそろ話しの話題だって尽きてくる頃合いだろう。俺は彼らが解散する絵面を想像してこの馬鹿騒ぎたたかいに希望を見出そうとしていた。


「っしゃぁお前らぁ! 今日はクラン挙げての祝会だ! あと二時間は付き合えやぁ!」


 ――イマニジカンッテイッタカ?


 店中の客の声が唱和するなり、また次々に注文が殺到する。俺は思考停止どころか暗転寸前まで精神力を引っ張られるが、この店の店長の矜持と意地で心を奮い立たせ、叫ぶ。


「っしゃぁーっ! 全部用意するからどんどんこいやぁーっ!」


「おい聞いたか。店主からお許しが出たぞ! お前ら、漢気見せろやぁ!」


 「おおーっ!」という声が響き渡ると、俺は再び走り出しながらこんなことを思う。


 ――あぁ、もう死ぬな。これ。


 その後、漢気を見せてくれた彼らが三時間も粘ったことは想像に難くないだろう。


 ルディナ王国の王都近郊に店を構える開拓者支援店【アメトランプ】。本日の様相は実に騒がしい屈強な『開拓者』たちの酒場となっていたのだった。



 ソースの付いた皿を丁寧に洗い、大量に積まれた清潔な食器に重ねていく。溢れかえったシンクは使いづらいことこの上ないが、今日中に先の宴会の後片付けを済ませておかなければ明日の業務に支障が出る。酒場がメインではない【アメトランプ】では日中の営業も欠かせないのだ。


「にしたって多いなぁ」


 俺は次の食器を運ぶために拭いた手で深緑髪の頭をかいた。決して低くはない自分の身長に匹敵するのではないかという量の皿の山。それがあと二セットはあるというのだから憂鬱は止まない。白い陶器に映った目尻の下がり切った目を見て、これは改めて気合を入れ直さなければと思った。


「ルミ坊、大丈夫かい?」


 そんな心情を抱える中、店の裏側に無断で入って来たのは紫紺の髪をストレートに伸ばした妙齢の女性だった。鋭い狐目が厳しい印象を持たせているが口角はニヤッと上がっている。麻布生地の普段着に外套を羽織る彼女は、これでも王都に名を馳せる有名な『開拓者』の一人だ。


「ハリエラさん……大丈夫そうに見えますか?」


「とてもじゃないけど見えないねぇ」


 からからと笑うハリエラさんは開拓者として主に傭兵業を生業としている。『開拓者』は未知の冒険に赴くことや獣の討伐を基本的な労働としているが、それぞれの技能によってはもはや「何でも屋」と言っても差支えない。彼女は今回の祝杯も仕事の繋がりで招待されたそうだ。


「何もわざわざウチの店で宴会をしなくも良かったじゃないですか……【アメトランプ】は飲み屋じゃないんですよ」


「一番アタシ好みの酒を出してくれるのがアンタってだけさね。野郎どもが知ってる酒場よりもよっぽど信用できるのさ」


「はぁ……」


 名高い開拓者にそう言ってもらえることは開拓者支援を生業とする者にとってこれ以上無いほどの賞賛だろう。しかしながら、どうにも食えない彼女の態度のせいで喜びは感じられない。


「ハリエラさんには感謝してますけど、別に借りがあるわけじゃないんですからね。あんまり良いように使おうとすると逃げますよ」


「アンタは逃げないよ。お人好しだからね」


 無責任に言い切るハリエラさんに、俺は元気なく「そうですか」とだけ言って次の仕事に移っていく。私営業、店員はこの身一つ。人を雇えないほど金に困ってはいないが、この店のとある特性から採用できる人間はごく少数に限られてしまう。そのため俺は朝から晩まで働き詰めだ。ただ二年間も死に物狂いで頑張れば、何とか生活に慣れることができていた。


