1章 運命の呪い

第6話 帰路


 ガラガラという車輪が回る音は、さっきから一定のペースで歩く数頭の馬のものだ。『アルテナ鉱山』を抜けた俺とハリエラさん、そして合流した【ソールサー】の面々は、一晩の休息を経てから帰路についていた。


「なぁ、店主さんよぉ。そいつ、連れて来て良かったのか?」


 馬二頭分の手綱を握るナゲさんが聞いて来た。焼けた左腕には包帯がぐるぐる巻きになっていて痛々しいが、その下は昨日の内にしっかりと治療を施している。開拓者らしいタフな一面を見せてくれた彼は、率先して御者を引き受けてくれていた。


 そんな彼が気にかけるのは、俺の隣で眠る赤毛の少女のことだ。呪術によって【ソールサー】を撃退し、さらにそこへ魔術を組み合わせることで、ハリエラさんさえ追い詰めた。見た目が幼いと言っても、危険人物であることは間違いない。


「すみません……仕掛けてきた敵を助けるような真似をして」


「いやぁ、その娘っ子にやられたのは俺たちの実力不足だからよぉ。そこは恨んじゃいねぇんだが……」


「純粋に危険って話なら問題無いさね。アタシが常に見張ってるからね」


 少女を挟んで向こう側の座席に座るハリエラさんが割って入った。彼女は俺の提案を聞き入れ、この少女をここまで運んで来てくれた。ただし、ずっと彼女が見張っているという条件で、だ。願ってもないこととは言え負担をかけ過ぎてしまっている。俺は洞窟の中でそう伝えたが、「今度、店で好きなだけ酒を飲む!」という厚意ある交換条件でこれを解決してくれた。


「そうかい。まぁ、姐さんがいるなら大丈夫とは思うが……」


 ナゲさんは表面上そう言ってくれたが、やはり心配なことに変わりないだろう。気絶した他の二人も苦悶の表情を浮かべる時がある。本格的に宴会場の提供くらいはしなくてはいけないと思いながら、改めてナゲさんに感謝した。


「ルミ坊。何度も聞くけど、ホントにこの娘が『助けて』って言ったんだね?」


「はい。それは間違いなく。小さい声でしたけど、確かに言っていました」


 あの洞窟でこの少女の自爆を防いだ直後、力の無い体、か細い声で確かに言った。「私を助けて」と。


 まさかさっきまで殺し合いをしていた敵の発言とは思えず、俺は何度も聞き間違いを考えた。しかし、あの悲しげな表情からは微塵のハッタリも感じられなかった。


「まぁルミ坊のことは疑わないにしても……殺すつもりだった相手に助けを乞う、ねぇ。面の皮が厚いって歳には見えないんだけど」


「それだけ切羽詰まった事情があったんじゃないでしょうか。もちろん、あれが咄嗟に出た命乞いって可能性もありますけど……それは、この娘に直接聞くまではわかりません」


 鉱山からキャンプ地、そしてこの揺れの激しい馬車に移っても、赤毛の少女が目を覚ますことは一度としてなかった。憔悴という言葉がよく合っていて、溜まりに溜まった疲労と、おそらくは栄養失調によって酷い有様である。持ってきていた応急処置用の薬やすり潰した食料を与えてみたりしたが、こんな場所では回復も見込めようはずもない。


「とりあえず【アメトランプ】に連れて行って回復を待ちます」


「ギルドには相談できねぇのかぁ?」


 後ろを見ることなく聞いてきたナゲさんの質問にはハリエラさんが答えた。


「個人的な事情だからね。ギルドに頼るのはお門違いさ。本来は大人数の目につく所に置くのが良いんだろうけど、ギルドは統率機関であって慈善団体じゃあない」


「それに俺は独立した身ですから。昔お世話になってた人たちには迷惑はかけたくないんです」


「ほーん。そんなもんかい」


 ギルドの支援者部には以前に所属していただけでなく、俺が【アメトランプ】を開業するに当たって必要な空き家を探すのを手伝ってもらったこともある。支援者としての基礎、自立の手助けもしてもらったともなれば、足を向けて寝るのも烏滸がましいと言うものだ。


「それに気になることもいくつかあって……」


「気になること、ってぇのは?」


 俺は彼女の持っていた――否、残っていた数枚の『呪符』と、さらに精巧な刻印がなされた小さな石を取り出した。


「この娘の持っていた呪符……これは俺も知らない呪術によって作られています。おそらく、みなさんを襲った火柱の出るものと同じかと」


「魔術が出てくるんだっけ?」


 鉱山の中で話したことを思い出したハリエラさんに対して頷きで返す。そもそも『魔術』とは人間のエネルギーによって発生するもの。それを呪術で生み出す、あるいは転用するといったことは聞いたことがなかった。


「じゃあ、そっちの石は?」


「それがこっちは……さっぱりわからないんです。何をしても、うんともすんとも言いません」


 少女の持っていた呪符とはまた違う文字が、極々小さく、まるで錐で彫ったように書かれている。芸術家が見ればその技巧がわかるのかもしれないが、あいにく俺にはその手の感性は携わっていない。しかし少女が携えていた以上、これも呪術に関わっている可能性は高いだろう。赤髪の少女の危険性が未知数だからこそ不用意に別の誰かに託すのは気が引ける。