「そういえばルミ坊に一つ面倒を見てもらいたい案件があるんだけどさ」


「……それ、このタイミングで言いますか」


「問答無用」


 ハリエラさんは短く言うと二つ折りの小さな紙を差し出してくる。果たしてその紙に書かれていたのは一つの固有名詞だった。


「【ソールサー】? 聞いたことないですね」


「新人クランの名前だよ。ここ最近できたクランの中じゃ【ソラティア】が頭一つ抜けてるけど、そこもそれなりに実力のあるところさね。何でも近頃、ルディナの東の端っこにある森が騒がしかったみたいでさ。その調査依頼を任したのが【ソールサー】ってわけ」


「これ、ハリエラさんがギルドから直接受けた依頼でしょう?」


「あ、ばれた?」


 『ギルド』は開拓者の登録認証のための機関――言い方を変えれば全ての開拓者を統率する組織だ。その中で個別の集団に分けられたものが『クラン』と呼ばれている。さっきまで店でどんちゃん騒ぎをしていた彼らや、この【ソールサー】という集団がそれに当たる。


 フリーで働いているハリエラさんであっても例には漏れずギルドの一員だ。彼女ほど有名になればギルドを介して直接指名が届くこともあるようだが、その依頼を無断で若手クランに横流ししたらしい。


「もちろんアタシも行くからね。問題は無いはずだよ」


「殆ど屁理屈じゃないですか。若手育てるのも良いですけど、ハリエラさんだってもうじき三十路なんですから自分の保身を……」


「三十路が、何だって?」


 俺は底冷えするような迫力にひっ、と声を漏らした。実際に彼女の右手には霜が降りていて、それが何かしらの『魔術』の予備動作であることは間違いなかった。俺が慌てて「何でもないです!」と言い張ると、白くなっていた手に段々と赤みが戻っていく。そして悪戯な子どもみたいに笑窪を作った。


「出発は明後日だよ」


 随分と急な話だ。『開拓者』の仕事は常に命の危険が付き纏うのだから、もっと入念な準備で送り出しをしたい。しかしハリエラさんの発言で、そんな考えすら悠長であることに気がついた。


「出発って、まさか俺も行くんですか?」


「そうだよ」


 言葉の衝撃に顎が外れそうになる。俺は【アメトランプ】の経営があって遠征どころではない。その大変さはわかっているはずなのに、この人は無茶を承知でたった一人の従業員を外に連れ出そうと言うのだ。


 ハリエラさんの型破りさ、もとい非常識さのせいで口は宙ぶらりんになったまま。彼女はそんな俺の間抜け面を無視して続ける。


「なんでも森の手前にはまだ王国が手をつけてない鉱山があるんだと。今後の財政に関わるからできるだけ早めに見てこいってさ」


「だからっていくら何でも急過ぎ……」


「明日ここに【ソールサー】のクランリーダーがくるから、よろしくね」


 ハリエラさんは言うだけ言うと、洗い場のある部屋の扉を開けて去って行ってしまう。俺は急いで後を追うが、次の瞬間には店の入り口に備え付けたベルがカランコロンと音を立てるだけだった。


「えぇ……」


 散らかったテーブルよりも余程先の思いやられることになったと、幾度目かのため息を吐いた。これでハリエラさんは契約の取り付けが終わったつもりだろう。彼女の身勝手さには宴会でこき使われるよりも諦めの念が染みついている。なにせ【アメトランプ】開業以前からの付き合いなのだ。


「やるしかないか……」


 何はともあれ店の片づけが最優先である。こんな状態では明日の【ソールサー】なるクランの出迎えもできない。俺は落ちていた気分ごと、長袖を捲り直して動き始めた。



 俺が営業する【アメトランプ】は開拓者の手助けを目的とした『開拓者支援店』だ。そして俺は、彼らの依頼によって働く『支援者』という職業である。その業務は、彼らがギルドから受けた各依頼に即したサポートだ。物資や食料、救急医療まで、請け負う仕事の種類が増えるほどこの界隈では一流に近づける。ただし、酒場の提供は明らかに本筋ではないとだけ言っておく。


 今回ハリエラさんから託されたのは、クランの遠征の準備を整えること。そしてその同行である。こういう話は普通、もっと前から通しておくのが常識なのだが、彼女はどうにも俺を振り回して楽しんでいる節があった。