「とかく、専門家の視点が必要ってこったな」


 ナゲさんは最初に店に来た時のごとく会話を投げ捨てて馬の世話に戻ってしまった。俺とハリエラさんは苦笑いを突き合わせてから続ける。


「あんな洞窟に一人で居たってのも疑問さね。身なりもそこそこの階級に見えるし……謎が多すぎる娘だよ、ホント」


 謎の少女。そう言って差し支えないだろう。マイナーな呪術を熟知していることももちろんだが、争いとは何より無縁そうなドレスは擦り切れている。俺は年端もいかない少女がこれほどボロボロにならなければならない「異常性」に胸のざわめきを感じていた。


「そういえば、森の方の探索はどうなったんだい? アタシ、この娘に付きっきりで昨晩の情報交換に参加できてないんだけど」


「俺たちと違って被害は出ていないみたいですよ。でもなんか、あっち側も違和感があったみたいで……」


「あー。なんか、追い返されちまったらしい」


 俺が言いかけると、ナゲさんはバツが悪そうに継いだ。心なしか荷台が揺れた気がする。


「お、追い返されたぁ?」


 予想外の答えに驚いたハリエラが聞き返す。ナゲさんは昨晩、森を探索していた【ソールサー】から聞いたことを要約しつつ説明した。


「何でも、このへんの森一帯の所有権を主張する連中が現れたらしい。それでも『王国の認可を受けたギルドの調査だ』って食い下がったそうなんだが……どうやら向こうさん、一触即発の雰囲気だったみたいでよぉ。無駄な争いを避けるために帰って来たそうだ」


「かぁーっ! 情けない! そういう時はいっそ脅すくらいのことをするんだよ」


「怪しい人がいたら尻尾巻いて逃げろって言ったのはハリエラさんでしょう……」


 しゅんとしてしまったリーダーの代わりに【ソールサー】の面々をフォローする。しかしそうは言うハリエラさんだが、これでいて全員の無事の帰還に一番喜んでいるのは間違いない。俺は長い付き合いで彼女の冗談もわかるが、若手には手痛い洗礼だったようだ。


「とにかく、ギルドには後から一連のことを報告しておくさね。何事も、この娘が目覚めて、その処遇を決めてからじゃないとねぇ」


「え? ハリエラさんの見張りって、帰るまでじゃないんですか?」


「何言ってんのさ。もちろんアンタの店に泊まるさね。アンタが殺されでもしたらアタシが困るからね」


「ありがたいですけど……報告、遅れて大丈夫なんですか?」


「気にしない気にしない」


 能天気に紫紺の髪を揺らす女性は、随分と面倒見が良すぎるきらいがあるらしい。俺は彼女に心の中で小さく感謝しつつ、少女の持っていた石を見つめた。このざわつきが杞憂で、ただの思い込みならば何も気にしないで済むだろう。でも俺はこの違和感の正体を、まだまだ掴めずにいたのである。


※――――――――――――――――――――――


 ――『これは、かの「厄災」を封じ込める力。他の誰にも、決して渡しては駄目よ』


 私と同じ紅の髪を持つ女性がそう言って渡してきたのは小さな石だった。子どもの頃の私はその『価値』も知らず、暖炉の風に揺れる絹のような髪を綺麗だと思いながら、ただ彼女の言うことだけを信じた。


 母は私がとても小さな時に亡くなった。あまりに急な事態に涙も流せなかった。母がいないという実感が沸いたのは物心がついた頃で、何年も過ぎていては涙も出なかった。


 しかし母が遺した言葉の数々は鮮明に覚えている。この石はただの小石ではなく、ある大きな役割を持つものだと。私は母との約束を守り、使用人にも、家族の誰にもそのことを話さなかった。そうしているうちに、私もその存在を自室の引き出しの中に忘れていった。


 事態が動いたのは父が死んでからだった。元々持病を患っていた父は外泊先で倒れたらしく、当主を継いだ兄はろくに葬儀も開かないまま父を墓に入れてしまった。兄に反感を覚えた私はしばらく部屋に籠り切りだったが、やがて彼を慕っていると言う者たちが屋敷を出入りし始め、頻繁に石の存在を探られたのである。私は母の言葉を思い出し、知らぬ存ぜぬを貫き通した。彼らの瞳は、いつも曇った下賎なものに感じられたから。


 そしてある時、私は知ってしまった。おぞましい、兄が抱くこの国への『復讐』を――



 口の中に異物感を感じて、私は朦朧とする意識で五感を知覚した。目の前に映ったのは深緑色の細い絹髪で、短いけれど母のようだと思った。そう、母はいつもベッドの上で、私に長い髪を当てながら絵本を読んでくれたのだ。


 ――待て。もう母はいないはずだ。


 ぼやける景色に見慣れない色彩が映り込み、私は視覚に全神経を集中させた。そこにいたのは、線が細いながらもれっきとした男性。非常識に近い位置にある顔に、私は冷や水をかけられたように目が覚めた。


「――変ッ態!」


「うおぁぁっ!」


 私は反射的に炎の魔術を行使していた。次の瞬間には、深緑髪の男は部屋の反対側まで吹き飛び、壁に叩きつけられて蛙のように床に落ちたのだった。

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