「そういうわけなんで、よろしくお願いしますね。えっと、ナゲさん」


 翌日の昼下がり。【アメトランプ】では一人の男を迎えていた。至るところに当て布が見えるコートを着た長身。地黒の肌に半目開きに見える厚い目蓋が特徴的だった。


「いやぁ、なんだかな。店主さんも苦労してんなぁ」


 煤黒い髪をがしがし上下しながら、癖らしい間延びした語尾で笑われる。彼こそ昨日ハリエラさんから紹介を受けたクラン【ソールサー】のリーダーであり、名前をナゲという。初対面の人に気さくな態度で気遣われたら、俺も呆れるように声を出すしかない。


「あの人からの無茶振りには新人だった頃から随分振り回されてますから。慣れてますよ」


「店主さん。そりゃぁ感覚麻痺ってやつだぜぇ」


 ナゲさんの指摘は真っ当なものだったが、おかげで様々な開拓者の要望に応えるアドリブ性が身に付いたのも事実だ。感謝半分、恨み半分というのが俺が彼女に下した判断である。


「ま、まぁとにかく。今は明日からの遠征の話をしましょう。まず人数がクランメンバー八人と、俺とハリエラさんを加えて十人。その全員を乗せられる馬車の手配と人数分の食料ですね」


「あぁ。武器の手入れは各々が今日中に急いでやってるし、野営に必要な物なんかはこっちで準備する。今言ってくれたもんを頼みてぇ」


「わかりました」


 俺が素早く手元に置いておいた藁半紙に走り書きしていると、ナゲさんが思い出したように口を開いた。


「そういやぁなんで店主さんが付いてくんだ? 姐さんは本人に聞けって言って教えてくれねぇしよぉ」


「あぁ。それは今回の依頼内容が鉱山の探索だからでしょうね」


「あん? どういうこった」


 彼は訝し気な表情のままで答えを待っているようだ。俺は意地の悪いハリエラさんの顔を思い出しながら説明をするつもりで問いかける。


「鉱山の調査で中に入ったら、もちろん暗闇ですよね。その時、どうしますか?」


「そりゃぁランプを使うだろう。ガキでもそうする」


「では、ランプを持ったまま何者かに襲われたら?」


 あぁ? とナゲさんはさらに皺を深めた。日頃は反射的に行っている行動であるがために、あえて考えたことなどなかったのだろう。案の定、ナゲさんは常識を諭すように答えを出した。


「そりゃぁ足元にでも置いて戦うしかねぇだろ。もしくは火の“魔術”を主体にして戦うとか……」


 『魔術』とは自身の内にあるエネルギーから物質を作り出す技能の総称だ。ただし魔術による生成物は火や水といったごく簡単な物質に限られており、中でも複雑な物は一部の凄腕にしか生成できない。開拓者にはこれを愛用する者が多く、戦闘にも利用されがちである。


「開拓者らしい勇猛な回答ですね。でも俺たちの界隈で魔術に長けている人間は少数なんです。卓越した人は、開拓者になりたがりますから」


「なら、あんたらはどうするんだ?」


 新たな質問を受けて、俺は店中のカーテンを閉ざし部屋に入る日光を遮断する。ナゲさんは未だに訝し気な表情を向けていて、見た目の年齢にそぐわない初々しい反応が新米開拓者らしかった。薄暗くなった空間で、俺は長方形の紙を取り出す。その中心には墨を使って書かれた奇怪な文字のようなものがあった。


「俺たちは主に、戦闘に向かない技術を駆使します。各々の得意を極める……それがこの界隈で生き残るための唯一の術すべですから」


 手にしたその紙を破る。途端、二つになった紙の切れ目が発光を始め、深緑色の前髪をそよ風が揺らす。


「“呪符・陽光札ようこうふだ”」


 溢れ出した光が部屋全体に散らばった。日光の遮断されたはずの空間が、瞬く間に薪が燃えたような明るさに包まれる。紙の生み出した光が【アメトランプ】の店内を満たしたのである。照らされた長身の男は呆気に取られていて、沈黙した世界に俺――ルミー・エンゼの正体を刻む。


「これが俺の付いていく意味――『呪術』を使える支援者というわけです」

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